急に胸の澱みが晴れ、体が軽くなったような気がした。

カガリは素早く瞳を開き、体を起こした。

目の前には心配そうにカガリを覗き込む顔。強く求めた、一番会いたかった人が、そこにいた。

カガリは必死で腕を伸ばし、ぎゅっとしがみついた。

「アスラン……ッ!」

アスランの匂いをいっぱいに吸い込んで、カガリは安心したようにほうっと息を吐いた。

子供をあやすように背中を優しく撫でてくれる大きな手が、おぞましい感触を忘れさせてくれる。

「うなされていたみたいだが……悪い夢でも見たのか?」

背中から頭に移動した手は相変わらず優しくカガリをなでる。

嬉しくなってカガリはより一層甘えるように頬をすりよせて―― やっと先程までの出来事が全部夢だったのだと認識できた。

「ああ……嫌な夢だった……」

少し早く職務を終えここに帰って来たが、とても疲れていたせいで、 ソファに腰かけてすぐうたた寝してしまったらしい。

だが不思議に思う事もあった。

自分で横になった覚えがないのに、カガリは肘掛に足をかけ膝を立てていて、 頭の下には――アスランの膝があった。

「……何でアスランがここに……!?」

カガリは自分の格好を見て確認した後、アスランに尋ねた。

カガリがここに戻って来た時、アスランはまだ帰宅していなかった。

なのにどうしてカガリの体の下にアスランの体があるのだろう。

カガリの疑問を察知したのだろう、アスランは小さく笑って顔を寄せてきた。

「帰って来たらここでカガリが気持ち良さそうに眠っていたから…… 寝顔を見るならここが特等席だろう?」

「……ったく」

額に、頬に、優しいキスの雨が降りそそぐ。

カガリは文句を言いながらも目を閉じ、黙ってそれを受けとめた。

「それで……どんな夢だったんだ……?」

耳朶にくちびるを触れさせてアスランが囁く。

カガリはくすぐったそうに小さく体を捩り、肩をすくめた。

が、夢の内容を思い起こすと、カガリはアスランの体を押し戻し、上機嫌な笑顔をじーっと見つめた。

「……どうした?」

小さく首を傾けるアスランに、カガリはぼそりと低く呟いた。

「……お前と、ラクスの息子が夢に出てきた」

愛しそうにカガリを見つめていた瞳が驚いたように大きく見開かれた。

カガリは自分の髪を一房摘み、低い声で続けた。

「自分の紫の髪を指して、これが証拠だ、って」

「はあ?何だそれは」

部屋中を満たしていた甘ったるい空気がゆっくりと変化していく。

カガリはふいっとそっぽを向いて、腕を組み、唇を尖らせた。

「知るか。髪はともかく、顔立ちは二人を足して二で割ったように可愛かったぞ」

「ちょっと待てよ」

ぐいっと肩を掴まれ、カガリの瞳に再びアスランが映りこんだ。

だがカガリは首を動かし視界からアスランを追い出した。

すると今度は両手で頬を挟みこまれ、強制的にアスランの方に向けられた。

「真実ならともかく、夢で怒られるのは納得がいかないんだが」

アスランの言い分は解る。

だが実際カガリは悲しかったし、不快な思いもしたのだ。

もっと文句を言いたかったのに目でそれを封じられ、カガリはむすっと黙り込んだ。

すると突然、強い力に引き寄せられ、カガリはあっという間にあたたかなアスランの腕の中にいた。

心地の良い温もりの中でカガリはあんな夢を見た理由に思い至った。

今日カガリはプラント評議会議長で友人でもあるラクスと、 プライベートでも利用しているホットラインを使って言葉を交わしていた。

次回の会談についての会話がほとんどだったが、 最後に少しだけ、お互いの伴侶についての話になるのはいつもの事だった。

この日カガリは初めてキラと出会った時の事を、 ラクスは初めてアスランと対面した時の話を聞かせてくれた。

「『わたくしたちの子供は紫の髪になるのでしょうか』と言ったらお茶を吹きだされて……」

それを聞いた時カガリはラクスと一緒に笑っていた。

その時は特に不快に思ったわけではなかったが、きっと心に引っ掛かっていたのだろう。

遠い過去に嫉妬するつもりは、カガリにはなかった。

だがアスランは覚えているだろうか。

ラクスの突拍子もない発言を――

「……そういえば、お前の息子に迫られたな……」

「何だって!?」

自分ひとりがもやもやした気持ちを抱えているのは何だか癪だった。

カガリがぽそりと呟くと、案の定アスランは食いついてきた。

短く叫んでカガリの肩を掴み、じっと見つめてくる。

その瞳は大きく見開かれ、驚きと、ほんの少しだけ怒りが満ちていた。

「それは一体……というか、いくつだ、そいつ」

あからさまに不機嫌な声音に、カガリは俯き、こみ上げてくる笑みをかみ殺した。

しかし掴まれている肩がぷるぷると震えているせいですぐにバレた。

「カガリッ!」

我慢できず、体を折り曲げてくすくす笑いながら、カガリは腕を伸ばし、それを左右に軽く振った。

「アスランの子供だって言っているだろう? これくらいの背の高さで……髪の色と口調がユウナにそっくりで……」

「何だよ、それは」

アスランはカガリの髪をくしゃくしゃにした後、手で頬を手挟み込んで上向かせた。

本気でムッとしているアスランに微笑んで、カガリは腕を伸ばし、自分の方へと引き寄せた。

「夢の中の話だろう?」

カガリはそっと耳元で囁いた。

あの時は本当に怖かったけれど、もう大丈夫。

今、自分を包み込んでくれる温もりは、こんなにも安心できる。

最初は不貞腐れていたアスランも、 やがてカガリを抱きしめながら髪に、額に、頬にくちびるで触れていく。

逆上せたようにぼうっと気持ちよくなっていく。

カガリの火照った耳に、アスランの吐息がかかる。

「ああ……俺の息子はひとりだけだ……」

「帰っていたのですね、二人とも……」

頷こうとしたカガリの体が、ぴき、と固まった。

突然割り込んできた自分とアスラン以外の声に、カガリは咄嗟に腕を突き出して離れようとした。

だがぴたりと触れ合うたくましい胸はぴくとも動かない。

それどころかますますカガリを囲む腕の力は強まっていく。

「ああ、ただいま」

「……おかえりなさい。父さん、母さん」

平然としたアスランの声と、呆れたような幼い声に、 カガリは全身からひんやりとした汗が噴き出るのを感じた。

今更とは思ったが、カガリはソファの背凭れに隠れるように体を縮こまらせた。

だがアスランは逆にカガリを抱きしめたまま体を起こしていた。

カガリはソファの影でこっそりアスランの体を叩いて反抗した。

「おいっ、ちょ、離せって!」

小声で訴えてもアスランは何事もないかのように涼しい顔を部屋の扉の方へと向けていた。

そして――

「母さん、慣れてますから、気にしなくていいですよ」

抑えていた筈の声は、あちらに丸聞こえだった。

カガリは再び硬直し、息を止めた。

だが緊迫した空気を発しているのはカガリのみで、男二人は和やかに会話を続けていた。

「十分後には夕食だそうですから、遅れないようにお願いします」

「ああ、先に行っていてくれ。じゃあ、また後で」

ぱたんと静かに扉が閉まると同時に、 カガリは大きく腕を振り上げ、アスランの胸をどんっと力いっぱい叩いた。

「……ッ、バカッ!」

だがアスランは楽しそうに、真っ赤になっているカガリの顔を覗きこむように見つめてきた。

――実は――こんな事は珍しくも何ともない、この屋敷の日常だった。

最初は真っ赤になって部屋を飛び出していたのに、 今ではあんな風に気を利かせてくれるようになってしまった。

いつまでも慣れないのはカガリひとりだけ。アスランは昔からひとり平然としていた。

それは勿論、今でも変わらない。

「カガリ……」

時間を惜しむように、アスランは再びカガリを抱きこんでキスの雨を降らせてくる。

ついさっきまでそこに息子がいた事などなかったかのように。

カガリは小さくため息をつくと腕を伸ばして、のしかかってくるアスランを受け入れた。

くちびるを重ね、それが深く激しいものへ変わっていく。

片隅に愛しい息子の言葉を残しながら、カガリの頭の中はアスランでいっぱいになった。

二人は与えられた時間ぎりぎりまで、ソファで甘いひとときを過ごした。












タイトル 「ソファU」

07.8.17発行。A5 FCオフ 12P