早朝。

まだ仄暗く校舎を照らす太陽が雲の隙間から見え隠れする、そんな朝。

そんな静かな、夜明け前に響いた1発の──








週が明け、カガリと会わなくなってそろそろ1週間が経とうとしていた。

昼休みの度、やはり姿を現さない事に落ち込んだりもしたが、 アスラン自身はそれなりに忙しい日々を送っていた。

そのお陰で、カガリに会えない事に対する落ち込みを忘れる事ができていた。



そんな時、コーディネイターばかりが集う校舎内で、俺はまず聞く事のない名前を聞いた。

カガリの名だった。

正確には「アスハ」という名だったが。



俺は反射的に立ち止まり、その名を発した人物を信じられない思いで凝視した。

その人物も俺の視線に気付き、すっと顔をこちらに向けてきた。



「やあ、おはよう。アスラン」

「おはよう」



俺は挨拶も返さずにつかつかと彼らの前まで歩み寄り、小声で、しかしはっきりと尋ねた。

「…先程先生方が話されていた会話の内容についてですが…」

アデス先生が驚きの表情を見せるが、クルーゼ先生は涼しい顔で俺をじっと見つめている。

何かいいかけたアデス先生を手で制して、クルーゼ先生は俺に向き直った。

「…先程の話とは?」

俺は少しイライラして、更に問いかけようと一歩前へ出た。

が、クルーゼ先生は俺の気を削ぐかのようにふいっと顔を背けて再びアデス先生を見た。

「先生、私はアスランと話がありますので、先に職員室へ戻っていてくれますか?」

「あ、ああ…では、任せました」

少し落ち着きのない仕草でアデス先生は俺達の側を離れていった。

残されたのは俺と、仮面をつけた先生のみ。

俺は再び真偽の程を確かめようと口を開いた。

「今、アスハ教頭のお話をされてませんでしたか…?」

クルーゼ先生は表情をぴくりとも変える事なく、小さく頷いた。

「ああ。そうだが」

俺は両手をグッと握りしめて、表情の読めない先生を睨みつけるように見つめて、更に尋ねた。

「アスハ教頭が…病院にいる、と。そして、手術中だ、と…」

俺の言葉で漸くクルーゼ先生の表情が少し動いた。

口元だけに少し笑みを浮かべる。

「聞いていたのか…仕方ないな。他の生徒には内密にな」

「それは…!一体どういう事で…いえ、その病院は」

「アスラン」

低い、重い声でそう呼ばれ、俺は咄嗟に口を閉じてしまった。

しかし、視線だけは動かさない。じっとクルーゼ先生に向けたままだった。

「それを聞いてどうするのだね?まさか授業をすっぽかして見舞いにでも行くつもりか」



確かに俺はここの生徒だ。

本来なら授業を受けなくてはならない。

だが──教頭が、カガリの父親が、どういう状況だか気になったし、もしも危険な状態ならば──



「君は確かにこの学園の生徒会長だがね。そこまでする必要はない。 それに、最近君は何度か授業に出ていないね。生徒会の仕事が忙しいのはわかるが。 とにかく教頭の容態は君には関係ないだろう。そんなに見舞いに行きたければ 授業が終わってからにしなさい。いいね?」

クルーゼ先生が労わるように肩にそっと手を置いてくる。

だが俺は徐々に俯き、歯を食いしばりながらじっと足元を見つめていた。

先生のいう事が正しいのはわかる。

だが──このまま何もわからないまま授業を受け続ける事は、拷問にも等しかった。

じっと、していられない。



黙ってしまった俺の肩にに、もう一度ぽん、と手を置いて、クルーゼ先生は職員室へと戻って行く。

廊下にも徐々に生徒が集まってきていた。

暢気そうなざわめきを鬱陶しく思いながら、俺は先生が廊下の角を曲がって消えていくのを待った。

そして──

俺は走って校舎を抜け出した。



こちらではだめだ。そう思った。

まずは保健室へ行って、あの先生に尋ねるしかない。

それでも詳細が解らなければ──ナチュラル側から訊くしかない。

こうなったら四の五の言ってられない。

今この瞬間にも、カガリが泣いているかもしれない──そう思うといてもたってもいられない。

外を上履きのまま走って、保健室の扉が見える場所まで近付いたその時、見覚えのある人物が そこから出てくるのがわかった。

それは俺が今この学園の中で一番会いたかった先生だった。



「──先生っ!」

顔は覚えているが名前を失念してしまっていた。

それでも目的の男は振り向き、妙に親しげに片手を上げた。

「やあ。確か君は…」

「訊きたい事があるんです!」

俺や先生の名前などどうでもいい。

今一番尋ねたい事を、そしてその答えを聞けば。それだけでいいから。

「何だい?コーディネイターの君がナチュラルの俺に…」

「教頭の居場所を教えて下さい!」

それだけ言うと、俺はじっと先生を見つめた。

「…教頭室だと思うけ」

「どこの病院ですか」

つまらない問答に時間をかけるつもりはなかった。

目を丸くしたまま、くだらない嘘を吐き出す男に、俺はさらに問いかけた。

暫く息を詰めたようにして黙り込んだ後、男は大げさにはあっ、とため息をついた。

「…どこで聞いたの?そんなデタラ」

「本当の事を聞くまで先生を解放する気はありませんから」

相手がナチュラルの先生だからだろうか、俺はクルーゼ先生の時よりは明らかに強気な態度に出られた。

男は更にはあっと息を吐き出して、情けない声音で呟いた。

「…それを聞いてどうするの」

自分の中で答えはもう決まっていたが、それを学園の先生であるこの男に言うわけにはいかなかった。

だがきっと、この男は俺がどうするのか、解ってるのだろう…

「…ん〜…じゃあ…これは俺の独り言だから。…この近くにクサナギ病院ってあるん…おい、コラっ!」



それさえ聞けば充分だった。

俺は全速力で校門に向かって走り出した。





学園から病院までの距離は大してない筈なのに、俺にはとても長い距離のように思えた。

数週間前にカガリに見送られた私鉄の駅のホームに着いてもすぐに電車は来ない。

イライラしながらホームをウロウロしていると、のんびりと電車の姿が見えてきた。

ドアが開くと同時に飛び乗って、ガラ空きの椅子にも座らず窓の外を、進行方向を見る。

やはりのんびりと動き出す電車に再びイライラしながら、 それでもこれに乗って行くのが一番早いのだと自分に言い聞かせた。



流れる景色を瞳に映しながら、頭の中では1人の少女の泣き顔しか浮かんでこない。

カガリ──君は今頃、泣いているのだろうか──

今はまだ姿の見えない少女を想って、何も出来ない自分がもどかしくて、 俺は思わず電車のガラス窓を硬く握りしめた拳で叩いた。

早くこのドアを開けて、俺をカガリの元へ行かせてくれ──!



漸く電車が止まり、今度はドアが開くと同時に飛び降りた。

走って改札を抜け、そのままの勢いで白い大きな建物を目指して走り出す。

いつまで走っても辿り着けないような錯覚に陥りながらも、やっと病院の入り口まで辿り着いた。



自動ドアの隙間に体を滑り込ませるように入って、そのまま受付窓口に縋りつく。

「病院内は走らな…」

「アスハッ…!アスハ、教頭は…!」

息を切らせて咳き込みそうになりながら何とか尋ねると、それだけで誰の事か分かったのだろう、

少し身体を仰け反らせつつ、小声だがしっかりした声で、看護師さんは答えてくれた。

「生徒さんね?…先生なら、この通路の奥の部屋で手術中です。あ、走らないようにね…」

俺は軽く頭を下げて、スリッパを履かないまま、通路の奥に早足で向かった。



暗く全く陽の射さない冷えた廊下に、小さく佇む影を見つけたのは 『手術中』のランプを見上げた直後だった。



廊下にある椅子に腰掛ける事もせず、壁際に立ち、自分の足元を睨むように見つめている。

その表情の全ては金髪に隠されて見えないけれど、いつもは輝いて見える瞳は 深い哀しみの色に染まっていた。

少しでも触れたら、崩れてしまいそうに脆く見えた。



「ッ、カガリ──!」

名を呼ぶと同時に俺は駆け出していた。

弾かれたように顔を上げ、驚愕の表情で俺を見たままぴくりとも動かないカガリを、 俺は両腕を廻して抱き寄せた。

すっかり冷え切った身体が痛々しくて、さらに強く抱きしめたその瞬間、激しい抵抗にあった。



その態度に怒りを覚えた。

何故こんなにボロボロなくせに逃げようとするのか。

俺じゃ君の力になれないのか、いや、そんな事はない。そう思いたくは、ない──



逃げを打つ細い身体をめいいっぱいの力で引き寄せて、閉じ込める。

それでも何とか逃れようと身体を捩りながら、カガリは小さな声で訴えてくる。

「──はなして…」

「いやだ」

低い声で即座に返して、再び力をこめて抱き寄せる。

尚もカガリは抵抗を続けながら、懇願するように言葉を紡いでくる。

「…お願いだから…頼むから…ッ!」

「離さない、絶対」

涙声になるカガリの頭を自分の胸に引き寄せて、その髪に顔をうずめる。

「こんな君を、放っておけない。絶対、離さないから──」

言い聞かせるように決意を語ると、しばらくしてカガリは身体の力を抜いて俺に寄りかかってきた。

徐々に大きくなる嗚咽に胸を痛くしながら、俺はほんの少しだけ腕を緩めて、 宥めるようにカガリの頭を、背を優しく撫でた。









あとがき
前回のあとがきで「早く続きが書きたいわ」などと言いながら約1ヶ月かかりました…
書きたかったはずなのに、凄く書きにくかったです。特に後半。 カガリ視点にするか、アスラン視点にするか、てのにも迷いました。
次のお題はカガリ視点でいこうと思います…

05.01.05up