動揺



アスランが着替えに出てしばらくして──
再びロッカー室のドアが開き、パイロットスーツに身をつつんだアスランが出てきた。
まだカガリが同じ場所でじっとしていた事に驚いているようだった。
「あ‥‥着替え、終わったんだな‥‥すぐここを発つのか?」
普通に会話しようとしているのに、うまく言葉が出ない。 自分の頭がだんだん重く感じられて俯きがちになっていく。
「ああ‥‥」
そう言ってアスランはずんずんカガリの許に近づいてきた。
カガリが立っている場所を通らないことには、ジャスティスに乗れない。
アスランが自分の横を素通りしていくものと思っていたカガリは、
自分の前から人の気配が消えない事に気付き、そろそろと顔をあげた。
そこにはアスランが困ったような顔をして立っていた。
「何だ‥‥?すぐ行くんだろ‥‥?」
自分でもびっくりするような弱々しい声しか出なかった。
これではまるで行って欲しくないみたいだ‥‥引き止めてるみたいじゃないか‥‥
するとアスランはますます顔を顰めながらもはっきりした口調で言った。
「お前達2人と会って話してなかったら、俺は今ここにはいなかったと思う。 未だにザフトで言われるままに戦っていたと思う‥‥だから‥‥」
そこで一旦言葉を切って、顔から困惑の表情を消す。
「‥‥ありがとう」
軽く頭を下げるアスランに、その頭を持ち上げんばかりの勢いで慌てて言い返す。
「そ、そんな!礼を言われる様な事は‥‥」
「オーブで俺は、結論を出せずにイライラさせたと思うけど‥‥ 今はもうここで共に戦う事に迷いはないんだ‥‥」
そう言いながらアスランはじっとカガリを見つめてきた。今まで見た事のない様な真剣な表情で。

かつてこんな瞳で自分を見つめた人がいた気がする‥‥誰だか思い出せないけど‥‥
何かを決意した、揺るぎない視線──「それ」からカガリは目を逸らす事ができなくなった。

どの位そうしていただろうか、突然アスランはゆっくり瞳を閉じた。
しばらくして開かれたそれは、とても穏やかな緑の瞳で‥‥
「じゃ」
と一言呟いて、カガリの横を掠めるようにすり抜けて出て行った。

あの穏やかな、静かな緑の瞳は、私がずっと見たいと思っていた、そんな瞳だった。
だが──今はそれが逆にとても不安で堪らなかった。
知らず知らずのうちにカガリは窓の傍に駆け寄って、 アスランがジャスティスに近付いて行く様子を目で追いかけた。

フリーダムとジャスティスが自分の視界から完全に消えても、 カガリはその場から一歩も動く事ができなかった。
少しすればメンデルで会える──それは頭では理解できるが、心はそれを拒否していた。
みんな、みんな、自分の許から去って行く──お父様も、キラ達も。
そのうちキサカやエリカ達までも自分の目の前からいなくなってしまうのではないか──
ここは戦場だ。いつそうなってもおかしくはない──
今のカガリは普段の彼女らしくもなく、完全にマイナス思考に陥っていた。

あの白と赤の機体が抜けただけで、急にドック内が広く感じられるのは何故だろう‥‥
ここにはM1もいっぱいあって、人もたくさんいる。
なのに胸の奥にぽっかり穴が開いたように空虚な場所に見えた。

ふと気付けばドック内にいる人間の数がかなり減っていた。
急に1人でいるのが寂しくなって、カガリはパイロット待機室を出た。
そして向かった先はブリッジだった。
思えばクサナギに乗り込んでから今まで、 オーブの責任者としての仕事を全くしていない事に気付いた。
オロゴロ島を放棄し宇宙にやって来て、私がやらなければならない事は山ほどあるはずだ。
それに、体を動かしていればこの虚無感もなくなるまではいかなくても、 薄れてくるのではないか‥‥
そんな思いもあった。

カガリがブリッジに到着すると、モニターにマリューが映っていたのが見えた。
しかしそれはすぐに消えてしまったので、確信するまでには至らなかった。
自分に気付いたキサカがこちらを振り返って少し驚いた顔をしたような気がした。
「今の、アークエンジェルからだよな?何だって?」
妙に思って訊いてみると、キサカは
「フリーダムとジャスティスの到着を知らせてくれただけだ」
と少し早口で返事をよこしてきた。
そんなキサカの言葉にエリカは少し表情を曇らせたが、 カガリは別の事に気を取られていた。
フリーダムとジャスティス──
その二機の名を聞いて、さっきまで1人でいた時に考えていた事がまた頭に浮かぶ。
それを無理矢理振り払い、
「遅くなってすまなかった」
そう言いながらキサカの傍まで飛んで行く。
ブリッジ内にいたエリカもこちらを見て声をかけてきた。
「もうよろしいのですか?カガリ様」
「ああ。何か私にできる事は‥‥仕事はないのか?アサギ達の作業を手伝ってもいいんだが‥‥」
このカガリの言葉にはキサカが答えた。
「いや、アサギ達の作業はもう一段落つく頃だろう。 これからの私達の行動は先程皆で話し合った通りだ。 さしあたって今はまだ連合も追っては来れないだろうし、 ザフトも我々の行動は察知してないだろう。 交代で休憩を取ろうとしていた所だから、休んでおくといい」
「しかし‥‥!」
ずっと私は休んでいた様なものだ。まだ休んでいない者もいるだろうに、 自分ばかりが休んでいられない。
体を動かして、いろんな不安を頭から追い払いたかった。
「お前はこの艦の指揮官だろう。いざという時にしっかりしてくれないとな。体も‥‥心も」
そう言われると引き下がるしかなかった。いつもの自分ならすぐさま反論していただろうが‥‥
「わかった‥‥じゃ休ませてもらう」
そう言いながらも後ろ髪引かれる思いで先程入って来たばからのドアから出て行った。
その様子を悲しげな様子で見つめていたエリカの視線には気付かずに‥‥

部屋に戻りながらカガリはまだマイナス思考に襲われていた。
私の居場所など何処にもないのかもしれない。
私が不甲斐ないから、私は必要とされてないから 私から離れて行くのか‥‥誰も彼も。
自分の部屋に辿り着き、キラ達が来てくれるまでさんざん泣いていたベッドに腰掛ける。
‥‥いや。そんな事はない。お父様は私に後を託してくれた。
キラやアスランだってこの部屋まで様子を見に来てくれた。
キサカだって私を心配してくれている。
こんなつまらない事を考えている暇はない。私にはやるべき事がたくさんある。
この宇宙のどこかに‥‥私の事を必要としてくれてる人がきっといるはずだ。
とりあえず今はオーブ国民が必要としてくれる、そんな存在にならなければ‥‥
なれるのだろうか‥‥私は。

オーブを発ってからいろいろ考えすぎて頭が爆発しそうだ。
こんなに何かを考えたのは初めてかもしれない。
キサカの言うとおり確かに少し休んだ方がいいだろう‥‥
体をそのままこてんと横にたおして、無理矢理目を瞑った。

何十回目かの寝返りを打った直後、部屋のブザーが鳴った。
すぐに目を開けて起き上がり、
「誰だ‥‥?」
と問うとしばらくして ドアが開き、そこからエリカが入って来た。
とりあえず電気をつけると、その明かりが眩しくてカガリ目を細めた。
そしてベッドから移動してエリカの前に出た。
「やはり眠ってらっしゃらなかったのね‥‥しかも着替えてないし‥‥」
そう言ってエリカは小さくため息をついた。
「少しは眠ったさ!」
ムッとしてそう言い返すと、エリカは苦笑して瞬きをした。
「キサカ一佐は伝えるつもりがないみたいだけど‥‥ちょっとした賭けをしてみたの。 もし今、カガリ様が起きてらしたら教えてさしあげようかな?と思ってここに来たのよ?」
エリカの言ってる事がさっぱりわからない。だんだんイライラしてきて
「言いたい事があるんなら早く言えよ!」
そう怒鳴りつけると、エリカは笑いをおさめて真面目な表情になる。
「アスラン君、プラントに戻ってお父さんと話がしたいと言い出したそうよ」
「え‥‥」
エリカの口から出た意外な人物の名前に驚き、その内容に愕然とした。
「すぐ発ちたいって言ったそうだけど、それはマリュー艦長が引き止めて── 少し休んでから‥‥とのことらしいわ」
カガリの顔はみるみるうちに真っ青になり──そして部屋を勢いよく飛び出した。

エリカの言葉は、それまで常にあった父やきょうだいの問題を頭からすべて吹っ飛ばした。
その代わりに自分の体から目に見えない糸にぐるぐる巻きにされた様な感覚。
もっと早く‥‥!どうしてこの体は動いてくれない──!?
「カガリ様!」
後ろからエリカの叫ぶ声が聞こえたが、カガリの体は全く止まる事なく
シャトルの置いてあるドックへと一直線に進んだ。
一体どういうつもりだ?プラントに戻るだって!?また1人、私から離れて行くのか‥‥!?
通路を全速力で進みながら、カガリの頭にはいくつもの疑問符が飛び交っていた。
話をするって──いったい何を?
もし‥‥もし、帰って来れなかったら‥‥もう二度と会えなくなったら‥‥
お父様のように──!

その時、急に頭に浮かんだアスランの瞳──
アークエンジェルに行く時、最後に見たアスランの瞳は、お父様を最後に見た時の瞳と同じだった。
揺るぎない瞳、何かを決意した瞳‥‥
アイツ、もうあの時には決めていた‥‥?そして、覚悟している‥‥?

やっとドックまで辿り着いたカガリは、シャトルの前まで一直線に進んだ。
数人いた整備士が驚く中、シャトルに張り付きハッチを開けようとして‥‥
操縦席に人の姿をみとめた。中から笑って手を振ってきた。
「ジュリ!」
やっと追いついてきたエリカが、カガリの肩に手を置いた。
「カガリ様‥‥」
カガリは振り返って叫んだ。
「今からアークエンジェルに行く!」
そうエリカに宣言してシャトル内のジュリを見てダンダンとハッチを叩く。
「開けろ!」
ジュリはちらりとエリカを見た。エリカはそれに対して首を横に振り、カガリに語りかけた。
「今から行ってももう彼はいないかもしれないわよ」
「だから急いでるんだろ?早く開けろよ!」
後半の台詞はジュリに向かって叫ぶ。そしてさらに乱暴にハッチを叩きまくる。
「ハイハイ、わかりました。‥‥ジュリ、開けてあげて」
そうエリカが言ったとたん、ハッチはあっさり開いた。カガリはジュリの隣に滑り込み、
勝手にハッチを閉めようとした。しかしエリカがちゃっかりハッチを抑えていた。
ますますイライラしてカガリは舌打ちしながらエリカを睨みつける。
「アークエンジェルに行ってどうするつもり?彼を止めるつもりなの?」
「当然だろ!黙って行かせてもし帰って来なかったら‥‥」
その先を想像して思わず眉間に皺が寄る。
エリカは小さくため息をつき、話を続けた。
「‥‥止められないと思うわよ?彼もさんざん悩んで決めた事だとは思わない?」
「でも‥‥!」
「ひとつだけ、伝えておくわ」
エリカは強い口調でカガリを黙らせた。それを確認してエリカが告げた言葉は カガリを絶句させた。
「彼はここにジャスティスを置いて戻るそうよ」

目を見開いたままのカガリをちらりと見て、エリカ一歩下がってジュリに合図した。
ジュリはハッチを閉め、エンジンを稼動させた。
と、そこにキサカが飛び込んできた。
「エリカ!カガリ!これは一体どういう事だ!」
その姿にカガリは我に返り、キサカを睨みつける。
心の中で『アスランのプラント行きを隠してた事、許さないから。後で覚えておけ!』 と毒づいた。
そして口から出た言葉は一言。
「出してくれ」

アークエンジェルまでの短い移動の間、シャトルの中は無言だった。
何度かジュリがカガリに口を声をかけようとしたが、 カガリの表情を見ると、結局何も言えなかった。

何てバカなんだ‥‥アイツは!
カガリの頭の中は疑問符に混じって感嘆符が飛んでいた。
ジャスティスを置いていくなんて‥‥アイツはここに帰って来る気がないとしか思えない!
多分シャトルか何かで戻るんだろうが‥‥“殺して下さい”と言ってるようなものじゃないか!
絶対止める!行かせない!
もう二度と私の前から消えたりなんか、させないから──!

アークエンジェルと通信で連絡をとるジュリの声を聞きながら
カガリはイライラしながらシャトルが着艦するのを待っていた。
こうしている間にもアスランは、ここアークエンジェルから、 私から離れようとしているのに──!
そしてイライラをさらに募らせながら、出て行くシャトルはないか、窓から注意深く見張っていた。

やっとシャトルが停止し、周りにアークエンジェルのクルーが集まって来た。
カガリは自分でシャトルのハッチを開けると、すぐさま飛び出した。
そしてカガリを見て吃驚しているクルーの1人にきつい視線を向けて叫んだ。
「アスランは!?」
その勢いにおどおどしながら、睨まれたクルーはアスランがいるであろう方向を指差した。
カガリは空中で器用に進路を変え、後は脇目も振らず指された方へと急いだ。















あとがき
今回ちょっと短めですけど、最初はもっと短い予定でした。
アスランはAAに到着したらすぐプラントに行く予定でした。
でもちょっと考えました…アスラン、睡眠取ってるか?
それでちょっとAAでおねんねしてもらいました。つっても多分眠れんかっただろうけど…
それに伴って、カガリにもおねんねしてもらいました。こちらも眠れなかった模様。
アスラン、眠れぬ夜のおはなしも書こうかと思ったんですが
どーせ私が書いたらまたうじうじするだけだと思ってやめました。
それでタイトルですけど…これがまたギリギリまで決まらなかったです!
「眠れぬ夜」でもよかったかな…
03.11.21up