「アスラ〜ン!再来週の土曜日にライヴが──」

「行かないぞ」



満面の笑顔で駆けてくるカガリに俺は、冷徹に言い放った。



「なんでだよっ!こないだ楽しくなかったか?」

はっきり“楽しくなかった”と言ってしまおうかとも思ったが、 カガリの悲しそうな表情を見てしまうと、そんな台詞はなかなか言えるもんじゃない。

「あの人ごみがイヤなんだ…」

嘘じゃない。本当の事だ。

とにかくあの汗まみれの男達がカガリにベタベタ触れるのがイヤなのだから。

すると沈んだカガリの表情がぱあっと明るくなっていく。

「それじゃ大丈夫だ!今度のはあんまり人気ないヤツらのライヴだから!」

えっ…

俺が一瞬言葉を失ったスキにカガリはどんどん話を進めていく。

「いつも人が少なくて可哀相な奴らなんだ!チケットなんてもうとっくに発売してるのに 昨日プレイガイドで確認したら、整理番号がまだ2ケタなんだ!だから私が行って 盛り上げてやろうと思ってな。じゃ、チケット2枚取っておくからな!」

カガリは俺の返事も聞かずに再び自分の校舎の方へと走っていってしまった。



「──カガリ…そのライヴはいつあるんだ…?」

ぽつんと残された俺の呟きは虚しく校舎の隙間に吸い込まれて消えた。



次の日──

昼休みを一緒に過ごしていると、ふいにカガリは持参の紙袋をごそごそ探り始めた。

「これっ!これを聴いて予習しろ!」

俺の目の前に突きつけられたのはMDウォークマン。

嫌な予感を覚えつつ俺が何も言えずに黙っていると、カガリは俺の弁当の包みの上にそれを置いた。

「どうせ持ってないんだろ?音楽を聴くプレイヤーは」

…それをわかってて、どうしてコイツは俺をライヴに誘うのかわからない。

「これ、貸してやる。中にMDが2本入ってる。1本は新しいアルバムの曲が入ってる。 もう1本は私がライヴでやるだろうと予測した曲をセレクトしてきた。 とにかく聴いてみろって!なかなかいいから」

──なかなかいいんなら、どうしてそいつらは売れないんだ、という言葉は 卵焼きと一緒になんとか飲み込んだ。

どうせここまで来たらライヴには行かないわけには行かないのだ。 ブツブツ言ってカガリの機嫌を損ねるより、ここはおとなしく従った方がいい。

「…わかったよ、カガリ」

そうにっこり笑って俺は食事を再開した。



──う、うまく笑えていただろうか…



そして、とうとうライヴ当日。



ライヴハウスの近くの店でパスタを食べているのだが…

前回のライヴの時は1時間半前には会場に行っていたのに、今日はもう開演まで1時間をきっていた。

別に俺はそれでも構わないのだが…やはり気になる。



「なあ…カガリ、もう開場してるんだろ?行かなくていいのか?」

カガリは食後のデザートを口に運びながらにっこり微笑んだ。

「大丈夫。客少ないから」

そう言ってゆったりとレモンティーを飲む。

──な、なんで俺がハラハラしなくちゃならないんだ…



そうして漸く席を立ったのは開演30分前だった。

それでもカガリは急ぐ事なく、ゆったりと歩いている。

5分程歩いてライヴハウスに到着すると──列どころか人さえいなかった。

いたのはスタッフらしき男性が2.3人だけ。

彼らが普通に俺達のチケットを確認し、ドリンク代の500円を徴収し中に入れてくれた。



入ってまた俺はびっくりした。

この間のライヴとは違って人はまばら、カガリもダッシュする事もなく 会場の真ん中あたりに座り込んだ。

「アスランもここ、座れよ。ずっと立ってると疲れるだろ?」

──前回とはえらい違いだ。

俺は釈然としないながらも、カガリの隣に腰を下ろした。

「こ、これって…」

「だから言っただろ?“人気ない”って」



にしても、これは──

俺達の前に人はいるが、みんな十分に隙間を空けて立ち、楽しげに歓談している。

隅の方には前回にはなかった丸テーブルが何個か置かれていて、 そこに人が集まってビールやジュースを飲みながらのんびり待っている。

勿論俺達の後ろの方にも人がいるが殺気立った様子はない。



あまりの違いに目を白黒させていたが、カガリは別段気にする様子もない。

普通に学園の話や友達の話を始めるので、そのうち俺もカガリとの会話に没頭していった。



「そろそろライヴが始まりま〜す。皆さん、お立ちになってお待ち下さ〜い」

スタッフの掛け声に、周りで座り込んで話していた人々も立ち上がり、 ステージに目を向けていく。

カガリもゆっくり立ち上がるが、やはり前回のように前へ前へ行こうとする気配はない。

俺も立ち上がり、尻を叩きながらカガリに問いかけた。

「前、結構隙間があいてるけど…行かないのか?」

「ん、いいんだ。私、この人たちのライヴの時ってエンジンかかるの遅いから」

──いつかはエンジンがかかる、って事か…

俺はその瞬間が来なければいい、と心の中で唱えながら、客電が消えるのを待った。



ゆっくりと辺りが暗くなり、ステージ上手から3人の影が出てくるのが見えた。 おそらくあれが今回の主役なのだろう。

まばらな拍手の音と歓声は黄色いのと野太いもの。それらが入り混じる中、演奏が始まった。

カガリはといえば、今日はおとなしく、だが熱心に煌びやかとはいえないステージを見つめている。

俺はそこを見る事なく、しばらくカガリの様子を観察した。



今日はぎゅうぎゅうではないので、カガリに触れてくるヤツもいない。その点はいい。

カガリはと言うと微妙に身体が揺れていて、表情も嬉しそうだ。一応楽しんではいるようだった。

だがやはり、前回の弾けぶりと比較してしまう。

それとも“エンジン”とやらがかかれば──

急にカガリがくるっと俺を見上げて口をぱくぱく動かした。

「ステージを観ろよ」

俺は苦笑して、名残惜しげにカガリから大きな音の鳴るステージへと目を向けた。



どれ位時間が経っただろうか──

急に背中をツンツン突かれた。

前回のライヴではこれどころじゃない突かれ方、というかどつかれ方をしたのであまり気にならない。

俺は振り向くこともなくステージを見ていた。

しかしまた、ツンツンと突かれる。

何だろう?と思って振り返ろうとした瞬間── カガリが急に前に走り出した。

えっ、



そう思った瞬間、俺達の周りにいた全ての人間が前に向かって走り出す。

俺も慌ててカガリの後を追う。

何とかカガリの隣につけたかと思うと、もうそこはある意味戦場だった。

全員がぴょんぴょん飛び跳ね、ステージに向かって手を伸ばし、ステージ上の人物の名を叫んでいる。 勿論カガリもその中の1人だった。

どうやらこの曲はエンジンのかかる曲だったらしい──



一瞬の内に、前回のライヴの時のような、いや、それ以上の盛り上がりだった。

だが前回とは違う微妙な雰囲気に周りを見回すと──女の子に囲まれていた。

この会場で男は2メートル程離れた所にまばらにいるだけ。

そして俺の手の届く範囲にいるのは女の子だけ…

やはり前回とは違う、汗くさい臭いではなく、甘い香りに包まれる。

えっ、え…っと…

別に俺を見ているわけではないのだが、こんなに沢山の女の子に、しかも至近距離で囲まれるのは 初めての経験だった。

しかも香りだけではない、なんだかやわらかい…



俺は咄嗟に口元を覆った。

人の熱気のせいだけではない、自分の顔がみるみるうちに熱をもっていくのを感じる。

そんな俺に気を取られる女の子は勿論いる筈もなく、 ただただステージ上の3人に魅せられ、俺にばんばんぶつかって来る。

そんな感触を紛らわす為に、俺はなるべくカガリから離れないようにするので精一杯だった。



一旦3人は演奏を終え、今俺達の周りではアンコールが巻き起こっていた。

俺も適当に手を打ちながら、カガリの腕時計を覗き込んだ。

「今、何時だ?」

「さあ。暗くてわからん」

いつもなら腕時計のライトをつけて時間を確認してくれるのに、カガリは拍手をしながら そっけない返事を返してくる。

「カガリ?」

その態度を不思議に思って顔を覗きこむと、プイッと俺とは反対側に顔を叛ける。

──?

「何だか、怒ってる…?」

恐る恐るそう尋ねると、カガリはガバッとこちらを振り返り、俺を睨みつける。

「──怒ってないさ!ちょっとステージが観にくかっただけだよっ!」

それだけ言うとまたプイッと横を向く。

俺は訳がわからなくて拍手を止め、カガリの小さな金髪を見つめていた。



再び出てきた3人は少しチューニングをした後、また演奏を始めた。

その間、カガリは周りに釣られるように飛び上がってはいたが、その顔は 俺の知っているカガリの笑顔とは程遠かった。

俺はカガリの顔とステージとを交互に見やった。

──そんなに観にくいのか…?



少し離れた場所では男3人が、アルコールが入っているのだろう、 いきなり2人の男が残りの1人を持ち上げ、わいわい騒いでいる。

それを横目で見ながらステージ上の男達も楽しそうに目を細めていた。

ならば──



俺はカガリの後ろに無理矢理回り込み、両わきを持ち上げてやった。

「なっ!アスラン、何するんだ!」

「ほら、よく観ろよ」

恥ずかしそうに振り返って見下ろしてくるカガリに俺はウインクして叫んだ。

「恥ずかしいって…!」

そんなカガリの言葉を無視して、俺は子供をあやす様に上下に軽く揺らしてやる。

カガリは怒ったように頬を膨らませた後、堪えきれなくなったのか、プッとふき出し、 やがて可笑しそうに笑って俺の髪をくしゃくしゃに撫でた。



帰り道、今回はドリンクを飲まずに、コンビニで買ったアイスクリームを食べながら 駅までの道を歩いていた。

「カガリ、今日は楽しかったか?」

途端に棒キャンディーに噛り付いていたカガリの動きがぴたっと止まる。

足まで止まったカガリに俺は2.3歩進んでから止まって振り返り、カガリの返事を待った。

カガリはキャンディーから口を放して、俺をじいっと見つめて、言った。

「まあまあ」



再び俺の隣に並んだカガリに歩調を合わせながら、俺は心の中で呟いた。

今日のライヴはカガリにとってイマイチだったようだ。

これでもうライヴに行く事を止めてくれればいいんだが…



隣を歩くアスランとの距離をほんの少しだけ詰めながら、カガリは思った。

何だよっ、アスランの奴。

女の子に囲まれてデレデレしちゃってさ!

もう二度とオールスタンディングのライヴには誘わんっ!

もし行くとしたら──女の少ないライヴにしよう。うん。

そう心に誓うカガリだった。





あとがき
これまた先日のライブ中、急に思いついたネタです。またまた突発です。
前回はカガリ→私、でしたが、今回はアスラン→私です。
結構起こった出来事を忠実に再現しております。や、私は抱えられてないですけどね!
背中を突かれたのも、友達が急に前に飛び出したのも本当の話。ビックリしましたよ!
続編、あるかもしれません(笑)
04.07.01up