『大学』の名言4:情なき者は其の辞を尽くすを得ず

四書五経の一つである『大学』『中庸』と並んで、元々は『礼記』の中の一篇だったが、宋の時代以降に独立した書物として扱われるようになった。『大学』は成立年代も作者も不明であるが、『論語』『孟子』『中庸』と合わせて四書の一冊としたのは南宋の朱子(朱熹,1130-1200)である。朱熹は『大学』を経の1章と伝の10章とに分けて、経の部分は孔子の弟子である曾子が書いたもの、伝の部分は曾子以下の弟子が記録したものと考えた。それとは別に、『大学』は秦・漢の儒家が後世になってから再編集したものという説もある。

朱熹(朱子)の創設した『朱子学』は、江戸幕府の徳川将軍家が国学として採用した事から封建主義社会の身分秩序を支える学問というイメージが強いが、実際には万物を統御する普遍原理としての“気”を仮定した高度な抽象的理論であった。人間・社会・宇宙・モノは“理”の普遍原理によって結合しており、君子としての徳を高める自己修養(修己)で理を把握した者が、他者や社会を統治することができるという『修己治人』の思想を説いた。この『大学』においても、政治を司る君子が実践すべき道を説いており、その内容は『修身・斉家・治国・平天下』の儒教的な徳治主義(王道政治)へとつながっている。『大学』は、前近代の儒教文化圏では学問・政治を志そうとする君子(為政者・支配階級)の必読の書であった。

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金谷治『大学・中庸』(岩波文庫),宇野哲人『大学』(講談社学術文庫),諸橋轍次『中国古典名言事典』(講談社学術文庫),伊與田覺『「大学」を素読する』(致知出版社)

[白文・書き下し文]

無情者、不得尽其辞。(伝四章)

情(まこと)なき者は其の辞を尽くすを得ず。

[現代語訳・補足]

徳を備えた君子の前にあっては、真実の情のない者は、嘘偽りで飾り立てたような言葉を言い尽くす事はできない。

相手の本質・内面を見透かすような洞察力を持つ君子、その君子を虚言や誤魔化しで騙そうとする小人の対立図式がイメージできる文章。どんなに表面的な言葉を華やかに飾り立てて、嘘・偽りで誤魔化そうとしても、そこに真実の情感がなければ君子の心を揺り動かすことはできないという事を示している。また嘘や誤魔化しの多い小人のほうも、君子の前では堂々とした態度で嘘をつきとおす事が出来ないものである。

[白文・書き下し文]

如悪悪臭、如好好色、此之謂自謙。(伝六章)

悪臭を悪む(にくむ)が如くし、好色を好むが如くす。此れを之れ(これをこれ)、自ら謙す(けんす)と謂う。

[現代語訳・補足]

人は悪臭を嫌うように悪事を嫌い、美しい女を好むように善行を好むのが望ましい。このように出来る時にこそ、私の心は愉快な満足感を覚えるのである。

人間の徳や善行の理想的な積み方を説いた部分であり、『悪臭を嫌う・美人を好む』というような本能に近いやり方で徳を高める事がもっとも君子として望ましい生き方と言っているのである。『謙』というのは、心が満ち足りている状態、愉快で充足している状態を意味している。

[白文・書き下し文]

慎其独也。(伝六章)

其の独りを慎む。

[現代語訳・補足]

独りでいる場合にこそ、自らの言動を振り返って慎むべきである。

誰にも見られていない状態、誰からも評価されない場面では、人は自分に甘くなり緊張感を失って、容易に悪事や妄想に囚われやすくなるものである。しかし、真の君子というものは、誰にも見られていない独りでいる時にこそ、自らの言行と思想(観念)を厳しく慎むものであり、それは自分で自分のあり方を裏切らない生き方なのである。中国古典には、同様の自戒の意味を持つ言葉として、『闇室(あんしつ)を欺かず』といった言葉もある。

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