『大学』の書き下し文と現代語訳:3

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儒教(儒学)の基本思想を示した経典に、『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四書(ししょ)がありますが、ここでは儒者の自己修養と政治思想を説いた『大学』の解説をしています。『大学』は元々は大著の『礼記』(四書五経の一つ)の一篇を編纂したものであり、曾子や秦漢の儒家によってその原型が作られたと考えられています。南宋時代以降に、『四書五経』という基本経典の括り方が完成しました。

『大学』は『修身・斉家・治国・平天下』の段階的に発展する政治思想の要諦を述べた書物であり、身近な自分の事柄から遠大な国家の理想まで、長い思想の射程を持っている。しかし、その原文はわずかに“1753文字”であり、非常に簡潔にまとめられている。『大学』の白文・書き下し文・現代語訳を書いていく。

参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます)
金谷治『大学・中庸』(岩波文庫),宇野哲人『大学』(講談社学術文庫),伊與田覺『『大学』を素読する』(致知出版社)

[白文]

大学章句序

及周之衰、賢聖之君不作、学校之政不修、教化陵夷、風俗頽敗。時則有若孔子之聖、而不得君師之位、以行其政教。於是獨取先王之法、誦而伝之、以詔後世。若曲礼・少儀・内則・弟子職諸篇、固小学之支流余裔、而此篇者、則因小学之成功、以著大学之明法、外有以極其規模之大、而内有以尽其節目之詳者也。

[書き下し文]

周の衰えるに及び、賢聖の君作らず(おこらず)、学校の政(まつりごと)修まらず、教化陵夷(きょうかりょうい)して風俗頽敗す。時に則ち孔子の聖の若きあるも、君師の位を得てもってその政教を行わず。是において独り先王の法を取り、誦(しょう)してこれを伝えもって後世に詔ぐ(つぐ)。曲礼(きょくらい)・少儀・内則(だいそく)・弟子(ていし)職諸篇(しょくしょへん)の若きは固より(もとより)小学の支流余裔(よえい)にして、而してこの篇は則ち小学の成功に因り(より)、もって大学の明法(めいほう)を著し、外はもってその規模の大を極むる、内はもってその節目の詳(しょう)を尽くす有る者なり。

[現代語訳]

周王朝が衰亡するに及んで、聖賢の君子は現れず、学校の制度も崩れたから、君子による教化は衰えて、一般庶民の風俗も頽廃してしまった。時に孔子のような聖人も現れたが、万民を教化する君主・学師の地位を得ることはできず、政治・教育を行なうことはできなかった。そのため、孔子はただ先王の法則を採用して、その教えを読誦して世の中に伝え、そういった方法で後世に告げたのである。『礼記』の中にある曲礼・少儀・内則、『管子』にある弟子職等の諸篇のようなものは、初めから小学教育の支流・末流といった感じである。この『大学』の一篇は小学教育の成功によって、大学教育の明法(正しい方法)を表したもので、外はその規模の大きなことを極めており、内は節目の詳細を尽くしたものである。

[補足]

周王朝滅亡後の知識の衰退と道徳の混乱を嘆きつつ、『先王・周礼の教え』をそのまま伝えようとした孔子の教育法に希望を見出している。古代の理想的な初等教育課程である『小学』の名残が、『礼記』『管子』『大学』の一篇に反映されているという。

[白文]

三千之徒、蓋莫不聞其説。而曾氏之伝、独得其宗。於是作為伝義、以発其意。及孟子没、而其伝泯焉。則其書雖存、而知者鮮矣。

[書き下し文]

三千の徒、蓋しその説を聞かざる莫し(なし)。而して曾氏(そうし)の伝(でん)独りその宗(そう)を得たり。是において伝義(でんぎ)を作為しもってその意を発す。孟子没するに及んでその伝泯ぶ(ほろぶ)。則ちその書存すと雖も(いえども)知る者鮮なし(すくなし)。

[現代語訳]

孔子の門徒・三千人には、孔子の学説を聞かない者はいなかった。しかし、曾子の独り伝えるところが孔子の教えの本旨(本質)を得ている。ここにおいて曾子とその門弟は、この伝義の書を作成してその意味を伝えようとした。だが、孟子が没するに及んでその伝統も滅んでしまった。この『大学』の書は存在していたのだが、これを知る者は少なかったのである。

[補足]

孔子には約三千人もの門弟がいたが、孔子の伝えようとした教えの本質を正確に理解して後世に伝えたのは、曾子とその弟子らの一派であったという。だが師匠の教えを弟子が後世に伝達していくという古き良き伝統さえも、儒教の大家の孟子が死没するに当たって、滅亡の憂き目に遭っていると嘆くのである。

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[白文]

自是以来、俗儒記誦詞章之習、其功倍於小学而無用、異端虚無寂滅之教、其高過於大学而無実。其他権謀術数、一切以就功名之説、与夫百家衆技之流、所以惑世誣民、充塞仁義者、又紛然雑出乎其間、使其君子不幸而不得聞大道之要、其小人不幸而不得蒙至治之沢。晦盲否塞、反覆沈痼、以及五季之衰、而壊乱極矣。

[書き下し文]

是より以来、俗儒(ぞくじゅ)記誦詞章(きしょうししょう)の習い、その功小学に倍して用なく、異端虚無寂滅(いたん・きょむ・じゃくめつ)の教え、その高きこと大学に過ぎて実なし。その他権謀術数一切もって功名を就す(なす)の説と、夫の(かの)百家衆技(ひゃっかしゅうぎ)の流れ、世を惑わし民を誣いて(しいて)仁義を充塞(じゅうそく)する所以の者と、又紛然(ふんぜん)としてその間に雑出(ざつしゅつ)し、その君子をして不幸にして大道(だいどう)の要を聞くことを得ず、その小人をして不幸にして至治(しち)の沢(たく)を蒙る(こうむる)ことを得ざらしむ。晦盲否塞(かいもうひそく)、反覆沈痼(はんぷくちんこ)、もって五季の衰に及んで壊乱極まる。

[現代語訳]

これ以来、俗物の儒者たちが博覧強記を努め、飾り立てた修辞の文章を書こうとする風習が生まれたが、この風習などは小学教育の何倍も役に立たない。異端の道教の虚無主義や仏教の涅槃寂静などの教えも、余りに高邁過ぎて大学教育以上に無益なものである。その他、権謀術数を用いて功名心を成就させようとする説、昔の諸子百家のような流れがあったが、これらは世の中を惑わして民を騙して、仁義の徳を妨害するような好ましくない者を、次々と世に輩出するだけである。そのため、君主は不幸にも政治・教育のあるべき大道を聞くことができず、一般庶民は不幸にして善政・教育の恩沢を受けることができなかった。仁義は抑圧されて真理は分からなくなり、悪政が繰り返されるうちに持病(慢性疾患)となり、『梁・唐・晋・漢・周』に分裂した五代の終わり、堯季(ぎょうき)の治世になると世の中の壊乱・不幸が極まってしまった。

[補足]

『記誦詞章』の“記誦”とは、細々とした知識・情報を記憶していて博識であること。“詞章”とは文章に威厳を出したり華やかさを出したりするためにする修辞のことである。俗物の儒者が増えて、政治も教育も衰退していく世の中を嘆いている。利益・名声のために権謀術数を振るう者や見せ掛けの知識を売ろうとする諸子百家の類ばかりが跳梁跋扈していて、時代全体が『晦盲否塞(かいもうひそく)、反覆沈痼(はんぷくちんこ)』に陥っているという。晦盲とは『暗くて明らかではないこと』、否塞とは『実際に行われていないこと』である。反覆とは『何度も繰り返されること』、沈痼とは『治らない持病・慢性疾患のこと』である。

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