その3 誕生日の思い出 「楽園へ行きましょう!」 最終話



   「……長太郎。お前は、留学して遠くへ離れてしまったら、心まで俺から離れてしまうのか? 」

   宍戸のそんな呟きに、鳳は、大きく頭を横に振ると、力強く答えた。

   「そんな事は絶対にありません。俺は、ずっと宍戸さんを思っています。

   もし、宍戸さんと別れる日が来たとしても。俺の気持ちは永遠に変わらないと思います。」

   そんな鳳の言葉に、宍戸は、優しく微笑んだ。

   「長太郎。俺だって同じだ。お前がドコにいても。俺はお前の事を思っているからな。」

   鳳は、そんな宍戸の言葉に涙ぐんだ。少しだけ息をついてから、こんな話を宍戸へ告白した。

   「宍戸さん。俺は、きっと両親に良く似ているんです。彼らと同じ事を宍戸さんに

   していましたから……。

   ……宍戸さん。この島は、子供の頃、俺が父親からもらったものなんです。」

   鳳の話は、宍戸には、不思議な内容だったけれど、じっと彼の言葉に耳を傾けた。

   「子供の頃、俺は、やっと泳げるようになって……嬉しくて。父に『海で泳ぎたい』と

   言いました。そうしたら、父は、この島を購入してくれました。でも、違いますよね? 

   俺が親にして欲しかったのは、そういう事ではありません。」

   鳳は寂しそうに顔を伏せたので、宍戸は、その柔らかな髪を撫でてあげた。

   「お前……。家族と一緒に、海へ行きたかったんだろ? 

    泳げるところを見て欲しかったんだろ? 」

   鳳は、宍戸に言い当てられて、驚いた顔をした後で、嬉しい様子で笑ったのだった。

   「はは。やっぱり、宍戸さんは凄いです。何でも、お見通しなんですね。

    ええ、俺は、一人で島に行って、毎日泣いていましたよ。確かに、素晴らしい島だけど。

    こんな場所で、子供一人きりで何をしたら、良いのでしょうか? 

   俺の親はそういう事が良くわかっていないんです。

   そして、彼らに育てられた俺も……わかりません。

   宍戸さんに何をしたら、喜んでもらえるのか、俺には、今も全くわからないんです。」

   そういう鳳に、宍戸は、明るく笑いかけた。

   「そんな事は、簡単な事だ。

   俺は、お前がする事なら、何でも嬉しいよ。

   内容はどうであれ、俺のためを思って、いつも頑張ってくれたんだろ? 

   その気持ちは、ものすごく嬉しいよ。

   俺が喜んでいないなんてのは、お前の勝手な思い込みだからな! 」

   宍戸に、最後の台詞で睨まれて、鳳は首をすくめた。

   「この島へだって。悪気があって、連れてきたわけじゃ無いんだろ? 」

   「ええ。宍戸さん。俺、この島は嫌いでは無いんです。父が俺のために買ってくれた島

    ですから。ただ、もう二度と一人で来るのは嫌だったんです。

   だから、いつか大好きな人と一緒に来たいと思っていました。

   ……でも、何だか、ひどい事になってしまってスミマセン。宍戸さんとお別れしても、

   今日の日の事は絶対に忘れません。

   俺、ドコにいても宍戸さんの事が大好きですから……。」

   また、頭を垂れてしまった鳳の後頭部を宍戸は、軽く叩いた。

   「お前……。勝手に問題を終わりにするなよ。今から、俺の言う事を良く聞けよ。

    俺は、最初に言ったと思うが。別に氷帝学園じゃなければ、駄目って事は無いんだ。

    他の学校でも……。」

   その宍戸の言葉に、鳳は慌てふためいた。

   「駄目ですよ、宍戸さん! 退学なんて、絶対に駄目です。俺が、一人で学園を去れば、

    それで終わるのですから……。宍戸さんが犠牲になるのは、絶対に駄目です。

    そんな事、俺は死んでも死に切れませ……。

    うわっ! 」

    しゃべり続ける鳳の頭に、宍戸は、今度は力いっぱい拳を叩き込んだ。

   「お前……。もう少し落ち着いて、俺の話を聞けよなッ! 

    氷帝学園を出た後で、もう一度違う東京の学校に編入するなんて、いつ言ったんだよ。

    学校なんて、世界中にあるだろうが……。」

   「世界中……? 」

   不思議そうな顔で、宍戸を見ている鳳に、呆れたように宍戸は呟いた。

   「もし、お前の両親を説得できなかったら。お前は、ヨーロッパの学校へ入るんだろ?

    俺も、その学校へ編入すれば済む話じゃね〜かよッ! 別にテニスが出来るんだったら、

    俺はドコでも良いんだからな。」

    そう言って笑う宍戸へ、思わず、鳳は抱きついてしまった。

   「うわあああ〜、凄いです! 宍戸さんって、やっぱり天才かもしれませんッ! 」

   「重いッ! 長太郎、お前、抱きつくんじゃね〜よ。こっちは身体中がボロボロ

    なんだからな。骨がミシミシ音を出しているじゃね〜かっ! 」

    逃げようとする宍戸を、鳳は羽交い絞めにしていた。

    嬉しくて仕方が無かったからだ。

   宍戸と別れるという事実で、自分が混乱している最中、ずっと宍戸は、こんな事を

   考えてくれていたのだろうか?

   自分のために、宍戸は、頭を捻ってくれたのだ。

   二人で一緒に、遠い地へ赴いても良いと言ってくれているのだ。

   普段は、本当に可愛らしい人だけど。こんな時、やはり彼は年上の先輩なのだと、

   鳳は思い知らされてしまう。

   自分よりも考え方がしっかりしており、いつも冷静で……彼は、ずっと大人だった。

   鳳は、こんな時に、悔しくてならなかった。

   島に着て最初に、宍戸が「親御さんの言った通りだ。俺達の方が間違っている。」と

   指摘した時も、同じような苦しさを感じた。

   自分とは違う、こんな宍戸の大人びた考え方が、年齢の差を痛いくらい鳳に

   実感させてしまう。

   これが、宍戸へ無茶をしてしまった理由の一つのようにも思えていた。


   彼の誕生日である九月二十九日が来たら、さらに二人には大きな差が出来てしまうのだ。

   「はあ〜。これからは、二歳も年が違うんだよなぁ。」

   鳳の小さな呟き声は、遠くで聞こえている波の音に消されてしまった。

   宍戸の誕生日を嬉しいと思う反面、鳳は、同時に悲しい気持ちも毎年のように味わうの

   だった。

   「うわ〜〜ん、宍戸さん。いつまでも、変わらないでくださいねぇ。俺、頑張って、

    早く大人になりますから。それまで、呆れずに待っていてくださいねぇ。

   宍戸さんが驚くくらい……もっと、ビックな男になりますから……。」

   宍戸は、鳳の腕の中で苦しかったが、この部分にはツッコミを忘れなかった。

   ……それ以上、お前がデカくなってどうすんだよっ! 俺を押しつぶす気なのかよッ! 」

   彼の巨体を抱きしめ返すには、宍戸の体力はすでに限界点に来ていたのだった。


                         ★


   鳳は、翌朝になり、宍戸に促されて自宅へ帰宅の報告をした。

   時間をかけて国際電話をかけている鳳の後ろ姿を、宍戸は微笑んで見つめていた。

   鳳が電話を済ませて、朝食の食卓へ帰ってきたので、宍戸は、鳳へ結果を聞いてみた。

   はい。良い旅行で良かったね……と、父も母も言っていました。」

   その鳳の台詞に、宍戸は首をかしげていた。

   鳳は、家出をしていたのでは無かったのだろうか? 

   どうして、そんな暖かな会話が電話で展開するのだろうか?

   ふと、宍戸は疑惑を感じて、パンにバターを塗って食べ始めた鳳に、こんな質問をした。

   ……なあ、お前。両親には、何て言って家を出て来たんだ? それとも……

   置手紙なんかを部屋に残してきたのか? 」

   鳳は、驚いた顔をして、宍戸を見つめた。

   「えっ? 朝、玄関口にタクシーを呼んでもらって、母に『海に行ってきます』と言って、

   出てきましたけど? それが、何か? 」

   宍戸は、思わず、スクランブルエッグを食べようと握っていたフォークを、鳳へ

   向かって投げ付けてしまった。

  「……そ、それのドコが家出なんだッ? 

   まるっきり楽しい旅行へお出かけの図じゃね〜かよッ! 」

   間一髪で、顔面へのフォークの直撃を避けた鳳は、慌てた様子で言葉を付け足した。

  「でも……俺。行き先を両親へ告げずに、外出したのは、これが初めてなんですよ。

   親に内緒で、恋人と一緒に旅行をするなんて……。凄い勇気のいる事だったんです。

   もう……今でも、心臓が爆発しそうですから。

   ああ、宍戸さんと一緒に、こんな楽園みたいな島で、朝食を食べているなんて、

   夢みたいです……。」

   危うく宍戸は、右手で握っていたナイフまで、鳳に投げそうになったが、何とか理性を

   総動員して自分の気持ちを押さえ込んだ。

   鳳の家が深刻な状態で無かったのは喜ばしい事なのだが、何か根本的に納得できない。

   この常識外れの大馬鹿者を、誰か何とかして欲しい。

   本気で、そう思ってしまった宍戸亮だった。

   成田空港に、宍戸が降り立った時、それまで消していた携帯電話の電源を入れると、

   メールの着信を知らせる音楽が鳴っていた。

   宍戸が慌てて携帯を確認すると、着信履歴からはみ出しそうな程の受信メールが

   入っている。

   (昨日と今日で……二百件、越えている?? )

   中を見ると、謎のメールで溢れかえっていた。

   『うぜぇ、お前ら。朝っぱらから俺様の家に電話するんじゃねぇっ! 跡部 』

   『ようやるなぁ〜お前ら。ところで、新婚旅行の行き先は決まったんか? 

                                 土産よろしく。 忍足 』

   『追い詰められたのは、わかるが、駆け落ちはマズイ。

                      せめて、学校は卒業するべきだ。 日吉 』

   『良いなぁ〜駆け落ち。それ面白いの? 芥川 』

   『う〜ん。俺は、あんまり関心無いなぁ。今は遊ぶ方が楽しくない? 向日 』

   『部活はサボるな。 榊 』

   『ウスッ! (お二人とも、身体には気をつけてください〜跡部訳〜) 』

   宍戸の携帯を持つ手は震えていた。

   隣で、コンテナから荷物が運ばれて来るのを待っている鳳に小声でたずねた。

   「おい、長太郎。……お前、日本を出る前に、テニス部の連中に何か言ってきたのか? 」

   鳳は、そんな宍戸の問いかけに、笑顔でこう答えた。

   「ええ、時間が無かったので、みなさんにメールを送りましたよ。

    もしかしたら、二度と会えない可能性もあったので……。

    やはり、お別れの挨拶は必要だと思いましたから。」

   慌てて、宍戸は鳳の携帯を奪うと、送信履歴を確認した。



   『本日。私、鳳長太郎と、宍戸亮は、南海の楽園へ旅立つ事となりました。

    これから、二人水入らずで幸せな日々を過ごしたいと思います。

    二人を引き合わせてくれたテニス部での、充実した毎日を、決して私達は

    忘れる事は無いでしょう。

    みな様の中等部、高等部での、今後の活躍を心より願っております。

                                 では、お元気で。』



    確かに、この文面では、『駆け落ち』以外の何者にも見えない。

    宍戸は、思わず、その場へしゃがみこんでしまった。

    鳳の両親を説得する以前に、すでに、学園の退学が決定しているような気がして

    ならなかった。

    氷帝学園二百名の部員全員に、鳳は、このメールを送ったのに違いなかった。

   「……長太郎。何で、お前は。こんな時だけ……そんなに律儀なんだよッ! 」

    顔を上げて睨みつける宍戸を、鳳は、わけがわからない様子で眺めていた。

   「俺……。また、何かやってしまいましたか? 

    し、宍戸さん? かなりマズイのでしょうか? 

    普通、そういう文面でメールを打ったら、いけないのでしょうか? 

   何か特殊な決まり事でもあるのでしょうか? 」

   全く事の重大さを理解できていない鳳の能天気な態度に、宍戸は結局我慢できずに

    キレてしまった。

   「こんのっ大馬鹿野郎ッ! 明日から、学園に通え無いだろう〜が、どうすんだよッ! 」

   もし、退学では無かったとしても。

   きっと、学園中がその話題で持ちきりのはずだった。テニス部の連中は、

   そういう揉め事を、内緒で隠しておけるような人間達では無かったからだ。

   (絶対……面白がって、噂に尾ヒレを付けて、広めてやがるに違いない! )

   一体、今頃、どんな状態になっているのか、想像するのも恐ろしかった。

   (いっそ、あのまま長太郎の言うとおり。

    楽園から、帰って来なかった方が、俺達は、幸せだったのかもしれない。)

   宍戸は、自嘲気味にそんな事を思うと、やっと探し出した荷物を持ち上げた鳳に

    笑いかけた。

   「長太郎。とにかく……これから、お前の家へ行こう。俺も一緒に、親御さんに

    話をするよ。結果は、どうなるかわからないけど。悪いようにはしないから。」

    それから、次は、学園とテニス部に行かないとならない。

    鳳と一緒にいると、予想を越えた刺激的な毎日が送れるものだと、宍戸亮は溜め息を

    ついていた。

    明日には、明日の風が吹く。

    そんな言葉を、宍戸は思い出していた。

    こんな強風も、嵐の時も人生には多いけれど。

    でも、時には、柔らかな春の風が吹き抜けたり、情熱的な熱波に身体を浚われたりする。

    そういう事も悪くは無いような気がしていた。

   「別に嫌いじゃね〜よ。そういう人生。」

    宍戸は、そう言うと、鳳から荷物を一つ受け取り、空港を走り出した。

    慌てて、鳳もその後を追いかけ始めた。

    宍戸亮には、すでにわかっているのだ。

    楽園は、もっと、自分の近いところにある。

    鳳長太郎と一緒に入られる場所。

    それが、自分にとっての楽園なのだ。

    氷帝学園だろうが、ヨーローパの学校だろうが、南海の孤島だろうが。

    大好きな彼と二人ならば、そのドコでも自分には、最高の場所になってしまう。

    だから、彼の生きてゆく道には、決して迷いは無かったのだ。





              彼らの明日は、幸せで溢れている事でしょう。

                             楽園へ行きましょう! 了




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