〜兄の濡れた髪



  「また、髪が伸びたね。兄さん。」

  風呂上りの兄・エドワードの髪は、まだ少し濡れていた。アルフォンスは、ソファに座って

  くつろいでいる兄の髪に櫛を通しながら、そんな言葉をかけていた。

  「あぁ〜、そうか?」

   弟の質問には、あまり興味の無い様子で、国家錬金術師である兄は、夢中で手元の本に

   目を通している。昼間、軍部の図書室から持ってきた分厚い錬金術の体系書に違いない。

   アルフォンスは、そんな兄のいつも通りの気の無い返事に、微笑みを浮かべた。そのまま、

   金糸のように細く美しい髪へ丁寧に櫛を通してゆく。

  この数年間と言うもの、<風呂上りの兄の髪をとかす>事が、アルフォンスの日課に

  なっていた。

  鎧の身体を持つ彼は、兄と違って、夕食を取る事も、入浴をする必要も、睡眠で時間を使う事も

  無い。そのため、時間の余裕のある夕刻時、兄の世話をする事が、弟の役割となったのだった。

  アルフォンスの目の前で揺れている黄金の髪は、編んでいないと、兄の腰よりも長かった。

  ここまで伸びてしまうと、乾くまで時間がかなりかかってしまう。

  エドワードは、面倒臭いのか、濡れたまま放置して、ソファで寝てしまう事がある。

  アルフォンスは、そんな兄の体調を気にして、その頭を整えてあげるようになったのだった。

  仕事で疲れている兄には、ゆっくりと休んで欲しい。そういう思いを強く持っていた。

  「ねぇ。兄さん。髪を少し切ったら、どうかな? そんなに面倒なら・・・。」

  「切るのも面倒臭いッ! 」

  弟の助言に対して、それを打ち消すように、即答してきた。それから、エドワードは、振り返って、

  こう付け加えた。

  「お前がとかしてくれるんだから、良いだろ? ずっと、やってくれるんだよな、アル?」

  「うん。もちろん!」

  アルフォンスは、大きな声でそう答えた。兄の役に立つならば、何でも嬉しいのだ。

  国家錬金術師として、過酷な生活を送っている兄の、少しでも良いから役にたちたい、

  助けてあげたい。それが、弟の一番の願いだった。

  嬉しい様子の弟の姿を見ながら、エドワードも微笑むと、また、書物の文面に目を落とす。

  エドワードは、<髪を切るのが面倒臭い>と弟には、答えた。

  しかし、実際には、<髪を切りたく無い>のだった。

  エドワードの髪は、あの悲しい事件の時から、伸ばしたままだった。自分の左足と、

  たった一人きりの大切な弟の身体を失ってしまった、あの日。

  何とか、自分の右手との等価交換で弟の魂を鎧へと練成した。しかし、弟のアルフォンスは、

  あの日から、ずっと十一歳のままなのだ。

  鎧の身体は、決して、年を取る事は無い。

  逆に、毎日、少しずつ伸びてゆく自分の髪。

  それは、弟が経験するはずだった、大切な時間の長さと同じなのだ。

  毎日、伸び続ける髪を見るたびに、弟の身の上を思う。

  これも、自分に対する戒めなのだ。

  「アル、でもな。いつか必ず髪を切るよ。絶対に。」

  エドワードは、そう小さな声でつぶやくと、書物のページをめくる手にも力を入れた。

  背後にいるアルフォンスには、聞こえなかったようだ。髪が乾いたのを確かめるように、

  優しい手つきで兄の頭を撫でている。


  決して、諦める事無く、必ず、弟を元の姿に戻す。

  もし、エドワードが髪を短くする日が来るとしたら。

  それは、弟が生身の身体で、また時を刻むようになってからだ。

  そう、エドワードはいつも思っている。



                                       兄の濡れた髪 了


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