『大学』の名言5:小人閑居して不善を為す

四書五経の一つである『大学』『中庸』と並んで、元々は『礼記』の中の一篇だったが、宋の時代以降に独立した書物として扱われるようになった。『大学』は成立年代も作者も不明であるが、『論語』『孟子』『中庸』と合わせて四書の一冊としたのは南宋の朱子(朱熹,1130-1200)である。朱熹は『大学』を経の1章と伝の10章とに分けて、経の部分は孔子の弟子である曾子が書いたもの、伝の部分は曾子以下の弟子が記録したものと考えた。それとは別に、『大学』は秦・漢の儒家が後世になってから再編集したものという説もある。

朱熹(朱子)の創設した『朱子学』は、江戸幕府の徳川将軍家が国学として採用した事から封建主義社会の身分秩序を支える学問というイメージが強いが、実際には万物を統御する普遍原理としての“気”を仮定した高度な抽象的理論であった。人間・社会・宇宙・モノは“理”の普遍原理によって結合しており、君子としての徳を高める自己修養(修己)で理を把握した者が、他者や社会を統治することができるという『修己治人』の思想を説いた。この『大学』においても、政治を司る君子が実践すべき道を説いており、その内容は『修身・斉家・治国・平天下』の儒教的な徳治主義(王道政治)へとつながっている。『大学』は、前近代の儒教文化圏では学問・政治を志そうとする君子(為政者・支配階級)の必読の書であった。

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金谷治『大学・中庸』(岩波文庫),宇野哲人『大学』(講談社学術文庫),諸橋轍次『中国古典名言事典』(講談社学術文庫),伊與田覺『「大学」を素読する』(致知出版社)

[白文・書き下し文]

小人閑居為不善。無所不至。(伝六章)

小人閑居して不善を為す。至らざる所なし。

[現代語訳・補足]

徳を備えていないつまらない小人は、暇を持て余していると悪事に手を染めてしまう。暇があるがために、ここまでという限度が無くなってしまう。

有徳・知識人としての君子の対極にある存在が『小人』であり、小人は仁徳や教養、勇気、節制を持っていないために、仕事をせずに暇を持て余しているとどうしても悪事を犯しやすくなってしまうという戒めの言葉である。『君子の特権階級性(一般庶民に対する差別感情)』を示した言葉でもあり、君子は知識教養によって生きる読書人階級であるから、小人と違って労働に慌ただしく追われるような日々を過ごす必要はないという意味も込められている。李氏朝鮮の両班(ヤンバン)という儒教的な特権階級(読書人階級)は、実際に労働の義務を免除されているような存在でもあった。

[白文・書き下し文]

曾子曰、十目所視、十手所指、其厳乎。(伝六章)

十目(じゅうもく)の視る(みる)所、十手(じっしゅ)の指さす所、其れ厳(げん)なるかな。

[現代語訳・補足]

大勢の人々が注目したり、指を指したりするところに間違いはなく、世の中の耳目による君子(為政者)の評価は厳しいものである。

為政者や知識人である君子が何によって評価されるのかを示した言葉であり、儒教的な世界観にあっても『悪政・失政・弾圧・虐殺』などは、同時代を生きている被統治者の庶民によって断罪されるべきという考え方はあった。世の中にある庶民の耳目をずっと無視して悪政を行い続けることはできず、その悪政を継続するのであれば幾ら天子・君子といえども、遠からず『天命』に見放されてしまう事になる。

[白文・書き下し文]

富潤屋、徳潤身。(伝六章)

富は屋(おく)を潤し、徳は身を潤す。

[現代語訳・補足]

財産は家屋を豪邸にして立派にするが、人徳というものは人間を洗練させて立派なものにするのである。

富や財力を得ることによって『世俗の幸福・快楽』を得ることはできるかもしれないが、富や財産によって人物そのものが豊かになり尊厳を持つという事はない。徳治主義や君子の理想を説く儒教では、『仁義礼智信』といった徳目を積み重ねる事によって、人間が大きな価値・魅力を帯びるようになっていくのである。

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