暖かな春の風が数センチ程開けた窓から優しく吹き込み、濃紺の髪を揺らす。
と、白いカーテンがふわりと風を巻き込んで、アスランの頬をたたいた。
まるで咎めるかのような仕業に、アスランは忌々しげに眉をひそめた。
「……こんな所で眺めてないで、行けば?」
的を射た友ののんびりとした口調に、アスランは更に顔を顰めた。
校舎の最上階にある生徒会室の隣の空き教室。
いつしかここは、アスランやキラ、他数人の気の知れた仲間達が、
放課後を気ままに過ごす空間と化していた。
メンバーは総勢八名。学年もクラスも、性別も違うこの面子は、
この高校ではちょっとした有名人だった。
あまりパッとしない生徒会の面々よりも人気があって、先生達にも一目置かれている。
だが今はアスランとキラ、二人しかいない。
何故ならそれは――
キラはグラウンドを睨むように見つめ続けているアスランを見てこっそり苦笑すると、
あからさまに大きなため息をついた。
「……何で、ああいう事になったのか、知ってる……?」
アスランは何も答えない。
まるでキラの言葉など、聞こえていないかのようだ。
グラウンドを見つめる視線は相変わらず、元気に走り回る紅一点に向けられていた。
「……アスランのせい、だよ?」
やはりアスランは何も言わない。だが、物言わぬ唇が不機嫌そうに歪んだ。
キラはそんな様子にも構わず、のんびりした口調で続けた。
「アスランが……イザークとの勝負を断るから……」
「……うるさいな」
ようやくアスランは、低く呻くような声を上げた。
キラは満足そうに笑うと、アスランの唇からグラウンドへと視線を移した。
「三十分くらい前かな。酷くご立腹の様子でイザークがここへとやって来てね。
カガリと僕に愚痴を聞かせ始めたんだ」
アスランはずっとグラウンドに目を向けたままだ。
だがキラの話に黙って耳を傾けているのは解っている。
物心ついた頃からの付き合なのだ、解らないわけがない。
「あの腰抜けは俺に負けるのが怖くて逃げたんだ!って叫んだ途端、カガリが怒り出してね」
イザークの人を馬鹿にしたような口調を真似ながら、キラはアスランの反応を窺った。
少しは嬉しそうな顔をするかと思ったが、その表情は変わらなかった。
「私が勝負してやる!……ってわけさ。ね、君のせいでしょ?」
それどころか、ますます口元は歪み、眉間に皺まで寄せている。
キラはこっそり息をつくと、再びグラウンドに視線を戻した。
一時的にカガリのチームメイトとなったサッカー部員が丁度、パスを出すところだった。
「最初はイザークも困惑して、女となんかやれるか!って断ってたんだけど……
逆にカガリから負けるのが怖いのか?とか言われちゃって……」
その時のイザークの顔を思い出し、キラはこっそり微笑んだ。
顔を真っ赤にして「あんな腰抜けと一緒にするな!」と怒鳴ると、
今度はカガリが「腰抜けじゃない!」と怒鳴り返す。
結局カガリに押し切られ、二人はグラウンドに出てサッカー部員を巻き込んだ。
あの二人の我侭に逆らえる者など、サッカー部員の中には存在しない。
寧ろあの二人と接する機会ができて、喜んでいるかもしれない――
「勝負が始まってすぐは、イザークも適当にあしらってるっぽかったんだけど、
カガリが結構やるもんだからさ。
今はあの通り、ってわけ」
パスは通らず、ボールを奪ったイザークと、それを奪われたカガリは、
グラウンドの中央で小競り合いを続けていた。
イザークはなかなかカガリを振り切る事ができず、少しイラついているように見えた。
二人の腕が、足先が、相手に触れぶつかる――
「……キラ」
グラウンドを睨みつけたまま低く呟くアスランに、キラはちらりと視線を向けた。
アスランの怒りの矛先が自分にも向けられた事を察したキラは、可笑しそうに口元を緩ませた。
「なあに?」
「お前……そこまで詳しく知っているという事は……」
やっぱり気付いたか、とキラは小さく笑った。
「うん、一部始終見てたよ」
「何で止めてくれなかったんだ!」
気付けばアスランはまっすぐにこちらを睨みつけていた。
キラは思わずふきだしそうになるのを堪えながら、全く悪びれる事なく当たり前のように答えた。
「あの二人が僕の言う事を聞くと思う?」
しばしキラ
はアスランと見つめ合う形になった。
お前なら可能だろう、という無言の圧力が込められた視線が突き刺さるが、
キラは痛くも痒くもなかった。
確かにキラが本気で止めれば、あの二人は今グラウンドでボールを追いかけたりはしていないだろう。
だがそこまでして止める必要はないと思ったし、実際キラは止めなかった。
イザークがムキになってカガリに怪我でも負わせるというなら話は別だが、
そんな事にはならない筈だ。
キラが止めたりしない事は分かっていて、それでも文句を言わずにはいられなかったのだろう。
深々とため息をつくと、アスランはふいっと視線を外し、またグラウンドを眺め始めた。
再び眉間に皺が寄っていくのを見て見ないフリをして、キラは身を乗り出し、アスランに顔を近付けた。
「そんな事よりさ」
邪魔だ、と言わんばかりにアスランの眼差しが細められる。
さらに文句を言われる前に、キラはにっこりと微笑むと、早口に、だがしっかりと言い放った。
「もうすぐ僕、誕生日なんだよね」
すぐさまつまらなさそうに視線を逸らしたアスランに、キラは少しムッとした。
誕生日と聞いてその態度はどうなのか。
だがアスランの態度にすぐ変化はおとずれた。
ゆっくりと大きく目を開き、キラを見る。
いや、キラではなく、それを通り越してグラウンドを走るカガリを見ていた。
それに気付いたキラはぷうっと頬を膨らませて、再びアスランの視界に割り込んだ。
「ちょっとアスラン、聞いてる!?」
アスランはキラの言葉など全く耳に入っていなかった。
キラの頭をぐいっと押しやり、カガリを瞳に映すのみ。
だがきっとカガリの姿も見えていないだろう。
アスランは自らの思考に沈み込み、あるひとつの事柄のみを考えているのだ。
カガリ曰くこれを「ハツカネズミ状態」と言うらしい。
アスランが何について考えているのか、キラには大体予想がついていた。
――キラと双子のきょうだいであるカガリも、もうすぐ誕生日だ。
どうしよう、何をプレゼントしよう――
そんな事を考えているに違いない。
無駄と知りつつもキラは再びアスランへと顔を寄せ、大きな声で叫んだ。
「ねぇ、聞いてる!?」
もうアスランはキラを追い払おうとはしなかった。だがやはりキラの言葉は全く聞こえていない。
キラはのろのろと体を引き、深いため息とともに呟いた。
「……もうっ!」
タイトル 「紳士協定 prologue」
08.05.11発行予定。A5 FCオフ 36P 400円。