アスハ邸の朝は早い。
季節にもよるがここで暮らすアスランとカガリは、大抵日の出前にベッドから出る。
それは閣議が午前中からある時でも午後からでも関係ない。
食堂で顔を合わせ、一見質素に見える手のこんだ朝食をとった後、
カガリは『体力作り』と称して手入れの行き届いた庭園で――アスランを相手にしていた。
「こらっ!お前っ、手、抜くなよっ!」
右手の拳を素早く突き出し、それが受け流されれば次は左足と次々に攻撃を繰り出しながら、
カガリは大声をあげる。
アスランは飄々と難なくかわしながら心の中でボソッと呟いた。
――本気を出せるわけ、ないだろう。
こちらが力の限りに戦わなければ負かされてしまうというのであれば手加減などできよう筈もないが、
相手はナチュラル、しかも女に本気を出せば、急所を外したとしても殺してしまいかねない。
名も知らぬ無頼者相手ならばともかく、アスランが手合せしているのはカガリ・ユラ・アスハ。
この国――オーブ首長国連邦の五大首長のひとりだ。
今はまだ仮の身分だが、そう遠くない未来に正式に首長となるだろう。
それだけではない。彼女は――
しなやかな脚が頬を掠めそうになって、小さな風が巻き起こった。
アスランは何事もなかったかのようにふいっと顔を傾けそれを避けたが、濃紺の髪が微かに後ろに流れた。
「なにボーッとしてるっ!そんな余裕はないはずだろう!?」
今が好機と言わんばかりにカガリは激しく攻撃を仕掛けてきた。
アスランは小さく舌打ちを漏らしながら、それらを肘と脚で受け止め、かわしていく。
こんな彼女ではあるが、アスランの心を捕らえて離さない、最愛のひとだった。
だからこそ、彼女の身体のどこにも傷はつけたくない。
とはいえ、当の本人は全く意に介していない。
戦って傷がつくのは当然だ、とけろりとした顔で言ってのける。
その発言を苦い思いで聞きながらも、アスランはこの朝の日課に対してノーと言えない。
これは体を鍛える為だと言われてしまえば、アスランに拒否する権利はないし、
こうやって手合せする事で日頃のストレス発散になっているのであれば――だがしかし。
「お前からも手、出して来いよっ」
簡単に言ってくれるが、なかなかできるものではない。
しかも彼女ときたら、こちらが気のない攻撃を仕掛けたところで、すぐに見抜いて怒りだすのだから。
アスランはこっそり、胸の内でため息をついた後、キッとカガリを睨みつけ、力の限りに拳を突き出した。
微かにさらりと金の髪に触って、今度は軽やかに脚を上げ、反対側の髪に掠めさせる。
なるべくカガリには、腕や足を使ってブロックさせないように、
そして本気でないと悟られないようにふるまうのは骨が折れる。
だがこうやって神経を遣う事で真剣みが増すからなのか、意外とカガリには気付かれない。
その証拠にカガリの瞳は輝きを増し、ある種の好奇心に溢れる表情に変化していく。
「最初から、ちゃんとやれよなっ!」
少々息を荒げながらカガリは間合いを取って構え、ニヤッと笑った。
そしてまた一歩踏み出してアスランめがけて拳を突き出してきた。
「見た事……なかったか?」
「ああ」
しっかり頷くと、カガリは納得がいかないのか首を傾げた後、
何かを思い出したように勢いよく顔を上げた。
「もし私がドレスを着たとしても、吹き出したりするなよっ!」
「まさか」
アスランは心外だという風に目を丸くした。
どうやらカガリは自分の事を過小評価している、アスランは普段からそう感じていた。
カガリならどんなドレスを着ても、よく似合うだろうと確信していた。
顔立ちも整っていて、スタイルだっていい。
見た目のイメージと違って触れると柔らかくて、いい匂いがする――
それを実感した時の事を思い出して、アスランは熱を持ちはじめた頬を隠すように、右手で口元を覆った。
だがアスランの動作を、カガリは別の意味にとった。
「お前、笑ったな!?」
カガリは素早く立ち上がると、肩を怒らせてテーブルを回り込み、アスランのすぐ側まで寄ってきた。
とんでもない勘違いをしているカガリが可笑しくて、アスランは笑いながら首を振った。
「笑ってないって」
「説得力がないんだ――うわっ」
このまま問答を続けていた確実に自分が不利になる。
それに、今、カガリが側にいる。しかも邪魔する者もいない。
アスランは心のままに腕を伸ばし、カガリの細い手首を掴むと自分の元へと引き寄せた。
いくら大戦中に体を鍛えていようとも、毎朝自分を相手に手合わせしていようとも、
アスランにとってカガリは間違いなく女で、自分よりも非力な者だ。
腕の中に閉じ込めてしまう事は容易い。
「ち、ちょっ……アスラン……ッ!」
そして――誰より愛しいひとだ。慌ててじたばたしている様も可愛くて仕方がない。
アスランは更に腕の力を強めて、カガリの動きを封じ込めた。
頬に当たっている金の髪に顔を埋めると、諦めたように抵抗が弱まった。
ぎこちない動きで、カガリの方からもおずおずと寄り添ってくれる。
アスランはこの瞬間が好きだった。
カガリから歩み寄ってくれる、自分への感情を確かめる事ができる数少ない行為のひとつだから。
アスランはゆっくりと顔を動かして、唇で触れていく。やわらかな頬に、耳朶に。
「ん……っ」
カガリが身動ぎして、アスランは我に返った。
いつまでもこうしているわけにはいかない。
最後にもう一度、名残惜しげに頬に触れると、アスランはカガリの細い肩を掴み、ゆっくり引き離した。
不思議そうに見上げてくる、この表情も好きだった。
「……そろそろ戻るよ」
カガリの体をソファに凭せ掛けて、アスランは振り切るように立ち上がった。
だがツン、と体が引っ張られる感覚に視線を落とせば、カガリの手がアスランの上着の裾を掴んでいた。
「もう、行くのか……?」
呟いてカガリは恥ずかしそうに顔を背ける。
それと同時に掴んでいたアスランの上着を離して立ち上がろうとしているのだろう、腰を浮かしかけた。
「だよな。今日も色々大変だったし、明日も忙しいもんな。もう休んで……」
素早く肩に手を置き、アスランは体重をかけてカガリをソファへと押し戻してしまった。
ぽすんと軽い音がして、カガリと、そしてアスランの体もソファの上で小さく跳ねた。
「あ、アスラン……?」
意志薄弱な自分に呆れながらも、アスランはそんな感情は表に出さず、微笑して囁いた。
「カガリが平気なら、もう少しだけここにいるよ……」
カガリの返事は分かっていた。少しずるいなとは思うけれど、アスランもそう余裕はない。
カガリに関する事は、言葉よりもまず、体が動いてしまうのだから――
「……少しだけなら、大丈夫、だ……」
消え入るような声で囁いて、カガリは真っ赤になった顔をアスランの胸に寄せて隠そうとする。
どうして彼女はこんな事をするのだろう。
これじゃ逆効果だ。そんな風にされたら、少しじゃ済まなくなる――
アスランはそっと肩に手を乗せ、強引な所作にならないようにカガリの体をおこして、顔を覗き込んだ。
赤い、赤い顔と、黄金の瞳がゆらゆらと瞬く様を見ながら――
アスランは眩しいものを見るように目を細めながらゆっくりと自分の顔を近付けていった。
タイトル「soldier」
05.12.29発行予定。A5 FCオフ 76P 600円。
SEED→DESTINY+DESTINY PHASE-1〜45。