いつもの場所






私は泣き止んだ後もキラの胸に顔をうずめたままだった。

顔を上げれば見たくない光景が瞳に映る。それがイヤだった。

それに、キラの腕の中は何だかとても安心できた。



しばらくキラにしがみついていた私は、半ば無理矢理病院に連れて行かれた。



病院になど行くつもりは全くなかったが、キラが許してくれなかった。

その際アスランやラクスも一緒に、と言い張ったが、それはキラが断った。

彼らはコーディネイターだ。そう何時間も授業をさぼれない。

それにラクスは久々の登校だ。



それでも2人はキラに『一緒に行く』と訴えた。

その言動は嬉しく思えていい筈だが、今のカガリには苦痛で、胸が苦しくて──

“こいつら、やっぱり、仲、いいんだな”などと考えてしまい、カガリの心は沈んだ。



ずっとキラにしがみついたまま歩きにくい体勢で保健室を出る。

その後に2人がついてくるのがわかる。

とにかく──この2人の気配を感じない所へ行きたかった。

それが病院でも牢獄でも、彼らが来ないのであれば喜んで──



帰宅したのは夕方だった。



病院で治療を受け、少し縫ったが大した事はなかった。

私は送っていくと言い張るキラを振り切るように、1人で自宅へ戻った。



静かな家。



父は最近帰りが遅い。

マーナがいる筈だが、今は姿が見えない。買物にでも行っているのだろうか。



私は居間に入ってふかふかのソファにぽすん、と体を埋めた。

大きく首を反らして意味もなく天井を見上げる。



──疲れた。

何だかとっても長い1日だった。



朝、あんなに晴れ晴れとした気分でここを出たのに、帰ってきた今は最悪だった。



今まで、恋など──興味がなかった。



クラスの友人達が何組の誰々がカッコイイだとか、ワイワイ騒いでいるのを横目で見ながらバカにしてた。

そんな事より、この学校のあり方にずっと疑問を抱いていたから。

何故彼女達はそっちを気にしないのだろう。どう考えてもこの学校は不自然じゃないか。

口に出してそう諭したこともある。

でも彼女達はケタケタと笑ってこう言うのだ。

「だって、しょうがないじゃない。3年我慢すればいいのよ」

「コーディネイターの男の子と知り合いになれるのなら、真剣に考えるけどね」

「今んとこ、ナチュラルの男の子で満足してるし」



そんな自分がコーディネイターの男子と知り合って、友達になって──

たった2週間で恋に落ちるだなんて、思いもしなかった──

しかも気付いた途端、失恋だ。



「ふ…ふ。は、ははは…」

涙の代わりに渇いた笑いが漏れる。

目を閉じれば、濃紺の髪で緑の瞳の少年が浮かぶ。

こんな風に自分がなってしまうなんて、本当に信じられない──



「…あの…カガリ、さま…」



いつの間に帰って来たのか、おずおずとマーナがカガリを呼ぶ。

ゆっくりと首を巡らせてマーナを見たカガリは、 その後ろに立つ少女に目を奪われた。

ピンクの髪を持つその少女の顔は、穏やかな笑みを湛えて軽く頭をさげた。



夕陽が差し込むだけだった暗い部屋にあかりがつけられた。

私は汚れた制服のまま、正面のソファに少女がゆっくりと腰をおろしていくのをぼんやり見ていた。



「それではお茶でもお入れしましょうかね」

マーナの声が普段よりも高い。

それはそうだろう。

いつもはブラウン管の中にいる国民的アイドルが間近にいるのだ。しかも生で。

私は何も答えずに、ただ目の前の少女の顎のあたりを見ていた。

「どうぞお気遣いなく」

そう言ってマーナに微笑む姿はやはり綺麗で、優雅で、品がある。

マーナは暫し見惚れた後、ハッとしてそそくさとキッチンへ姿を消した。



「カガリ…さん?突然お訪ねして申し訳ありませんでした」

マーナが消えた後すぐ、少女はまっすぐ私を見て申し訳なさそうに口を開いた。

「いや…」

掠れた声で私は何とか声を出す。と、思い出した事があった。

私はスカートのポケットの中から固くなったものを取り出した。

自分の血がこびりついた元は白かったハンカチ。それを見た瞬間、こんなモノを彼女に見せるなんて…と 後悔した。

が、目の前の少女は全く顔色を変えず、じっと私とハンカチを見ていた。

ヤバイと思ってハンカチはすぐに自分の膝の上に隠して、少女から見えないようにした。

「これ…汚してしまって、ごめん。新しいものを買って返すから…」

「その必要はありませんわ」

キッパリとした声が部屋に響いた。カガリはその声に導かれるように顔をあげ、少女を見た。

「そのハンカチを、そのまま返していただければそれで構いませんわ」

「そういうわけにはいかない!これをこのまま返しても、もう使えるようなモノじゃない…」

「それはわたくしが貴女の為に勝手に使ったものです。ですから」

そう言って細く白い手をすっと私に差し出す。

その所作もまた優雅で、カガリはつられる様に血に汚れたハンカチを少女に手渡してしまった。

「ありがとうございます」

やはり優雅に微笑んで、それを何事もなかったかのように、自分のポケットに仕舞う。

私はポカンと口を開けたまま、それを見守るだけだった。



「それで私がここへ来たのは…」

マーナの入れてくれた紅茶に口をつけて、少女は再び話し始めた。

「カガリさんのお怪我の具合をお聞きしようと思いまして… わたくし、明日からまたしばらく学園の方には行けませんの。ですから…」

「それでわざわざ…」

思わずそう呟くと、少女は心外そうな顔でカガリを熱心に見つめてきた。

「わざわざなんてそんな!わたくしは貴女の事が心配で…居ても立ってもいられなかったのです…」

徐々に悲壮な表情に変わる少女に、 私は安心させようと怪我をした腕をぐるぐる回してみせた。

「ほらっ!そんな心配しなくても大丈夫だ!この通り、大した事ないんだって!」

「ああっ!そんなに動かさないで…!」

少女は慌てて腰を浮かせ、カガリの腕を掴もうと細い腕を伸ばしてきた。

その細く白い指に触れられたくなくて、カガリはふっと自分の腕を下ろした。

「わかった、わかったから…もうしない。でも、本当に大丈夫だから…」

その言葉でようやく少女も再びソファに腰をおろした。



「急にお訪ねしたりして申し訳ありませんでした…でも、わたくし…貴女の事が心配で… アスランに聞きましたの。貴女のお父様がウズミ教頭だと」



アスラン──



その名前に私は過敏に反応した。

そんなカガリに気付いているのかいないのか、ラクスは話を止めない。

「それでお家の方はすぐわかりました。 アスランも一緒にどうかとお誘いしましたが、何故か断られまして… あんなに貴女の事を心配してらしたから、てっきり一緒にいらっしゃると思ってましたのに…」



ラクスの言葉にカガリは足元がぐらつく感覚に陥る。



ここへ来ないと言ったアスラン──

私の事を心配していたというアスラン──

ラクスと一緒のアスラン──



膝に置いた両手をぐっと握りしめて、ラクスの言葉が、通り過ぎるのをただ待つ。



「それでもわたくしは1人でここに来ました。それは…カガリさん、貴女とお友達になりたいから…」

思わず私は顔を上げてしまった。

そこにはほんのり頬を染めている少女の姿。

「お恥ずかしい話ですが…わたくし、同年代のお友達って…いないのです」

私は目を見開いたまま、ラクスをじっと見つめた。

彼女に限ってそんな事があるだろうか…?しかし暫く考えて、それはそうかも、と少し納得もできた。

ここまで凄いアイドルだと、相手が萎縮してしまって友達どろこではないかもしれない。

「でもカガリさんなら…カガリさんとなら、何でも言い合える、友達になれるかもしれない… いえ、なりたいのです…」



結局私は、ラクスに大きく頷いてみせた。

ラクスは今までテレビでもみた事のないような満面の笑みを私に向けた。

しかし彼女が帰ってから、私が激しく後悔した事は、言うまでもないことだった。





次の日の午前の授業中、カガリの頭の中はある事でいっぱいだった。



どうしよう──



昼休みにあの場所へ行くべきか。



未だ答えが出ていないのに、昼休みを告げるチャイムが鳴ってしまう。

皆が席を立ち騒がしくなっていく中、カガリはしばらく座ったまま目を見開いてじっとしていた。



「カガリ〜?どうしたのよ」

「いつも昼休みになるとダッシュで飛び出すのに」

「どうせ食堂でしょうけどね」

ケタケタと笑い声がして急に周囲が賑やかになる。

いつもカガリにチャチャを入れてくるクラスメイトに周りを囲まれたのだ。

そんな彼女達のからかいの声にうまく応える事さえできない。

カガリはゆっくり立ち上がるとアサギとマユラの間をすり抜け、ぽん、と2人の肩に手を触れたたけで 教室を出て行った。



その背中を残された3人が心配そうに見つめている事も知らずに──



結局カガリが向かった先は、新学期になってから殆どの昼休みを過ごした、あの場所だった。



彼は、いるのだろうか。



あそこで今後の生徒会活動について話し合う事になっているのだから、いる可能性が高い。

でも──

今会ってその話し合いができるかどうか──私はおそらく、できないだろう。

そして彼も。

きっと彼は昨日の事について色々訊いてくるだろう。

でも私は、昨日という1日を抹消したいと思っている。

何も、話したくなんてないのだ。



それに──

私は先週までのように彼とは向き合えないだろう。

まっすぐ見つめて、自分の思った事をそのまま彼に伝える事など── 今の私には、きっと出来ない。



部室に続く、坂道が見えてきた。

元からのろのろした歩みだった足が、止まる。

しばらく立ち止まり、桜の花びらが薄黒くこびりつくアスファルトをぼんやり眺める。



もし彼があそこにいなかったら──



会ってうまく話をできる自信はない。

だからといって、もしあの場所に彼がいなかったら──



会うのも恐い。

でも会えないのも恐い。



カガリはアスファルトの道を外れ、桜の木の陰に身を潜めた。

そこからじっとコンクリートの建物の影に誰かいないか、目を凝らして見た。

しかし、ここからでは遠くてわからない。



桜の木1本分部室に近寄り、またその影から様子を窺う。

しかし桜並木が邪魔をしてやはりよくわからない。



また1本、また1本と、部室に近寄って彼の姿を捜す。

胸が高鳴る気持ちと、沈み込みそうな気持ちが混在して、

逃げ出したい衝動に駆られながらも カガリは震える手を木に添えて、そっと顔を出す。



いた──

新緑の隙間から彼の姿がちらりと見える。



灰色の壁にすらりとした身体を預け、腕を組んでじっと佇む姿。

たまに身じろぎし、坂道を見つめて、身体をおこしてまたさらに遠くを見やる。

そして再び壁に寄りかかって小さく息を吐く。



胸がキュンと鳴る。

おそらく私を捜す、彼の姿──

カガリは切なくて泣きそうになる。



でも彼は、私が好きだから待っているわけじゃ、ない。

彼が好きなのは──



やはり会わずに戻ろう。

私の想いが消えてしまうまで、この場所では会わずにいよう。

笑って彼をまっすぐ見つめられるようになる、その時まで──



今まで向き合っていた桜の木に背を向け、カガリはそこから1歩、2歩と離れていく。



だがそれが失敗だった。

もっと周囲に気を遣うべきだった。

不意に肩に触れるあたたかい、もの。



のろのろと振り返れば、ほんの少し息を切らしたアスランがじっとカガリを見つめていた。



振り向いてアスランを見た時の私の顔は、彼の瞳にどのような姿で映ったのだろう──

まるで化け物に遭遇したような、そんな驚き方をしてしまった、と後になってカガリは思った。

とても、可愛くない──全く彼女には敵わない、敵うはずがない──

私は全身の力を失い、項垂れるようにゆっくり俯いていく。



「カガリ…腕、大丈夫なのか…?」



頭の上から降ってきた彼の第一声は、ここに来るのが遅れた私を責める言葉でも、

ここから黙って立ち去ろうとした事を罵る言葉でもなく、 昨日の出来事に関する事だった。



未だ肩に触れたままのアスランの手を、私は一歩退く事で外した。

返事をしようにも、声を出すと泣きそうな気がしたので、小さく一度、頷いた。



風のざわめき、木々の合わさる音。

それ以外に感じるものは何もなく。

アスランからの反応は、ない。

カガリは本当に伝わったのか心配になって、今度は大きく、何度も何度も頷いた。



再び、自分の肩に触れられる、大きな手。

それで漸く私は首の動きを止めて、また一歩、彼から離れる。



下ろされずに宙に浮く、アスランの大きな手。

俯いたまま、その手をこっそり見つめる。

あれが、さっき私に触れいてた、手。

そして彼女に触れる、手。



しかしそれもゆっくり下りていく。その動きをぼんやり見つめて──

「カガリ」



突然名を呼ばれて、私は弾かれたように顔を上げた。

ちらりとだけアスランの顔を見て、すぐに視界に入らないように真横を向いた。

「あのっ、私、もうここには来ない事に──」

「何でっ!?」



ゆっくり、ゆっくり流れていた世界が、突然破られた。

大きな影が差したかと思うと、がっしりと両肩を掴まれた。

振り解こうともがくが、今度は全然離れてくれない。

「はなして…離せ…離せってば!」

大声で叫ぶと、渋々といったようにカガリの肩から手が外れる。

そのまま逃げ出したい衝動に駆られるが、足が全く動いてくれなかった。



まだ肌寒く感じる風がひゅっと2人の間に吹く。

カガリは包帯を巻いている腕を押さえ、渾身の力を振り絞って口を開いた。



「だって、さ。もう…話し合う事なんて、ないじゃないか…」



生徒会に関する話など、最初の3日間で終わらせてしまっていた。

後は他愛もない話をして笑いながら時を過ごした昼休み──

だったらもう、ここで会うべきではなかったのだ。



「でも、俺は…」

「それに…ここに来てる事は、キラに内緒なんだ…だから、もう…」



再び静寂が2人を包む。



これで分かってもらえただろうか…

カガリはそう判断してアスランに背を向け立ち去ろうとした。



「君は、キラと…付き、合っている…のか?」

意外な言葉が投げかけられ、カガリは思わず足を止めてしまった。

ここで頷いてしまえば、彼は納得してくれるのだろうか。

頷いてしまおうか。そんな誘惑がカガリを包み込む。

だが、キラに迷惑がかかるかもしれない。それは、出来ない。



カガリは振り返り、初めてまともにアスランを見た。

濃紺の髪は風に揺れ、その表情は何故か哀しげだ。



なんでそんな顔するんだよ。哀しいのは私の方なのに…

お前には、あんなに完璧な婚約者がいるくせに──



「付き合ってるのは、お前の方だろ…?」

アスランの表情が変わる。何を言っているのか解らない、そんな表情。

ああ──内緒だから、か。

ナチュラルの私には、内緒なんだ──



「安心しろよ。誰にも言わないさ。お前がラクスと付き合ってること。 将来…結婚、するんだって事も…」

言いながら鼻の奥がツンとしてくる。

──だから、言いたくなかったのにッ!



今度こそカガリはアスランに背中を向けて走り出した。

坂道を転がるように駆け出して、躓きそうになりながらも走って走って──



カガリの瞳からは幾重にも涙が溢れては流れた。







あとがき
ありえない程カガリが乙女です…しかもめちゃくちゃ落ち込んでおります…
言葉の端々にラクスを意識しまくり…ああ言えばラクス、こう言ってもラクス。
アスランの影が薄いですか?大丈夫。次のお話はアスラン大活躍?です。
さて、どうやってぐるぐるさせようか…
04.10.10up