コーディネイターの校舎にある生徒会室。

ナチュナル・コーディネイター双方の生徒会役員が一堂に会したこの場所で、 アスランの声が朗々と響く。

立ち上がっているアスランの隣にちょこんと腰かけて、カガリはぼーっとしたまま、 その綺麗な声を聴いていた。





護り石







最初は自己紹介から始まった。

予めアスランが決めていた席に座り、その配置図が描かれたプリントを見ながらの自己紹介となった。

コーディネイター側からはアスランを筆頭にイザーク・ジュール、ディアッカ・エルスマン、

そして新入生のニコル・アマルフィの計4名。

ナチュラル側からはカガリを筆頭にキラ・ヤマト、トール・ケーニヒ、ミリアリア・ハウ、

サイ・アーガイルとカズイ・バスカーク、そして新入生のフレイ・アルスターの計6名、 総勢10名の新生徒会が発足したのだった。

だがこれを不満に思っているものは当然いる。

コーディネイターの3年生2人と、ナチュラルの新入生フレイ、

それにカガリとキラを除く他のナチュラル達も戸惑いを隠せないでいた。

一通りの自己紹介を終えてそれを口にしたのは、何もかもが気に入らないらしいイザークだった。

「おい、アスラン!」

「何ですか」

涼しい表情で答えるアスランに、イザークはキリキリと歯を食いしばった後、唸るように話し始めた。

「…この大所帯で、役員はどうするつもりだ?まず生徒会長が2人では…」

「いけませんか?」

やはりさらっと答えて、アスランは全員を見回した。

「俺は今の学園の状態で生徒会長を1人に絞るべきではないと思っています。

コーディネイターとナチュラルの融合が軌道に乗れば、 1人にする事も検討するべきだとは思いますが…」

「お前はそんな事が本当に可能だと思っているのか?」

再びイザークの横槍が入った。

椅子を引き、立ち上がりかけたカガリの目の前に、綺麗な手がすっと伸びてきてそれを制する。

「無理だと思いますか?」

アスランは逆に訊き返した。

イザークはふんっと鼻で笑った後、腕を組んだ。

「お前だって本当はそう思っているんだろう?

だから見ろ、 この座席の配置だってコーディネイターとナチュラル、真っ二つに別れて座らせているじゃないか」

「くっついてんのは生徒会長サン達だけだよね」

イザークの隣にいた浅黒い肌の男がクックッと喉の奥で笑った。

カガリは微かに頬を染め、俯いてしまった。

「…別に席替えをしても構わないですが…今日は殆ど顔見世だと伝えた筈です」

「席替えするなら俺、あの娘の隣がいいなー」

ディアッカが指差した先には、ミリアリアがいた。

突然の指名にミリアリアは目を丸くし、その隣にいたトールが反応を示した。

「何だと…!お前…」

「静かにしてくれないか」

アスランの静かだが、よく通る声に2人は黙った。

それでもトールは悔しそうにし、そしてディアッカの方は呆れたように笑いながら、 テーブルに肘をついた。

その様子を見てアスランが小さくため息を漏らす。

それを隣でちらりと見ながら、カガリは心の中で声援を送った。

自分が何かアスランの力になれればいいが、このところカガリは生徒会どころではなかった為、

今日なにをすればいいのかさえ分からない状態だ。

自分も生徒会長であるのに、全てをアスランに押し付けなければならない事に、カガリは 憤りを感じていた。

「自己紹介の後だが…生徒会が主催するものもそうでないものも含めて、今後の予定を伝えようと思う。

各自メモの用意を。書記はディアッカ…ではなく、ミリアリア・ハウ、君に頼んでもいいか?」

「あ、はいっ!」

突然呼ばれて、ミリアリアはすぐさま立ち上がった。

「俺も一緒にやってやるぜ〜」

制服のポケットに両手を突っ込んだまま立ち上がるディアッカにトールがきつい視線を向ける。

勿論そんな事はお構いなしに黒板へと向かうディアッカに、アスランが待ったをかけた。

「ディアッカ、君はこのノートに記録を」

ぬっと目の前に差し出されたノートに、ディアッカは体を仰け反らせながら不服そうな表情を見せた。

だが諦めたようにため息をつくと、渋々といった風に席に着き、素直にノートを開いた。



そうしてアスランが立てたであろう年中行事のプランが次々と発表されていく。

それはとりとめもなく話し合った、あの昼休みの会話に少し修正を加えただけのものだった。

カガリが深く考えずに出した案をアスランは出来る限り叶えて、 それを正式なプランとして決定していったのだろう。

カガリは自分の──公私に渡るパートナーを、心強く思って嬉しくなった。



逆に そのプランひとつひとつにいちいち反対を唱えるイザークに、カガリは苛立ちを募らせていた。

イザークは特に文化祭と体育祭の合同開催には激しく抵抗を見せた。

「準備に手間のかかる文化祭と体育祭を一緒に、しかもナチュラルと合同でだと…?お前、正気か!?」

「本気です」

一言であしらって、アスランは次のプランについて話し始める。

だがそれで納得するイザークではなかった。

そして納得していないのはイザークだけではなかった。

「合同でやるのは構わないけどさ、それを両方6月にやるってのは…無謀なんでないの?」

手にしたシャープペンをくるくると器用に回しながらディアッカが発言すると、 アスランはこちらにちらりと目を向けてきた。

──これは元々カガリが言い出した事だった。



この学園の文化祭は毎年6月、2日間に渡って行われる。

6月の第3週の月火にコーディネイターが、水木にナチュラル、という具合に。

ナチュラルはコーディネイターが使った機材や余りものを使わせてもらっている、というのが現状だ。

そして体育祭は毎年9月に、これもコーディネイター、ナチュラル別日程で行われる。

こちらは先にナチュラルが体育祭を行い、次の日にコーディネイターが、という具合だ。

文化祭と体育祭をコーディネイターナチュラル合同で、 というカガリの意見にはアスランもすぐに賛成してくれた。

だが、文化祭と体育祭を一緒に、という意見にはアスランも首を傾け、すぐには納得してくれなかった。



「生徒会を統合するからには年中行事も合同でやるべきだと思う。 そして今までの…無駄な時間の使い方を改めたいと思った。

そういうわけで、6月の合同文化祭には納得してくれたと思うが…9月に体育祭、 これではナチュラルに支障がでる」

「どうしてさ?」

アスランはディアッカを見ながら、口を開いた。

「就職試験は9月にある」

アスランはカガリが教えるまでその事実を知らなかったようだ。

ナチュラルも殆どの生徒が進学するが、一部の生徒は高校を卒業すれば就職する。

その就職試験が9月にあって、体育祭と重なるのだ。

だから、毎年9月にある体育祭を文化祭と6月にしてしまえばいい、カガリはそう提案したのだ。

そうすれば文化祭の準備と一緒にできる。

「そして3年生の皆さんはこれを済ませてしまえば心置きなく受験に専念できる」

「何っ!?」

イザークは椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり、ギロリとアスランを睨んだ。

「お前は…俺達を、生徒会から締め出すつもりか…?」

アスランは無表情のままイザークを見返して…小さく息を吐いた。

「ですからこの合同学園祭は最後の花道だと思って頑張って下さい…

まだまだあなた方に教えてもらわなければならない事がたくさんありますから」

ディアッカは大人しく口を噤んでいたが、イザークは何か言いたそうに唇をわなわなと震わせていた。

だが結局何も言わずに、ふんっと顔を背けた。

こうしてGS学園の文化祭と体育祭は「GS祭」として生まれ変わることが決定した。



「最後に…これは3年生の皆さんには関係ありませんが、修学旅行について」

昼休み、部室裏で2人きりで話し合った時にも、この事は散々話題に上がっていた。

今更行き先を変えるなんてムリじゃないか、もしできたとしても来年以降だろうな、

アスランとの会話でカガリはそんな結論を出していた。

だがアラスンの言葉にカガリは驚いて目を見開いた。

「今年からコーディネイターとナチュラル、同じ場所へ共に行く事になりました」

全員から、特にナチュラルの生徒会役員からざわめきが起こった。

その疑問を代弁するように、やはりここもイザークがアスランに詰め寄った。

「詳しく聞かせてもらおうか」

昨年、今の3年生の修学旅行は、コーディネイターはどこかの外国に10日間、

ナチュラルは国内の観光地に5日間、共に9月だった気がする。

コーディネイターの行き先についてまでは知らないが、

確かナチュラルは予算をオーバーして帰って来てから追加集金があったらしい。

それに伴って今年から修学旅行はもう少し近場の観光地になる…という噂があった。

だからナチュラルとコーディネイターの修学旅行先が同じになったと聞いて、 行き先が海外になるとはどうしても思えない。

アスランがどう答えるのか心配になって、カガリは顔を上げその表情を窺った。

するとアスランはちらりとカガリを見て、安心させるように小さく微笑んでみせてくれた。

「予算の関係上、今回からコーディネイターの修学旅行先はナチュラルと同じになる」

「行き先は何処なんだ!?」

全員が訊きたかった事を尋ねたのは、またしてもイザークだった。

アスランは一拍置いて、静かに言った。

「山登りと林檎狩り……」

「ふざけるなぁぁぁっ!」

バンッ、と机を叩いて立ち上がったのもやはりイザークだった。

行き先に驚くよりも、イザークの言動にみんなが注目し、驚いた。

「今まで海外でゆっくりのんびり出来ていた修学旅行が、

そんな子供の遠足みたいなものに変更になって コーディネイターが納得するとでも思っているのか!?

アスランッ!こんな事を発表すれば、俺達は全員リコールされる、間違いないぞ!」

「リコールされても全生徒の過半数には届かないでしょう。ナチュラルが大半を占める学園ですから。 安心して下さい」

「アスランッ!貴様という奴は…ッ!」

平然と答えるアスランに、 イザークの比較的色白できめ細やかな肌が、みるみるうちに真っ赤になっていく。

彼が山登りや林檎狩りに行くわけでもないのに熱心な事だ、とカガリは感心してしまう。

確かにコーディネイターには気の毒だが、 どちらにしろ自分達ナチュラルの修学旅行先は変わらないだろう。

ナチュラルがコーディネイターの行き先に合わせる訳にもいかないだろうし、そんな予算がある筈もない。

「俺も山登りと林檎狩りだけではあまりに酷いと思った。

だから先生方に交渉した結果…日程を1月末に変更、修学旅行はスキーにしてもらった」

今度はイザークを含む全員が呆然とアスランを見た。

勿論カガリもその1人だ。

スキーなら…

カガリはスポーツ全般は得意中の得意だ。

スキーはやった事はないが、やってみたかったもののひとつだ。 そして自分はきっと上手くやれるだろう、そう思った。

スポーツが嫌いな者もいるだろうが、 それでも山登りと林檎狩りよりはマシだと思う人の方が大半だろう。

「勿論、コーディネイターに行き先の変更を話す際は、こうなった経緯を聞いてもらう。 その上で納得してもらおうと思っている」

確かに「海外からスキーになりました」と言うより

「海外から山登りと林檎狩り、それを変更してスキーにしました」と言った方が反発が少ない気はする。

だがそれで本当にコーディネイターは納得してくれるだろうか。

「…俺は知らないからな…どんなに非難を浴びようとも、それは全部お前のせいだからな、アスラン!」

イザークの言葉にカガリは再びアスランを見上げた。

ああ、と頷くその表情は落ち着いているが、カガリは不安を隠せなかった。

アスラン1人が責められるのはおかしい。だって、自分も生徒会長なのだから…

咄嗟に立ち上がり、カガリはイザークをキッと睨んだ。

「非難されたら、私から何度でも話をするから…」

「バカか、お前は」

イザークの冷めた視線が、カガリを突き刺した。

心底バカにしたような、アスランとのやり取りで向けるものとは違った種類の眼差しだった。

「コーディネイターがナチュラルのお前の話を聞いて、言う事を聞くとでも思っているのか。

大体お前は何だ。生徒会長だと言ってアスランの隣に座っているだけじゃないか。 お前らナチュラルなど…」

「イザークッ!」

鋭い声に辺りがしんと静まり返る。

そう大きくもなかったのに、その声は何者をも黙らせる程の迫力があった。

「…今話した予定の殆どは彼女が計画した。それを実行に移したのが俺なだけだ。

俺から見ればイザーク、お前の方が何の役にも立っていない」

「アス…!」

カガリとイザークの声が重なったが、アスランは話を止めなかった。

「イザーク、それと他の役員もそうだが、 この決定が気に食わないなら生徒会を辞めてもらっても構わない。

俺はたとえ1人になっても、このまま…」

「アスランッ!」

カガリはぐいっとアスランの腕を取って、引っ張った。

そうやって黙らせて、カガリは初めて生徒会役員全員を見回しながら口を開いた。

「どんなにこの決定が気に食わなくても、役員は辞めさせたりしないっ!

それじゃあ意味がない。納得がいなかい者がいたら、私のところに来い。 納得いくまで何度でも話をするから…!」

全員がカガリを見つめる中、今度はくるりとアスランに向き直る。

「だからアスラン!お前は1人になんかならない、させない!私だってずっと…」

大きく開いてカガリを見つめていた緑の瞳が、嬉しげに細められた。

途端にカガリは我に返り、俯きながらゆるゆると掴んでいたアスランの袖口を放した。

「本日の報告は以上です。何か質問は?」

今までのやりとりが嘘のような、落ち着き払ったアスランの声に、全員がハッとした。

結局誰も一言も発さず、立ち上がったままのイザークも黙り込んだまま、時が過ぎていく。

「質問がないなら、今日はここまで。次の召集は連休明けになります。

日時も迫ってきているので、次回は学園祭について話し合いたいと思います」

誰も一歩も席から動けなかった。

ナチュラル達はお互い顔を見合わせながら、どうしたものかとボソボソ話し、

ディアッカとニコルは、立ち尽くしたままのイザークを窺うようにちらちら見ていた。

そのイザークは暫くアスランを睨み続けていたが、 大きく椅子を引いてさっさと部屋を出て行ってしまった。

扉を閉める音を大きく響かせながら──



生徒会室にいるほぼ全員が、すぐには動けなかった。

その中で、アスランだけは何事もなかったかのように、資料をトントンと机の上で纏めている。

そんな状況の中、一番に声を出したのは、意外にも新入生だった。

「──サイ!もう…ここから出ましょう!」

立ち上がり、周りの目を気にしながらも、眼鏡をかけた男の子の腕に縋りついている赤毛の少女に、

サイと呼ばれた少年は苦笑を向けた。

「でも…勝手にここから出ちゃだめだって先生に言われただろう?」

「だって!早くここから出たいの…だってここは…」

コーディネイターの3人を怯えた様子で代わる代わる見ながら、 フレイはますますサイの腕にしがみついた。

「もう少ししたら、フラガ先生がここに来るから…」

しがみつかれた腕を持ち上げ、腕時計を見ながら、サイは懸命に宥めている。

ふと気付けば、その様子をキラが切なげな眼差しでじっと見つめていた。

それを見てカガリがこっそり息を吐き出すと同時に、コンコンと扉を叩く音がした。

「どうだー?話し合いはうまくいったのかー?」

返事を待たずに開かれた扉から、ニヤけた顔が現れると、ずっと座ったままだったカズイは立ち上がり、

ミリアリアと一緒に黒板の文字を消していたトールが声を上げた。

「フラガ先生」

カガリとキラ以外のナチュラル達は一斉にフラガの元へと駆け寄って行った。

そういえば──カガリは少し前の出来事を思い出した。

彼らナチュラルがここへ来た時も今のような状態だった。

扉を開けて入ってきたはいいが、彼らはなかなかフラガの側を離れようとはしなかった。

カズイはフラガに対して、ここに残ってほしいとまで言っていた。

キラが1人輪の中から抜け出てアスランから座席のプリントを受け取って漸く、

彼らは渋々といった風にフラガの側から離れたのだ。

「おーい、キラ、帰るぞー」

輪の中からトールが呼びかけると、キラはびくっと肩を震わせた後、その輪の中に近付いていった。

「…群れなきゃ何も出来ない、ってか」

不意にカガリの耳に飛び込んできた言葉は、ディアッカが吐いたものだった。

彼はいつの間にかカガリの後ろに立っていて、アスランにノートを渡している所だった。

カガリはグッと拳を握って、唇を噛みしめた。

「おーい、カガリさん?帰るぞ」

フラガが呼んでいるが、カガリはあの輪の中に入りたくなかった。

顔を上げると、フラガを取り囲んでいるナチュラル達の顔がカガリに向いている。

早く来てよ、でないと帰れない。

全員がそう言っているように見えて、カガリは余計に立ち上がる事が出来なくなった。

「おいおい…お前なぁ、行きは勝手に飛び出して行ったんだから、帰りくらい…」

呆れたようにため息混じりの声で近寄ってくるフラガから、カガリは顔をそむけた。

「先生」

返事をしたのは、今まで黙って事の成り行きを見守っていたアスランだった。

カガリは咄嗟に顔を上げ、その横顔を見つめた。

「彼女とはまだ話したい事があるので、先に帰ってもらえませんか」

「しかしなぁ…」

困ったように顔を顰めるフラガに、アスランはきっぱりと言った。

「俺が責任持って彼女をここから出しますから」

顎に手を当て、暫く考えた後、フラガは小さく頷いた。

「仕方ないね。じゃあ頼んだよ。じゃあカガリさん、あまり彼に迷惑かけるんじゃないぞ」

カガリは立ち上がって、フラガをキッと睨んだ。

「迷惑なんかかけるかっ!とっとと帰れ」

言いながらカガリはホッとすると同時に、アスランの話というものが何なのか気になった。

生徒会に関する事なのだろうか、それとも──

カガリがボーッと考えているうちに、フラガ率いる一行は、いつの間にか部屋を出ていた。

視線を感じて目をやれば、そこにはニヤニヤ笑う褐色の肌の男がいた。

「な、何だよっ」

ディアッカは笑みを絶やさないまま、両腕を頭の後ろに回した。

「べっつにー。俺もそろそろ帰ろうかなー」

言いながらディアッカは、くるりと身を翻しながらも、ちらりとこちらを見てくる。

「ニコルも今日はもう帰って構わないよ」

「あ、はいっ!」

アスランの言葉に声をかけられた新入生は慌てて立ち上がるが、 それでも本当に帰っていいのか迷っているように見えた。

「やっぱり俺、ここにいようかなー」

ディアッカは相変わらず、部屋の中をぶらぶら歩き回り、ちらちらカガリを、アスランを見てくる。

カガリはそわそわと視線を彷徨わせ、なるべく目が合わないように顔をそむけていたが、

アスランの方は全く動じる様子もなく、ディアッカが書いたノートを見ながらぼそりと呟いた。

「俺が言った事を正確に書いていない箇所がいつくかある。残るのならこれを直して──」

「じゃっ!俺はニコルを連れて帰るわ。じゃーなっ!」

ここからのディアッカの行動は早かった。

座ったままだったニコルを立たせ、その手首を取ってぐいっと引っ張ると、 とっとと扉の向こうに消えていった。

そうして残されたのは当然──カガリとアスラン、2人だけだった。

途端にカガリの心臓がばくばくと踊りだす。

何とも居た堪れない気分になって、一刻も早くここを飛び出してしまいたい衝動に駆られるが、 本気でそうしたいわけではない。

カガリは自分の胸に手を当て、何度も深呼吸を繰り返した後、意を決してアスランに向き直った。

「アスランッ!は、話って…」

アスランはカガリを見てはいなかった。

ディアッカから戻って来たノートに何やら書き込みながら、形の良い唇を開いた。

「ああ…今日俺が話したプランの事だけど、カガリの了解をもらってなかったから…

本当にそれでいいか聞こうと思って…今更だとは思うけど、何か意見があれば…」

そっちか。

カガリはホッとした反面、がっかりしている自分に驚いた。

「そういえば」

どくん、とまた心臓が暴れる。

カガリは次に続くアスランの言葉をドキドキしながら待った。

「引き止めてしまったけれど、カガリはこの後、何も用事とかないのか?ゆっくりできる?」

震える胸を抑えながら、用事なんてない、と言いかけて、カガリは口を噤んだ。

「カガリ…?」

黙り込んでしまったカガリに、アスランは漸く手を止め、顔を上げた。

カガリは逆に俯いて、ぼそぼそと呟くように告げた。

「放課後は、父の所へ行こうと思っていたんだ…」

病院に行くと約束している訳ではないから、別に行かなくても構わないのだが、カガリは決めていた。

ウズミが目を覚ますまで、毎日病院へ通おうと──

今の今までその事をすっかり忘れていた自分が信じられなくて、カガリはキュッと目を瞑った。

その時、隣にいたアスランが突然立ち上がって、机の上を片付け始めた。

「だったら早く行ってあげないと…引き止めて悪かった」

カガリは慌てて顔を上げ、アスランの腕に触れた。

「いやっ、別に構わないんだ。少しくらい遅くなっても、どうせ父は目覚めてないし…」

そんな父の為にカガリができる事といえば、側で見守る事だけなのだ。

しかし自分で口に出すと、その事実が辛かった。

アスランの腕に額を押し付けるようにして俯くと、頭の上に大きな掌が乗っかった。

「それでも、側にずっと付いているカガリの想いは、きっとウズミ教頭に伝わっていると思うよ…」

くしゃくしゃと頭を撫でて、離れていく掌。

その手は次にカガリの肩にぽんと触れた。

「早く行った方がいいな。遅くなるといけないから」

優しく微笑むアスランの顔をぼうっと見ながら、カガリはこくんと頷いた。

しかし──ここを離れ難い。

カガリは立ち尽くしたまま、アスランが机の上を片付けていく様をぼんやりと見つめていた。

この部屋に来てから、自分は相当おかしい。

自分の気持ちを告白した後、その想いを通じ合わせてから、カガリはアスランの言動ひとつひとつに 目を奪われっぱなしだ。

今までこんな気持ちになった事はなかった。

告白する前でも、確かにそういう所はあったが、何かが違う。

ずっと逆上せているような頭でただぼんやりとアスランを見て、その声を聴いて──

「お待たせ。じゃあ出ようか」

ハッと我に返れば、アスランが目の前でカガリを見つめていた。

小脇に鞄を抱え、帰り支度を整えたアスランの笑顔が──

「あっ、ご、ごめんっ!私がいたらここ、締められないよな、すぐに出るから──」

自分がこの部屋にいつまでも残っていたら、アスランの帰りも遅くなってしまう。

だから早くここから出なくては。

来た時と同じく、走ってここを出ようとしたカガリの腕を、アスランの手が掴んで引き寄せる。

「ちょっと待てって」

何事かと振り向けば、慌てた表情のアスランと目が合った。

「一緒に出ればいいだろう?」

そう言えば──確かアスランはフラガに「一緒に出るから」と言っていたっけ──

カガリは自分の余裕のなさに恥ずかしくなって、俯いた後、小さく頷いた。

アスランの手は、カガリの腕から背中へと移動し、促すように軽く押し出してくれた。



いつも全力疾走していた廊下を、今は俯いたままゆっくり歩く。

肩が、腕が触れ合うか触れないかの距離にアスランがいる。

片想いの時よりも、心臓がばくばくいっているのはどうしてだろう。

「で、カガリ、今日話したプランで良かったか?何か気に食わない所とかなかったか?」

──なのにどうしてアスランはこんなにも普段通りなのだろう…

カガリは少し顔を上げ、ちらりとアスランを窺い見た。

いつも通りの表情。

あの時きつく抱きしめられたのも、必死に聞こえた告白も、 夢ではないのかとさえ思ってしまえるような──

「うん…あれでいいと思う…」

ぼそぼそと小声で呟いて、カガリは小さく息を吐いた。

実を言うと、アスランが生徒会室で語ったプランも、あまり頭に入ってこなかった。

あの銀髪の上級生──イザークとやらがイチャモンをつけた部分は覚えているのだが、

そうでない話は、はっきりいって全く覚えていない。

ただアスランの声が心地よくて、隣にいる事が嬉しくて──



2人の進む先に広い空間が広がり、そこにオレンジの淡い光が射し込んでいた。

もうすぐこの校舎の外へ出てしまう。

そこでアスランともお別れだ。

立ち止まりそうになってしまう足を、カガリは何とか進めていった。

昇降口に出て、アスランは自分の靴箱のある場所へと向かって行く。

カガリが立ち止まるとアスランはすぐ振り返って、微笑んで手招きしてくれた。

咄嗟に下を向いて、カガリはぱたぱたとアスランの側へ駆け寄った。



とうとうお別れの時がやって来た。

鞄は自分の教室に置いて来たので、今から取りに行かなければならない。

だがアスランはコーディネイターで、カガリはナチュラルだ。

ナチュラルの校舎にアスランは入れない。

カガリはアスランの隣から2.3歩前へ進み出て、くるりと振り返った。

「じゃあ…な」

何とか微笑を作ってみたが、力が入らなくて手を上げ振る事まではできなかった。

だがアスランはカガリに近寄って、微笑んだ。

「ここでカガリを待ってるよ」

カガリははっとして顔を上げ、アスランをまじまじと見つめ返した。

こんなにまっすぐアスランを見たのは、今日気持ちを伝え合ってから初めてだったかもしれない。

「待つ、って…一体…」

カガリは今から病院へ、そしてアスランは迎えの車に乗って自宅に帰る筈だ。

それともアスランは、この学園の教頭である自分の父の見舞いに行くとでも言うのだろうか。

アスランは微笑を絶やさないままで、1歩、カガリに近寄った。

「病院まで送っていくよ」

その言葉に、カガリは嬉しくなってぱあっと瞳を輝かせた。

だがすぐに思い直し、カガリは俯いた。

「カガリ…?」

「私、今日も自転車だから…」

病院でラクスと待ち合わせしていた昨日はどんな経路でも帰れるようにバスで通学したのだが、

今日はいつも通り、自転車でここに来た。

アスランはいつも迎えの車が来る筈だから──カガリを送っていく事は不可能だろう。

「あ…」

その事にアスランも今気付いたようで、眉根を寄せて顎に手を当てていた。

カガリはくすぐったくなる気持ちを抑えながら、アスランの目の前まで戻り、顔を上げた。

「送ろうとしてくれただけで嬉しい…ありがとう…」

言っているうちに段々照れくさくなって、語尾が小さく掠れてしまったけど、この気持ちは本当だった。

カガリはそっと手を上げて、体の横で小さく振った。

「だから…じゃあな。また…」

「だったら」

カガリの言葉を遮って、アスランは少し照れたような表情でじっとカガリを見つめてきた。

胸がどくん、と大きく音を立てる。

「校門前まで。いや、自転車置場まででも構わないから…」

ふいっと逸らされた顔が赤いのは、この夕焼けのせいか、それとも──

カガリは何だか嬉しくなった。ほわっと体が宙に浮いたような、そんな気分になった。

「うん。分かった。すぐに鞄取って来るからな。ここで待っててくれ」

そうと決まればカガリの行動は早かった。

くるりと踵を返すと、一目散に校舎へと駆けて行く。

それは早くアスランの元へ戻らなければならないという思いと、

ずっと2人きりでこうしているのが照れくさいのと、両方の気持ちがあったからかもしれない。

背中にアスランの視線を感じながら、カガリは振り向く事なく、校舎へと足を踏み入れた。

一刻も早く、彼の元へ戻る為に──



程なくしてカガリは息を切らしてアスランの目の前に立っていた。

「早かったな…」

目をまん丸にしているアスランの前で、カガリは顔を上げてにこっと笑った。

「待たせちゃ悪いと思って…」

それよりも早くアスランの元へ戻りたかった。

そんな事──本人にはとても言えなかったが。

アスランは丸めていた瞳を細め、嬉しそうに微笑んだ後、カガリの背に手を添えてきた。

どくん、とまたカガリの鼓動が騒ぎ始める。

「じゃ、早く行かないと…暗くなるし、きっと教頭先生も待ってる」

「う、うんっ」

咄嗟にカガリは素早く1歩前に出て、アスランの掌から逃れてしまった。

ずっと触れられていたら、心臓がどうにかなりそうだったから──

「こっちだっ!」

カガリは両手に鞄を抱えてくるくる回りながらアスランに呼びかけて、自転車置場へと向かっていった。

だが、そこに到着するまでの間、カガリは何を話していいのか分からなかった。

アスランもただ黙ってカガリの後をついてくるばかり。

昼休み、部室裏で飽きる事なく話をしていたのが嘘のようだった。

──こんなんじゃ、きっと愛想を着かされてしまう…

カガリは何か話題はないかと、自転車置き場までの緩やかな坂道を登りながらぐるぐる考えを廻らせた。

そして思いだした。

今回の礼を、まだ言っていなかった事を。

「アスランッ!」

カガリは立ち止まり、勢いよく振り返って坂の上からアスランを見下ろした。

アスランは穏やかな表情で、ただカガリを見つめていた。

「どうした?」

「あの…」

いつから自分はアスランに話しかける時、こんなに躊躇してしまうようになったのだろう。

ただ今日の生徒会召集やプランの取り纏めに対して礼を言うだけなのに──

アスランは小さく微笑んだ後、ゆっくりと坂を上り、カガリの前に立った。

そうして首を傾けて、そっと囁く。

「どうしたんだ?」

その優しい声にカガリは顔を赤くして顔を上げた。

坂道に佇む2人を夕陽が照らす。

本当に今が夕方で、そして晴れていて良かった、とカガリは心底沈みかけた太陽に感謝した。

ここからはカガリ自身が力を発揮しなくてはならない。

渾身の力を振り絞って、カガリは引き結んでいた唇を開いた。

「あのっ!今日は…いや、今日だけじゃない。ずっと前から…今日の事…というか、 生徒会の事考えてくれて…ありがとうっ!」

大声で叫んで、カガリはキュッと瞳を閉じた。

アスランからの返事は、ない。

自分は何かトンチンカンな事を言ってしまったのだろうか。

ぐっと拳を握りしめたまま、カガリはそっと薄目を開けて、のろのろと顔を上げていった。

すると夕陽に照らされたアスランの顔が見え、丸く開かれた瞳とばっちり目が合った。

「あ、いや…礼を言われる程の事じゃない、から…」

「そんな事ないっ!」

ゆっくり俯いていくアスランの顔を覗き込むように見て、カガリは大声を上げた。

「だって、私は最近、生徒会の事なんて頭になかった…!全部アスランに任せきりにして」

「仕方ないだろう、それは」

アスランの表情は、いつの間にか真剣そのものだった。

カガリはぼうっとして、ただアスランを見つめた。

「カガリには色んなことがあったんだ。仕方ない」

「でも!」

「折角生徒会長が2人いるんだ。俺を利用しない手はないだろう」

アスランは可笑しそうに笑って、軽くウインクしてきた。

普段アスランのそんな仕草を見た事がなかったカガリは面食らった。

──彼と、一緒に生徒会の仕事ができて、本当に良かった、 カガリ1人ではこうはいかなかっただろう──

本当に、彼と出会えて良かった。カガリは心底そう思った。

しかし──

「さっきのアスランの台詞、どこかで聞いた事あるような…」

呟くと、アスランはまた可笑しそうに笑って、カガリの肩にぽんと手を置くと、先に坂道を登り始めた。

「さ、早く行かないと。どんどん遅くなってしまう」

カガリは自分の手首にある時計を見て、慌ててアスランについて行く。

2人で追いかけっこのように自転車置場に到着すると、 カガリは自転車を押して今来た坂道を下っていった。

そこから校門前に黒い乗用車が停まっているのが見えた。あれは──

「ああ、そうだな」

カガリが尋ねると、アスランは静かに頷いた。

そこからは少し早足に坂道を下りて、2人は車のすぐ傍で一旦立ち止まった。

「じゃあ…な。気をつけて行けよ」

「うん…」

暫く向かい合って俯いて、結局それ以上は何も言えずに、カガリはアスランの脇をすり抜けた。

「あ…」

微かな声にカガリが振り返ると、アスランは何か言いたそうに口を開きかけて、だが結局首を振った。

「いいや…また来週、な」

「ああ…また、昼休み、な」

アスランの瞳が見開かれるのと同時に、カガリは自転車に跨りペダルを漕ぎ始めた。



病院までの道のりは、短かった。

カガリは妙に浮かれた気分で、薄暗くなった路地を自転車でとばしていた。

今までずっと悶々と過ごしていたのが嘘のような、霧が晴れ渡ったような気分。

同時に夢ではないか、とも思うのだが、それをすぐに否定できるだけの自信が、今のカガリにはあった。

生徒会室での凛々しい姿、会議が終わってからの優しいアスラン。

カガリの望みどおりに生徒会を導こうとしてくれているのが伝わってきたし、 自分を見る目が今までよりも──

思い出して、カガリは顔に集中してきた熱を追い払うように首をぶんぶんと振った。

こんな顔のまま、お父様の所へは行けない。

もっと気を引き締めるべきだ。

夢のようなアスランとのひとともき現実ならば、これから見る父の姿もまた現実なのだから。

カガリは緩みっぱなしだった口元をきゅっと引き結び、ペダルにこめる力を増した。



駐輪所に自転車を停め、病院内へ入っていく頃には、カガリの表情は緊張に支配されていた。

目覚めた、という報告は今日もなかった。

自然とカガリの足取も重くなる。

だが、ウズミの病室の前に辿り着くと、ぼそぼそと小さな話し声が耳に届いた。

いつもはきっちりと閉まっている扉が、ほんの少し開いていたのだ。

そして声は2種類──大人の男の声。

1人はGS学園の教諭、キサカ。

そしてもう1人は──



「──…アスラン・ザラ…」

途切れ途切れに聞こえてくる父の声で、今しがた別れた少年の名前を耳にして、

嬉しくて病室に飛んで入ろうとしていたカガリの動きは、ぴたりと止まった。



目覚めたばかりの父が、何故アスランの名を──?

カガリは咄嗟に、扉の影に身を潜め、耳をすませて2人の会話を聞き取ろうとした。

立ち聞きなんていけない、という思いが頭を掠めたが、

明かりもつけずに話をしている2人の間に割って入れるような雰囲気ではなかった。



「では、貴方はカガリに頼まれて、それを調べていたのですね…?」

「…そうだ」



自分の名が出て驚いたが、カガリは声を上げる事も、身動ぎする事もなく、言葉の意味を考えた。

自分が父に頼んだ事といえば──



「証拠を掴む直前で…」

「貴方は撃たれた、その犯人に。その人物を…」

「ああ、見た」



大きな音を立てて扉を開き、カガリは部屋の中へと押し入った。

驚いて振り返っているキサカと、自分を静かに見つめる懐かしい父の姿を めいいっぱい開いた瞳で見つめながら、

カガリは戦慄く唇を開いた。

「お父様は…私のせいで…それに、撃った犯人も…!」



軽々しく父に頼みごとをしたのは自分だ。

『アスランのお母さんを轢いた犯人が、学園関係者にいるらしい。 暇な時でいいから、探してやってくれませんか?』

『ナチュラルの出身者なんだって。何でそんな条件が分かっているのかは知らないけど…』

『揉み消されるなんて事、本当にあるのかなぁ?』

アスランに話を聞いたその日の夜、食卓でそんな風に持ちかけた。

そう頼んだものの、カガリはそんな事、すっかり忘れてしまっていた。

何か分かれば報告してくれるだろう。

でも父も忙しい。

ずっと探しているアスランが見つけられないのだから、 そう簡単に犯人が判明するとは思ってもみなかった。

だが結果は──



「カガリ」

恐らく今日、目覚めたばかりなのだろう。

いつもとは違う、力ない父の声に、カガリは涙で潤んだ目を向けた。

だがいつもと同じ、力ある父の眼差しに惹かれるように、カガリはふらふらと傍らに近寄っていった。

ゆっくりと腕を伸ばして触れてくる、父の手。

それはとても温かくて、カガリの瞳からとうとう涙が一筋、溢れた。

「…今聞いた事は、誰にも、言うな」

「お父様…!」

信じられない言葉に、カガリは納得できずにぶんぶんと首を振った。

涙の雫が、ふたつみっつ、カガリの頬から弾け飛ぶ。

「カガリ、聞きなさい」

カガリの手を優しく包んでいた大きな手に、力がこめられた。

キュッと閉じていた瞳をゆっくり開いて、カガリは滲んだ視界で父の顔を見た。

「確かに私は犯人の顔を見た」

カガリはほんの少し開いていた唇をキュッと引き締め、父の言葉を待った。

「だが…今、私が真実を話しても…多分、結果は同じだ」

アスランのお母さんの時のように、揉み消される、のだろうか。

カガリの胸に、現しようのない怒りがこみ上げてくる。

人を殺めて、殺めようとして、のうのうとしているだろう犯人に。

「ではお父様はこのまま泣き寝入りすると!? この先は狙われないという保障などないではありませんか!」

逆に顔を見られた犯人は、今度こそ父を殺すかもしれない。

「カガリ、落ち着きなさい」

いつの間にかカガリの手は、大きな両手に包まれていた。

優しく細められた眼差しは、まっすぐとカガリに向けられている。

それだけでざわめく心が穏やかになっていく。

「勿論泣き寝入りなどしない。私にも考えがあっての事。だから──」

「私にも犯人の名前を教えて下さい!」

ウズミは一瞬目を見開いた後、それをゆっくり閉じ、首を振った。

「お父様!」

訴えるように声を上げても、開かれない瞳。

それだけでウズミの意思は伝わってきた。

だがカガリには納得できない。

「勿論誰にも言いません!だから──」

「アスラン君にもか?」

いつの間にか射るように見つめらていた。

カガリは僅かに体を引き、言葉をつまらせた。

「犯人を知って、じっとしていられる性格ではないだろう、お前は」

生まれた時からずっと一緒だったのだ。

父は正確に自分を理解し、把握している。

カガリは俯いて、小さく諦めの息を吐いた。

そして考える。

自分の事を調べられ、その正体に気付かれそうになると凶行に及ぶ犯人。

ならば──いつかアスランも、お父様のように──

「お父様!」

カガリは勢いよく顔を上げ、じっとウズミを見つめると、その側から離れた。

ベッドを回り込んで、その傍らに置かれた棚の引き出しから取り出したものは──

「これを、お預かりしてもいいですか!?」

父を護ってくれるようにと、カガリが家から持ってきたもの。

ウズミが頷くと、カガリは病室を飛び出した。

廊下を走って思い切り怒鳴られたが、それでもカガリは走り続けた。







「カガリと彼とは、引き離した方がいいのではないですか?」

カガリが病室を飛び出し暫くして、キサカは呟くように問いかけた。

だがウズミは静かに首を振った。

「あれは聞き入れんだろう」

それはキサカにも分かっていた。

だが自分の正体を知っている男の娘と、自分を捜している少年が一緒にいる事を、 犯人はどう思うだろう。

「あの2人は学園を変える。一緒にいる事で、きっと──」

それ以上、この事に関してウズミは何も言わなかった。

キサカもそれ以上は問わなかった。







自宅へ戻ったアスランは、広いベッドに鞄を放り投げ、その隣にぼすんと身体を沈めた。

両手を組んで顔の上に乗せ、そっと目を閉じて、今日あった出来事を反芻する。



──信じられない──



何もかもが夢のようで、でも夢じゃない、現実だ、と思う。

まだ自分でも自信が持てないが、あれは全部本当にあった出来事だ。



カガリが俺を──



背中越しに感じたカガリの柔らかさ、そして温もり、そして、告白。

それを思い返してこそばゆくなって、アスランは体を横に向けて背中を丸めた。



会議中、ずっと隣にいたカガリに意識を奪われないよう、平静を装うのに精一杯だった。

そんな自分は、カガリの目にどう映っていたのだろうか──



会議が終わって、どうしても彼女と2人きりになりたくて、素早く考えを巡らせた。

相当浮かれていたせいだろう、現在のカガリを取り巻く状況をすっかり失念していて、 少し落ち込んだけれど。

少しでも長く、カガリと一緒にいたくて、それを彼女も拒む事なく、それが幸せで──

別れ際、明日の予定を尋ねてしまいそうになって、アスランは寸でのところでそれを抑えた。

彼女は今、大変な時なのだから──と、自分に言い聞かせた。



ずっとあの場所で独りで過ごした昼休み。

きっとこれからは毎日2人で──



もぞもぞと体を動かすと、硬いものが指先に触れた。

先程投げた鞄を引き寄せて、アスランはそれを胸に抱いた。

「──カガリ…」

まったく違う感触を持つカガリを想いおこしながら、 アスランは愛しい少女の名を声に出した。



と、微かに胸の中で震える感触があった。

正確には鞄に入れていた携帯電話が着信を告げているのだろう。

昂った感情に水を差されて、アスランは仕方なく腕の力を緩め、鞄の中を探った。

滅多に着信などないというのに、こんな時に限って──

アスランは連絡を寄越してきた相手に対して、心の中でこっそり愚痴を言った。

だがそれもほんの数秒。

未だに震え続けるそれはメールではなかった。

『公衆電話』の表示に一瞬放置しようか、と考えて、結局それも出来なくて、 アスランは通話のスイッチを押した。

「…はい」

『アスランッ!』

耳に飛び込んできたのは愛しい彼女の切羽詰った声。

アスランは咄嗟に身を起こした。

「カガリ?」

何故彼女が電話を──?と考えて、そういえば、と思い起こす。

カガリには教頭が手術中の時、病院で伝えた。

もしかしたら彼女の父である教頭の身に──?

アスランはカガリの声に、不吉な予感を巡らせた。

「どうした、何か──」

『お前の家は?』

そうではなかった。

だがカガリの言葉の意味を掴めなくて、アスランは訊き直した。

「え、俺の家って…」

『確かプラント町だって以前聞いた筈だが』

「ああ…」

前に──もうかなり前の出来事のように思うが、実際には半月程前、昼休みにあの場所で、 そんな話をした事があった。

「そうだけど、それが…」

『今、ヤキン公園の前にいるんだが』

「え?」

それはプラント町のはずれにある、比較的広めの公園だった。

病院に行った筈のカガリが、何故そんな所に──

慌てるアスランに、カガリは更に驚きの言葉を投げ掛けてきた。

『ここからお前の家まではどうやって行けばいい?』

「え?」

俺の家、って──カガリが?

アスランは驚きのあまり言葉を失った。

だがカガリはそんなアスランに気付きもせず、早口で話を続けた。

『ここから近いのか?とにかくお前の家までの道のりを説明して欲しいんだけど。 ここからどうやって行けば…』

「…遠くはないけど…」

ぼそりと呟いた後、アスランはハッとしてベッドから降りた。

こんな所でぼーっとしている訳にはいかない。

「俺がそっちに行くよ。その方が早い」

『いや!でも…』

「公園の入口の公衆電話だな?そこで少しの間待っててくれ。すぐに行くから」

『アス──』

アスランは通話を切り、携帯電話を握りしめたまま部屋を飛び出した。

そのまま玄関まで走り、靴を履くとあとは全速力でカガリの元に向かった。

何故カガリがここに来ようとしているかとか、そんな疑問はアスランの頭から飛んでいた。

ただ、カガリに会う為に、アスランは彼女の待つ公園へと走るだけだった──



「アスラン──!」

すっかり太陽も沈み、暗くなった中、街灯だけが公園の入口で佇むカガリを照らしていた。

アスランは最後まで足を止める事なく、カガリの側まで走りきった。

「カガ…!」

名前を呼び終えるよりも先に、カガリはアスランの胸に飛び込んできた。

不意に訪れた柔らかな感触に、アスランは硬直しながらも、何とか腕を動かして肩に添えた。

「カガリ…?」

一体どうしたのだろう。

アスランは戸惑いながら、尋ねた。

「…ウズミ教頭に、なにか…?」

アスランの胸の中で、微かに首を振る感触の後、小さな呟きが聞こえた。

「父は…目覚めた」

驚きと喜びに目を見開いて、アスランはカガリの背に手をまわし優しく撫でた。

「そうか…良かったな…」

なのにカガリ顔も上げず、ずっとアスランの胸にしがみついたままだった。

「──カガリ?」

名前を呼ぶとようやく、カガリは顔を上げた。

父親が意識を取り戻したというのに、カガリは何故こんなに悲しそうな顔をしているのだろう──

「…アスラン…」

カガリはアスランの胸に添えていた手を、肩に移動させ、ぐいっと力をこめてきた。

それに逆らう事なく、アスランはカガリと目線を合わせた。

暗がりの中でも分かる、哀しみを湛えた瞳の理由が、アスランには解らない。

尋ねようとするよりも前に、カガリの手がアスランから離れ、そしてすぐまた戻って来た──

「え…」

カガリのポケットから取り出され、今アスランの首にかけられたもの、 それは小さな紅い石がついた首飾りだった。

「ハウメアの護り石だ」

「ハウメア…の、護り石…」

『ハウメア』という単語も『護り石』という言葉も、初耳だった。

先程までカガリが縋っていた胸に、今は紅い石がある。

アスランはそれに手で触れて、目の前に掲げた。

「私の生まれ故郷で採れる石なんだ…それ、アスランに…」

「…どうして?」

純粋に、カガリからこうやってプレゼントされるのは嬉しい。

だが病院から直行してまでわざわざ今、渡さなければならないものなのだろうか。

「アスランに、持っていてほしいから…」

ちゃんとした理由にはなってないが、今のカガリに問い詰めようとは思わなかった。

自分達にはこれからいくらでも時間がある。

カガリが元気を取り戻したその時、ゆっくり話を聞けばいい──

「…ありがとう」

アスランは微笑んで、囁くように言った。

そこでようやく、カガリも微かに笑ってくれた。

それだけで、アスランの胸がふわりとあたたかくなる。

「呼び出して悪かったな。お前のうちまで送るから…」

「いいよ!そんなの…!」

自転車の側に駆け寄るカガリをアスランは呼び止めた。

「それよりも、もう暗くなってしまったから、早く帰った方が…」

一瞬、自分が自転車に乗って送って行く事も考えたが、 それではカガリが納得しないだろう。

「私もお前を送ってやる!」と言ってついて来られてしまう事もありうる、 アスランはそう考えた。

カガリは話を聞いているのかいないのか、 自転車を押してアスランの側まで来ると、きょろきょろと辺りを見回した。

「で、アスランの家はどの方向だ?」

「カガリ!」

「折角来たんだ。ここからそう遠くはないんだろう?だったら…確認したいじゃないか」

俯いて恥ずかしそうにそんな事を言われてしまっては、アスランも降参するしかなかった。

こっそり息を吐いて、アスランはカガリの肩にポンと手を置いた。

「…分かった。じゃあついておいで」

早く帰した方がいいのは分かっているけれど── もう少し、カガリと一緒にいたいのも事実で──

「うん!」

カガリは嬉しそうに頷いた。

街灯に照らされた2人の影が、薄く、長く伸びていった。



「じゃあ…ウズミ教頭はもう大丈夫なんだな」

家までの道程で、アスランはカガリに病院での話を聞いていた。

「ああ…元気そうだった」

だがその割にはカガリに元気がない。

何だか歯切れも悪いように思う。

少し気になったが、アスランはそれにはあえて触れず、先程から考えていた事を口に出した。

「だったら…明日、お見舞いに行っても構わないかな」

「えっ…」

カガリはびっくり顔した表情をアスランに向けた。

想像通りの反応に、アスランは苦笑を浮かべた。

「実は生徒会の事で、ウズミ教頭に相談していて…だからそのお礼と報告をしたいと思っていたんだ」

「そうだったのか…」

やはりカガリはウズミから聞いていなかったのか、と彼女の反応を見てアスランは思った。

「できればカガリと行きたいんだけど…いい?」

「え」

俯いて歩いていたカガリは再びアスランに顔を向けてきた。

それがみるみるうちに赤く、染まっていくのが暗がりの中でも分かった。

そして、自分の顔も──

「…うん」

視線を落としながらも、頷いてくれたカガリを見て、 アスランは幸せな気分に包まれた。



「じゃあ朝10時にプラント駅で。私はそこまでバスで行けるから…」

「っくしゅん!」

カガリの声を遮ったのはアスランのくしゃみだった。

ずっと我慢していたのだが、とうとう堪えきれなくなったのだ。

「どうした?寒いのか?」

「いや…」

心配そうに見つめるカガリに首を振って、アスランは微笑んだ。

家から薄着で全速力で駆けて公園まで来た時に、かなり汗をかいた。

それが冷えてきたのか、少し寒さを感じているのだが、それはカガリには黙っていた。

心配そうに自分を見るカガリに微笑みながら、アスランは誤魔化すように顔を上げ、指さした。

「ほら…着いたぞ」

いつの間にか、2人はアスランの自宅前にいた。

カガリは物珍しそうに、周りの住宅と比べて一回り大きな住居を見上げていた。

「ここだな…うん、覚えた」

2人は並んで、しばらく明かりのついていない家を眺めた。

自分の家を外から見るのはあまり好きではなかった。

形だけ整った、からっぽの家だという事は自分が一番良く知っているから。

でもカガリが笑って隣にいるだけで、 今までとは全く違う印象を持つことができるのは何故だろう──

「じゃあまた明日」

「…うん」

カガリは自転車を押しながら方向転換をして、アスランを振り返ってきた。

しかし玄関の明かりが照らし出したその表情は──何故だか硬いものだった。

「カガリ…?」

「…おやすみ」

小さく呟いて、カガリは振り返ることなく行ってしまった。

その直前、カガリのくちびるが『ごめん』と動いたように見えたのは、アスランの気のせいだろうか──








あとがき

お…お待たせしましたっ!やっと終わりました…このお題は。 何ヶ月かかったでしょうか…8ヶ月くらい?
「護り石」が出てくるまで長かった…!
この間、続きを書く時たまに読み返しては…自分でちょっとこっ恥ずかしかったです;
さてさて、次はデートです!

06.04.02up