――ようやく長い眠りから目を覚ましたその時、カガリの瞳には見慣れない天井が映し出されていた。
体に掛かるシーツも、いつもと肌触りが違う。
カガリはゆっくりと首を傾けて、辺りを見回した。
窓も何もない、白い部屋だった。
ただベッドがぽつんと隅に寄せられていてカガリが横になっている、それだけの部屋だった。
と、ベッドから少し離れた壁際に佇む人影を見つけて、カガリはどくん、と胸を震わせ、目を見開いた。
オーブの白い軍服に身を包み、
壁に凭れ腕を組んでじっとこちらを睨むように見つめる人物――
直接姿を見たのは、実に三年ぶりだった。
会いたかった、でも会いたくなかった。今はまだ。
言葉を交わさずとも、見つめただけでこんなにも心乱されてしまうのなら。
カガリは気だるく重い体を強引に起こし、小さく口を開いたまま、アスランを見つめ続けた。
アスランも何も言わず、カガリをまっすぐに見つめている。
何と声を掛けていいのか分からないまま、カガリは鈍い自分の体を強引に動かして、
ベッドから足を出し、冷たい床の感触に顔を顰めた。
そのまま立ち上がろうとするが、うまくバランスが取れなくて体がぐらつく。
慌ててベッドに手をついて、倒れることはなんとか逃れながらも、
カガリはアスランから目を離せないまま、歩き出そうと足と腕に力をこめた。
その時、ずっと黙ってカガリを見ていたアスランが、腕組みを解いて壁から離れ、
ゆっくりと近付いてきた。
どくん、とまた胸が鳴って、カガリは咄嗟に後ずさるように体を引いた。
とん、とベッドの縁が膝の裏側に当たると、カガリはあっけなくそこに座り込んでしまった。
「起き上がれるようなら、大丈夫だな」
久々に聴いたアスランの声は、全く抑揚がなかった。
だんだんと大きくなってくるアスランの姿に小さく慄きながら、
カガリは頭の中でたったひとつの疑問を渦巻かせていた。
何故――アスランと自分がこの部屋にいるのか。
この状況はカガリにとって、とてつもなく恐ろしいものだった。
脳内で細い糸がぐちゃぐちゃに縺れた状態のまま、カガリは震え出しそうな唇で何とか声を絞り出した。
「な、なんで……こ、ここは……」
思ったように声が、言葉が出ない。
アスランはすこし距離を置いてようやく立ち止まると、カガリの疑問を読み取って短く答えた。
「俺の部屋だ」
もしかして、と思っていた悪い予感が的中した。
カガリは表情を強張らせると、アスランをじっと見つめ、放心状態のまま呟いた。
「な……なんで……」
「しばらくここに居てもらう」
すぐに言葉を返して、アスランはくるりとカガリに背を向けた。
カガリは咄嗟に立ち上がり、その後を追おうと足を踏み出した。
「な、なんで私がお前の部屋に」
居なくちゃいけない、と続けるつもりだったが、急に立ち上がったせいかバランスを崩し、
前のめりになった。
振り返ったアスランが顔色ひとつ変えず指先で軽くカガリの肩を突くと、
再びベッドへと身を沈められる。
「ゆっくりしていくといい。俺は隣の部屋にいるから、何かあったら呼んでくれ」
淡々と告げると、アスランは再びカガリに背を向け、部屋を出て行こうとする。
カガリはぐっと腕に力をこめ、何とか体を起こすと、
温もりの感じられないアスランの背中に言葉を投げつけた。
「待てっ!私の質問に答えろ!」
体を起こしながら大声を上げるのはとても辛かったが、カガリは力を振り絞ってアスランを呼び止めた。
立ち止まり、振り返ってはくれたが、アスランの表情はどこまでも無機質で、冷ややかだった。
「必要なものがあれば言ってくれ。用意できるものは提供する」
それだけ言って、アスランは扉の向こう側へと消えていった。
ベッドに腰掛けたまま、カガリは呆然と閉じられた扉を見つめ続けた。
だがその体勢も苦痛になってきて、カガリはゆっくりとベッドに横になり、白い天井を見つめた。
――あれから――カガリが倒れてから、どれくらい経ったのだろう。
カガリはこうなるまでに至った経緯を思い返し始めた。
会議終了直後、倒れた事は何となく覚えている。
朝から具合が悪かったのを必死で隠し、気丈に振舞っていたが、最後の最後で限界が来た。
そこからの記憶は全くなく、この部屋まで飛んでいた。
合間に少し夢を見たような気がするが、よく覚えていない。
とにかく、会議の後倒れたのなら、自分はすぐに病院へと運ばれたのだろう。
だがカガリは今病院ではなく、アスランの部屋にいる。となると答えはひとつしかない。
しかし、いくらアスランが優秀な軍人であっても、
代表首長であるカガリを厳重な警備が布かれたであろう病院から攫ったりできるのだろうか。
カガリは再びゆっくりと体を起こし、アスランが出て行った扉を睨みつけた。
そのまま全身に力をこめて立ち上がろうとする。
気だるい感覚に顔を顰めながらもカガリは裸足のまま冷たい床の上に立ち上がると、
ベッドから壁をつたってゆっくりと歩き出した。
支えがないと歩けそうになかったので、ベッドからまっすぐ扉に向かう事ができなかったのだ。
時間をかけ、ようやく扉の前に立ったカガリは、扉に触れそれを開こうとノブを握った。
だがそれはうんともすんとも動かない。
カガリは必死に今出せる全ての力を両手に込め、カチャカチャと回し、
前後左右に引いたり押したりしてみた。だがそれでも扉は開かなかった。
カガリはノブから手を離すと、扉をキッと睨みつけ、拳を作るとそれを叩きつけた。
「アスラン、アスランッ!」
どこにも出掛けていなければ、扉の向こうにアスランがいる筈だった。
案の定、アスランは隣の部屋にいたらしく、すぐに返事があった。
「どうした」
だが目の前の扉が開かれる様子はない。
焦りのない、通常の声音に、カガリの頭にカッと血が上る。
「何で鍵が掛かっている!?ここを開けろ!」
カガリは荒い呼吸を繰り返しながら渾身の力を振り絞り、重い扉をダンッ、と叩いた。
だが開く気配のない扉のすぐ向こうで、アスランの声が落ち着いた口調で返ってきた。
「何か用か」
用も何もない。
ただここから出たいだけだ。
分かっているくせに――カガリはますます憤慨し、先程よりも強い力でバンッ、と扉を叩いた。
「早くここを開けろ!」
大きく口を開き、声を張り上げたその時、頭がぐらりと傾いた。体中の力が抜けていき、
カガリは一気にその場に崩れ落ちた。
こんなところで倒れている場合じゃない、
早く立ち上がってここから出なければ――だが体はちっとも言う事を聞いてくれない。
「カガリ!?」
扉の向こうにいるカガリの異変にすぐ気付いたらしいアスランが、すぐに扉を開いて現れた。
蹲るカガリの肩に手を置き、顔を覗きこんでくる。
その表情は先程までの冷ややかなものではなく、カガリを気遣う、心配げなものだった。
タイトル 「笑ってよ」
09.2.1発行予定。A5 FCオフ 84P 700円。