誰も知らない名窯のすべて
トップにもどる


元 趙孟フ墓 出土品 明初 開けられた  (チョウ、ショウモウフ 1254-1322 ) 
元 至順 1330年から文宗の3年間 (モウフ没後1322年以後) 

下は、コピー品

元 至順 1330年から文宗の3年間 (モウフ没後1322年以後)




中国コレクターにも、やはりファンが多い模様です
 宋元、両王朝に深く関わるこれら副葬品,下賜品は、元が滅ぶとあばかれと明の家臣に与えられました


染付けを見る

 写真をクリックしてください

モウフ墓について 
元 至順 1328年から1332 文宗の3年間 (モウフ没後1322年以後) 

北宋南宋の正統の趙(チョウ、ショウ)の血を引く趙孟フ 元代に長く文人でも知られ文部大臣を務めます
死後、永代で兵部省の大臣になります このときにモウフ副葬品として元代皇太子より下賜された絵皿も残ります 絵皿にそう書かれています 
他に白磁の大壷2つ、小さなユウ裏紅の皇太子像など伝わります 

明の皇帝は、この時の白磁の壷に賞賜と染付けで大きく文字をいれ武官に与えました そのときの絵皿も残ります
数が要ったのか、白磁のぼう古も他に作り、賞賜と文字をいれます それらも今に残ります
下 元至順1330文宗の3年(モウフ没後) 兵部尚書御賜 世襲一等の皿
ポイント 下賜したのは3爪皇太子である点

上の復古品 

軍帥 劉伯温に下賜された この皿はカナダの一番人気店が買いつけました 3年前です
漢字が読めるとはありがたいことです 店の売値は5000円ほどでした 価値はそれなりにあるんでしょうね

賞賜の壷

モウフ墓からの出土品とみられる白磁のメイピンと大壷(3爪龍)
元至順 1330年から文宗の3年間 (モウフ没後) 

同時期 モウフの壷に青花で賞賜と書かれやはり下賜されます
 武勲のあった者へ多く下賜されたのでしょう

多くの白磁の壷がこれらのコピーとして後世作られた模様 
龍の浮き彫りは貧弱になり元の力強さは感じられません

染付け 宮中盆栽の大皿


歴代 多くのぼう古が作られます なぜそれほど好まれたのか?謎に迫りましょう
元代の雰囲気がことさらあったのか モウフ墓と関連するのか、定かには判りません
 趙モウフの墓は明初め、暴かれます

見事な盆栽 大輪 当然宮中でしょう これを愛し手入れを毎日していた人へ贈られたのでしょうか
盆栽は徽宗さんのホビーですから多くのものが宮中に残るわけで、これもそのうちの1つかも知れません

回るまわる糸車 そんなことも考えてしまいます
宋から元 元から明とつながるモウフは細い糸のように思えます

法から旺(外側にある大きい枠)、登科(小さい枠)、外寸、口台から苦 進宝の副葬品
モウフ墓とみて構わないでしょう
(すべて同一のコレクターのものです)

清明上河図

画家はチョウゼダン 

染付けを見る

一方、漢詩の分野でも、宋の宗室の一人である 趙孟フ(子昴)、元の四大家と言われる虞集・楊載・范?・掲?斯などの名前が挙げられ、伝統的な文学が沈滞したわけではない。元の後期には非漢民族(色目人)の詩人があらわれ、ムスリムの進士(科挙合格者)である 薩都剌 を元代最高の漢詩人と評価する意見も多い。

美術

書画の分野では、文学でも名をあげた 趙孟フがもっとも有名である。趙孟フの書画は古典への復興を目指したもので、は元代の版本はみな趙孟フの書体に基づくといわれ、 絵画北宋 以来の院体画 を脱して呉興派と呼ばれる新潮流を開いた。元末には 黄公望倪? 呉鎮王蒙 の「 元末四大家」が趙孟フの画風を発展させ、 南宗画とも後に区分される 山水画の技法を確立していった。





唐代 鈞窯(きん窯) リストに戻る
三彩人物ヨウリストはこちら

誰も知らない名窯のすべてトップにもどる

All copy rights reserved Fan de Fan Inc. 不許複製