『詩経』の名言3:其の深きに就いては、之れに方し之れに舟す

四書五経の一つである『詩経』は中国最古の詩集として知られており、前近代社会では儒教圏の貴族階級における必須の教養ともされていた。五経は『詩経・書経・易経・礼記・春秋』の五冊によって成り立っているが、『詩経』に収載されている詩は『風(ふう)・雅(が)・頌(しょう)』の3つに分類されている。風とは地方に伝承されている民謡のような歌であり、雅とは王宮で演奏されたり歌われたりしている格式ある雅楽のようなものである。頌は宗教的な祭祀に用いられていた祝詞(呪文)のようなものであると考えられている。

『詩経』には周の初頭から戦国時代に至るまでに作成された多数の歌が収録されている。歌の作者も王侯貴族や武人、文人、庶民までその階級がバリエーションに富んでいて、日本の『万葉集』を彷彿させるような部分もある。孔子自身が過去の重複していた歌を削除して、現存する『詩経』の三百篇を選んだという説もあるが、孔子は『論語』において『詩三百、一言以て之れを蔽う、曰く、思ひ邪なし』という言葉も残している。秦の始皇帝の焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)によって失われたものもあるというが、漢の文帝の治世の後になると、燕の韓嬰の『韓詩』、魯の申培の『魯詩』、斉の猿固生(本当の漢字は猿のけものへんがくるまへんである)の『斉詩』などが新たにまとめられる事となった。

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目加田誠『詩経』(講談社学術文庫),白川静『詩経―中国の古代歌謡』(中公文庫BIBLO),石川忠久、 福本郁子『詩経』(明治書院)

[白文・書き下し文]

就其深挨 方之舟之 就其浅挨 泳之游之 (北風 谷風,“北”の正字にはつくりにおおざとが付く)

其の深きに就いては、之れ(これ)に方(いかだ)し之れに舟(ふね)す。其の浅きに就いては、之れに泳ぐり(みずくぐり)之れに游ぐ(およぐ)。

[現代語訳・補足]

川の水が深ければ、筏(いかだ)を組んで渡ったり、舟に乗って渡ったりする。川の水が浅ければそこに潜ったり、泳いでみたりする。

この歌も、変化し続ける状況や場面に上手く適応して生き延びるための『戦国時代の処世訓』のようなものである。川の水が深いか浅いかは、今直面している事態が深刻か簡単かに対応しており、事態が深刻で危険であればそれに対応するための十分な準備をしなければならない。反対に、それほど事態が深刻でなく簡単に対処できるようであれば、リラックスしてその状況を楽しんでみるのも良いという事である。

[白文・書き下し文]

旄丘之葛兮 何誕之説兮 (北風 式微)

旄丘(ぼうきゅう)の葛(くず)や、何ぞ誕たる(のびたる)の節ある。

[現代語訳・補足]

旄丘に生えている葛の草は、どうしてあんなに伸び伸びと生長していて節があるのだろうか。

『旄丘』とは、前部分が高くなっていて後ろに行くに従って低くなっている丘の事である。この歌は、国家の高位高官が、国難に際して何の危機感も緊張感も持っていない事を、皮肉って批判したものである。為政者がのんきにしていて、やるべき事をやっていない“無為無策・怠慢な政治”を揶揄しているのである。

[白文・書き下し文]

之死矢靡他 (北風 柏舟)

死に之る(いたる)まで矢って(ちかって)他(た)靡し(なし)。

[現代語訳・補足]

死に至るような苦難にあっても、私は決して裏切りません(二心は抱きません)。

『之』は至るという意味、『矢』は誓うという意味になっているが、この部分は婚姻に際して女性の側が男性に対して誓った(誓わされた)言葉ではないかと推測されている。

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