『詩経』の名言2:深きときは獅オ、浅きときは掲す

四書五経の一つである『詩経』は中国最古の詩集として知られており、前近代社会では儒教圏の貴族階級における必須の教養ともされていた。五経は『詩経・書経・易経・礼記・春秋』の五冊によって成り立っているが、『詩経』に収載されている詩は『風(ふう)・雅(が)・頌(しょう)』の3つに分類されている。風とは地方に伝承されている民謡のような歌であり、雅とは王宮で演奏されたり歌われたりしている格式ある雅楽のようなものである。頌は宗教的な祭祀に用いられていた祝詞(呪文)のようなものであると考えられている。

『詩経』には周の初頭から戦国時代に至るまでに作成された多数の歌が収録されている。歌の作者も王侯貴族や武人、文人、庶民までその階級がバリエーションに富んでいて、日本の『万葉集』を彷彿させるような部分もある。孔子自身が過去の重複していた歌を削除して、現存する『詩経』の三百篇を選んだという説もあるが、孔子は『論語』において『詩三百、一言以て之れを蔽う、曰く、思ひ邪なし』という言葉も残している。秦の始皇帝の焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)によって失われたものもあるというが、漢の文帝の治世の後になると、燕の韓嬰の『韓詩』、魯の申培の『魯詩』、斉の猿固生(本当の漢字は猿のけものへんがくるまへんである)の『斉詩』などが新たにまとめられる事となった。

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目加田誠『詩経』(講談社学術文庫),白川静『詩経―中国の古代歌謡』(中公文庫BIBLO),石川忠久、 福本郁子『詩経』(明治書院)

[白文・書き下し文]

深則氏@浅則掲 (北風 ホウ有苦葉,“北”の正字にはつくりにおおざとが付く)

深きときは氏iれい)し、浅きときは掲(けい)す。

[現代語訳・補足]

川が深ければ衣全体をまくりあげて渡り、川が浅ければ衣の裾だけを掲げて渡る。

『氏xは衣全体をまくりあげる事、『掲』は衣の裾だけをまくる事の意味。この歌は、川の深さに応じて服の捲くり方を変えるように、乱世の戦国時代においては世の中の変化の動きに合わせて態度を変えるべきだという一種の処世訓となっているようだ。

[白文・書き下し文]

采封采韮 無以下體 (北風 谷風,“封”の正字には草かんむりが付く。“北”の正字には作りにおおざとが付く)

封(ほう)を采り(とり)韮(ひ)を采る、下体(かたい)を以てすること無れ(なかれ)。

[現代語訳・補足]

青菜や大根を採る時には、苦味(あく)の強い下の部分を採ってはいけない。

『封』とは青菜の事、『韮』とは大根の事を意味している。青菜と大根は上の部分のほうが甘くて美味しいので、下の苦味が強い部分は取ってはいけないとされていた。人間観察や対人評価をする時にも、その人の“長所・利点・能力”といったプラスの部分(=上体)に注目すべきで、下体に当たる“欠点・短所・無能さ”といったマイナスの部分に注目しても無駄だという事を示している。

[白文・書き下し文]

誰謂荼苦 其甘如薺 (北風 谷風)

誰れか謂う荼(と)は苦しと、其の甘きこと薺(なずな)の如し。

[現代語訳・補足]

人々は荼をとても苦いものだと言っているが、荼の苦味などは人生全体の苦味と比べれば、薺のように甘いものである。

『荼』とはニガナ(苦い菜っ葉)の事、『薺』とはアマナ(甘い菜っ葉)の事を意味している。この部分は食べ物である荼の苦さ・まずさを大げさに言う人は多いが、実際にはそんな荼(ニガナ)などよりも、人生や世間のほうがもっと何倍も苦くて大変だという“現実主義”の見方を教えている。

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