背中合わせ
「おいおい、何見詰め合ってんだよ!」
品の悪そうな声にハッとして、その声の方にちらりとだけ視線を向ける。 そしてすぐに少女に視線を戻し、小声で囁く。
「すぐにここから離れるんだ」
なのに彼女はムッとした表情のまま大声で怒鳴った。
「バカ言うな!お前を1人で置いていけるワケないだろ!?お前こそここから逃げろ!」
そう言って俺の束縛から無理矢理腕を解き、再び俺の前に立つ。
「こういう輩にはお仕置きが必要なんだ。いくぞ!」
俺が止める間もなく、金の髪の少女は3人に向かって突進していく。
──ああっ、もう!何てじゃじゃ馬だ!
俺も慌てて少女を追う。
見れば少女はもう既に緑の髪の男と拳を突き合わせている。
1対1なら互角だが、まだ他に2人の男が取り囲んでいる。
とりあえず俺はこの2人を相手にしなければ──
卑怯にもオレンジの髪の男が少女の後ろから近寄って行こうとする所だった。
俺はそいつを背中から羽交い絞めにして、脇に放り投げた。
そいつは情けない悲鳴を上げながら、ごろんごろんと2回転して止まった。
当分起き上がれなさそうな男を一瞥して再び少女の様子を窺えば、
緑の髪の男と互角、いや、それを上回る動きで相手を翻弄している。
──なかなかやるな。
そう思う間もなく、今度は金髪の男がやはり後ろからそろりと少女を狙っていた。
こいつら、つくづく卑怯な奴らだ──!
俺は彼女の小さな背中の前に立ち、金髪の男の動きを止める。
4人ともしばらく動けず、膠着状態が続いた。
その隙に背中の少女にちらりと視線を向け、声をかけた。
「…そっちの男は君にまかせていいか?」
少し早い息をしながらも、少女はフッと笑い、軽く頷いた。
「じゃあ、そっちのバカを頼む。…頼りにしてるぞ」
「…了解」
幽かに触れていた背中で、少女の背中をかるく突いた。
それを合図にして、俺達はお互いのターゲットに向かって前に進み出た──
自分より先輩であろう3人を桜の花びらのシーツに寝かしつけて、
俺と少女は少し場所を移動し、文化部の部室の壁に並んで凭れていた。
「お前、なかなか強いな。『弱い』なんて言って、悪かったな」
少々息を切らしながら、隣の少女は感心した風に俺の顔をを覗き込んできた。
「君こそ。何か習ったりしているのか?」
俺は普段女の子と殆ど話さない。勿論間近からじっと顔を見られる事もない。
こんな状況には慣れてないせいか、何だか照れくさい。
別に不快ではなかったが少し少女から視線を逸らしながら尋ねた。
「ああ、空手をね。『婦女子の嗜み』程度には」
普通婦女子の嗜みは空手じゃないだろ…俺は思わず吹き出した。
「何がおかしいんだよ…」
そう不満そうに訊いてくる声がまた可笑しくて、腹をかかえて笑ってしまった。
「いや…失礼」
身体を前に少し折り曲げながら、ちらりと彼女の──校章を確認しようとして… 笑いが止まった。
校章を──つけていない。
突然頭の上から降ってきて、しかも率先して喧嘩を始めるような女の子が 『コーディネイター』だとは思えなかった。
流石に同級生のコーディネイターの顔は覚えている。2クラスしかないのだから。
でも──もしかしたら上級生──ではないだろうが、昨日入学したばかりの コーディネイターであれば…
と心のどこかで期待していたのだ。
しかし結果は──いや、まだわからない。
学年とクラスを尋ねようとして口を開きかけたその時だった。
「お前、さっき校章確認しようとしただろ」
ハッとして隣の少女を見ると、その瞳は冷ややかに自分を凝視していた。
俺はその視線に耐えられなくなって、すぐに目を逸らした。
「クセになってるんだろ?それは直した方がいいぞ」
確かにそれはここの生徒を見かけた時の俺、いや、この学校の生徒全員の悪癖だった。
しばらく少女はスカートのポケットを探っていた。そしてグーの状態でその手を取り出した。
そして俺の顔の前にその手を突き出し、そっと手のひらを開いた。
その小さな手の上には校章がひとつ、のっていた。
赤でも青でもない。──黄色だった。
「何、これ…」
俺はやっとの事でそれだけ言うと、後はもう目を丸くする事しか出来なかった。
そんな俺をよそに、少女は平然と言ってのけた。
「私の校章さ」
いや、それはそうだろう。この娘が持っていたんだから。
俺が聞きたいのは何故こんな色なのか、という事なのだが…
「私は『ナチュラル』でも『コーディネイター』でもない」
「じゃ、何なんだ…」
俺の声は掠れていた。
まさか他校の生徒だとか言い出すのでは…と思ったが、少女の言葉は俺の想像外の答えだった。
「『中立』さ」
「中立…?もしかして、その校章…」
まさかとは思うが…いや、その『まさか』だった。
「自分で塗った」
呆れた。
呆れを通り越して可笑しかった。そして俺はその感情を隠せもしなかった。
「お前!笑いすぎ!」
俺は目尻に涙を浮かべながら大爆笑していた。
普段の俺を知っている人間が見たら、きっと俺の頭がおかしくなったのでは…と思うだろう。
それ位俺の笑い方は常軌を逸していた。
何か少女に言い返したかったが、笑いすぎて言葉も出ない。
「他にも何人かこの校章見せた事あるけど、こんな反応初めてだぞ!聞いてるのか?おい!」
「き…聞い、てる…」
笑いすぎてお腹が痛い。こんな経験は久々だった。小学生の時以来かもしれない。
やっと声が出せるようになって、折り曲げていた身体を起こし、 それでも壁に凭れないと立っていられなかった。
少女は両手を腰に当てて、呆れた表情で俺を見ていた。
「やっとまともになったか?」
「な、何とか…」
やっと表面上は落ち着きを取り戻した俺は、その後少女からいろんな話を聞いた。
俺達を襲った3人はやはり3年生で、しかも去年も3年生だったらしい。
去年何も知らない新入生がこの場所であの3人にカモにされていたので、
今年の新入生がそうならないように自分があの桜の木に登って監視していた、と 少女は自慢げに言ってのけた。
「しかし女の子が木の上から飛び降りてくるなんて…その…スカート、だし…」
確かにスカートの中は影になって見えなかったが、男を相手にするのに危険ではないのか。
「ああ、それは大丈夫」
何がだ…と言い返そうとして、俺はギョッとした。
何と少女は自分のスカートを捲り上げて俺にその中身を見せてきた。
「ブルマ穿いてるから──」
俺は反射的に少女のスカートの裾を掴み、力任せに下に下ろした。
そしてくるんと180゜回転し、少女に背を向けた。 きっと今俺の顔は真っ赤に違いない──!
「そういう問題じゃないだろ!」
「何だ?ブルマが気に入らないのか?」
「そういう問題でもない!」
「何だよ、難しい奴だなぁ…」
後ろでブツブツ言う少女に俺は翻弄される。
コイツといたら笑ったり怒ったり呆れたり──ぐるぐるいろんな感情が混ざり合って、疲れる。
しかし──何故だろう、何だか心地よいのだ。この春の風のように…
「なあなあ、ところでさ」
背中をツンツンと突かれ俺が我に返って振り返ると、少女は俺を突いた手を広げる。
そこには例の校章が乗っていた。
また吹き出しそうになったが、寸での所でそれは堪えた。
「これ、受け取る気、ない?」
「それはどういう…?」
「お前も中立にならないか?って事」
──それは…
俺は黄色い校章からゆっくり目を逸らした。
それだけで少女は察したようだ。
「ま、仕方ないな。今まで誰にも受け取ってもらった事ないし」
その声は思いのほか明るい。
怒ってないのか心配になってちらりと少女を盗み見ると、丁度校章をしまう所だった。
少女はポケットに手を突っ込んだまま俺を見る。
「ま、気が変わったら言ってくれよ。こーんなにたくさんあるからな!」
そう言ってポケットから出した右手には幾つもの黄色い校章が乗っていた。
「こ、これって…」
俺は笑いを堪えながら、必死で声を絞り出した。
「私が色を塗る度先生に『新しいのを買え!』と言われるんだ。 そして買う度にまた色を塗って…お前、また…!」
やっぱり耐えられなかった。俺は再び爆笑してしまった。
「そういう問題でもないが、他に色はなかったのか? 黄色なんて、まるで信号じゃないか」
再び笑いをおさめた俺は、まだ小さく笑いながら訊いてみた。
「やっぱり赤、青とくれば黄色だろ」
だからそれは信号だろ、と突っ込もうとした時、予鈴が鳴り始めた。
こんなにも予鈴を恨めしく思った事は、今まで一度もなかっただろう。
「あ、予鈴だな。お前の方が校舎、遠いだろ?早く行かないと」
「ああ、そうだな…」
この場所を離れ難かった。しかし授業をサボる気は毛頭ない。
仕方なく凭れていた壁から身体を離し、ゆっくり振り返ることなく歩き始めた。
振り返ってしまったら、余計離れ難くなるだろうからそれはしなかった。なのに──
「カガリだ!お前は?」
その声に思わず振り返ると、少女──カガリは微笑んでこちらを見ている。
「──アスラン!」
その声に小さく頷くと、カガリは俺とは反対方向へと駆けていき、やがて姿が見えなくなった。
そうして俺はこの昼休みの出来事を反芻しながら、緩やかな坂道を少し急いで降っていった。
あとがき
とっくに「背中合わせ」はお題クリアしているというのに、やたらと余計な話が入りました…
これも「連載」という形にしなくては!というのと、私の力量不足…
しかし冒頭の3人は弱すぎですね…これからきっと強くなりますので! え?ならなくていいですか…?
今回も本編の設定やら台詞やら、ちょっと使ってみました。
アスラン、笑いすぎですか?
次のお話ではアスランが校章を受け取らなかった理由がわかる…予定です。
次回もアスカガで!頑張ります!