宍戸さんには、お金が無い! その2 〜当主様のお名前は?〜 の巻 俺は、黒塗りのベンツの広い後部座席で憮然としていた。 隣には、白髪でサングラスをした初老の男が乗っている。 他にもう一人、格闘技でもやっていそうな体格の良い運転手が乗っていた。 二人は同じような黒いスーツ姿だった。日本製か外国製かはわからないが、 値段がはりそうなシロモノだと思った。 なるべく、その男達を見ないように、俺は窓の外に移る町並みを眺めていた。 先ほどから気になるのは、『 ベンツに黒服 』と来たら、次は、『 何代目親分 』や 『 姐サン 』じゃ無いだろうか? そういう堅気では無い人達が、これから、登場するかもしれないと言う怖い予想をして、 俺は何度も身震いしていた。 とにかく、俺は《 ご奉公 》する家へと向かっているらしい。 まだ、その相手が誰かと言う事も、自分が連れていかれる場所も、仕事内容も何も 知らされていなかった。 ただ、わかった事は、隣に座っている男の雰囲気が、尋常では無いと言う事だった。 俺はテニスを小さい頃からやっており、自分の反射神経と足の速さには、かなり自信があった。 しかし、両親の話が済んで、間もなくやってきたこの男に、逃げようとした俺は、 簡単に取り押さえられてしまったのだ。 六十歳はとうに過ぎていると思われる相手に、片手でねじ伏せられ、 俺は文句を言う隙も無いまま、ベンツの後部席に投げ込まれた。 母が、俺の荷物の入ったバッグを渡そうとすると、男達はそれも拒否し、あっという間に ベンツは走り出した。路上でうずくまって泣いている母の姿を思い出し、俺は怒りがふつふつと 蘇ってきた。そのため、隣の男への恐怖感も忘れて、言葉に出して怒りをぶつけてしまった。 「おい、お前らは誘拐犯なのか? これから、俺を外国にでも売り飛ばす気なんだろう! 」 すると、男は驚いた様子で俺の方へと振り向き、サングラスを外した。 その目は、予想していた物とは異なり、小さな皺で囲まれた優しい印象のものだった。 その年老いた顔は、俺に柔らかな笑顔を向け、丁寧な口調でこう言った。 「これは申し訳ありません。宍戸亮様。 私は、決して手荒な真似をしたかったわけではありません。 申し遅れましたが、私は、侍従長の黒沼でございます。 一緒にいる運転手は岩槻と申します。 私達は、ご当主様に命じられて、亮様をお迎えにまいりました。」 どういう言い方でも、結局、誘拐じゃね〜のか? と首を捻って悩んでいる俺に、 その黒沼と言う男は、事情を簡単に説明し始めた。 現在、俺達が向かっているのは元華族の名家であり、俺の祖父は、昭和初期に、 その家から多額の援助をしてもらい、事業を始めたが失敗してしまった。 一家離散という状態まで追い詰められた祖父は、さらに借金まで、その家に 肩変わりしてもらったと言う。今は、祖父も亡くなり、借金も帳消しになっているが、 当時、利息として、《 ある約束 》をしたらしいのだ。 「その約束は何かと申しますと、このような内容でした。 一つ。 宍戸家の者は、代々、当主様に忠誠を誓い、一生涯かけご奉公する事。 二つ。 当主様に一大事が起こった場合、他の全てを投げ出しても、最後まで献身的に尽す事。 三つ。 例え、何があろうとも、決して当主様の意には背かない事。 四つ。 当主様の私事に関しては、他言無用にする事。 以上、このようになっております」 一通り、説明は聞いていたが、俺はまだ半信半疑だった。それどころか、逆に謎が 増えたように思っていた。《 一生涯 》《 全てを投げ出す 》なんて、物騒な単語の多く 入っていた説明だったが、俺の頭は混乱していたので、この程度にしか理解できなかった。 「つ、つまり。俺はじーさんの借金のせいで、その《 当主様 》とやらに 《 奉公 》する……。つまりは。」 俺はゴクリと唾を飲み込んだ。 「つまり、その人間に雇われた《 召使い 》って事か? そういう事なのか? 」 黒沼は、「その通りです。」と、あっさりと頷いた。 さらに、こんな説明もつけ加えた。 「宍戸家は、もともと《 当主様のために存在する家 》なのです。 《 そのために作られた 》と言っても良いでしょう。 例えば、亮様のお父様は、学校の教師をしておられますが、それは、当主様の姉君が以前 通われていた私立の高校でございます。実は、学園内で、お嬢様の警護をお願いしておりました。 最近では、当主様が外出する際の警護もお任せしています。 さらに、亮様のお母様には、当主様の母君のお世話を。奥様が買い物や習い事の際には、 必ず、ご同行をお願いしているのです。 それから、今年、亮様のお兄様には、お嬢様が 留学した際、警護のため一緒に渡英していただきました。 つまり、掻い摘んでしまえば、当主様が《 宍戸家をそっくり雇っている 》のでございます。」 俺は、驚きのあまり言葉を失った。 確かに父は休日、ほとんど家にいた例がなかった。それが、当主とやらの警護のためとは 思いもよらなかった。 さらに、母の外出も、兄の留学も、そんな理由があるなんて想像した事も 無かったのだ。 黒沼は、さらに、俺が驚く事実を教えてくれた。 「亮様。あなた様は《 当主様のお世話をする 》ために選ばれた特別な役回りがございます。 実は、通っていらっしゃる氷帝学園には当主様も在学中なのです。 そのため、亮様にも幼稚舎より氷帝学園へ入学していただいたのですよ。」 「な、なっ?! 」 あまりに突飛な理由に、俺が絶句しているうちに、ベンツは大きな門の中へと入っていった。 俺の自宅から、自動車でたった五分と言う近い場所に、その当主様の家はあるらしい。 それから、ベンツは林の中の小道を進んでいる。 黒沼の説明では、ここはすでに敷地内部らしいが、どこまで行っても、広がっているのは 緑の木々ばかりだ。 本当にここは東京なのか? と俺が疑い出した頃、やっと玄関先らしい場所へ辿り着いた。 今まで、砂利道を走っていたが、ベンツはアスファルトで舗装されている場所へ入った。 そのロータリーには、中央に大きな噴水があり、内外の高級車が十台ほど並んでいる。 どこか外国のホテルのエントランスに似た風情だった。 俺の乗っているベンツもそこに静かに止まり、黒沼に促されて外へ降りてみると、目の前には、 巨大な《 お城 》がそびえ立っていた。旅行のパンフレットや、テレビで見た事があるヨーロッパの 古城に良く似ている。 これが、人の住んでいる家なのか? 宍戸家の十倍では足りない。百倍の広さだろうか? それどころか、氷帝学園中等部の敷地よりも、デカイ可能性が高かった。 口をあんぐりと開けたまま、白亜の城の外壁を眺めていた俺の目に、ある物が飛び込んできた。 美しい彫刻の施された白い石で作られた立派な表札だった。 それには金色の文字で、《 OOTORI 》と書かれている。 「お、おおとり?! 」 この珍しい苗字には見覚えがあった。 今年、テニス部に入部した後輩に、そんな苗字の者がいたような気がする。 それは、たしか? 「あ、宍戸さ〜ん。こんにちわ! 待ってたんですよぉ〜! 」 そんな緊張感の抜けるような大声を上げながら、二階のベランダから手を振っている者がいる。 そう、確かにこんなヤツだった。 彼の首の辺りが、太陽光線を浴びてきらきらと反射していた。十字架のせいだった。 お守りだと言い、いつも十字架のペンダントを下げている男。 彼は、テニス部一年生の中で最も背が高い。その高い位置から打ち下ろすサーブは、 十三歳とはとても思えないパワーとスピードがあった。 俺は人の顔を覚えるのは不得意だったが、一度観たテニスのプレイは絶対に忘れない。 そのため、鳳の顔もほとんど覚えていなかったが、そのサーブの印象は強烈に持っていた。 本人は、そういうダイナミックなプレイをするような感じでは無くて、どこか人の良さそうな、 人なつっこい少年だった。 鳳、……。なんと言う名前だったか? テニス部の一年生は、厳しい俺を怖がって、あまり話かけてくる者はいない。 しかし、この男は入部した時から、やたら馴れ馴れしい後輩だったのだ。 一年生の中で、「先輩」では無く、「宍戸さん」と俺を呼ぶ唯一の人間。 おまけに自分の事も、「ぜひ、長太郎と呼んでください。」なんて意味不明な事を言っていた。 俺は、そんなモノ、呼んでやっていないが。 やっと、俺は、ヤツの下の名前も思い出した。 「お、鳳長太郎……。お前か?! 」 お前が、黒沼の言う当主様って事なのか? 俺の、これから奉公する相手? 手を振る鳳長太郎を見ながら、「何で、お前が当主様なんだよ。」なんて、情けない声を出すと、 それを聞きつけた黒沼が厳しい表情で嗜めてきた。 「亮様。今日からは、きちんと《 ご当主様 》と呼ぶようにお願いします。 もしくは、お名前で呼ぶ方法もございます。その時は、《 長太郎様 》とお呼びください。 それが、鳳家の使用人である宍戸家では、シキタリとなっておりますので。」 その3 〜邸内探索〜の巻へ→ 行ってみる ![]() 小説目次へ戻る |