『大学』の名言3:苟に日に新たに、日日に新たに〜

四書五経の一つである『大学』『中庸』と並んで、元々は『礼記』の中の一篇だったが、宋の時代以降に独立した書物として扱われるようになった。『大学』は成立年代も作者も不明であるが、『論語』『孟子』『中庸』と合わせて四書の一冊としたのは南宋の朱子(朱熹,1130-1200)である。朱熹は『大学』を経の1章と伝の10章とに分けて、経の部分は孔子の弟子である曾子が書いたもの、伝の部分は曾子以下の弟子が記録したものと考えた。それとは別に、『大学』は秦・漢の儒家が後世になってから再編集したものという説もある。

朱熹(朱子)の創設した『朱子学』は、江戸幕府の徳川将軍家が国学として採用した事から封建主義社会の身分秩序を支える学問というイメージが強いが、実際には万物を統御する普遍原理としての“気”を仮定した高度な抽象的理論であった。人間・社会・宇宙・モノは“理”の普遍原理によって結合しており、君子としての徳を高める自己修養(修己)で理を把握した者が、他者や社会を統治することができるという『修己治人』の思想を説いた。この『大学』においても、政治を司る君子が実践すべき道を説いており、その内容は『修身・斉家・治国・平天下』の儒教的な徳治主義(王道政治)へとつながっている。『大学』は、前近代の儒教文化圏では学問・政治を志そうとする君子(為政者・支配階級)の必読の書であった。

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金谷治『大学・中庸』(岩波文庫),宇野哲人『大学』(講談社学術文庫),諸橋轍次『中国古典名言事典』(講談社学術文庫),伊與田覺『「大学」を素読する』(致知出版社)

[白文・書き下し文]

苟日新、日日新、又日新。(伝二章)

苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又た日に新たなり。

[現代語訳・補足]

本当に今日の言動は昨日の言動よりも道徳的に良くなり、毎日新たに良くなっていく、更に次の日には良くなっていくという形で我が身を修めなければならない。

政治・教育に携わる君子たる者は、“現状維持”のまま留まるのではなく、日々、精進努力をして『昨日よりも良い・善い自分』を築き上げていかなければならないという意味である。夏王朝の暴君である桀を征伐した商(殷)の湯王は、自らが桀と同じ『道徳的な過ち』を犯さぬように、この『日々に新たに(昨日よりも善い自分になる)』の言葉を毎日見る洗面盤に彫り込んで自戒としたというエピソードも伝わっている。

[白文・書き下し文]

周雖旧邦、其命維新。(伝二章)

周は旧邦(きゅうほう)なりと雖も(いえども)、其の命、維れ新たなり。

[現代語訳・補足]

周王朝は既に滅ぼされた古い国ではあるが、新たな周の系譜を継ぐ天子が徳を積んだため、その天命が更新されることになった。

徳治主義と礼楽思想による政治が行われたと伝えられる周王朝は、古代中国ではある種の『理想郷・桃源郷』として捉えられており、孔子の言行録を残した『論語』においても周の王朝としての正統性や素晴らしさが繰り返し説かれている。この部分も、形式的には周王朝は滅亡しているが、その天命には未だ正統性が残っており、周の王族が徳を積めば再び周のような王朝を再興できるという悲願のようなものが感じられる。

[白文・書き下し文]

無所不用其極。(伝二章)

其の極を用いざる所なし。

[現代語訳・補足]

物事に取り組む場合には、何事においても最高の能力、最善の目的を働かせなければならない。

『極』というのは“至高・至極”の意味であり、この部分は物事に立ち向かう場合にはいい加減な態度や手抜きをするのではなく、常に全力投球で持てる力の全てを発揮して、より良い目的の達成を目指すべきだと説いている。

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