「なぁアスラン、行きたいライブがあるんだけど…一緒に行かないか?」



カガリにこう尋ねられ、俺は正直戸惑った。

…ライブ…ライブって…音楽、だよな?

はっきり言って…音楽全般に関する事は苦手だった。自分で演奏したり歌ったりするのは勿論の事、 聴くのもあまり好きではない。だが──



「ああ、いいけど…どういったライブなんだ?」

俺の言葉にカガリは目を爛々と輝かせて叫んだ。

「ロック!ロックに決まってるだろ!?じゃ、チケット取っておくからな!」



カガリは嬉しそうに飛び跳ねながら教室に戻っていった。



ロック──それは…

数ある音楽の中で俺が最も苦手とするジャンルだった。




痛み



そうしてとうとうライブ当日。

俺はそのアーティストの名前は知らなかったが、巷ではそこそこ名の通っている人らしい。



カガリはこの日にむけて、彼やライブに関する色々な事を俺に教えてくれた。

凡そ興味を持てる話ではなかったが…



荷物はなるべく少なめに、ていうか持ってくるな!

──財布やチケットはどうするんだ。

チケットの他に500円は用意しとけ。ドリンク代は別だからな!

──最初からチケット代に含んでおけばいいのに…

動きやすい格好で。靴はスニーカーがいいぞ!

──別に俺はそんな動き回らないし。

お前、髪、縛ったほうがいいかもな。

──余計なお世話だ。



そんなこんなでやって来たライブ会場。周りには様々な格好をした人々が集まっていた。

「おっ、もう結構人来てるな!さ、並ぶぞ!」

俺は妙に騒がしい人々を人事のように眺めながら、 先へずんずん進もうとしているカガリを引き止めた。

「何故並ばなくちゃいけないんだ?開演時間までまだ1時間半もあるし…開場までもまだ30分ある ──」

「何言ってるんだよ!」

カガリは自分の肩に置かれた手を振り払って俺に向き直った。

「整理番号順に並ばなきゃ!私達の番号、結構いいんだぞ!」

──番号?座席番号じゃなくって?

そう考え込む俺の手を取って、カガリは人が列を作っている奥へと引っ張って行った。



「なぁ、カガリ」

「ん、何だ?」

列に並んだまま動く様子もなく暇だったので、俺はカガリに尋ねてみた。

「整理番号って──何?」

俺の問いにカガリはポカンとした顔で見上げてきた。

「お前…知らなかったのか?…まあいいや。教えてやるよ。ほら、ここに番号が書いてあるだろ?」

そう言って俺に見せてくれたチケットには確かに『整理番号201番』と書かれている。

「この番号順に入るんだ」

なるほど──そして好きな席に座る、つまり自由席なわけだ。

「わかったか?」

俺はこっくり頷いた。が、すぐそれが大きな間違いだった事に気付くのだった──



会場に入って俺は呆然とした。

──椅子が、ない。

「カガリ──うわっ!」

急に腕を引っ張られて俺はステージの中央、 それもぎゅうぎゅうに詰まった人と人の隙間に連れてこられた。

「ん!まあここでいいだろ。とりあえず」

カガリは満足そうに腕組みをしてそこから動かない。

俺はいくつかの疑問をカガリにぶつけてみる事にした。



「なぁ…カガリ?」

周りになるべく聞こえないように…と俺は小声で尋ねる。

「何だ?」

カガリはまだ誰もいないステージを見つめたまま返事をする。

その態度に少しムッとしながらも、言葉を続けた。

「…椅子は?」

「ない」

あっさり一言で答えられ、俺は一瞬言葉につまった。

「っ──ないって…どういう事だ?」

カガリはじゃまくさそうにポケットに突っ込んだくしゃくしゃのチケットを取り出した。

「ほら、ここに書いてあるだろ?『オールスタンディング』って」

──つまり…『ずっと立ってろ』って事、か?

俺は憮然として腕を組んだ。



ん、ちょっと待てよ…確か…

「なあ、カガリ」

「何だよ」

今度はカガリも俺の方をちらりと向いてきた。

「確かこのライブって6時開演、だったよな?今はまだ5時過ぎだ。もしかしてこのまま…」

「そ。このまま彼が出てくるまで待つ。まあ仕方ないさ。前の方を確保する為だ」

俺にはカガリの言葉が信じられなかった。

『あの』カガリがこんな事の為に1時間もじっとここで待ち続けるつもりなのが。

俺はカガリから視線を外してまだ誰もいないステージを見た。

カガリにここまでさせる人物──俺は会った事もない男に嫉妬を覚えた。



しばらくお互い何も話さずにじっとしていたが、組んでいた腕を解き、 何気なくポケットに手を突っ込むと、硬いものが指に当たった。

あ、そういえば…

「なあ、カガリ」

「ん?」

カガリも少々退屈していたのか、今度は俺を見上げながら少し微笑を浮かべていた。

「これ、入り口でもらったやつ…確か『ドリンクチケット』だよな?いつ貰うんだ?」

実際は『買う』んだが、何故かそういう感覚はあまりなかった。

「帰りに貰うさ。先に貰っちゃうとライブ中邪魔だし、飲みすぎてトイレ行きたくなったら困るだろ? 」

なるほど…納得はした。だが──

「ちょっと人詰めすぎじゃないか?何だか空気も悪いし息苦しい…」

既に俺達の前だけでなく、横も後ろも人でぎゅうぎゅう、いっぱいだった。

「何言ってるんだよ?まだまだ人は入ってくるんだぞ?こんなんで息苦しいとか言ってたら ライブなんて二度と来れないぞ?」

カガリの言葉に俺は胸の内で『もう二度と来ないし…』と呟いていた。



ちらりと腕時計を見るともう6時を過ぎていた。

しかしステージの上にはまだアーティストは現れない。そんな気配もない。

「なあ、カガリ…」

「何だよ?」

カガリはもう俺の方を見てくれない。たまにスタッフが通り過ぎるだけのステージを 食い入るように見ている。

「もう6時なんだけど…」

「こういうのって時間通りに始まる事ってないんだよ!でもきっともうすぐだ…」

カガリの瞳が期待に燃えている。

これはもう何を言っても耳には入らないだろう。

俺は小さく息を吐いてほの暗いステージに目をやった。



急にBGMが消え、客電も消えた。

その瞬間後ろからもの凄い勢いで人がなだれ込んで来て俺は前につんのめった。

カガリは大丈夫か!?と今まで自分達が立っていた場所を見ると…いない!

ハッと周りを見回すと──カガリはすでに俺の斜め前方にいて、 しかも自分から前の人を押し捲っている。

俺は慌てて人垣を掻き分けて強引にカガリの隣へと進んだ。

「おいっ、カガリ!あんまり押すなよ。危ない…」

「んなの、前に行かなきゃソンじゃないか!」

カガリは俺を見向きもしないでそう吐き捨てるように言うと 後はもうステージ上の小汚いおっさんに釘付けになっていた。

男が適当にギターをかき鳴らすとその度に歓声が上がる。

勿論その中にはカガリの声も含まれていた。

とにかく俺は周りの人間を押しやりつつ、カガリから離れないように常に隣をキープしていた。



漸く歌がはじまり、曲に合わせて周りの客が踊り歌い出した。

カガリも楽しそうにぴょんぴょん飛び跳ねているが、俺はステージ上には一切目をくれず、 ただカガリだけを冷や冷やしながら見つめていた。

と──カガリの隣にいる女の子──はいいとして、その後ろでカガリの方に手を置き ジャンプしながら大声で歌っているのは──男。

俺は白々しくその片方の手を払い、そのまま自分の手をカガリの肩に乗せて、耳元に囁いた。

「おい、カガリ、後ろの男、お前に手を──」

「そんなの仕方ないだろ!ここは狭いんだから!」

カガリはチラリとだけ俺に顔を向けそう叫ぶとまたすぐステージ上に目を向けて歌っている。

俺は軽く舌打ちしながら後ろの男を睨みつけ、すぐカガリに視線を戻した。



3曲程終わった後、ステージは静かになった。

どうやら一旦ここで休憩が入るらしい。

俺はようやく少し落ち着き、カガリに後ろに下がろうと提案しようとしたその時だった。

再び後ろからぎゅうぎゅう押され、俺の心とは裏腹にまた1歩前に進んだ。

急に押されたのでカガリが心配になって声をかけようとしたその時、

カガリは前の男の背中に凭れかかっていた。よく見ると──

カガリの胸が思いっきりその男の背中に当たっているではないか。

「──っ、カガリッ!」

俺は肩に置いたままだった手を思いきり自分に引き寄せた。がカガリはその手を強引に振り払った。

「何だよっ?」

前の男の背中に両手を添え、しなだれかかったままカガリは俺を振り返り小声で尋ねてきた。

「お前、前の奴とくっつきすぎだろ?」

「仕方ないだろ?ここはこういう所なんだよっ!」

それだけ言うとカガリは今度こそ俺から視線を外し、ステージ上のむさい男に熱い視線を送った。



それからまた曲が始まり、再び俺達は揉みくちゃにされた。

カガリは周りの男共がどんなに触れてこようと全く気にしないし、俺はそれが気が気でなく ステージには全く目を向けなかった。

俺の我慢も限界に達していた。



そして再びステージ上は静寂に包まれる。

俺はカガリの真後ろに移動して、後ろから腕を回して抱き寄せた。

「っっなっ!アスラ…おまっ!」

俺を振り仰ぐカガリの顔は、暗がりでもわかる位真っ赤になっていた。

その表情に俺はやっと満足して意地の悪い笑みを浮かべた。

「ここはそういう所なんだろ?さっきお前がそう言ったんだぞ?」

「こ、こんなあからさまなヤツはいないッ!」

「そう?」

カガリはぷいっとそっぽを向いてまたステージに目を向けてしまった。

でも前ほど不快に感じない。

カガリの耳が真っ赤に染まっているのがわかるから──

それが可愛くて俺はカガリを抱く腕にまた少し力をこめた。



それからのステージは訳もなく楽しかった。

相変わらずカガリにぶつかってくる奴も多かったが、それは俺の腕でガードする事ができたし、

俺の戒めが邪魔で思うように動けなくなったカガリは暫く不服そうにしていたが、

やがて俺の両手を取ると、それを振り回して曲に合わせてぴょんぴょん飛び跳ねだした。

たまにカガリの頭や腕が俺の顎に当たりそうになってヒヤヒヤしたが、 ライブ序盤のヒヤヒヤに比べれば安いものだった。

そうして俺達は駆け抜けるように過ぎていった時間をそれなりに楽しんだ。



駅までの道を俺達は帰り際に貰ったミネラルウォーターのペットボトルを手に歩いていた。

「いや〜楽しかったな!」

…俺はそんなに楽しくはなかったが。

結局あの後だってカガリに触れてくる奴は後を絶たなかったし…

不機嫌になりながらそんな事を考えていると、カガリの細い腕に赤い痣がある事に気がついた。

「カガリ、これ…」

俺はカガリの肘を持ち、問題の痣を自分の目の前まで引き上げた。

「ああ…それ。ライブに行きゃあそれ位できるさ。きっとお前にもあると思うぞ」

そう言われて自分の腕を確認してみるが、簡単に確認した所そういうものは見当たらなかった。

「いや…俺には…あれ?お前…」

カガリは自分の顔を凝視されているのが恥ずかしいのか、視線を逸らして俯いてしまった。

「な、なんだよ…人の顔じろじろ見て…」

俺はカガリの肘を掴んでいた手を少し移動させて、その赤い印にくちづけた。

瞬間、カガリは俺の腕をバッと振り払い真っ赤になって1歩、後ずさった。

「おまっ、こんなトコで…な、何…」

「ここも…」

俺はしっとり汗に濡れたカガリの頭に振り払われた手をまわし、自分の方に引き寄せた。

あわあわするカガリの額に自分のくちびるを寄せる。

カガリが硬直しているのをいいことに、俺はしばらくそのままでいて── くちびるを離す際にぺろっと痣を舐めた。

カガリはゆっくりとあいた手をおでこに当てて…これ以上ない位に真っ赤になった。

「な、なに…お前…!」

「そんなトコに痣作ってるお前が悪い。でも──しょっぱかった」

ぺろっ舌を出してそう言うとカガリは怒ったように、でも力なく呟いた。

「そ、そりゃ…凄く汗、かいてるし…!!」

カガリは突然俺から3歩ほど離れていく。

怪訝に思って近寄ろうとすると、カガリは両手を突っ張ってまた後ずさる。

「く、来るな!私…めちゃくちゃ汗臭い…!」

俺は吹き出しそうになりながら、 足を速めてカガリの肩に腕をまわして今度こそ離れないように捕まえる。

「今さらだろ?」



こんな風に過ごせるならライブもなかなかいいのかも…と思いながら しかし──別に歌には興味ないし、あの空間がどうにも気に入らない。

もう二度とこんなモノには行かせない、と心に誓うアスランだった。



今日のライブはいつも以上に楽しかった。

途中アスランにがっちり掴まれて思うように動けなかったのが残念だが── あれはあれで楽しかったし幸せだった。

今度もまたアスランを誘って行こう──と心に誓うカガリだった。





あとがき
先日のライブ中、急に思いついたネタです。で、書きたくなったので突発で。
ライブに夢中になってると思いきや…こんなネタも考えてました〜
一応このお話はお題がここまで来る間は「痛み」としてUPしていようと思います。
…いつのことやら。

04.05.29up