それから一週間、俺達は昼休みの度に会って話し合った。

時には脱線して他愛もない話をし、お互い笑い転げた。

俺にとっては夢のような一週間だった。



「今度の週末ならあいてるぞ?何なら会って話するか?」



カガリからそう言われ即座に頷きかけた俺だが、結局用があると言って断った。

だって、その日はキラがいない。

この時、心に出来た小さなしみは、週明け直後に取り返しのつかない位大きくなっていった──





三角関係?





このところ、学校に行くのが楽しい。



今までだって楽しくなかったわけではないが、進級してから特に楽しく感じられた。

授業は相変わらず退屈でつまらないけれど──そんな事はどうでもいい位に楽しいんだ。



カガリは週明けの今日、いつもより早く目が覚めた。

それに気分を良くし、普段より早く家を出た。

外はカガリの心と同じ、眩いばかりに輝いていた。

自転車をこぐのに邪魔にならない程度の緩やかな風とともに、カガリは学校へと足を速めた。



いつもより早く校門をくぐると、そこはいつもとは違う風景が広がっていた。

たくさんの車、車、車──

コーディネイター達を送ってきた色とりどりの車が校門の内外に駐車されている。

そういえばコーディネイター達はギリギリに登校するナチュラルと違って 早めに登校してくるのだった、といつも気にした事のないことを思い出す。



普段のカガリなら車が自分の進路を妨げるのにイライラするところだろうが、 今日はとても気分が良かった。

挑むようにスイスイと車の間をすり抜けて駐輪場まで辿り着き、急いで自転車を停めた。



もしかしたらアスランもあの中にいるかもしれない──

そう思ってカガリはすぐには教室へと向かわず、車と人でいっぱいの校舎前を少し遠回りして 駆けていった。



ふと、もの凄い人だかりが出来ている場所を見つけた。

何だろう?と純粋に疑問に思ったカガリはふらふらっとその場所へと寄っていった。



その場所は学校とは思えない位の盛り上がりだった。

黄色い声をあげる女生徒、ため息を漏らす男子生徒、そして舌打ち混じりの──

カガリはその人だかりの中心が気になって人垣をかきわけ前へと進んだ。

そんなカガリをかきわけられていく人達は迷惑そうな目で睨みつけているがそれは気にしない。

そうしてようやくその中心になにがあるのか、カガリは確認した。



ピンクの艶やかな長い髪を腰の辺りまで垂らし、優雅に微笑むその愛らしい瞳、くちびる。

彼女を知らない者はこの世のどこにもいない。

ラクス・クライン──世紀の歌姫…



カガリは目を丸くしたままその場に固まった。

なぜ、この学園にあのラクス・クラインが…?

しかも…彼女が着ているモノは…ここの制服だ。

知らなかった──彼女は…ここの生徒なのか?



呆然としながらもカガリはラクスの視線の先にいる人物に目をやった。

そこにいるのは──アスラン?



アスランはラクスの微笑みに微笑みをもって応えている。

何だ、その優しげな笑みは…私、あんなアスラン、見た事がない…!



そこでようやくカガリの周りにいる人々の声がいくつも耳に飛び込んでくる。



「ああ…久しぶりのご登校ね、ラクス様…」

「この学園に入ってよかった…って思うのはこの瞬間よね」

「そしてこれはコーディネイターだけの特権だものね」

「ナチュラル達は知らないんでしょ?この事…」

「知らないでいいわよ!勿体無い!」

「しかしアスランくんと…いつ見ても絵になるわね」

「さすが“婚約者!”って感じよね〜」

「俺は認めないぞ!婚約なんて!」

「あなたも往生際が悪いわね〜どうせあなたなんて、ラクス様に見向きもされないんだから〜」

「ぐぞ〜〜!アスランのやつ…!」



何…“婚約者”って…

耳にその単語が届いた瞬間、カガリは固まってしまって指一本動かすことができない。

なんだよ…そんな話、聞いてないぞ…?

カガリはただただ、アスランとラクスの微笑みあう姿を見つめ続ける事しかできなかった。



「ではアスラン、わたくし、今日は1日学園にいますから…」

「わかりました。では昼食はご一緒に…」



緩やかな風に乗って、そんな会話が聞こえてきた。

ちょっ、待てよアスラン、昼休みは私と一緒に──



「ありがとうございます。私が登校した時にはいつも昼食に付き合っていただいて…」

「いえ…」

そう言ってアスランは困ったように微笑む。



「あれ…?この子…誰?」

「やだ!あんた、ナチュラル…?」

ハッと気付けば、周りにいた生徒がカガリを見て驚きの表情を浮かべている。

カガリは周りちらりと目を向けただけで、再び中心の2人を見た。

すると2人はここの騒ぎに気づいたのか、こちらに目を向けようと首を動かして──



カガリは周りの人を押し分けながらその人垣から脱出した。

もうこんな場所に1秒たりともいたくなかった。



カガリが駆けていくのとは別方向に、人垣から抜け出す1人の男がいた。

その男は口もとに怪しげな笑みを浮かべてポケットに手を突っ込んだままゆっくりと歩いていった。



カガリはいつの間にか教室の自分の席に座っていた。

どうやってここまで来たのか自分でも覚えていないし、そんな事はどうでもよかった。

ジュリがマユラが教室に入って来ては挨拶して行くのだが、カガリはそれに応える事もなく、

授業の準備をするわけでもなく、ただじっとしていた。



「──ガリ、カガリ。カガリってば!」

どの位そうしていただろうか──突然間近で名を呼ばれてそれでもカガリは驚く事もなく ゆっくりその人物を振り仰いだ。

「…キラ…」

何故クラスの違うキラがここに居るのだろう…カガリはぼんやりそんな事を考えていた。

「キラ、じゃないよ!金曜日に僕が貸した教科書、返してくれる?」

「え…」

カガリの呆けた反応にキラは珍しくイライラしながら繰り返した。

「だから!金曜日に僕から借りて行ったでしょ?教科書!今日の4時間目に使うんだよ、僕!」

「あ、ああ…」



確かに先週、そんなやりとりがあった様な気がする。

カガリは固まって動かなかった身体をのろのろと動かし、自分の机をゴソゴソ探った。

「あれ…おかしいな…ない、や…」

いつも機敏なのに、探しているのかないのかわからないような手つきのカガリに キラは自分の腕時計を見ながらカガリの肩をぽんと叩いた。

「もしかして持って帰ったりしてない?」

カガリはゆるゆると顔を上げてゆっくりキラと視線を合わせた。

「…いや…それは、ない、と思う…」

「じゃ、もう今はいいよ。次の休み時間に取りに来るからそれまでに探しといて、ね?」

キラはそれだけ言うとカガリの返事を待たずに教室を出て行った。

カガリはその背中を見送った後、2時間目開始のチャイムを人事のように聴いていた。



「──ガリ、カガリってば!」

再びキラの声がする。さっき出て行ったばかりなのに、おかしいな…などとぼんやり考えていると 続けて自分を呼ぶ声がする。

カガリはゆっくりとキラを見上げた。

「何?まだ何か用か?」

私の言葉にキラは大げさにため息をついた。

「『何か用か?』じゃないでしょ…僕の教科書!」

ああ…とカガリはさっきの出来事を思い出す。

「お前、次の休み時間に取りに来るって言ってなかったか…?」

「何言ってるの?もう2時間目は終わったじゃない!カガリ、授業聞いてる?」

2時間目?あれ…1時間目は…?という言葉は飲み込んで、 カガリは机を探りだし──漸く思い出した。

「そういえば…ここにはない」

「ええっ!」

この言葉にもキラは大げさにのけ反り驚いて、カガリを見た。

「まさか持って帰っちゃったの…?困るよ!4時間目の授業で使うんだから…」

「生徒会室に…ある。あそこに置いてきてる」

「ええ〜っ!」

キラはちらっと腕時計を見て…小さくため息をついた。

「じゃあ次の休み時間、食堂の帰りに取りに行くよ。すぐわかる所にあるかな…」

そう言いながらキラは教室から出て行く。カガリは声をかけられずただキラの背中を見送った。



3時間目終了のチャイムを聞いて、カガリはゆっくり立ち上がった。

キラに教科書を借りて助けてもらったくせに迷惑をかけた事を申し訳なく思い、

カガリは生徒会室に置いてあるはずの教科書を取りに行く為廊下に出た。



キラはこの時間食堂に行く筈だから、 キラが直接来る前に生徒会室に行って教科書を取りに行けばいい。

後は食堂まで持って行って…その後自分も弁当を食べよう。

もしかしたら、この休憩時間内に弁当を食べきる事は出来ないかもしれないけど──

どうせ、今日のお昼休みは──用事なんて、ないし…



カガリは俯き気味に廊下を進んで生徒会室のドアの前に立った。

そうしてゆっくりドアを開けた時、目に飛び込んできたのは──



朝見たピンクの長い髪、透けるように白い肌、目隠しをされてはいるが いつもブラウン管の中にいたその人物──

床にペタンと座り込んでいるラクス・クラインが、可愛らしい口を開いた。

「どなたですか…?」



カガリはそこから動く事が出来ず、ドアを開いたまま瞳と口を全開に開いて固まっていた。

しかし、廊下から響く生徒達の声にハッとして後ろ手にドアを閉め、彼女にゆっくり近付いていった。



「──何故、アンタがこんな所に…?」

カガリの呟きにピンクの髪の少女はにっこりと微笑んだ。

「ここに連れてこられて…このように」

そうして彼女は身動ぎしてカガリにきつく縛られた自分の両手両足を見せた。



カガリは一瞬で怒りが湧き上がった。

「誰がこんな事を──!」

つかつかと彼女に近寄って後ろにまわり目隠しを解いた後、 首と足首の戒めを解きにかかった。

「さあ…どなたか知らない方でしたが…ここの男子生徒のようでした」

その男が余程きつく縛ったのだろう。なかなか解けない戒めにイライラしながらカガリは舌打ちした。

「1人か?それとも複数…?」

「1人ではありませんでした。いきなり後ろから目隠しをされ、周りを囲まれ… ここまで連れて来られたようです。ここは…どこなんですか?」



カガリは『ナチュラルの生徒会室だ』という一言が言えなかった。

この事をコーディネイターに知られたら…また両者の溝が深くなる。

カガリはそれには答えずにただ紐を解く事に専念した。

ラクス・クラインもそれ以上追求する事はなかった。



「…解けた…!」

漸く両手両足の戒めを解いたカガリはラクスの肩をグッと掴み立たせると、 くるっと自分の方に身体を向けさせた。



自分より少しだけ低い位置にある、顔。

自分とは全く違う整った顔の、造り。

男なら、いや誰だって一瞬で魅入られてしまうであろう、彼女は──



カガリは少しだけ顔を背け、再びラクスの身体をくるっと反転させた。



「…ここはナチュラルの校舎の中だ。この校舎から早く出るんだ。 ここを出たら右に出て廊下を走って走って──さ、早く!」

そう言ってカガリはラクスの肩をドアに向けて押し出した。

1歩前に足を踏み出したラクスはそのままドアには向かわず、カガリを心配そうに振り返った。

「でも──あなたは?」

カガリはラクスに視線を向けて曖昧に笑った。

「私はここに用があって来たんだ。その用を済ませたらすぐここを出る」



嘘だった。

こんなことをしでかした犯人をカガリは見つけなければならない。

まさかここにずっと閉じ込めておくつもりだったわけでもあるまい。

必ず犯人はこの部屋に来る──カガリはそう確信していた。



なのにいつまでたってもここを出ようとしないラクスに少し苛立って、 カガリはラクスに近寄るとその華奢な腕をつかみ、ドアへと引っ張っていく。

そしてカガリがドアに触れようとした瞬間──それは勢いよく開かれた。







──まったくカガリってば…



キラは少々イライラしながら急いで昼食を口に放り込んでいった。



カガリに教科書を貸して、ちっとも戻ってこないと思ったら、生徒会室だって? なんだっでそんな所に僕の教科書を持って行くんだよ!



ガツガツと食べ物に食らいつき、食器を乱暴に置くいつものキラらしくない食べ方に、

周りの友人は唖然とした表情で見入っている事に本人は全く気付いていない。

だが突然そのガサツな動きがピタリと止まった。



でも──いつものカガリらしくなかったな。

いつもなら笑って『ごめんごめん』とか言いながらもきっちり返してくれるし、 何だか元気がなかった、というか、心ここにあらず、という感じか。

金曜は元気だったから…この休み中になにかあったのだろうか──?



次の授業が始まる前に、ちょっと教室に寄ってカガリの様子を見てみようか。

──それも教科書が無事見つかれば、の話だけど…



食事を終えるとキラはおもむろに立ち上がり、トールに告げた。

「ごめん、僕生徒会室に次の授業の教科書取りに行って来るから先戻るね!」

そうして友人達の返事を待たずにトレイを返却し、ダッシュで食堂を飛び出した。



「キラっ!」

ここ一週間、この辺りで聞かれなかった声を久々に聞いてキラは思わず立ち止まってしまった。

「アスラン…」

そう呟いて近付こうとしたが、それどころではないことを思い出し、 すぐさまその場を立ち去ろうとする直前に腕を掴まれた。

「頼みがあるんだ」

ちらりと見た限り、アスランの表情は真剣そのものだ。

まさかもう『コーディネイターになれ』とは言わないと思うけど… などと考えながらキラは早口で答えた。

「ちょっと急いでるんだけど…何?」

アスランは一瞬言いよどんだ後、しかしすぐ口を開いた。

「今日昼休みにカガリと会う約束をしているんだが…無理になったから伝えてほしいんだ…いいか?」

いつ、そんな約束をしたの?とか聞きたい事は山ほど頭に浮かんだが、今はそれどころじゃない。 キラは小さく頷いた。

「わかった。今からカガリの所に顔出そうと思ってたから伝えておくよ。じゃ!」

それだけ言うとキラは再び校舎に向かって走り出した。







ドアを開けるとそこには3バカトリオのうちの1人が立っていた。

──こいつらか!?

カガリがそう思う間もなく、金髪の男に肩を突かれ、カガリ達は再び生徒会室に押し込まれた。

突然の事だったのでバランスを崩した2人だったが、反射的にカガリはラクスを庇いながら 床に倒れこんだ。



「おいっ!何か余計なのがいるぞ!」

男が廊下に向かってそう叫ぶと、驚きの声をあげながら他の2人も生徒会室に入り、 そうして後ろ手にドアを閉めた。



「またお前かよ…」

赤毛の男は嫌そうにカガリを見下ろしている。

「こいつ、ウザイ」

そして緑色の髪の男は気だるそうに机に腰掛けている。

カガリは背中にラクスを庇ったまま3人を睨みつけた。

「こんな事して、何が目的だ!?」

すると前の2人を押しのけて金髪の男がカガリの目の前にまで進み出た。

「この歌姫サン、あの生意気なコーディネイターの生徒会長サンの婚約者なんだろ?」

しばらく頭から抜けていた事実を聞かされ、カガリはびくっとして少し目を伏せた。

「その情報をコイツが仕入れてきてね。ちょっとギャフンと言わせてやろうと思ってさ」

そう言いながら金髪の男は親指で緑色の髪の男を差し、ふふっと笑う。

「でもよー、余計なオンナが混じっちまったけど〜?どうする、これから」

赤毛の男が緑色の髪の男を追いやった後、自分が机に腰掛けて足をぶらぶらさせながら 金髪の男に尋ねた。

「そうだな…」

尋ねられた男は白々しく腕を組んで考えている。

すると赤毛に追いやられた男がポケットからおもむろにカッターナイフを取り出し、カチカチ、 と渇いた音をたてる。

「歌姫サンの髪でも切ってやれば〜?」

そう言ってニヤニヤ笑いながらカガリ達に近付き、シュッ、シュッと腕を振り回して──

「やめろっ!」

カガリは咄嗟に立ち上がり、ラクスの前に両手を広げて立ちはだかった。

驚いた男は目測を誤ったのだろう──カガリの右腕にそれを掠めさせた。



「───っ!」

いきなり訪れた鈍い痛みに、カガリはしゃがみ込み、右手でその場所を押さえた。

すると今まで黙って事の成り行きを見つめていたラクスが、初めて驚きの表情を見せ、

すばやく自分のスカートのポケットから白いレースのハンカチを取り出すと 躊躇する事なくカガリの腕に巻きつけた。

「!汚れる──」

カガリは慌てて腕を引っ込めようとするが、ラクスはそれを許さず、 この細腕からどうしたらこんな力が出るのか、という位腕をギュッと結ばれた。

徐々に、だがゆっくりと確実に、白いハンカチは赤に侵食されていく──



そんな様子を男達は慌てふためいて見ていた。

目を泳がせ、互いに顔を見あわせ、動揺している様子がうかがえた。



と──生徒会室のドアの向こうに人の気配がした。

誰かいる──

カガリはちらりとその方向を見て、わかった。



キラだ──!



カガリは腕をおさえながらバッと立ち上がり、3人を睨みつけた。

その気迫におされて、男達がギョッとして少し後ろに後ずさる。

そうしてタイミングを計りながらカガリは腕を押さえていた手を離し、 ラクスの腕を取って立ち上がらせ──



ガラッ。

ドアが開いた瞬間カガリはラクスを思いきり突き放した。

何か起こったのやらわからぬ様子で呆然としているドアの外にいる2人にカガリは叫んだ。

「キラ!その子を──アスランの所に連れて行け!早くっ!」

それだけ言うとカガリはドアまで走り、後ろ手にそれを閉めた。

「早く行けっ!」

もう一度叫んだ後しばらくして、 漸く廊下をぱたぱたと走る音が遠ざかっていくのをカガリは聞いた。





突然腕の中に飛び込んできたピンクの物体と甘い香りに、キラは目を白黒させた。

生徒会室からカガリの叫ぶ声がする。

僕は自分の腕の中で身動ぎするモノの正体を見た。



ラクス・クライン──



この国の人間なら、誰もが知っている。 そんな女の子が、何故、ここに──!?



キラを見上げる少女の視線は、テレビで見るよりも鋭く、そして大人びて見えた。

「彼女の言う通りにして下さい。今は一刻も早く助けを呼ぶべきです」

そう囁く彼女に圧倒され、キラはただ見返すことしか出来なかった。が──

再びカガリの懇願に近い怒鳴り声が耳に届き、僕はそれに突き動かされるように ラクスの腕を引き、先程来た廊下を逆走した。



そうしてアスランの元へと向かっていた2人だったが、何故だか異様に視線を感じる。

それは、もの凄い勢いで廊下を走っているから、という理由だけではないように思えた。

ちらりと左右に目をやると、キラを、というより、 どうやらラクスに視線が集中しているように思えた。



今更遅いかもしれないけど──

キラは急に立ち止まり、急いで学ランを脱ぎ、ラクスの印象的なピンクの頭から被せた。

そして再び、今度は学ランの上から肩を抱き、全速力で走り出した。



漸くナチュラルの校舎を出てコーディネイターの校舎へと向かうと、 アスランは今まさに校舎の中へと入っていく所だった。

キラはカラカラの喉から声を絞り出すように叫んだ。

「アスランッ!」



バタバタと荒々しい足音を立てて近付く2人を驚いた表情で見つめながら アスランは1歩2歩と駆け寄って来る。

キラはホッとして歩調を緩めようとした。が、ラクスは足の回転を緩めない。

つられる様にアスランの目の前まで走りきり、キラは膝に両手を置いて荒い息を繰り返した。



「キラ!それにラクスも…どうして…?」

アスランは今の状況が良く分からないようで、僕とラクスが何か言うのを待っている。

が、僕だってどうしてこういう事になっているのかよくわからない。

ラクスは僕以上に苦しそうに俯いていたが、それでも必死で僕らに訴えるように話し出した。



「金髪の、元気な、女の子が…男の人に、切りつけ、られて…」

僕は疲労も吹き飛んだかのように、身体をおこしてラクスを見た。

「カガリが…!?」

「カガリだって!?」

僕の目の前でアスランが信じられない位の動揺を見せていた。

アスランは僕の両腕を痛いくらいに掴み、ギッと睨みつけてきた。

「カガリが切りつけられたって…どういう事だ!?」

理不尽な怒りをぶつけられ、僕は息を整えながら、アスランを睨み返した。

「僕だって、今知ったんだ!生徒会室に行ったらいきなり…」

「早く、彼女を、助けに!」

突然耳に届いた悲痛な声に、僕らはハッとしてラクスを見た。



テレビで見る姿とは全く違う。

瞳を潤ませ、しかし毅然としたその立ち姿は、今にも1人で校舎に戻って行きそうな程力強い。

思わず見惚れてしまった僕の肩にドンッと何かかがぶつかる。

アスランが僕の脇をすり抜けて、ナチュラルの校舎へと走って行く所だった。

が、それはかなわなかった。



「カガリ…」

アスランの呟きに誘われて振り返った僕の目の前に、 左腕を押さえ、こちらに向かって歩いてくるカガリの姿が見えた。



4時間目の授業はとっくに始まっていた。



保健室に行く、というカガリにまずラクスが同行を申し出た。

勿論僕もアスランもついて行くと言うと、カガリは首を横に振った。

「こんなの、かすり傷だ。もうすぐ授業が始まるからお前達は授業に出ろ」

そう言っても誰1人として納得できなかった。

まずアスランがすっとカガリの前に進み出て、怪我をしていない方の腕をとろうとしたが、 カガリは逃げるように差し伸べられた腕を避けた。

そこをラクスが捕まえ、両肩を支えると、カガリは諦めたようにおとなしくなった。

結局僕らは3人で無理矢理カガリを引っ張って、保健室へとやって来た。



この学園の保健室だけは、コーディネイター・ナチュラル兼用となっていた。 だからなのか、あまり生徒が訪れる事はない。

コーディネイターとナチュラルが鉢合わせしてしまった場合は、 殆どの場合、後に入室した方がとっとと出て行ってしまうのだった。



だから保健室に生徒が入ってくる、

ましてやコーディネイターとナチュナルが 一緒に保健室にやって来るなどという事は前代未聞の大珍事だったのだろう。



保健医のマリュー先生は口に出しては驚きを口にしなかったが、目を丸くして僕らを迎えてくれた。



「とりあえず上着を脱いで…」

僕らに強制的に椅子に座らされたカガリは、憮然とした表情でブレザーを脱ごうとして── 傷口に巻かれた元は白かったハンカチに目をやった。

それに気付いたマリュー先生が手を伸ばし結び目を解くと同時に、カガリはそれをバッと掴んで スカートのポケットに乱暴に突っ込んだ。

そうしてブレザーを脱ぎ始めたカガリだったが、左腕を抜く時傷にさわったのか、少し顔を顰めた。

何とか脱ぎ終えたが、中に着込んだシャツの左腕は一部分真っ赤に染まっていた。

僕が思わず目を背けるとそこにはラクスの姿があった。

彼女は苦しそうではあるが、カガリから全く目をそらす事なく見守るような視線を送っていた。

僕は少し恥ずかしくなって再びカガリへと目を向けた。



「シャツと傷口が血でくっ付いちゃってるわね…取るわよ…ちょっと痛いだろうけど」

そう言いながら先生は袖口をゆっくりと捲っていく。

カガリの細い腕が露わになっていくと共に、肌にこびり付いた赤が目に痛い。

カガリは今度は表情を変えず、先生の手をじっと見つめていた。



「まあ…制服の生地が厚かったから、傷口は大した事ないわ。でも念の為病院へ行くべきだと 思うけど…どうしてこんな事に?」

傷口に消毒薬を塗りながら、マリュー先生は優しくカガリに尋ねている。

が、カガリは口を開かない。

僕もその辺の事は全く知らないので、聞いてみたいところではあった。

「先生…その傷は…」

突然僕の隣から聞こえた声は、カガリのものではなかった。

鈴を転がすような可愛らしい声はラクスのものだった。

するとカガリはラクスをキッと睨みつける。

その眼光は僕も今まで見たこともない程、厳しいものだった。

そうやってラクスを黙らせると、カガリは再び先生を見て言った。



「これは…自分でやったんだ。カッターナイフを使ってたら落っことしそうになって… 慌てて拾おうとしたら、腕を掠った」



すぐカガリの嘘だとわかった。

それが本当だとしたら、何故カガリはラクスだけを僕に託して自分は部屋に残った?

それはラクスを見てもわかる。

彼女はやはり辛そうに口元に手を当て、目を細めてカガリを見ている。

それに彼女は言ったのだ。カガリは男の人に切りつけられた、と。

先生だって納得はしていないようだ。



「でもカガリさん…」

「だから傷も深くないし、大丈夫だ。病院に行く必要もない。私がドジしただけだから 学校にも報告する必要もない」

カガリは頑なだった。

マリュー先生は小さくため息をついて、立ち上がった。

「…わかったわ。じゃ、私は所用で席を外すから…後はよろしくね」

そう言って僕ら3人をぐるっと見回す。

その視線を受けて僕らは小さく頷いた。





3人の視線が痛い──



先生が出て行った後、カガリは周りをぐるっと取り囲まれていた。

自分の腕に巻かれた包帯を隠すように、捲られた袖を元に戻して袖口のボタンに指をかける。



「カガリ…その傷は一体どうしたの?僕達には本当の事を話してくれるよね?」

最初に口を開いたのはキラだった。

カガリは一瞬指を止め、しかしボタンをかけ終えると、包帯の巻かれた腕に手を置いた。

「さっき言っただろ?私がドジしてこうなったんだ。みんなにはバラすなよ」

「知ってるんだよ。僕達は」

ビクッと体が反応する。

知ってる──つまり、私以外に知っている人間が話した──

カガリはゆっくりその人物へと鋭い視線を向けた。が、それよりも厳しい視線で見つめられていた。

それはカガリの知っている『歌姫、ラクス・クライン』の顔ではなかった。



「わたくしがお話しました」

それだけ言うとラクスはカガリから視線を外し、キラに向かって話し始めた。

「わたくしがあの部屋に連れて来られて出られないでいる所を助けてくれたのがカガリさん、でした。 わたくしを部屋から出してくれようとした時に、男の人達と鉢合わせして…」

「男の人って?」

キラは私に尋ねてきた。

ラクスは知らないだろう、そして私なら知っているだろうと思ったのだろう。

しかし──私は1年の頃あいつらとモメてから、キラに接触を禁止されている。

その言いつけを聞かずに未だにもめている事を知られるのは嫌だった。

カガリは黙って俯き、傷口に添えていた手に力をこめた。

「カガリ、黙ってないで…」

「アスラン」

キラが更に問い詰めようとした時、ラクスがそれを遮るように婚約者の名前を呼んだ。

「その男の人達はあなたに何か恨みを持っているようでした。心当りはありますか?」



そんな事を言えば──!

カガリはハッとし──今日、初めてまともにアスランを見た。

だが驚きに見開かれたアスランの瞳はまっすぐラクスに向いている。

「もしかして──あの男達…」

アスランの瞳は困惑の色を深め、彷徨うようにゆっくりカガリに向けられた。 カガリは諦めたように少し目を伏せ、低い声で呟いた。

「そういう事だ」

暫くの沈黙の後、口を開いたのはまたしてもキラだった。

「で、誰なんだ?こんな事をしでかした奴は…」

「キラには関係ない。キラに誰か、なんて話す必要もない」

カガリは低い声で呻くように呟き、最後にアスランを睨みつける。

視線をぶつけられたアスランの方は、何も言えないのか少し口を開いたまま黙って私を見返している。



「何で僕だけ蚊帳の外なのさ!納得がいかないよ!」

隣でギャンギャン叫ぶキラを無視して、カガリは再びラクスに目を向けた。

「今日の事は表沙汰にしないでほしい…勝手なお願いだが」

ラクスの瞳が大きく見開かれる。そしてすぐ尋ねるような視線を向けられた。

「私のこの腕の事だけど…あなたは見ていたからわかると思うが… あいつら、本気で切りつけるつもりなんてなかった。私が勝手に動いたから刃があたった。 そうだっただろ?」

ラクスはしばらく身動ぎひとつしなかったが、やがてゆっくりと頷いた。

「あいつらもビビッてた」

ラクスを逃がした直後のあいつらの慌てようを思い出して、カガリはクスッと笑った。

あの時、ラクス達と私も一緒に逃げる事ができた。でもそれをしなかったのは──

「『今日の事は公にしない、そのかわり、二度とこんな事はするな』そう約束したんだ」

「なんでそんな事を──!」

キラは納得がいかない様子で、カガリの両肩に手を置いて自分の方に向かせた。 カガリはキラの心底怒っている顔を目を細めて見上げた。

「こんな事を公にしたら、ラクスに迷惑がかかる」

キラの瞳が見開かれ、肩に置かれた手の力が緩む。

どうやらこの学園にラクスが在学している事は秘密であるらしいし、

少しの時間だが拉致監禁されていた事は、彼女にとってマイナスイメージになるかもしれない。

それがキラにもわかったのだろう。



「それに──今、この時期にナチュラルとコーディネイターに争いの火種を与えたくない」

そう言うと再びカガリの肩に力が加わる。

「でも、それじゃ、カガリは──」

キラの顔が泣きそうに歪む。



私だって泣きたいんだ。本当は。

キラにそんな顔をされたら、私──



カガリはずっと傷口に添えていた右手をキラの頭の後ろにまわして引き寄せ、 そのままキラの首っ玉にしがみついた。

あたたかい──



「カ、カガリ!?」

素っ頓狂な声をあげて、キラはじたばたしている。そんな様子はおかしい。おかしいのに──

「────っ、う…っ、く」

喉元が、目元が、熱くて苦しくて、でももう抑えられなかった。限界だった。

後はもう大声で喚くように嗚咽をあげながら、大粒の涙を流した。

そんな私にキラは、背中に腕をまわし、優しくさすってくれる。

「…恐かったよね。もう大丈夫だから…」

キラの優しい言葉に、カガリの瞳からまた涙が溢れた。



それを切なげに見つめている緑の瞳に、背中を向けているカガリは気付かない。

しかしカガリの頭の中は、その男の事しかなかった。



──私、いつの間にか、アスランの事、すきになってたんだ──





あとがき
間隔あきすぎてすみません。纏まりがない気がします…
話がいきなりすぎる気もします…
出来については…なんともかんとも。
多くは語るまい。
04.07.12up