『詩経』の名言6:行き遇くこと靡靡たり、中心揺揺たり

四書五経の一つである『詩経』は中国最古の詩集として知られており、前近代社会では儒教圏の貴族階級における必須の教養ともされていた。五経は『詩経・書経・易経・礼記・春秋』の五冊によって成り立っているが、『詩経』に収載されている詩は『風(ふう)・雅(が)・頌(しょう)』の3つに分類されている。風とは地方に伝承されている民謡のような歌であり、雅とは王宮で演奏されたり歌われたりしている格式ある雅楽のようなものである。頌は宗教的な祭祀に用いられていた祝詞(呪文)のようなものであると考えられている。

『詩経』には周の初頭から戦国時代に至るまでに作成された多数の歌が収録されている。歌の作者も王侯貴族や武人、文人、庶民までその階級がバリエーションに富んでいて、日本の『万葉集』を彷彿させるような部分もある。孔子自身が過去の重複していた歌を削除して、現存する『詩経』の三百篇を選んだという説もあるが、孔子は『論語』において『詩三百、一言以て之れを蔽う、曰く、思ひ邪なし』という言葉も残している。秦の始皇帝の焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)によって失われたものもあるというが、漢の文帝の治世の後になると、燕の韓嬰の『韓詩』、魯の申培の『魯詩』、斉の猿固生(本当の漢字は猿のけものへんがくるまへんである)の『斉詩』などが新たにまとめられる事となった。

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目加田誠『詩経』(講談社学術文庫),白川静『詩経―中国の古代歌謡』(中公文庫BIBLO),石川忠久、 福本郁子『詩経』(明治書院)

[白文・書き下し文]

行遇靡靡 中心揺揺 (王風 黍離)

行き遇く(ゆく)こと靡靡(びび)たり、中心揺揺(ようよう)たり。

[現代語訳・補足]

先に行こうとする足は遅々として進むことができず、心の中はさまざまな思いが溢れて戸惑っている。

『靡靡』というのは、遅々たる様子を意味しており、『揺揺』というのは、定まらずに乱れて揺らいでいる様子を意味している。荒れ果てたかつての都を目の当たりにして、かつての栄耀栄華が失われてしまったあまりの変化の大きさに、茫然としてしまっている精神状態を表現した部分である。

[白文・書き下し文]

悠悠蒼天 此何人哉 (王風 黍離)

悠悠たる蒼天(そうてん)、此れ(これ)何人(なんぴと)ぞや。

[現代語訳・補足]

高く遠く広がっている青空よ、今日のように戦乱の時代を引き起こしたのは、一体誰なのか。

儒教の宗教的な中心原理として『天』がある。この部分は周王朝の安定した統治が終わって、諸国や蛮族が群雄割拠して戦っている乱れた時代が訪れ、『天』に対してその悲しみや苦しみを訴えているという場面である。

[白文・書き下し文]

揚之水 不流束薪 (王風 揚之水)

揚がれる(あがれる)の水、束薪(そくしん)を流さず。

[現代語訳・補足]

高く上がって勢いのある波でもいったん崩れてしまえば、もはや軽い束ねた薪さえも押し流す事ができない。

かつて強大な軍事力・政治力を持って意気揚々と栄えていた国(周王朝)でも、いったん衰退して影響力が落ちてしまえば、もはや何事も為すことができないという事を伝えている。『諸行無常・栄枯盛衰・盛者必衰』を世俗の真理であると説いている仏教の世界観にも通じる部分である。

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