そう言いながら悪戯を仕掛ける子供のような顔でカガリの返答を待っている。
そんなアスランにカガリもニヤリとしながら答える。
「プレゼントの意思なんか気にしないで貰った人間が選べばいい。受け取るか、突っ返すか」
その言葉を聞くとアスランはクスッと笑って俯いた。そして両膝に手をついて立ち上がりこう言った。
「夕食、食べに行かないか?」
その意外な台詞にカガリは少なからず驚いた。
キラからのプレゼント、つまりカガリに関して何らかのリアクションがあると思っていたのだ。
なのにアスランから出た言葉は、夕食──
少し拍子抜けしたが、確かにお腹は空いてきた。しかしめちゃくちゃ空いている訳ではない。
少し考えてカガリは名案を思いついた。
「私が作ってやるよ、夕食」
「えっ!お前がか!?」
アスランからの素早すぎる返答。その顔は何だか不安げだ。
その表情は気に入らないが、とりあえずそれは気にせず笑顔で頷いてみせた。
「考えたらお前に私の手料理食べてもらった事ないし。
だから私からアスランへのクリスマスプレゼントだ!うん、そうしよう!」
アスランは不安そうだった表情をますます歪ませて尋ねてくる。
「それはいいけどお前、料理やった事あるのか…?」
なるほどそれを心配していたのか、と納得する。確かにアスランに私の腕前を披露したことはなかった。
カガリは右腕の袖を捲って力瘤を作ってみせた。
「もちろんあるさ。まぁ大味な料理ばかりだけどな。結構うまいぞ?」
「“大味な料理”って例えば…?」
まだカガリを疑っているのか、アスランは眉間の皺を深めたまま尚も尋ねてくる。
「シチューとかカレーとか。大体野菜ぶった切って鍋に入れたら出来る様な物、かな」
「…お前、それ何処で作った?」
「砂漠で」
「それって三年近く前の話だよな…?最近作ったのは?」
それを訊かれると答えづらい。ちょっと俯いてボソボソと答えた。
「…ってない」
「何だって?聞こえない」
…絶対聞こえてるぞ。コイツはコーディネイターだし。
カガリはヤケクソでがばっと顔を上げて大声で叫んだ。
「砂漠で作ったっきり一回も作ってないよ!」
するとアスランは怒りも呆れもせずフッと笑ってカガリの頭に大きな手をポンと乗せた。
そのまま数回クシャクシャとかき回すと、
カガリの手から自分宛ての手紙を奪って部屋から出て行こうとする。
あきれられた?
カガリはあわてて振り返り、アスランを呼び止めようと口を開こうとして気づいた。
ドアのところからアスランがこちらを振り返っている。
「とにかくキッチンに行こう。そこで夕食をどうするか決めよう」
そうニッコリ微笑む。カガリは嬉しくなってアスランの背中にぴったりくっついて部屋を出た。
キッチンに降りて来た二人は冷蔵庫を開け、並んで中を覗き込んだが、
キラが手紙に書いていた通り目ぼしい物はなかった。
料理に慣れている者ならば、この冷蔵庫の中身でも充分事足りたかもしれないが、
カガリが作るという点、
そしてプレゼントになりそうなご馳走を作りたいという点でこの冷蔵庫の中身は不合格だった。
「これは外食かな…」
そう呟いたアスランの声が何だか嬉しそうに聞こえて、カガリは何となくムッとした。
そんなに私の手料理を食べたくないのだろうか…
まだ手料理のプレゼントを諦め切れないカガリを尻目にアスランはリビングの方へ移動していく。
きっと椅子の背もたれに掛けてある自分のコートを取りにいったのだろう。
少しだけ逡巡して、カガリは未練がましく開けていた冷蔵庫のドアを閉め、思い切って口を開いた。
「よしっ!買い物に行こう!料理の材料を買いに行くぞ!」
「えっ!」
リビングの方から速攻で声がした。
…やっぱり不満そうな声に聞こえる…
その声でカガリはもう決意した。絶対に私が料理する!
アスランはすぐにキッチンに戻ってきた。右手にちゃっかりコートを持って。
それを腕に抱えて両手を腰に当て、呆れた様な表情で問いかけてくる。
「それで?カガリは一体何を作ってくれるって言うんだ?」
それは全く考えていなかったカガリだった。
ただ自分の手料理を食べたくなさそうなアスランが気に食わないだけで、咄嗟に出た言葉だった。
「え…えっと…」
何かいいアイデアはないか、ウロウロと視線を彷徨わせながら考える。
カレーやシチューはなぁ…出来る…と思うけど、どうせならビックリさせたいよな…
私が今まで食べてびっくりした上に美味しかった料理って…あ!
「あれにしよう!確かどこかにあるはずだ…!」
カガリは調理用具の入っている棚を片っ端からあけ、何かを探し始めた。
「何探してるんだ?」
いつの間にかアスランがカガリのすぐ側まで来て声をかけてきたが、
それに構わずカガリは黙々と目的の物を探した。
「あった…!」
そう叫んで棚の奥から取り出した物は、土鍋だった。
「何それ…?」
アスランが不思議そうな顔で尋ねてくる。
カガリは土鍋をアスランに手渡して再び棚を物色しながら言った。
「見た事ないか?私もこの家で初めて見たんだけどな。これを使って料理する」
「で、その料理名は?」
「蟹鍋だ!」
そう叫びながらカガリは再び何かを棚の奥から出して来た。それはカセットコンロだった。
それをアスランに見せ、カガリはさらに言葉を続けた。
「この上に鍋を置いて、調理しながら食べる。
こないだこの家に来た時に作ってもらって凄く美味しかったんだ!」
それでもアスランはまだ腑に落ちない顔で、
手に持った鍋とカガリの持っているコンロをかわるがわる見ている。
「それでカガリはその『かになべ』の作り方、知ってるのか?」
するとカガリは得意げに言ってのける。
「私は作った事ないけど簡単そうだったぞ!
鍋にお湯を入れてその中に蟹やら何やら色々つっこんだだけで、めちゃくちゃ美味しいんだ!」
こう言えばアスランはきっと喜んでくれると期待したのに、
その顔はますます疑わしげに今度はカガリの顔をじとっと見ている。
「それだけで美味しくなるとは到底思えないんだが…」
いい加減カガリも思ったような反応がもらえずにイライラしてきた。口調が荒くなる。
「じゃあアスランは外食してくればいいだろ!?
私は今から買い物に行って一人で美味しい蟹鍋を食べるから!」
そう叫びコンロを持って『こたつ』のある部屋までズカズカ歩き出した。
「お前を一人で買い物させるなんて出来るわけないだろ?俺も一緒に行くよ」
そう言いながらアスランも鍋を持ってカガリの後に続く。
「別に食べたくないのに無理して買い物に付き合わなくていいよ!」
「食べたくないなんて言ってないだろ?」
「食べたいとも言ってくれてない!」
コンロを『こたつ』の上に置き、くるりとアスランを振り返って怒鳴りつける。
知らず知らずのうちに、じんわり瞳に熱がこもる。
久しぶりに会って、こんな事で言い合いなんかしたくないのに──
アスランはギョッとした表情で鍋を手に持ったまま固まってしまった。
こんなアスランの顔を見たいわけでもない。
ちょっと自分の思い通りにいかないだけで泣きそうになって、
こんな自分は子供じみていてとても卑怯だ──
カガリはアスランが何か言い出さないうちにと、アスランが手に持った鍋を奪う。
それを持ってキッチンの方に戻っていく。
「おい、それどうするんだ!?」
われに返ったアスランが慌ててカガリを追い、隣に並んで顔を覗き込んでくる。
「…外食、行こう。その方が確実に美味い料理にありつけるもんな」
そう努めて明るく言って、カガリは土鍋を元あった棚に戻そうと屈みこんだ。
その時やんわり肩を掴まれ、思わず立ち止まってしまったカガリはアスランを振り返った。
するとアスランは優しげに微笑んで言った。
「買い物、行こう。美味い物、食わせてくれるんだろ?」
アスランはカガリの手から鍋を奪い返し、キッチンのテーブルの上に置く。
そしてリビングの方に向かいながら一人で話し始めた。
「この近くの店に材料買いに行くんだろ?考えたらそういう所に二人で行った事ないし…
ちょっとわくわくしないか?…ほら、カガリ、変装しなきゃならないだろ?」
再びキッチンに戻ってきたアスランの手にはカガリの荷物とジャケット。
そしてジャケットの方をカガリに差し出す。
カガリが何も言えず、何も出来ずにじっとしていると
アスランはそれを引っ込め、自分のコートと共に手に持ち直した。
その動作をただ見ていたカガリは、やがてゆっくりと口を開いた。
「…我侭言って、ごめんな…」
アスランに気を使わせているのを感じて、本当に申し訳なく思う。
そもそもアスランへ送るクリスマスプレゼントなのに。アスランはそれを望んでないのに…
しかもプラントからの長旅で疲れているだろうに、私に振り回されて…
「なーに言ってるんだよ」
ぽんと頭に手を置かれ、思いっきりくしゃくしゃにされる。
カガリは驚いてその手を掴み見上げると、アスランは笑っていた。
「こんなの我侭のうちに入らないさ。いつものカガリの我侭はもっと凄い」
そう言いながら本当に可笑しそうに笑っている。
おどけた様子でそう言ってくれるアスランに感謝を示そうと掴んだ手をギュッと握り直す。
するとアスランからもギュッと握り返され、カガリは反射的にアスランの顔をじっと見つめた。
しばし見つめ合い、カガリがゆっくりと目を閉じかけたその時、アスランの手が離れた。
いつものパターンと違う事に驚きを隠せず、思わずじっとアスランを凝視してしまう。
そんなカガリにはお構いなしに、アスランは外に出る準備を始めていた。
アスランはふと動作を止め、呆然と立ったままのカガリを見て、意地の悪い笑みを浮かべる。
「何?キスしてほしかった?」
途端にカガリは真っ赤になり、「だ、誰が!」と叫んで自分も出かける準備を始めた。
と言ってもカガリはアスランが手に持っていたジャケットを羽織って、
床に置かれた荷物から帽子を取り出し目深にかぶるだけだったが。
まだ隣でクスクス笑っているアスランを睨んで、ふと気付いた。
「アスラン、近所に買い物に行くだけなのにその格好で行くつもりか?
もう少しラフな格好した方が良くないか?」
アスランはプラントを出た時からきっとこの服装だったのだろう。
明らかに“よそ行き”“お洒落着”の格好だ。
“ちょっと近所に夕食の買い物”という服装ではない。
一方カガリも“よそ行き”といえばそうなのだが、第一目標が“男装”なのでヘタに服装は変えられない。
オーブ国民に限った話ではないが、大部分の人達はカガリの正装姿しか知らない。
だからこのような簡単な変装で誰にも気付かれない。
逆に今のアスランはある意味カガリよりも有名人だった。
それはプラントだけに留まらずここオーブでも、である。
「キラにジャージでも借りて…」
「ジャージ?」
「嫌か?」
「嫌に決まってるだろ!」
…全く、格好つけなんだから…とカガリはため息をつきながら譲歩する。
「じゃあ下はジーンズ、上はそのコートやめてジャケットか何か借りて行こう。それでいいだろ?」
「…了解」
アスランは渋々ながらも頷き、キラの部屋に行こうとする。
「あ、ちょっと待って」
それをカガリは引き止め、どこから取ってきたのか輪ゴムを二本、テーブルの上に置いた。
「何、これ」
訝しげにアスランに尋ねられ、カガリはにっこり笑った。
「お前は何処でも有名人だからな。これで髪を二つに括れば絶対バレないぞ!」
「却下!」
即、怒鳴り返されてカガリは口を尖らせる。
「ったく。我侭なんだから…じゃあ一つでいいよ。一つに纏めろ」
アスランは米神をぴくぴくさせながら地を這うような声で呟いた。
「…お前、輪ゴムで髪を留めた経験は?」
「ない!」
アスランは大きな、大きなため息をついて、輪ゴムを手に取りカガリの掌に乗せた。
「…これは他の用途に使ってくれ。髪はちゃんと纏めるから」
そう言っててもう一つ盛大なため息をつくとキッチンを出て行った。
玄関がロックされたのを確認して、二人は並んで店のある方向に歩く。
背の低い方は帽子を目深にかぶり、ズボンのポケットに両手をつっこんで俯きがちに大股で歩いている。
それより頭一つ分大きい男は、
隣の人物と同じ位の髪の長さなのにもかかわらず後ろで一つに纏め、
上はジャケット、下は少しだけ丈が短めのジーンズにスニーカーという出で立ちで
隣の人物の歩調に合わせて歩いていた。
「まず何買いに行く?」
「それよりその『かになべ』って…まさか鍋に蟹しか入ってないわけじゃないだろ?」
「…お前、子供の頃よくキラんちで食事してたんだろ?その時に食べた事はないのか?」
カガリは不思議に思って訊いてみた。
ヤマト家と長い付き合いであれば蟹鍋のひとつやふたつ、
食べていても良さそうなものだと思ったのだ。
「…ないなぁ。だいたい蟹自体そんなに食べた事がない」
少し考えてアスランはこう答えた。
カガリはニヤッとしてアスランの肘をトントン突く。
「そうか…お前、蟹見た事ないみたいだったしなぁ、あの時。
月にしろプラントにしろ、蟹はいないみたいだなぁ。可哀想に。
あんな美味しい物を食べた事ないなんて…」
「蟹くらい知ってるさ!見た事もあるぞ!」
「またまた〜『蟹』の存在は知ってても実物はあの島で初めて見たんだろ?
今日は私に任せろ。蟹が大好きになるぞ!」
カガリの物言いにいちいちムッとしていたアスランだったが、何か閃いたようで、
急に口元に笑みを浮かべる。
「…蟹は前から大好きだよ。あの島で見た蟹は可愛かったしね。
いや、『羨ましい』かな?カガリの服の中に入り込んでた蟹は特に」
「…!」
何でこの男はたまにこういういやらしい事言うんだ!
その度に自分の顔が火照ってしまう。それを見てアスランは満足げに笑うんだ。ほら、今も…
大体何でこんな話になったんだか…そうだ!鍋の中身について尋ねられていたのだった!
「鍋の中身だけど!」
カガリは顔の熱を発散させようと大声をだして話題を戻す。
なのにアスランはまだニヤニヤ顔でこちらの表情を伺っている。それを無視して大声で話を続ける。
「確か野菜がたくさん入ってた!それと…きのこ?とか…トロンとしたやつとか…」
具体的な名前が思い出せずにカガリは段々トーンダウンしていった。
それを聞いてアスランはニヤニヤから苦笑に表情を変え、うんうん考え込むカガリの肩に触れる。
「…もういい。兎に角まず野菜か…」
最初、短い距離だがエレカで行こうとした。
カガリはこの国の重要人物だし、暗くなりつつある道程で何かあったら事だ。
しかしカガリが『最近運動不足だから歩いて行きたい』とアスランに頼み込んだのだ。
それに今から行こうとしている商店街の駐車スペースはあまり整備されていないらしい。
そんな理由で歩いて行く事になったのだった。
実際この辺りの復興はそんなに進んでいない。
戦前は街全体が商業施設といった感じだったのだが、
今はいろんな店が並んでいる下町の商店街、といった風情であるらしい。
それはそれで趣のあるものかもしれないが、やはり以前の町並みを知っているカガリとしては少々辛い。
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
それにこういった場所がまだオーブに残っているのをアスランに見られるのも何となく嫌だった。
しかしアスランはその場所に到着しても全く気にしていない風だった。
様々な店を眺めながら「賑やかだなぁ」と呟いていた。
実際年末である為か、商店街は活気に溢れていた。
仮設の建物が並んでいる中一軒の八百屋を選んで、ドアを開けた。
「いらっしゃい!」
元気のいい女の人の声に誘われて、二人は店の奥へと入って行った。
「とにかく何を食べたか思い出せ」
アスランはカガリにそう言いながらその店の買物カゴを手に取った。
…実はカガリは鍋に何が入っていたのかよく覚えていなかった。
蟹が美味しくて、蟹をひたすら食べるのに夢中で、他の食材はよく覚えていなかった。
というか、全く覚えていなかった…
「えっ…ええ…っと…」
カガリはキョロキョロしながら野菜を見ていたが、あまりに品揃えが豊富でパニックに陥った。
──もう片っ端から買ってしまおう!
まず大根。その隣の人参、牛蒡、ジャガイモ、サツマイモ、南瓜…
とにかく手当たり次第に一個ずつ手にしては、カゴの中に入れていく。
これにはアスランも吃驚して、ひっきりなしに動くカガリの腕を掴んで止めた。
「…もしかして、覚えてない?」
カガリは困り果てた顔をしてアスランを見上げた。そして誤魔化すようににぱっと笑う。
「きっと、いろいろ入れた方が美味しいよ」
「そんな訳ないだろ!?まさかここで売ってる野菜全部入れるつもりか!?」
「私が代金を払うから別にいいだろ!」
「そういう問題じゃない!」
カガリはムスッと口をひん曲げアスランを睨んだかと思うと、とうとう捨て台詞を吐き出した。
「じゃあもう蟹だけ入れればいいだろ!?そうするよ!蟹が一番美味しかったし、それでいいんだろ!」
そう叫ぶと今度はカゴに入れた野菜を元の位置に戻し始めた。
その行動にまたまたアスランは慌ててカゴをカガリの手が届かないように高く掲げる。
カガリは腕をカゴに伸ばしてさらに大声で叫んだ。
「こら!卑怯だぞ!おろせよ!」
「あの…お客さん?何をお探しだい?」
突然聞こえた知らない人の声に二人が目を向けると、
そこにはエプロンをつけた四十代前半の女の人が立っていた。ここの店員のようだ。
「何を作るつもりなんだい?私でわかる事なら相談に乗るよ?」
きっと少年二人が食材がわからず言い合っているのを気にしたのだろう。
カガリはその言葉に心底ホッとした。
するとどうやらアスランも同じ気持ちだったらしく、
小さく息を吐きながら買物カゴを元の位置までおろしていた。
三人は他の客の邪魔にならないように、店の端まで移動した。
そこで蟹鍋について尋ねてみたが、
「知らないねぇ…それはオーブの料理なのかい?」
この一言で希望は絶たれた。
「…多分違うと思う。あんな鍋、今まで見た事なかったし」
「ふぅん…鍋の形態が違うのかい?…あ、もしかして」
店員は何か思い当たる節があるのか、ポンと手を打つ。
「あんた、それ何処で食べたんだい?」
「キラの家───!」
隣から大きな手が伸びてきて、カガリの口を押さえたが時すでに遅し。
店員は納得した表情で微笑んだ。
「ああ、ヤマトさん家で食べたんだね。それならわかったよ。しばらく待っといで」
そう言うと店員は店の奥へと消えて行った。
カガリはアスランの手を払い、見上げて小声で文句を言う。
「何するんだよ!」
「ポンポンしゃべりすぎだって。俺達の立場をもっとよく考えて…」
「いいじゃないか。蟹鍋の事も何かわかりそうだし!」
「それは結果論だろ。全くお前は…」
さらにアスランのお説教が続きそうな雰囲気だった所にあの店員がいそいそと戻ってきた。
手に何かメモのような物を持っている。
二人は言い争いをやめて、何事もなかったかのような顔を作った。
「お待たせお待たせ…っと。多分あんたたちの言ってる料理ってコレの事だと思うよ」
そう言って紙切れをカガリに渡してきた。隣のアスランもそれを覗き込む。
それは何かのレシピのようで、丁寧な字で材料と分量、作り方が書いてあった。
しかし材料に“蟹”の文字はない。
「主材料をいろいろ変えて食べるものだそうだよ。
蟹でもいいし、肉でも魚でも…ヤマトさんの奥さんからこのレシピをいただいてね…
鍋も借りた事があるんだよ。あの土で作ったような鍋だろう?」
「そうそう!その鍋だ!」
カガリは嬉しくて顔を上げてぱあっと笑う。
「確かにあの鍋で食べると普通の鍋で作るより美味しい気がしたんだけど…
何だか壊してしまいそうでね。だから一度しか借りなかったんだけど」
店員の話が一旦切れた所で、ずっとレシピを凝視していたアスランが問いかけた。
「ここに書いてある『昆布』って何に使うんですか?」
「ああ、これね。これはダシを取るために使うんだよ」
「へえ…『ダシ』をとるんですね。湯の中に材料を入れただけじゃダメなんですね…」
わざとらしく感心してアスランは店員に話しかけた後、カガリをじとっと見下ろした。
「なっ、なんだよ!そんなのわかるわけないじゃないか!
私…いや、俺が見た時にはもう食べられる状態の鍋だったんだから!」
「そういや…二人ともこの辺りでは見かけない顔だねえ。ヤマトさんちのお知り合いかい?」
二人の掛け合いを微笑ましく眺めながら店員が尋ねてきた。
途端二人の動きがピタッと止まる。カガリが口を開こうとするよりも先にアスランが口を開く。
「ええ。弟がヤマトさんの家で蟹鍋を頂いたそうで、それがあまりにも美味しかったらしくて。
是非僕にも食べさせてやりたい…と言うもので」
“弟”という言葉に素早く反応して顔を上げようとすると、
アスランはそれを察してカガリの頭を軽くポンポンと叩く。
「まぁ、兄さん思いの弟クンねぇ。これからも仲良くね」
「はい」
アスランはにっこり微笑むと、カガリの肩に手をまわす。
“弟”呼ばわりは気に食わないが、今自分は男装中だ。
それよりも肩に感じるアスランの手に自然と頬が熱くなるのを感じながら
ふと手に持ったままのレシピに目をやる。
「あの、これ…」
そう言ってレシピを返そうとすると、店員はにこにこしながら首を横に振る。
「いいよ、持っておいき。作るのは簡単だからうちじゃもう見なくても大丈夫なんだ」
「いえ、お返しします。僕もさっき見て大体覚えたし…」
横からアスランが口を挟む。カガリはハッとした。
自分はこんなの覚えられない…このままでは自分ではなくアスランが蟹鍋を作ってしまうかもしれない…
いや、きっと作ってしまう──!
「そうか?じゃ貰っておくな」
そう言って自分のズボンのポケットにしまってしまう。
横でアスランが唖然とした顔でこちらを見ているが、カガリはそれを完全に無視した。
蟹鍋に必要な材料を三人で見て回り、カゴの中へ入れていく。
その後清算の際、店員は少しだけオマケしてくれた。
この時どちらが支払うかでモメたが、アスランの
「お前が作ってくれるんだろ?じゃここは俺が出す」
の一言に何も言い返せなかった。
店員は律儀に店の出口まで見送ってくれた。
外に出ると活気づいてはいるが、並んでいる店舗はまだ仮設だということで少々寂しさが漂っている。
カガリは唇を噛み締めて行き交う人々をじっと見た後、店員を振り返って問うた。
「街の中心部は確実に復興してきている。戦前とあまり変わらない位に。
でも少し中央を外れるとこんな感じだよな…その…どう思ってる?」
店員はいきなり投げ掛けられた質問に驚いたようで、何も言えないでいる。
アスランも驚いてカガリを見ていた。
「不公平だとは思わないのか?オーブ首脳に不満は!?」
…やがて店員はゆっくりと微笑んだ。
「そりゃこの辺りは中央より復興が遅れているけどね。それは私達オーブ国民が望んだこと。
まずは国の大黒柱をしっかり立て直してほしいってね。
この国はちゃんと私達の事を考えてくれてるよ。
みんなそれは感じてるしこの地域の人達、
多分他の復興が進んでいない地域の人達だって色々な面で支えてもらってる。
それにもうそろそろ…多分一年も経てばこの辺りも立派になってるだろうよ。
来年すぐに工事が始まる。国がそう約束してくれてるしね。
…私達は、オーブ国民は、この国の全てに誇りを持っているよ。
お前さんだってオーブ国民ならそれを肌で感じているだろう…?」
店員はカガリの肩をポンと叩き
「お兄さんに美味しい蟹鍋食べさせてあげなね」
最後にそう言って店の中へと戻っていった。
しばらくカガリは八百屋の閉じられたドアをじっと見ていたが、
しばらくしてアスランがカガリの肩に手を置いてきた。
それを合図にそこから離れ、次の店へと向かった。
八百屋の店員に教えてもらった食材の揃うおすすめの店に向かって二人は無言で歩いていた。
やがてカガリがポツリと呟いた。
「私も全てのオーブ国民を誇りに思う…って言ってやりたかった…本当に私は幸せ者だと思う」
アスランはカガリの顔を覗き込んで微笑んだ。
「いつか言ってあげればいい…そんな時がきっと来るさ」
やわらかいアスランの微笑みを胸に焼き付けながら、カガリも笑顔を返した。
「そういやお前、私がお前の“弟”って何だよ?」
「え?」
急に話題がコロッと変わった事で、アスランは少し驚いた顔を向けてきた。
「私の方がお前より五ヶ月年上なんだぞ!お前が弟じゃないか!」
「なーに言ってるんだよ。お前が弟だって言った方が見た感じ自然じゃないか。
身長だってこーんなに違うし」
そう言ってアスランはカガリの頭の上に手を乗せ、上下に動かした。
「身長の低い兄だっていっぱいいるだろ!?」
カガリは怒鳴って自分の頭の遥か上にあるアスランの手のひらに向かって手を伸ばし
ぴょんぴょんジャンプして捕まえようとする。
アスランはその手をさらに上に上げ下げしてクスクス笑いながら告げた。
「もうすぐ豆腐屋に着くぞ」
何件か店を回り、楽しく可笑しく過ごした後、最後は蟹を買う為に魚屋に来ていた。
人懐っこそうな親父がこの店の主らしい。
「おう、いらっしゃい!」
威勢の良い掛け声につられてカガリも威勢よく返す。
「蟹をくれ!」
「おう、イキのいいのが入ってるよ。生きたまま欲しいかい?」
「何、生きてるのか?」
カガリは瞳を輝かせて親父に詰め寄った。
「おう、もちろんよ。で、どうやって調理するつもりだ?まさか飼うつもりじゃないだろ?」
その言葉にカガリは可笑しそうに笑った。
「飼うのも楽しそうだけど…ここはやっぱり食べるよ。蟹鍋にするんだ。知ってるか?蟹鍋」
「ああ知ってるよ。俺を誰だと思ってる?でもこの辺は年中暖かいからなぁ…
鍋料理自体知られてないんじゃないか?」
そう言いながら親父は水槽の所まで移動していく。カガリとアスランもその後をついて行った。
「うわあ…!」
大きな水槽の中には数杯の蟹がゆっくり動いている。
カガリは子供のようにはしゃいで両手とおでこをべったり水槽にくっつけて目をくるくる動かしている。
親父は水槽の横に立て掛けてあった網を手に尋ねる。
「で、何人で食べるんだい?」
「俺達二人でです」
その問いにはアスランが答えた。それを聞いて親父は少し考え、再び尋ねる。
「お前ら、蟹鍋やったことあるのか?」
「いえ、今日が初めてですけど…」
「ふうん…男二人でね…俺が食べやすいように捌いとこうか?」
「ああ、そうしてくれると助かります…」
「ダメだ!」
水槽に見入っていたカガリが急に振り返って怒鳴った。
「わた…俺がやる!」
その言葉にアスランは今日何度目かのため息をついた。
「…それって料理をロクにした事がない人間が簡単に出来るものなんですか?」
「いや、俺のようには無理だね」
「料理ならやった事あるって言っただろ!?」
二種類の声が同時に返ってきたが、アスランはカガリの声を無視し、親父に軽く頭を下げる。
「お願いします」
「こら、お前!人の話聞いてたか?わた…俺が全部やるって言ってるだろ!」
無視された事に腹を立てているというのに、アスランはカガリの方を見てにっこり笑う。
「親父さんがどんな風に蟹を捌くか、見たくないか?親父さん、その様子は見せてもらえるんですよね?」
「ああもちろん」
面白そうに二人のやり取りを見ていた親父はそう言ってニンヤリ笑った。
カガリはしばし考え込んだ。確かにどう捌くのか見てみたい。
ここはこの親父を手本にして今後の糧にしよう。そう結論を出した。
「…んじゃ、やってもらおうか」
偉そうに腕を組んで命令口調のカガリに残りの二人は苦笑する。そしてカガリに親父が尋ねてきた。
「どの蟹がいい?選ばせてやるよ」
再びカガリは目を輝かせて水槽に駆け寄る。ゆっくり動き回る蟹を目で追う。やがて。
「あの一番元気のいい奴!」
カガリは一杯の蟹を指差して親父を振り返った。
「おう、了解」
親父は水槽上部から網を突っ込んでカガリご希望の蟹をすくい上げた。
親父の素晴らしい手つきを堪能した後、やはり清算はアスランが行った。
ここまでずっとアスランが払っているのが気に食わなくて、
アスランが親父に差し出したカードを持つ腕を掴んだ。
「ここは俺が出す」
「いいってば」
「出すってば!」
「…お前ら、兄弟だろ?身内で何言いあってるんだ?どっちでもいいじゃないか」
親父の横槍に思わず二人の動きが止まる。ほんの少し固まってしまったがやがてアスランが口を開く。
「蟹鍋がお前のクリスマスプレゼントなんだろ?じゃ食材は俺からのプレゼント。それでいいだろ?」
カガリは全く納得できていない表情だったが、親父の手前もあってか渋々頷いた。
アスランは改めて親父にカードを差し出した。
そうして清算を済ませ、二人は礼を言って魚屋を後にした。
ここから家までの距離をゆっくり歩く。辺りはもうすっかり暗くなり、
等間隔の街灯と月明かりだけを頼りに大荷物を持った二人の影が伸びたり縮んだりしていた。
カガリは石ころをコンと蹴りながら歩いている。
「お前…オーブでカードなんか使っちゃっていいのか?」
プラントのアスラン・ザラが
C.E.73年12月24日にこの辺りで食材を買い込んだのが記録に残ることを心配した。
それにアスランは笑って答えた。
「ん、大丈夫。このカードはオーブ専用のカードだから」
カガリは顔を顰めた。そんなカード、本当に存在するのだろうか?まさか…
「もしかして、偽造!?」
「お前、人聞きの悪い事言うなよ」
アスランは慌てて否定する。
「だって、お前なら造れそうだと思って‥‥」
「そりゃ造れない事ないだろうけど…この国でだけは犯罪者になりたくはないぞ、俺は。
このカードはちゃんと然るべき所で作ってもらった。確かにちょっとズルしてるけどな」
「それってどういう事だよ?」
ますますわけが判らなくなってアスランを見上げて問うが、
アスランはただ楽しそうに笑っているだけで何も言わない。
こういう時のアスランは絶対何も教えてくれない。
それを感じてこの話題は切り上げる事にした。多少納得はいかないが。
自分も随分聞き分けが良くなったなぁと、
アスランが聞いていたら思いっきり否定されそうな事をカガリは考えていた。
「そういやアスラン、生きてる蟹見たのまだ二回目なんじゃないのか?
今回見た蟹は随分大きくて吃驚しただろ」
カガリはそうからかうように言ってやる。
「二回目じゃないって。だいたい蟹見て興奮してたのはカガリの方じゃないか」
「だって!あんな大きい蟹が動いてるの見るのは初めてだったんだぞ。
さーあ、食べるぞーおっさんの手つきを見て大体把握したし。私が蟹捌いてやるから楽しみにしてろよ!」
アスランはカガリの張り切りように小さく息をついた。
そうこうしているうちに、目の前にはキラの家が迫っていた。
家に到着した二人は真っ直ぐキッチンに入り、テーブルの上に買って来た食材を並べ始めた。
アスランはジャケットを脱いで腕まくりをしている。
それを見てカガリは慌てて止める。
「おい!何やってるんだよ!?私が作るって言っただろ!?」
「今何時だと思ってる?もうお腹ぺこぺこだよ。2人でやった方が早く食事にありつけるだろ?」
そうアスランはしゃあしゃあと答える。カガリはちらりと部屋の時計を見た。
確かに夕食には少し遅い時間かもしれない。
でも一緒に調理してしまうとアスランへのプレゼントではなくなってしまう。
そう考えて黙っていると、ポンと肩に手を置かれた。
「ちょっと手伝うだけだよ。な?」
優しい声音で囁かれ、おまけにちょっと首を傾けて微笑まれたらカガリはもう何も言えない。
ほんの少しだけ頬を朱らめて
「ちょっとだけだからな…」
と俯くしかなかった。
「じゃあまず蟹を捌いてみる!」
カガリの宣言にアスランはギョッとした顔を隠しもせず向けてくる。
店の親父が蟹を捌いている最中の出来事だった。
カガリは楽しげだった瞳をさらに輝かせて突然こう言ったのだ。
「なぁ、捌くのは半分でいいよ。あとの半分は俺がやってみるから」
「ええっ!」
こう叫んだのはアスランだった。
店の親父はというと、吃驚して手を止めカガリを見た。やがて小さく息をついてこう言った。
「よっしゃ、わかった。もし出来なくてもここをこう斜めに切っていけば普通に切るよりは食べ易い筈だ」
その言葉にカガリは嬉しそうに喜んだのだったが…
「ちょっと待て!お前、包丁持つのも久しぶりなんだろ?
まずは手始めに簡単そうな野菜から切っていけよ。楽しみは後に取っておけ。な?」
「ふうん…アスランは楽しみは後に取っておくタイプなのか…まあいいや。
お前の言い分も尤もだ。そうするよ」
カガリはそう言って榎茸を手に取った。
カガリはアスランがそれを見て心底ホッとした表情をしている事に、気付いていなかった。
そうしてアスランは水屋から大皿を取り出し、テーブルの上に置いた後、各々包丁を手に作業を始める。
二人は少し離れた位置で材料を切り始めた。
カガリはまず榎茸を袋から取り出し、水で洗おうとした。
するとそれを目ざとく見つけたアスランが声をかけてくる。
「それは洗わないでいい」
「えー、洗わなきゃ汚いじゃないか」
「汚くない。洗わなくて大丈夫だから」
そうキッパリ言い切るアスランにカガリは口を尖らせながらしぶしぶ自分のまな板の前まで戻った。
向こうで小さく息を吐く音が聞こえる。
少々気分を害しながらも言い返す事もできず、カガリは改めて包丁を手に根元の部分を切る。
「それ切りすぎ!」
アスランが包丁を置いてこちらへ来る。
「もう、いちいち来るなよ!」
カガリは空いている方の手でシッシッと追い払う仕草をする。
しかしそれに構う事無くアスランはカガリが切った5センチ程はありそうな根元の部分を持ち上げ、
大げさにため息をつく。
「こんなに切ったら勿体無いだろ。ほら、ちょっと貸して」
そう言ってカガリから包丁を受けとろうとする。
カガリはますますムッとしながら、じゃあやってみろ、と言わんばかりに包丁を手渡した。
アスランの骨ばった長い指が、根元1cm位の所に添えられ、
その部分にきれいな断面をつくって切り落とされる。
「ほら、これ位でいいんだよ。もう一回やってみろ」
アスランはそう言いながらカガリに包丁を返した。
カガリはアスランが切った榎茸の部分を見て反論する。
「おい、ここちょっと茶色いじゃないか。洗ってないし汚いし…」
「だから大丈夫だって」
そう言ってアスランは自分の切った柄の部分をカガリの手から取り上げ、
背を向けて自分の持ち場に戻って行く。
カガリは二の句がつげず、ますますムッとしながら二つ目の榎茸を取り出した。
そして包丁を入れようとしたその時
「ちょっと切るだけでいいんだからな」
その声がした方を窺うと、アスランは作業を続けながらこちらを全く見ていない。
カガリは悔しくなってぷいっとそっぽを向いて
「わかってるよ!」
と怒鳴った。
榎茸は無事?切り終え大皿に乗せに行くと、
その皿にはもう半分位アスランが処理した食材で埋まっていた。
カガリが『こりゃ負けられん!』と次に手にした食材は白菜だった。
まな板の上に乗せたはいいが、これは洗うべきなんだろうか…
また『それは洗わなくていい!』とか言われたら悔しいし…
ここは洗いたい所だけど我慢して洗わずに切るか…とカガリが心の中で決定したその時
「それは洗えよ」
…また向こうから憎々しげな声が聞こえてきた。
ガバッとアスランを見ると、やっぱりこちらを見た様子もなく涼しげに作業を続けていた。
…コイツはエスパーかよ。
カガリは渋々白菜を抱えて流し台の方に移動したのだった。
やっと白菜も切り終わり、次は…とテーブルに目を向けると、
もう食材はすべて大皿の上に乗っていた。カガリは愕然としてアスランの姿を見て叫んだ。
「『手伝う』とか言いながら殆どお前が…」
もしかして…アスランの側に急いで駆け寄ると、半身だった筈の蟹はバラバラに切り刻まれていた。
しかも魚屋の親父がやってくれたもう半分のような華麗な姿に変わっている。
アスランは尚も涼しげな顔でカガリを無視して作業を続けている。
「アスラン!これは私がやるって言っただろ!もう蟹に触るな!」
カガリはアスランが包丁を持っている右腕を掴んだ。
そうされる事をわかっていたかのようにアスランは自分の腕の力を緩める。
「あぶないぞ、カガリ」
そうのんびり言って蟹の足を一本、カガリに差し出した。
「カガリがあんまり作業が遅いから俺がここまでやっちゃったよ。
でもちゃんと足一本残しておいてやったから。はい」
カガリは憮然としながらもその足を受け取った。
『残してやった』なんて絶対嘘だ。私が気付かなきゃ全部やってしまってたくせに!
蟹の足を握り締めながらアスランをギロッと睨みつけてくるカガリを気にもしない様子で
アスランは包丁を置き、
自分が捌いていた蟹を脇に退けてまな板の上に作業するスペースを作る。
そして自らも脇にのいて右手を優雅に差し出した。
「どうぞ、お姫様」
「姫とか言うなっていつも言ってるだろうが」
いつもなら照れてしまう所なのだが、今は怒りの方が勝っている。
微笑むアスランから顔を背け、アスランが作業していたまな板の前に立った。
蟹の足を左手に持ち、何とも危なっかしいポーズで包丁を構える。
ふと視線を感じて隣を見ると、先程まで笑っていた顔が心配げな顔に変わっていた。
「何ボーッと見てるんだよ。あとはこの足一本だけなんだから、すぐ鍋にぶちこめるように準備してろよ」
その表情にイライラして少しキツめに言う。
しかしアスランは返事をするもののそのまま動く様子はない。
「だから!大丈夫だって言ってるだろ?」
さらにそう言って手を止めジッと見つめると、
アスランは小さく息を吐いてやっとのろのろと動き始める。たまにこちらをちらちら見ながら。
その視線が気になったが、だからといって自分もこのままジッとしていても仕方がない。
さぁやるぞ、と包丁を構えて…
まな板の脇では今捌かれた蟹が、アスランの手によって大皿に盛り付けられる所だった。
「ちょっと待て!」
カガリはそう言ってアスランの動きを止めた。
何事かとアラスンの緑の瞳が不思議そうにカガリの顔を覗き込む。
その所作にカガリは少しだけ頬を染めて、言った。
「その…蟹。ちょっとだけここに置いていけ。…見本にするから」
アスランが大爆笑しながら何切れか置いていったのは言うまでもない。
危なっかしい手つきながら、どうにか見本の足と同じようにする事ができ、カガリはとりあえず満足した。
その15分の間、アスランはチラチラ、
そわそわしながら
こちらの様子を窺っていたのにはちゃんと気付いていた。
カガリはそんなアスランに捌き終えた後、蟹を掲げて得意げに言ったのだった。
「どうだ!私だってやれば出来るんだからな!」
アスランはかなり疲れきった様子で、
「ああ…本当だね…」
と呟いた。
そしてアスランが捌いた見本の蟹と自分が捌いた分とを大皿に移動させようと両手に持った時だった。
「っつ!」
指先にチクッとした痛みが走り、カガリは思わず手に持っていた蟹をバラバラと大皿に落とす。
アスランはそれに驚いてカガリの元へとんできた。
「どうした?」
そう言ってカガリの両手首を掴んでじっと見る。
「いや、蟹の殻の棘に指先が当たってちょっとチクッとしただけだから。
血も出ていないし大丈夫…って、アスラン!」
カガリは一瞬で顔を真っ赤にする。アスランがカガリの人差し指を口に含んだのだ。
カガリが硬直したまま動けない間、アスランはそれに乗じて好き放題だ。
人差し指だけに飽き足らず、他の指や、左手の指までも口に含んでは軽く舐めている。
その感触が指先の薄い皮膚から伝わってきて、カガリはますます顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「いっ…いつまでやってるんだよ!怪我してないって言ってるだろ!」
するとアスランはあっさりと指から口を離した。
そしてカガリの手首を掴んだまま
カガリの顔に自分の顔を近づけてにっこり笑った。
「カニの味がして美味しかった」
カガリはワナワナと肩を震わせながら声を絞り出した。
「…自分の指でもしゃぶってろ!」
するとアスランはカガリの手首を離し、自分の手をめいっぱい広げてカガリの顔の前に翳した。
そして細長い指の間からこちらを覗きこんで、先程の笑顔のまま言った。
「何なら俺の指、舐めてみる?」
「な、何を…」
「とは言ってもさっき洗っちゃったから蟹の味はしないと思うけど。それでもよければどうぞ?」
カガリの顔の赤の性質が完全に変化した。アスランの大きな手をピシャッと叩いて
「このっ…変態!」
大声で叫んで大皿を手に持ち、ずかずかと大股で鍋まで運んで行ってしまった。
その間、アスランは腹を抱えてこみ上げる笑いを堪えきれずに大笑いしていた。
ある程度アスランが鍋の準備を進めてくれていたようで、
後は鍋の中に食材を入れるだけ、という状態だった。
カガリは怒りにまかせて大皿の上の食材をざはざはと流し入れる。
ようやく笑いをおさめ、それを見たアスランが、慌ててこちらに走ってくる。
「ちょ、ちょっと待て!」
カガリはアスランに腹を立てていたのだか、その慌てぶりに思わず手を止めてしまった。
隣に来たアスランは、鍋の中から茶色い物体を取り出す。
「…昆布は取り出せ。それにそうむやみにバサバサ入れるな。ちゃんとレシピに書いてあっただろう?」
…すっかりレシピの存在を忘れていた。
さっきまで何だかんだ言ってアスランの指示に従っていたので必要なかったのだ。
そういえば最初、私一人で作る筈だった事を思い出し、途端に悲しくなる。
カガリは手に持っていた大皿をこたつの上に置き、俯いた。
アスランはその様子を見て別の意味に解釈した。
火をかけた鍋の横に置いていた蓋を閉じ、カガリの顔を覗き込んで優しく話しかける。
「大丈夫。ちゃんと美味しくできるよ。後はこのままほうっておいたら出来上がりだから」
そんなアスランから更に顔を背けて黙り込んだままのカガリに、
アスランは困り果てて先程の無礼を謝った。
「さっきはごめん。ついつい調子に乗りすぎた」
それでもカガリは黙っていたが、やがて重い口を開き、小声でボソボソと呟いた。
「…ちがう」
「え?」
「…この鍋が出来たって、こんなんじゃアスランへのプレゼントにならない」
「どうして?」
「どうしてって!」
カガリは勢いよくアスランを見上げ、またすぐに顔をそむけ鍋をじっと見た。
「これ、お前がほとんど作っちゃったじゃないか。私は何もしていない」
「そんなことないよ。カガリが作り終えるまでここでじっと待ってるより
一緒に並んで準備できた事の方が何倍も楽しかったと思うよよ、俺は」
そう言われてようやくカガリは鍋から視線を外した。でもまだ俯いたままだった。
「でもこの“時間”はキラからのプレゼント、だろ?」
「違うよ」
そう即答するアスランにカガリは驚いて顔を上げる。
漸く二人の視線が合ったところでアスランはさらに続けた。
「キラからのプレゼントはこの空間だけ。この時間を作っているのは俺達二人だ。そうだろ?」
確かにカガリもアスランも今日明日を休日にする為に仕事を前詰めで処理し、今こうして二人でいる。
まずカガリとアスランが時間を作らなければキラのプレゼントも無駄になった、という所だろうか。
カガリはやっと納得してアスランを見つめて笑顔を見せた。
そしてどちらからともなく顔を近づけて──
「あ、出来たみたいだ」
ふいにアスランが顔をそらして鍋の方を見た。そして蓋を開ける。
もわっと白い湯気があたり一面に広がって、そして霧散する。
アスランは再び蓋をして、何事もなかったかのようにキッチンへ行ってしまった。
──何なんだ、一体。
キスが来ると思っていたカガリは思いっきり肩透かしを食らった形でグツグツ音を立てる鍋を見ていた。
カガリの小鉢の中には蟹ばかりが入っている。
「…おい、カガリ。蟹以外の物もまんべんなく食べた方が良くないか?」
カガリの小鉢を呆れたように見ながらアスランは呟いた。
それには答えずただ蟹だけを貪り食いながら、カガリはじゃまくさそうに答えた。
「榎茸と白菜は私がお前の為に切った食材だ。お前はその二つを思いっきり食べろ」
その言葉に明らかにムッとした表情で、アスランも反論する。
「…榎茸は俺だって切ったぞ。ほら」
そう言って自分が切った傘がついていない柄だけの榎茸をカガリの目の前に突き出し、
そのままカガリの小鉢に入れた。
その柄だけの榎茸をじっと見ながらカガリはため息をついた。
この家に来てからアスランの様子がおかしい気がする。
いや、いつも通りといえばいつも通りなのだが…何だか密着度が低い気がする。
…別に密着していたいわけじゃないんだけど。
小さな不安のかけらを追い払うようにカガリは何か話題を、考えだした。
「そういやアスランさ」
カガリは蟹の身を穿り出しながら訊いた。
「アスランは知っていたか?“クリスマス”の事」
アスランは火加減を見ながら答える。
「んー、話には聞いた事あるけど…こんな風にイベント化されてたとは思ってなかったな…
クリスマスってもっと厳かな物だと思ってた」
「私は全く知らなかったな…信仰する神が違うってのもあるからかな…」
「だからプレゼントとか気にしなくていいよ。俺も用意してないし」
カガリは鍋からまた蟹を取り出して言った。
「アスランにはもういい。問題はキラ達だよ。貰っといて何も返さないっていうのはさ…」
その言葉にアスランは苦笑を漏らした。
「俺にはもういい、と言い切られるのも何だかな…
でもキラ達の事はそんなに気にしなくていいんじゃないか?
お返しするのは別に今日明日でなくてもいいだろうし…だいたいそれは無理だろ?」
「でもなぁ…クリスマスプレゼントならクリスマスに返さないと意味ないじゃないか」
「明日無理してプレゼントを用意できたとしても、つまらない物になったら元も子もないだろ?
ここ喜んでもらえる物をじっくり考えて誕生日とか結婚記念日に何か贈ったらどうだ?
別にクリスマスに拘る必要もないだろ」
アスランの言葉にしばらく考え込んだカガリは、そうだな、と漸く納得した。
「あの車、本当に凄いよな!とても手造りとは思えないよ」
唐突にカガリは話題を変えた。
会話の流れとしては全く脈絡がなかったので、アスランは瞳をぱちくりさせながら曖昧にああ、と頷いた。
「あれってどれ位かかった?」
「それは言っただろ?約二年…」
「そうじゃなくて費用だよ、費用!」
興味津々のカガリに、アスランは呆れるようにため息をついた。
「そんな事、別にどうだっていいじゃないか…」
「気になるんだよ…!やっぱり市販の車よりはかかったんだろ?」
「ノーコメント」
アスランはぴしゃりと撥ね付けて、止めていた手を動かして鍋をつつく。
こういう場合もアスランは絶対答えてくれない。長年の付き合いからそう考えた。
全く私の周りの男は何でこう頭の固い奴ばかりなんだ…と自分の事は棚に上げ、
心の中でこっそり嘆息した。
自分の小鉢に入っているアスランが捌いたであろう蟹を、カガリは改めてマジマジと見た。
「アスランさぁ、料理したことあるのか?」
「あるよ」
…やっぱり。やってなきゃいくらコーディネイターでもここまで上手く出来ないよな…
「いつ、どこで?」
アスランは少し考えてから答えた。
「戦後プラントで、かな。外食の方が多いけど、たまに気が向いたら作ってる」
「ふうん…」
なるほどね。私よりは最近にやっているからそれなりにできるんだな…
そんな事をボーッと考えながら蟹をつついていると
「…カガリ…お前、きたない食べ方だな…」
アスランの言葉でハッと我に返ると、
カガリの前のテーブルは小さな子供が食べ散らかしたかのようだった。
折角魚屋の親父やアスランが食べやすいようにと捌いてくれた蟹でもこの有様だ。
アスランこそどうなんだ、とそちらを見れば、予想した通りだった。
『どんな食べ方したらそんなにきれいに食べられるんだよ!』と叫びたくなる。
カガリは瞬時にカッと顔を赤らめた。
「悪かったな!どうせ私はお前みたいに器用じゃないよ!」
「ほら」
アスランに怒鳴りつけたカガリの眼前に突如きれいな蟹の剥き身が現れ、カガリは目を丸くした。
アスランはほんのり湯気の出ているそれをカガリの口元に持ってくる。
カガリは真っ赤な顔のまま、仕方なく口を開いた。
するとほんのり温かな蟹の身が口の中にゆっくり入ってきた。
それを咀嚼しつつ上目遣いでアスランを見ると、楽しそうに微笑んでいた。
「おいしい?」
「…うん」
カガリは恥ずかしくなって俯きながらも、今日初めてきれいな形で口に入ってきた蟹を味わっていた。
「なぁ、カガリ?」
「ん?」
もうすっかり機嫌の戻ったカガリは、アスランを見て首を傾けた。
「前にもここで蟹鍋食べたって言ってたよな?」
カガリはようやく口の中の蟹を喉に通した。
「ああ。それが?」
そこでアスランはからかうような笑みでこう言ったのだ。
「その時もテーブル、こんなにしたのか?」
その瞬間、カガリの機嫌が悪くなったのは言うまでもない。
買い込んだ食材を全部食べ切り、
クリスマスらしい気分を出すために買って来たケーキや
お子様向けのシャンパンも平らげた。
魚屋の親父に、蟹鍋の後にご飯を入れるとおいしい、と言われたが米を買ってなかったし、
何より二人で食べきれるかどうかわからなかったのでそれはまた次の機会に、ということになった。
さて、後は──
カガリがちらっとアスランの方を見ると、ケーキ皿やカップを一つに纏めている所だった。
慌ててアスランのその手を止める。
「片付けなら私がするから!お前、長旅で疲れてるだろ?シャワーでも浴びてこいよ。
その間に私が片付けておくから」
アスランは片付けの手を止めて、にっこりとカガリに微笑んだ。
「カガリが先に浴びてこいよ。レディーファーストだ」
確かにカガリもシャワーは浴びたかった。なのでお言葉に甘える事にした。
「じゃあ先に行くよ。でも片付けは私がするからこのままにしておけよ!」
そう言って自分の荷物から着替えを取り出し、
もう一度「片付けは私がやるから!」と念を押しつつシャワー室へと消えていった。
シャワーで全身の汗や汚れを洗い流しながら、カガリはだんだんドキドキしてきた。
アスランと会っている最中にシャワーを浴びるという事は…
といつものお決まりのコースを想定しては顔を赤らめる。
でも最近ではこんなにドキドキする事はなくなったというのに…
やっぱりここが他人の家だからだろうか…
いや、もう『他人の家』じゃないよな…
貰ったプレゼントの事を思い出すと、ただドキドキしていただけの胸がほんわか温かくなる。
しかしまさかこんな事になるとは思わなかったら、
色気のないトレーナーをパジャマ代わりに持って来てしまった。
分かっていればもうちょっとマシなの持ってきてたのにな…と肩を落としかけたが、
これからの時間の事を考えると、まぁトレーナーは関係ない、ようは中身だ!
と念入りにシャワーを浴びた。
何だかえらくシャワーに時間をかけてしまった。
慌ててトレーナーの上下を着てアスランのいる部屋に顔を出した。
「ごめーん!遅くなっ…て…?」
こたつの上はすっかり片付けられていた。
あれほど私が片付けるからと言ったのに!といつもなら憤慨する所なのだが、
それより別の光景から目が離せなかった。
「アス…ラン?」
アスランはこたつの上に顔を突っ伏して眠っていた。
この光景がカガリには信じられなかった。
まさかあんなジュースみたいなシャンパンで酔ったとか…?いや、ありえん。
私を待てない程疲れていたのか…?
でもアスランがあのプレゼントを受け取らずに眠るなんて考えられない!
起こしても構わない、と普通の足取りでアスランの側まで近づく。
そして別段気を使う事無くアスランの顔を覗き込む。
やっぱり寝ている。長いまつ毛を伏せてえらく気持ち良さそうに…
「アスラン?」
普通に呼びかけてみるが起きる気配はない。肩を軽くポンポン叩いてみるがやはり反応はない。
今度は頬をぷにぷに触ってみたが、少しだけ眉根を寄せて「ん…」と声を発しただけであとは夢の中。
屈んでいたカガリは背筋を伸ばして立ち上がり、腰に両手をあてた。
「おーい、キラからのプレゼントはどうするんだよ。いらないのかー?」
反応ゼロ。カガリは深いため息をついた。
「私のシャワー室での百面相は何だったんだ…ったく」
…仕方ない。カガリは再び大きく息を吐いて、アスランの元を離れた。
そして階段を上がり今日与えられた自分の部屋に入り、
ベッドの上に敷いてあるシーツを引っ張って持ち運びしやすい大きさにまで折り曲げた。
それを抱えて階段を降り、再び気持ち良さそうに眠るアスランの側まで戻った。
まったく、寝にくくないのかよ…呆れ顔で微笑みなから、カガリは少し照明を絞った。
そうしてアスランの肩からそっとシーツをかけてやる。
それでも一向に目を覚ます様子のないアスランを見つめながら
この世界も少しは平和になったって事かな、とあったかい気持ちになる。
カガリはアスランの隣にぴったりくっついて座り、
同じように机に突っ伏しながらアスランの顔を間近に見た。
たまに寝顔は見るけれど、こういうシチュエーションは初めてかもしれない。
カガリは大好きなアスランの瞳を隠してしまっている瞼を恨めしく思いながら、
その先から長いまつ毛が規則正しく並んでいるのをそっと指で弾く。
そして顔にかかっている濃紺の髪の束を一度だけ撫でる様にかきあげて、暫く愛しい人の顔を堪能する。
──別に起きてもいいと思ってやっている行動なのだが、やっぱりアスランは起きる様子がない。
少し残念に思いながら、ゆっくりと髪の間から指を抜き取って、机の上に戻す。
「──おやすみ。また明日な」
今度は静かにそう呟いて、アスランに顔を向けたままそっと瞳を閉じた。
「アスラン!カガリ!」
突然頭に響いたキラの大声で二人は目覚めた。
カガリはまだ半分眠っていて、顔は上げたものの焦点が定まってなくボーッとしていた。
何故今キラの声が聞こえるのか理解できなくて、しかし何だか嫌な予感がした。
「二人とも、何でこんな所で寝てるの!」
キラの大声とその内容に漸く昨日の事を思い出しかける。
確かアスランがこたつで寝ちゃってたから私もここで…
イマイチはっきりしない頭で昨日の出来事を反芻していると、突然肌寒さに襲われた。
キラが二人の肩にかかったシーツを引っぺがしたのだ。
それでも肩には何かまだ重みと温かさを感じて首を動かすと、
見覚えのある少し骨ばった綺麗な手が自分の肩を抱いている。
ああ、アスランの手だぁ…と少しぽぉっとしながら、
どうして今キラの声がしたのだろう…と少し覚めてきた頭で考える。
…確かキラは今、温泉に行ってる筈…あ!
全ての事を思い出し、勢いよく立った。だが急に立ったので少しよろけてしまう。
しかしそれには構わずに大声のした方向──キラの姿を見て固まってしまった。
「…カガリは起きたみたいだね。…アスラン?」
キラの言葉でアスランもいる事を思い出し、ハッとして自分の隣を見ると、
観念したかのようにゆっくりとアスランが立ち上がる所だった。
その所作を見たキラは呆れたようにため息をついた。
「とにかく話は後!コレ、部屋に置いてくるから!」
と、カガリのシーツを持ってキラが部屋を出ようと振り返ったその時、
部屋の入り口に女の人が立っていた。その瞳は驚きの為でか大きく見開いていた。
「──これは一体どういう事?」
地を這うような声にキラは何とか誤魔化そうとえっと、とかあの、とか言っていたが
そのキラを睨みつけながら問いだした。
「昨日カガリがここに寄る事は聞いていたわよ。でも『泊まる』とは聞いてなかったわよ?
しかもアスランも一緒だなんてあなたこれっぽっちも言わなかったわ。そうよね、キラ」
「あまりキラを責めないでやって下さい」
母から子への一方的な口撃に横槍を入れる形でアスランが割り込んだ。
そこでアスランは礼儀正しく朝の挨拶を済ませ、続けて話し出した。
「先にここでうたた寝してしまったのは俺なんです。
カガリは俺を起こすのが忍びなくてここで一緒に眠る事にしたようです。そうだろ、カガリ」
急にアスランに視線を向けられ、我に返ったカガリも慌てて挨拶してから、コクコクと頷く。
アスランは再びキラの母に向き直り話を続けた。
「実はキラにこの家の留守番を頼まれてたんですよ。詳しくはこの手紙に…」
事もあろうかアスランはキラからの手紙をどこからか取り出し、キラの母に渡そうとする。
「わ〜〜〜〜〜っ!」
キラは大慌ててアスランの手から手紙をぶん取った。そのアスランの行動にカガリも驚きで目を丸くした。
「何だ、騒々しいなぁ」
丁度その時、キラの父が家の中に入って来た。それに気付いたアスランが軽く頭を下げて挨拶する。
カガリもそれに倣って頭を下げた。
父が加わった事で微妙に話が逸れそうだ。カガリの耳にキラの浅いため息が聞こえてきた。
「あ、俺の車退けますね。もうここを出るつもりなんで」
アスランはそう言って身支度を始めた。私も…と自分の荷物の所へ行こうとすると
「まあまあ。折角会ったんだからもっとゆっくりしていけばいいじゃないか」
「そうよ。朝御飯だって食べてないんでしょ?」
父母が口々に2人を引きとめようと声を揃える。
「いや、これから2人で行く所があるので…食事はそこでとる予定なんです」
2人の誘いをアスランはそう言ってやんわり断った。
しかしカガリは今日の予定が決まっている事など初耳だった。
再び身支度を続けるアスランはやがてキッチンの方へと消えていく。
じゃあ私も…と再び荷物を取りに行こうとした時、キラの手の中にあるシーツが目に入った。
カガリは「残念ねぇ…」「ゆっくりしていけばいいのに…」と
ブツブツ言い合っている父母の前に進み出た。
それに気付いた二人は優しげな眼差しをカガリに向け、何?と目で問いかけてくる。
カガリは大きく深呼吸をした後、思い切って口を開いた。
「プレゼント、とっても気に入った。…どうもありがとう」
そう言って深々と頭を下げた。
すると甘い香りと共に暖かいものにふわっと包まれた。
驚いて顔を上げようとしたが、体がうまく動いてくれない。
そして頭上から優しい声が響く。
「喜んでもらえて嬉しいわ。またいつでもここに帰ってきて」
幸せで目が眩みそうだ。そして鼻の奥がツンとしてくる。
しかしカガリは寸でのところでそれを押さえ、自分を包み込む両腕にそっと手を添えると
今の自分の精一杯で微笑み顔を上げ、黙って頷いた。
声を出したらきっと我慢している物が溢れて止まらなくなりそうだから──
ふと気付けばアスランが白いナイロン袋一つ持ってこちらに戻ってきた。
「カガリ、準備できた?」
「あ、うん。すぐできるから待ってて…って何、その袋」
カガリはアスランが歩くたびにカサカサと音を立てる袋を指差すと、ああ、これ?と少し上に掲げる。
「昨日の夕食の残骸」
確かに自分達二人が出した大量のゴミをここに置いて行くわけにはいかない。
しかしアスランってよくそんな事まで気が回るなぁ…
「そんなの置いて帰りなさいよ。邪魔になるでしょ?…あら、これって…昨日はもしかして…」
白い袋からかすかに透けて見える赤い物体でキラの母はピンときたのだろう。アスランは頷いた。
「昨日は蟹鍋したんですよ。あ、色々お借りしました。ちゃんと片付けてますからご心配なく」
「そんなの心配してないわよ。キラだったら心配だけど」
カガリは思わずキラを見るが、今は何も口出し出来ずに憮然とした表情でこちらを窺っていた。
「以前カガリがここで頂いたそうですね。とっても美味しかったからって俺に作ってくれたんです」
「まあ、そうなの!」
キラの母はうれしそうにアスランとカガリを見た。カガリはみんなの視線をあびて少し照れくさくなった。
「でもその袋は置いていって。うちで片付けとくから」
「でも…」
「いいから貸しなさいって」
そう言いながら母はアスランの手から無理矢理袋を奪い取り、にっこり微笑む。
アスランは恐縮しながら「じゃあ‥‥」と軽く頭を下げた。それからカガリに目で退出を促す。
「それじゃあお邪魔しました。またプラントに戻る前に一度寄りますから」
そう言いながらカガリの背に手を沿え、玄関に向かって歩き出した。父母も見送るためにその後に続く。
「あ、ちょっと待って!父さん、僕が車移動させるから!」
そう叫んでみんなの後ろについてきていたキラを母が制した。
「あなたはそのシーツをカガリの部屋に戻してらっしゃい」
キラは手に持っていたシーツに改めて気付いたようだ。
「アスラン、ちょっと待ってて。ちゃんと待っててよ!」
そう叫びながらバタバタと二階へ上がって行った。
玄関先で四人が近況報告も兼ねて談笑していると、漸くキラが階段を降りて来た。
「父さん、車のキーは?」
父はポケットからそれを取り出し、キラの手のひらに乗せる。
「じゃあ、そこまで見送ってくるよ」
そう言ってアスランとカガリと共に玄関から外に出ようとしたその時
「キラ。あなたには後でたーっぷり訊きたい事があるから」
母はそう言ってにっこり笑った。
「アスランってば酷いよ!恩を仇で返すような事するんだから!」
「何の事だ?」
「しらばっくれないでよ!僕の書いた手紙、母さんに渡そうとしたじゃないか!」
「ああ」
先程から続くキラとアスランの楽しげなやり取りをカガリは二人の顔を見比べながら聞いていた。
「しかも僕からのプレゼント、受け取ってくれなかったんだね!
大体アスランがカガリより先に寝るなんてありえないよ!」
「どーゆー意味だよ!」
聞き捨てならないキラの台詞に思わずカガリは口を挟む。しかしキラは尚もアスランに文句を言い続ける。
「どうせ狸寝入りでもしてたんだろ!」
「まあね」
「何っ!?」
カガリは今度はアスランに向かって叫んだ。あれが狸寝入りだったなんて!信じられない!
…ちょっと待てよ。私何か聞かれてまずい事とか言わなかったよな?
「まさか僕からのプレゼント、気に入らなかったとでも言うの?」
アスランはその問いには答えず、黙って立ち止まった。そしてキラをじっと見つめた。
「…え、何?」
キラもカガリもアスランの真剣な表情に呆然として立ち尽くした。
──まさか本当にキラのプレゼント、つまり私が気に入らなかった…なんて事…
カガリは息苦しい胸を抱え、アスランの返答を待った。
アスランは漸く口を開いた。そこから出た言葉は──
「あの空間をプレゼントしてくれた事には感謝するよ。ありがとう。キラ」
そう言ってにっこり微笑む。思いっきり作り笑いで──
そんなアスランに残りの二人は立ち尽くしたまま動けないでいた。
それでもキラは負けずに納得のいく返答を求めて食い下がる。
「喜んでもらえてうれしいよ。でも他にもプレゼントしただろ?そっちはどうなの?」
──私の事だ。
カガリはアスランが何と答えるのかドキドキしながら、
アスランの顔に穴が開きそうなほどジーッと見つめて待った。
こんなに人を不安にさせているというのに、
アスランはキラとカガリの顔を交互に見比べた後、プッと吹き出した。
「なんだよ!」
キラとカガリが同時に叫ぶと、アスランは体を捩りながらも何とか言葉を搾り出す。
「お前達…おなじ顔で見つめてくるから可笑しくって…」
やっとの事でそれだけ言うと、アスランは我慢の限界とばかりに本格的に笑いだした。
「そんなの、きょうだいなんだから当たり前だろ!」
カガリは憮然としながらアスランを睨みつけた後キラの方を見ると、
こちらも憮然とした表情でアスランを睨んでいた。
このままだとまたアスランに笑いを提供してしまう!
そう感じたカガリは無言でキラの肘を突いてこちらを向かせた。
そしてまだ腹を抱えて笑っているアスランの方に首を振って答えを聞き出すよう無言で訴えた。
その訴えは正確に伝わったようで、キラは再度アスランに問いかけた。
「アスランがカガリをいらないって言うんならしょうがないな。返品を受け付けるよ」
そう言ってカガリの腕を掴み引き寄せようとするキラよりも先にアスランの手がカガリの腕を捕まえ、
自分の方へ引き寄せた。そしてきっぱりと言い切った。
「キラに返品なんてしたくても出来ないだろう」
空を切った手をゆっくり引っ込めながら、キラはますます訳がわからないというように首を傾げた。
カガリにもどういう意味かさっぱりわからなかった。
「何故?」
キラの声と同時にカガリもアスランを見上げて答えを待った。
アスランは意地の悪い笑みを浮かべながらこう言い放った。
「元々俺のものなのに、どうしてキラからプレゼントされなきゃならない?」
その言葉にカガリもキラも、真っ赤になる。
「カガリをキラに渡したら、それは『返品』じゃなくて、それこそ『プレゼント』だろ。
俺はそんな『プレゼント』キラに贈らないけどな」
今自分は顔どころかきっと全身真っ赤かもしれない!
そんな二人とは対照的にアスランの顔は
あんなこっぱずかしい事を言った人とは思えない程飄々としている。
どうしていつもコイツはこういう事を恥ずかしげもなく…!
「キラからのプレゼントなら、して欲しい物が一個だけあるんだけど」
そう言うアスランの顔は笑ってはいるが、目が笑っていない。
カガリもキラもそのアスランの変化に比例するように各々の熱も引いていった。
先程とは別の意味で変な事を言い出しそうに感じた。
アスランはカガリの肩に置いていた手を下ろしキラに向き直ると、はっきりと言い切った。
「ラクスをどうにかしてくれ」
その言葉に二人のきょうだいは一瞬で顔を強張らせた。
咄嗟にカガリはアスランを見上げてその袖を掴んだ。
「アスラン…!それは…」
「じゃ俺達は行くよ。キラ、見送りありがとう」
瞬時に顔色を変化させたキラを置き去りにしてアスランは何事もなかったかのように微笑み、
再びカガリの肩に手を置くと、車の方に向かって歩き出した。
キラはそこに取り残されたまま、動くことも出来なかった。
「アスラン、アスランってば!」
カガリを振り返ることなく普通に歩いていくアスランの袖をぐいぐい引っ張った。
それでようやく歩みを止めたアスランの正面に回り込み、両腕を掴んで揺さぶった。
「ラクスの名前はキラにはタブーだろ?」
声をひそめて必死の形相で詰め寄るカガリにアスランはごめん、と謝った。
「それ、本気で謝ってないだろ」
さらに詰め寄るとアスランはカガリの束縛から腕を解き、
ポンと頭に軽く触れると再び駐車場に向かって歩き出す。
慌ててそれを追うカガリの耳にアスランの声が聞こえてきた。
「俺ももう限界。一言くらいいいだろ」
その声があまりにも弱々しく響く。カガリはもう何も言えなくなった。
それからしばらくお互い無言で歩いていると、アスランの車が見えてきた。
アスランがロックを解除するとカガリは自分でドアを開け、助手席に乗り込んだ。
今度は荷物を膝の上に置き、忘れずシートベルトをつける。
それに遅れてアスランも運転席に乗り込み、エンジンをかける。
軽い振動に身を任せながらカガリは空気を変えようと口を開いた。
「そういえばさ…あれ、渡しちゃって良かったのか?」
アスランはカガリの言っている意味を正確に把握した上で、くすっと笑った。
「昨晩俺達に何かあったわけじゃないし…あれを読まれても別に痛くも痒くもないだろう」
ゆっくりとエレカが動き出す。
「そりゃ私達はそうだけど…キラ、かわいそうに」
アスランはキラがカガリの部屋にシーツを戻しに行っている間に
例の手紙をキラの母に渡していたのだった。
「まあこれも一種の愛情表現ってことで」
「お前の愛情表現ってホント、厄介だよな…」
カガリも今まで散々な目に遭っているだけに、キラへの同情が増してくる。
「これ位しないと俺の気が済まない。あの手紙を受け取ってからというもの、俺がどれだけ我慢したか…」
我慢って?
と尋ねようとして、カガリはハッと口を押さえた。
「何を我慢していたか、訊かないのか?」
隣を盗み見ると、アスランは例の悪戯っ子のような笑みを浮かべてハンドルを握っている。
いや〜な予感がしてカガリはブルブルと首を横に振る。
「いや、何となくわかるから。いい」
「そう言わずに聞いてくれないか、カガリさん?」
「いや、いいって!」
カガリが頭が痛くなりそうな程首をブンブン振っているというのにアスランはお構いなしに語り始めた。
「いきなりあんなピンクに囲まれた部屋でカガリと二人っきりだし。
別にプレゼントとして受け取ってしまっても良かったんだけど、よく考えてみろよ。
キラの手紙には次の日何時に帰ってくるかが書いてなかった。
そして俺達は今日、キラ達が帰ってくるまでに起きることが出来なかった。
…そう考えると凄く危険だろ?」
…確かに。あのまま私のベッドで夜を明かしたりしてたら…
きっと今頃お説教を食らっているのはキラではなく私達の方だっただろう…
いや、お説教では済まなかっただろう‥…
「だいたいどうして俺達が留守番しなきゃならなかったんだ?
家に鍵がついてないならともかく、あの家のセキュリティーシステムは完璧だというのに」
言いながらアスランは昨日の事をいろいろ思い出してきたのだろう。だんだんと口調が荒くなっていく。
「だから夕食からはホテルで過ごそうと思っていたのに
誰かさんは『ここで料理する!』ってきかないし」
「…それでやたらと外食を勧めてたんだな…」
「カガリはキラの家だといつもより無防備だし。お陰でキスの一つも出来なかった…」
カガリはアスランの言っている意味が分からず首を傾げた。
「キス位すればいいじゃないか」
「キス一つで済めばね」
…どうやらこの言葉には
『じゃあ二つでも三つでもすればいいじゃないか』
と答えていいものではない事はカガリにもわかった。
なるほど…だからちっともキスしてこなかったのか…何だかいつもと様子が違うと思ってたよ…
でもそういえば。
「指にはしたじゃないか」
「指くらいなら大丈夫かと思って。
でもあれも微妙だったな…カガリがシャワー浴びてる間もね…聞いてる?カガリ」
アスランはそれで私にどう答えて欲しいんだ…
「でも狸寝入りしてた時のカガリの言動が…俺を起こそうと必死になってる所がかわいくって。
それだけでもキラのプレゼントを蹴った価値はあったかな?」
狸寝入りだとは聞いていたが、実際寝てると思ってた本人に全部バレバレなのは恥ずかしくて仕方ない。
「でもカガリが俺のまつ毛を指で弾いた時は、流石に目を開けそうになったけど」
「…本当に全部バレバレなんだな」
カガリはそんなアスランに感心していいんだか呆れるべきなのか、よくわからない。
でも──こんな子供っぽいお茶目なアスランを見る事ができるのはきっと私とキラだけなんだろうな…
そう思うと嬉しくて舞い上がってしまいそうだ。
そんな幸せな気分のカガリの心をいとも簡単に乱す事がができるのはこの男だけかもしれない。
「じゃあこれからホテルに行くから」
「何!?」
カガリはブンッと首を振り、アスランを見た。
「チェックインは昨日の予定だったんだけど、まだしてないんだ。
一応ホテルには『今日する』って連絡入れてるんだけど…それに俺昨日からシャワー浴びてないし。
やっぱり気持ち悪いから部屋に戻るよ。
それに昨日カガリに『ちゃんとホテルで寝泊りしろ』って言われた所だし…」
「…チェックインしてシャワー浴びたらどっか出かけないか?
そしてアスランは夜一人で眠ればいいじゃないか」
「いやだ」
…カガリの予想通りの答えだった。
「キラのお陰で俺の立てていた予定は大幅に遅れている。その遅れを取り戻さないとな。
カガリもそう思うだろ?」
一体どんな予定を立てていたんだか…想像はつくが。
今日のアスランはきっと誰も止められない。カガリは観念した。
「…わかった。キラに貰い損ねたプレゼント、今度は私がプレゼントするよ。
昨日私があげたプレゼントは中途半端だったからなっ!それで満足だろ!」
「…大変満足です」
アスランはこちらが見惚れるような笑顔を一瞬だけこちらに向けて、再びまっすぐ前を見た。
結局私もアスランと同じ気持ちなのだ。
今年一緒にいられる時間はあと半日もない。だったらお互いが満足できる過ごし方をすればいい。
そう結論付けてカガリもアスランと同じくまっすぐ前を向いて、この先に続く未来に思いを馳せた。
あとがき
長っ!途中で分ければよかったかと思いましたが…
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
今年の1月にコピー本で完成させたお話ではありますが、今見るといろいろアラがありますね…
キラの父母の名前がわかってなかったり…日記で呼びかけたものの、誰も教えてくれず…
本と文章は全く変えておりません…文章変えたい所満載でしたが、まあ…時間もあまりなく;
これで多分ウチのサイトの更新は今年最後です。
今年はどうもお世話になりました。そしてこれからもよろしく…
04.12.25up