マーナにただいまとおやすみの挨拶をして、カガリは自室に戻った。
時計に目をやれば、長針も短針も12と1の間にあった。
心地よい疲労感の中、カガリは服を脱いでシャワーを浴びた。
熱い湯が泡とともに、みずみずしい素肌で弾けて流れていく。
髪を洗い肌の上を手で撫でて――――ふと視線を落とすと、
白くふくらんだ乳房につけられた赤いしるしが目に入った。
いろいろ思い出してカガリはぶわっと頬を染めた。
「……ばか」
小さく呟いて、カガリは再び頭からお湯を浴びた。
体をきれいにしてぽかぽかに温まると、次に襲ってくるのは猛烈な睡魔だった。
だがカガリはベッドに入る前にバスローブ姿で窓辺へと近寄り、外を見た。
見慣れたアスハ邸の庭の木々に目をやり、虫の鳴く音を聴きながら、
カガリは顔を上げ夜空を見上げた。
やはりあの時の星は見つからない。
まさかアスランが空にあったあの星をカガリの乳房の上に移してしまったのだろうか――――
そんなばかばかしい事を思って、カガリはまた赤面し、片手で顔を覆った。
その時、ふと背後に人の気配を感じて、カガリははっとして窓ガラスへと視線を移した。
自分の背後に誰か立っている、それが窓に映っていた。
カガリは素早く振り返ってすぐに身構えた。自分の身を守るため、咄嗟の攻撃をかわす為に。
だがその人物はただそこにいて、カガリをじっと見つめているだけだった。
少しくせのあるくすんだ黒髪は、豊満な胸が隠れるほどの長さで、
顔の中心にそばかすがある以外に大した特徴のない少女だった。
初めて見る顔だったが、どこか見覚えがあるような気もする。
どこで見たのだろう――――考えながらカガリは身構えたまま、低く尋ねた。
「お前、誰だ?どこから入って来た!」
少女が一体誰なのか、カガリは手がかりを求めて頭の先から爪先までじっと見つめて――――
「っ――――うわっ!!」
カガリは自分が目にしたモノの、あまりの衝撃に驚いて後ずさった。
ガシャン、と窓にぶつかって大きな音を立てるが、そんな事に構っている余裕はなかった。
カガリは大きく目を見開いて足元を凝視したまま、震える唇を何とか開いて声を出した。
「お、お前……!あ、足は……!?」
少女は、膝から下が、なかった。
淡いブルーのスカートから伸びて、体を支えている筈の足がないのだ。
つまり彼女は――――
「ゆ、ユ、ゆ……!」
唇がガクガク震えてうまく言葉が出ない。
室内の温度が急激に下がった気がするのは気のせいだろうか。
少女は黙ったまま悲しそうにカガリを見つめるばかり。
逃げ出そうとしても金縛り状態で全く動かない。
どうしようどうしようどうしよう――――頭の中はぐちゃぐちゃに混乱し始めた。その時だった。
「カガリさま?どうかなさいましたか?」
いつもより強めのノックの音と共に頼もしい声がカガリを呼ぶ。
カガリは救いの声に全身の力を振り絞って、大声で助けを呼んだ。
「マーナッ!助け……!」
「カガリさま!?」
カガリの声音にただならぬ事態を察したのか、マーナはすぐに部屋へと飛んで入って来た。
窓際にぺたりと張りついたまま、カガリは涙目でマーナを呼び続けた。
「マーナッ!マーナ……!ゆ、ユ……」
実物を目の前にして『ユーレイ』の一言がどうしても言えなくて、
カガリは必死で腕を持ち上げ、目の前に佇む少女を指差した。
だがマーナは小さな瞳を丸め、辺りを注意深く見回した後、
カガリの指す方を見て深々とため息をついた。
「……寝ぼけていらっしゃるのですか……?カガリさま……」
「ゆ……ゆ、ユーレイがいるんだよっ!目の前にっ!」
とうとうカガリは大声で事実を言い切った。
だがマーナは呆れたようにため息をつくばかりで、カガリの言葉を真剣に捉えてはいなかった。
「……もう眠ったほうがよろしいのでは……?」
カガリは絶望で目の前が真っ暗になった。
目の前でふわふわ浮いている少女が勝ち誇ったように笑っている。
カガリは震える足を懸命に動かして少女の脇をすり抜けてマーナに近寄り、縋った。
「本当なんだってば!そこにいるのが見えないのか!?」
「……カガリ様」
カガリの慌てっぷりとは対照的に、マーナは落ち着かせるようにどっしりとした口調で名前を呼んだ。
「カガリ様はとても疲れてらっしゃいます。
今日までずっと働き詰めだったのでしょう……?
明日は久々の休暇なのですから、ゆっくりお休み下さい」
「マーナ……!」
そんな言葉をかけてもらいたいわけではないのだ。
同じものを見て、それを追っ払って欲しいのだ。
カガリはさらに訴えようとしたが、マーナはもう聞き入れてはくれなかった。
カガリを寝室へと向かわせるべく、肩に手を置いて、あっさり方向転換させられてしまう。
「眠ってしまえば良い夢が見られます。さあ……」
「ちょっ、マーナ……!」
「お休みなさいませ、カガリ様」
寝室のドアはカガリのみを閉じ込めてぱたんと閉まった。
鍵を掛けられたわけではないので、すぐにここを出て再びマーナに訴える事はできる。
だがマーナに何を言ってももう無駄なのだという事は分かっていた。
マーナがカガリの部屋から出て行く音を確認して、カガリは唇をかみしめた。
この後どうすればいい?考えろ――――
カガリは扉に手と額を押し当て、この危機を脱する方法を思案する。
マーナの言う通り、ユーレイなど見なかった事にしてさっさとベッドに潜りこんでしまえば――――
だがその方法をとることはできなかった。
「やっぱり……あなたにしか見えないのね……私の姿」
鈴を転がすような甘い声に、カガリは反射的に振り返った。
いつ移動してきたのか、例の少女はカガリの背後、ベッドの脇に立って――――いや、浮いていた。
カガリは何とか悲鳴を飲み込んで、じっと少女を見つめた。
カガリの知っている人とは似ても似つかない。
だが声だけ聴けば、彼女とそっくり同じ声だ。
これはどういう事だろう、ぐるぐると考えるカガリに向かって、少女は自嘲気味に微笑んだ。
「よく似ているでしょう?」