31.12.05

〜ばいばい〜


ことしも今日が最後の日になってしまいました。

韓国旅行、オープンセール、退職、免許取得、ヨメの骨折、チベット旅行、そして就職と、なにもなかったようでもやっぱり時は過ぎているのだなあ。

来年もまた旅に出れたらいいな。(別にすぐ仕事を辞めるってわけじゃないけど)

自堕落生活ももう少しで終わってしまう。それが哀しくもあり、うれしくもあり。
とにかく、何でもいいから前に進もうと思います。

それじゃ、今年はバイバイ。
また来年。



29.12.05

〜写真屋〜


今日、写真屋への就職が決まった。

なんだかんだ言ってやっぱり写真屋という響きは落ち着くものだったのだなあ。

これで、どこで写真を焼くかという問題は解決したわけだ。

オレには天職があるのだろうか?写真屋はどうなのか?

しばらく考えてみるつもりです。

とりあえずは来年・・・。




26.12.05

〜辛ラーメン〜


1人の昼飯は何にしようかといつも迷う。最近は辛ラーメンを常備するようにしている。

このところCMでも良くやっているけどオレが初めて辛ラーメンとであった2001年にはたぶん日本ではマイナーなものだったのではないかと思う。

といっても、初めて出会った場所は日本ではなく、上海。コンビニで買ったものだった。

思い出深いのはパリに滞在していた頃、韓国人のリーさんちに住んでいた時だ。

さすが韓国人の家らしく、常備されていた即席メンは出前一丁と辛ラーメン。
そこで、辛ラーメンの辛ウマさにハマってしまった。

ラーメンは基本タダで食い放題だったのをいいことに、おやつに夜食に喰いまくっていた。おかげでヨメもオレも、それまでのガリガリ具合が嘘のように肥えてしまい、とてもアジアで貧乏旅行をしてきた旅人とは思えない風采になってしまった。

日本人たちにも出前一丁より、辛ラーメンのほうが人気があったようだ。あとで聞いた話だと、辛ラーメンのほうが高価だそうで、悪いことしたなあと思う。

今ではそこらのスーパーでも辛ラーメンを買うことが出来る。うれしい事である。

ただ、オレたちにとって辛ラーメンは韓国の味ではなく、パリの味なのであった・・・。


25.12.05

〜何もない日〜


クリスマスの今日、起きたのは昼だった。

何もない一日がなんと話のプレッシャーに感じてしまう今日この頃。年末の街は好きなのだけど。どこにも出かけずにいる。

さあ、年が明ける前に未完成の絵を仕上げなくちゃ。







21.12.05

〜後の祭り〜


「学芸員」という仕事がある。
いわずと知れた博物館や美術館で働く人だ。
「雑芸員」とよばれる事があるほど雑多な作業をしなければならないハードな仕事らしい。

今になって思う。
オレの適正と才能はその仕事にあったのではないか、と。

もともと絵を描くことが好きだったので、作り手になりたいという気持ちはずっとあった。でも、本来の資質はクリエイターではなく、研究者だったのではないかと。

学芸員になるには、大学で、学芸員の資格を取らなくてはいけないし、美術館への就職は、コネでもなければどうにもならないくらいの狭き門ではある。

大学は経済学部で、学芸員の資格は取れずここまで来てしまった。もちろん学生の頃から興味がないわけではなかったけど・・・。

昨日、上野公園に行った帰りに、芸大生の群れに入って駅までの道を歩いた。

彼らにはまだ無限の可能性があり、オレの未来は知れたものなのかなあ、と考える。

まだ冬は始まったばかりだ。


20.12.05

〜瓦〜


また、またちょっと前のことになるけど、先週の木曜日に横浜トリエンナーレに再び行ってきた。これで何とかパスポートの元を取った。

山下公園の中にトリエンナーレの参加作品がいくつか作られている。
そのうちの1つがこの写真の作品。

瓦を使って龍のような物を作っている。
オレたちが行った時、トリエンナーレのボランティアらしき男性が瓦をせっせとはがしていた。
といっても別に作品を破壊しているわけじゃなく(当たり前だ・・・)、この作品は見る人が瓦を持ち帰り、その瓦に別の意味が加えられることも作品の意図となっているのだ。

ボランティアらしき人はその瓦を会場の出口にもって行き、帰り際に客がもって帰れるようにしているらしい。

実際、帰り際に袋詰めにされた瓦が置かれているのを見た。

一袋に、でかい瓦が3個くらいづつ入っている。

持ってみると、重い・・・軽く10キロくらいはありそうだ。

これを、この横浜の果ての倉庫から家まで持って帰るのは、一種の苦行である。

その苦行までを含めて作品なのだとしたら、奥深い作品である。

良くも悪くも人に感動を与えるのがゲージュツなのだとしたら、この作品はさらに「苦しみ」までも含んでいるのである。

ぜひ、瓦をもって帰るまでの苦行をリサーチして、次のトリエンナーレで発表してほしいなあ。



9.12.05

〜番付〜


今年のヒット商品番付が話題になる時期になってきた。
今年の横綱は@-podらしいが、とにかく、前頭まで含め、オレにカンケイのあったものがほとんどない。

唯一、関係があったものが「mixi」だった。おかげで、こっちの更新が減った減った。

私にとって今年のヒット番付は

東横綱 チベット     西横綱 漫画喫茶

だったなあ。

あと、三国志、チャイナドールズなんかも今年のヒットだ。

もう年末という事。
年末年始には昔のヒーロー物のビデオでも見るか。


8.12.05

〜恋は夕暮れ〜


家の近くにあるK大学は、でかい敷地の中に校舎がぽつぽつと点在していて、そのほかはほとんどが鬱蒼とした林になっている。

校門からは200メートルくらいありそうな長い桜並木の路がのび、その先は円形の広場になっている。広場には教会がある。

オレにとって、大学のイメージはこの大学でつくられたので、自分の入学した大学にはちょっとがっかりした。渋谷から3駅という立地は素晴らしいが、顕かに建築基準法に違反しているだろうというほどせま〜い敷地に校舎が密集しているのだ。

K大学のなかを自転車で走るのは気持ちが良い。今日も夕暮れを前に「雨男号」にまたがり、出かけてきた。

今日は一年で一番日の入りが早い日だそうで、夕陽はあっという間に沈んでしまった。

もうすぐ冬至、そして今年も終わりだな〜。


1.12.05

〜シャムデ〜


チベットの料理で、ご飯にスープ状のカレーをぶっ掛けて食う、「シャムデ」という食い物がある。

ラサのバルコル前広場の店で食べたそれは、高山病を克服して、初めて口にした食べ物だった。

それだけに感慨深い思い出が残っているのだけど、東京ではチベット料理を食わす店が見つからず、それ以来のご無沙汰になってしまっていた。


mixiのダライ・ラマのコミュで今渋谷でダライラマの映画をやっているのを知った。

そのサイトを見てみると、なんと、映画館併設のレストランで、シャムデを食えるというではありませんか!

映画を見る傍ら喰いに行ったのが、もう3週間ほど前。

おどおどと
「シャムデ食べたいんですが」
という私にもみ上げのない店員が
「シャムデハ3ジカラデース」
と寂しい一言。

仕方なく不思議なほど辛くないグリーンカレーを食ってかえった。

今日はそのリベンジ。
上手いこと用事が押して、ヨメと二人、渋谷に行ってきた。

フタタビおどおどと
「シャムデ2つ」
という私にオネーサンは
「もうあと1つで終わりなんです〜♪」
と寂しい一言。
ヨメが堂々と
「じゃ、タイカレーで」
と言うと、
「いま、シャムデー以外はデザートだけになります♪」

・・・・・・1人だけ飯を食うわけにも行かず、やけに味が濃いラーメンを食ってかえりました。

運命的なものに限ってめぐり合うことはないってこういうこと?



30.11.05

〜ダイブツ〜


土曜日、牛久に世界最大という阿弥陀仏の立像を観に行った。
それはそれは冗談みたいにでかくて楽しかったのだ。

私は昔からこの手のでかい創作物が大好きで、日本は狭いせいか、なかなかでかいものが無いと思ったのだが、こんなものが隠れていたのだ。

以前からの野望として、「世界3大寝釈迦仏制覇」というのがある。

第3位はマレーシアの、タイ国境近くトゥンパという町にあるワットポディビハーンの寝釈迦仏(41.2m.)。


第2位はタイ、バンコクのワットポーの寝釈迦仏(49m)。

そして第1位がミャンマーのバゴーにあるシュエターリャウンパゴダの寝釈迦仏だ(55m.)。

残念ながら、まだ、ワットポーのものしか観たことがない。

でも、牛久の立像はミャンマーの寝釈迦より倍くらいでかくて、しかも立ってるんだよなー。

日本も大したもんだ。


28.11.05

〜古本屋〜


昨日、久々に神保町の古本屋街を通った。

学生の頃は地下鉄1本で来られたので、月に一度は通っていたのだけど、最近はめっきり行かなくなってしまった。

あの頃は、ゴッホに夢中で、ゴッホの本や画集をいつも探し回っていた。ずっと探してた画集を見つけたときは最高の気分だった。

神保町の古本屋は値段は決して安くないけど、そういう発見があるところだった。

あの頃と同じような気分で、昔よく利用していた本屋に入った。
ゴッホの本は何冊もあって、ぱらぱらと読んでいる内に無性に買いたくなった。


でも、財布には2000円しか入ってなかった・・・。


ココで使ってしまうと帰りの電車賃がない。
仕方なくあきらめ、以前よく入った喫茶店にも行ってみたけど、そこはもうなくなっていた。
別にどうってことない喫茶店だったんだけど、コーヒーはおいしい店だった。。

ただただ寂しい気分になって、いそいそと御茶ノ水に向かって歩き出した。

自分が似つかわしくないスーツを着ていること自体、寂しい気分だった。


22.11.05

〜紅葉〜


あー今年は紅葉が見れそうもないなー。

できれば温泉でも行って、しっとりと紅葉を眺めたかったんだけどなあ。

せめて、東京でもいいから写真を撮りに行くかなあ。

11月にはいってから予定のない日がまだ3日しかない。
無職なのにこの忙しさは何だ?

何処か東京で紅葉のいいとこ知りませんか?


20.11.05

〜美術パーク〜


金曜日に、やっとやっと横浜トリエンナーレに行ってきた。

トリエンナーレは新しい美術の展覧会であり、今回は川俣正というアーティストを始めて総合プロデューサーとして迎えたそうで、全体的な作品に似たような物を感じた。

奈良美智以外は、知らないアーティストばかり。ほとんど無名のアーティストまで選出されているらしく、その意味では新人の登竜門的な感じでもあったかもしれない。

視覚に訴えかけるだけでなくて、見る者が作品の一部となる事で、アーティストと観客との関係を変えようと試みる作品が多かった。体感芸術は大好きなので、丸一日、テーマパークにいるように楽しめた。

テーマパークと書いたけど、今回のテーマは「アートサーカス」。
突然埠頭に現れ、サーカス小屋のように現実から切り離された空間を作っていた。

グループでの参加も多く、そのなかでバンコクから参加の「ソイ・プロジェクト」の作品が面白かった。
それと、アトリエワン+ヨココムの作った巨大なサッカー盤で、みんなで盛り上がり、違った意味で楽しかった。

パスポート買ったから、また行かなくっちゃ。
あ、そういえば、入場券もテーマパーク並みの値段でした。


18.11.05

〜空〜


またまた、ちょっと前の話になってしまうんだけど、水曜日に渋谷に「ダライラマの般若心経」という映画を観に行った。

これは、ダライラマへのインタビューを撮影したもので、途中にカーラチャクラ灌頂の様子も撮影されている。

インタビューの内容は、般若心経についてなんだけど、特に、「空」についての例えがとても面白かった。

「空」とは、独立して存在するものがない状態だと言う。
例えば、ココに象がいるとする。
でも、象がいるというのは、それを見ている私が「象」というものを認識しているからこそ存在するのであって、私という他者に依存して、初めて存在するのである。
つまり、この世に独立して存在するものなどないのである。

良い話だなあ。

ダラムサラにいた時、ダライラマのティーチングに参加したことがある。

ダライラマの読むお経はまるで歌の様に抑揚があって、とても良い声だった。

あの時もらった赤い糸は、今でもお守りです。


14.11.05

〜どうしよう〜


って事も無いけど、TIWA HURAHURAが、1月15日に来日するらしい。
TIWA HURAHURAとはタイポップの人気どころのオネエサン5人組なのです。

見に行くべきか?何しろチャイナドールズの二人が同じステージに立つのは日本ではこれっきりなんてことになりかねないからな。

しかし、その頃自分がどんな職についているか解らない今の状況ではどうもチケットに手が伸びない。

うー。





13.11.05

〜インベーダー探し〜


随分と更新をサボっていたので、こうして先週の木曜日の話を書くハメになってしまった。

久しぶりに何も予定のない日だったので、かねてよりの計画通り、「インベーダーマーク」を探しに行った。
インベーダーマークについては10月28日の日記に書いてあります。

インベーダーの地図をHPからプリントアウトし、一番マークが多く残された原宿へ向かった。

地図ははっきりいって超適当で、しかも、本来は販売しているものをサイトで見本にのっけているものなので、書いてある文字も定かでないという過酷な状況の下、捜索開始。

最初から当たりをつけていた裏原宿周辺を歩き回った。

しかし、全然見つからなかった。あんまりきょろきょろし過ぎて、首が痛くなり、上向いたり下向いたりしていたせいでちょっと気持ち悪くなった。

パリの時の経験からいくと、地面すれすれとか、結構壁の高いところに作っていたのだが、全く見当たらない。

やっと1箇所見つけた場所のものは、綺麗さっぱりタイルがはがされていた。

私が働いてた頃に比べると、原宿の町は短いサイクルで、どんどん街が変わって行っている。裏原辺りの店なんて、特にそのサイクルが短いだろう。
例の同潤会アパートの跡地も、ガラス張りのでかい建物が建設中であった。

そんな中で、彼の作ったインベーダーマークはどんどん壊されていってしまったろう。それは彼の作品の性格上、避けては通れない運命である。
パリの街なら、長く残ったかもしれないマークは、日本の街には合わない活動だったかもしれない。

あきらめかけた頃、ようやく1個発見できた。
でも、今日の発見はこの1枚だけだった。

もちろん、次に探しに来るかも知れない、おれのような変わり者のためにはがさずにおいた。

ただし、もし探しに行くなら、注意して下さい。
やたらきょろきょろと、探している様は、完全に不審者ですから。


4.11.05

〜国宝〜


今日は友人とゲイジュツ三昧。

上野でやってるこの秋一番の話題であるプーシキン美術館展を見に行った。

さすが、モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソなどなど有名どころ、しかも日本人好みの印象派の作品が沢山来ているとあって(全体的にジミーな絵だったけど)、会場は大入りだった。
一体どうして平日の昼にこんなに美術館に来られる暇な人がいるのだろう?

おかげで、閉館ギリギリまで、絵の全体を落ち着いて見ることは出来なかった。

それから、根津美術館に期間限定公開の尾形光琳「燕子花(カキツバタ)図」を見に行った。
これはよかったー。さすが国宝!

6日までしか公開してないから、見てない人は急ぎましょう。
次いつ見られるか解らないよ。


3.11.05

〜学祭〜


うちの近くには結構大学が多い。今日も亜細亜大学で学祭があり、ちょっと行って見た。

私の大学も学祭があるにはあったが、
「学祭期間中は普段よりもキャンパス内に人がいない」
といわれるほどしょっぼい学祭だったため、自分が学生時代の学祭の思い出はない。
だからかどうか、どうも
「学祭」
と言う響きに、学生時代を凝縮させたような甘美な響きを感じてしまう。

だが、実際いってみると、屋台の店は手際最悪だし、食い物はまずいし、まあ、あんまいいことは無かったりする。学生たちは完全に舞い上がり気味で、常軌を逸したハイテンションに辟易とする。

学祭って、そんなもんなんだろう。あくまで学生が主役で、学生の自己満足で終わるのが一番なのだろうから。

でも、ちょっと亜細亜大学には期待してた。アジア系の展示とか、食い物が満載なのではないだろうかと。

そして、案外普通でがっかりだった。

でも、人は我が母校の学祭の100倍はいた。

そして、どの学祭でも、もれなくHGのコスプレイヤーがいたのでした。


1.11.05

〜チベットの7年〜


今、セブンイヤーズ・イン・チベットを読んでいる。

まえーに映画で見たけど(ブラピのヤツ)、その時は正直大して面白くなかった。
で、チベットに行った事もあり、本を古本屋で探していたのがようやく見つかった。

原作は、なかなか面白い。
これは完全なドキュメンタリーで、どちらかというと淡々とハインリヒ・ハラーの見た事、経験した事が語られていく。逆にそれが真実としての臨場感を与えている。
ドラマチックな事件が起きなくても、恋愛が無くても、この場合、そこにいたって言う事がもう筆舌に尽くしがたいドラマなのだから。

映画にするとき、これは苦労したんじゃないかな、と思う。
そのまんまじゃ、ちょっと映画にはなりそうもない。

バルコルのことを
「商売の中心であり、社交と井戸端会議の中心でもある」
と書いている。
バルコルが今でも商売と社交の中心である事は変わっていない。

でも、チベットはこの僅か50年の間にまるで別の国になってしまった。

そして、ついにラサまでの鉄道が完成したそうです。
次におれがチベットに行った時、ラサはどういう風に写るのだろう?


30.10.05

〜伊豆・写生旅行〜


随分日にちがたってしまったが、先週の火、水と一泊で、伊豆まで写生旅行に行ってきた。今回は油絵なので荷物の量が半端じゃなく、車で行く事にした。

アトリエで一緒だった友人と2人で行ったのだけれど、なかなかいいところだった。

場所は、1日目は西伊豆の黄金崎、2日目は南伊豆の奥石廊崎。

黄金崎は観光バスががんがん止まる名所なのだが、これぞというビューポイントが少なく、キャンバスを広げられるところを探すのに手間取ってしまった。しかも入れ代わり立ち代わり観光客がやってきて、やたらと話しかけられて参った。

奥石廊崎は、観光名所から外れた丘の上で写生をしたので集中できたのだけれど、風がすさまじくてイーゼルをでかい石で固定し、その石を足でおさえ、更にイーゼルと足を紐で縛りつけて漸く耐えられるくらいだった。

しかも4時を過ぎると寒くて、どうにも手がかじかんでしまい、途中で完成を放棄してしまった(その絵が左の絵)。

絵を描くためだけに出かけるって言うのは久しぶりで良かったな。

又行こう。


28.10.05

〜スペースインベーダー〜


今日は写生旅行のことを書こうと思ったんだけど、ミクシィを見ていたら、なんとパリのアーティスト、「スペースインベーダー君」のコミュニティーを見つけ手うれしくなってしまったので、そっちを書く事にした。

スペースインベーダー君は「他力本願」のパリ編の中でも書いたけど、パリの町中に、タイルで作ったスペースインベーダーを貼っていくという、正にパリという町をカンバスにしてしまったアーティストだ。

おかげで私たちはパリ滞在の間中、街ではあっちこっちをきょろきょろしてインベーダーを探す事に夢中になり、宿に帰ると
「今日はどこそこで見つけた」
という話になったものである。

インベーダーを発見し、タイルを剥がしておくと、インベーダー君が、そこに撃墜ポイントを書いてくれるという話しだったがホントだろうか?実際には発見しても、何となくもったいなくてはがす事は出来なかった。

又パリに行ったら探そう!と思っていたのであるが、彼のHPを見てびっくり!なんと彼の活動は世界に及び、東京にもインベーダーマークがあるというのだ!

さあ!みんなで探してみよう!MAPはHPにあるよ。

→インベーダー君のホームページ


24.10.05

〜水タバコの夜〜


すっかり書くの忘れてたけど、金曜の夜に日暮里のZAKUROという店に行ってきた。イラン料理の店で、2000円で実質食べ放題という太っ腹。

でも、料理よりもその店の雰囲気にハマってしまった。
じゅうたんが敷き詰められた床に、直接腰を下ろすスタイル。
ハイテンションの店主のイラン人オヤジ。
強引に着せられる民族衣装。
忘れ去られるビールの注文。

こうやってイラン料理を食べているとバムを思い出す。バムは数年前の大きな地震で半壊してしまったけれど、あの宿のおっさんは無事だろうか・・・。

そして水タバコ。
時間をゆっくり感じさせる必殺の魔法だ。

しばらくハマりそうだな。これ。

明日から写生旅行に行ってきます!


23.10.05

〜写生会に行きませう〜


最近すっかり週刊旦那日記に成り下がっていて、仕事もしていないというのにどうもダメダメです。

明後日から1泊で友人と伊豆に写生旅行に行こうということになりました。写生といっても、うちらの場合は油絵です。

とりあえず12号を2枚買いました。立川の世界堂に行ったのですが、ほんとに本屋と画材屋はいつまでいても飽きないなあ。長居すると、顕かに使用しないようなものまで買ってしまうので、早々に帰った。世界堂は安くて品も豊富でいいんだけど、正直、キャンバスの張りは少々甘い。そう入っても自分は張る道具を持ってないので、安いということで今回は我慢です。

そんな事より、心配なのはこっちから車で行く事。
こないだの静岡行きが直前で中止になり、ほっとしたのもつかの間、今度は伊豆。
いい高速道路の練習にはなるでしょう。いつまでもびびっているわけには行かないのです。

よく考えれば、前にタイに行った時、バイクの初路上で100キロ出した事があったなあ。よくあんなことしたもんだ。

今回は安全第一で行きます。高速で60キロで走ります。


17.10.05

〜横浜トリエンナーレ〜


毎日毎日、家でごろごろするだけ〜♪
の、自堕落旦那です。最近、このネタにも飽きてきました。


そこで、この自堕落生活にも終止符を打つべく、横浜トリエンナーレにでも行ってこようかと思ってます。
横浜トリエンナーレは、世界最大の国際美術展といっても過言ではなく、9月28日から横浜の山下埠頭でやっています。横浜・・・といいつつ、大津辺りでやっているとかいうシュールな事はありませんので、安心してお出かけください。

アートサーカス(日常からの跳躍)と銘打った今回は、正に日常を逸脱したパフォーマンスや、エンターテイメントの要素を持ったプロジェクトやコラボレーションが展開され、そういっている私も良くわからんような状況になっているそうです。

ちょっとだけ例を挙げれば、卓球にあるアート性を追求したものとか、ムンバイと横浜間で公開でメールをやり取りしたりとか・・・うーん。益々わけわからんけれど・・・。

とにかく楽しそうなので、デートスポットとか、秋の休日の使い方を悩んでいる諸兄にはおすすめです(真剣に)。

ちなみに有名なところでは奈良美智も出してます。

とかいっといて、明日は上野に行ってくるんだけど。
自由って素晴らしい〜。

横浜トリエンナーレホームページ


11.10.05

〜サドゥー〜


相変わらずの無職生活が進む中、あるTVをみた。

その番組はサドゥーの特集をしていた。サドゥーとは、インドの修行者で、私も何人も旅行中に出会ったものだが、その大半はとても解脱などできそうにない欲にまみれたなんちゃってサドゥーだった。

TVに出てる人たちはある人達は30年間も立ちっぱなしでいたり、ある人は手を挙げっぱなしだったり、一言もしゃべらない事にしていたりと、変な取り決めを長ーい期間やっているヒトタチで、どんな事でも長ーい事やっているとえらくなれるらしく、ひっきりなしに、身の回りを世話する人や、食事を運ぶ人がやってくる。

つまり、サドゥーにとっては、この、「とにかく立ち続ける事」ってのがいわば職業なんだな。

世の中には、立ち続けることや、腕を上げ続けることを職業にしている人々がいるのである。
なんかもう、仕事探しを真剣にやっているのがばかばかしくなるような事実。しかもそんな人々が、インドには10万人もいるのだ。

そんな人々を包み込んでいるインドっていう国のおおらかさをホント、素晴らしいと思う。

さーおれはおれで仕事決めなくちゃ。



9.10.05

〜死ね死ね団の歌〜


しね!しね!しねしねしねしねしんじまえ〜
黄色いブタめをやっつけろ〜
金で心をよごしてしまえ!
しね!(あ〜)しね!(う〜)しねしね〜
日本人は邪魔っけだ!
黄色い日本ぶっつぶせ!
しねしねしね しねしねしね
世界の地図から消しちまえっ! しね!
しねしねしね〜 (しねしねしね〜)
しねしねしね〜 (しねしねしね〜)

しねしねしね〜 (しねしねしね〜)
しねしねしね〜 (しねしねしね〜)

しね!しね!しねしねしねしねしんじまえ〜
黄色い猿めをやっつけろ〜
夢も希望も奪ってしまえ!
しね!(あ〜)しね!(う〜)しねしね〜
地球の外へ放り出せ!
黄色い日本ぶっつぶせ!
しねしねしね しねしねしね
世界の地図から消しちまえっ! しね!
しねしねしね〜 (しねしねしね〜)
しねしねしね〜 (しねしねしね〜)
しねしねしね〜 (しねしねしね〜)
しねしねしね〜 (しねしねしね〜)
しねしねしね〜 (しねしねしね〜)
しねしねしね〜 (しねしねしね〜

今日、古本屋で見つけた本にこれが載ってて即買いました。
シュールでストレート。素晴らしい歌詞だと思いませんか?

70年代ヒーローは、デザインといい設定といい、クスリでもやってないと出てこないようなイカシたものがほんとに多い。
しねしねしね〜♪


2.10.05

〜ロングヘアー〜


今までの人生で、一度だけ長髪にした事がある。

4年前に行ってた長期旅行のときで、4月にタイで髪を切って以来、
翌年2月の帰国まで一度も髪を切らなかった。

大体これくらいには長くなった。ただ、整髪料もつけず、揃える事もしなかったので、オシャレ感は微塵もなく、確実に浮浪者方向に向かっていた。

帰国してすぐチャンプに再会したとき、
「何だ、その髪型は?ジョン・レノンか?」
といわれた。まあ、それはいいとして、その後会った、前の会社の同僚に
「正直、アレはやばかったですよ」
といわれたのはショックだった。

もう、ロンゲにする事はないだろう。
アレはアレで、チャレンジしただけ、意味があった。よくやった。
ホントはめんどくさくて、散髪代をケチっただけだけど。


2.10.05

〜テンランカイ〜


で、また下からの続きだけど、以前から展覧会をやりたいなあ・・・と思っている。

まえいたアトリエでも、グループ展を一回やったっきりで、自分の作品を公にさらして恥をかくということを余り経験していない。

何年か前に原宿のデザインフェスタギャラリーとか、成増のギャラリーとか、それなりにちゃんとしたハコでやろうという計画も有ったのだけれど、何となく立ち消えになり、それよりも、作品自体全然製作してなく、今に至るわけです。

それなりのところは結構金がかかる。都心なんかだと、1週間10万円以上はざらだし、そうじゃなくても6、7万は覚悟しなくてはならず、無職の現在ではちょっと現実的でない。

それで考えてみれば、ホームページ上に仮想のギャラリーを作ればいいんじゃないか?そのほうが沢山の人に見てもらえそうだし、わざわざ足を運んでもらう必要もない・・・。

って事をヨメに言ったら
「つまらない」
といわれた。やっぱり、手作りでやるアナログな部分が楽しいところだからなんだろうな。

やはり、うちのガレージしかないのか?


1.10.05

〜アブラエ〜


←そんなわけで、ニート絵画第一号。
ってわけではないけれど、久々に、書きかけの油絵に筆を入れました。

フォトショップで補正したらこりゃ全然違う感じになってしまったなあ。
絵ほど写真に撮るのが難しいものはない。展覧会でもポストカードを売っているけど、大抵ほんとの絵とは別物になってしまっているもんね。

そのうち我が家のガレージでグループ展をやるので見に来てください。
子供からオトナまで興奮できるシモネタ的な作品が展示される予定です(あくまで予定です)。




30.9.05

〜ニート〜


火曜日に友人と銀座にある資生堂のギャラリーにアールブリュットの展覧会を見に行ってきた。

アールブリュットというのはおフランス語だが、生(なま)の芸術ということ。要するに、下手な美術教育教育を受けたことなんかない人たちの、生の完成のままに描かれた絵の事だ。
と言ってしまうと、なんか、芸術上の1つの主義みたいだけど、実はこのヒトタチには主義なんて物自体が関係ない。

というのも、アールブリュットの画家というのはほとんどが、精神を病んでいたり、霊視者だったりして、世の中から落ちこぼれてしまった人々なのだ。

実はもう他のホームページにも書いたんだけど、じゃあ、今の世なら「ニート絵画」なんてものがあってもいいんじゃないかと。

日本中のニートに絵の具を与えて好き勝手描かせたら、面白いものが出来るんじゃないかと思った。別に絵じゃなくてもいい。例えば、ニートが住んでいる部屋を片っ端から撮影した写真展なんてのもいいんじゃなかろうか・・・

と、そこまで考えて、

「ところで、おれもニートなんじゃなかろうか?」

という、ものすごい事に気づいてしまった。
チベットから帰って以来、家から出たのは数えるほどで、ほとんど、誰かに誘われるなりして出かけただけだ。
さすがに、最近は何だかいたたまれないような気分になる事が多い。

そうだ!おれもニートなのか!
それじゃ、まずはおれが絵を描かなきゃ。それがニート絵画の記念すべき第1号。


26.9.05

〜たまにはこんな風にお茶を濁したい日もある〜


←モリックマ。

愛知万博終わっちゃいましたね。それより私は内Pが終わった事の方が哀しい。








25.9.05

〜銀塩写真〜


またまた写真がらみのネタ。

ちょっと前にLOMOって言うロシア製のカメラが流行った事があった。
流行らせたのはウィーンの学生で、どこがそんなに流行ったかって言うと理由は2つあると思う。

1つはファッション性。LOMOはよくトイカメラなんて言い方をされたけど、小さい割に金属感もあり、革張りも含め、クラシカルな趣がある。そしてかわいい。
2つ目はこっちが大事なんだけど、その「写り」だ。はっきり言って、イワユルきれいな写真というのはまあ、まず撮れない。どう写るか分らない。
その、意外性、「味」のある写真が撮れるということが、LOMOを流行らせた大きな原因だった。

銀塩写真の楽しさは、すぐに写真が見られない、という不自由さにあると思う。

今、私の心はデジカメ方向に傾いているのだけど、それと逆行する思いとして、銀塩写真を撮る時は、1枚1枚を、大切に撮っていこうと、以前よりも強く思う。

1枚1枚に、何か思いや、遊びがあって、LOMOの写真のような軽やかさのある写真を撮りたい。
私はプロではないのだから、そんなにたくさんの写真を撮る必要はないし、そういう写真が撮れそうもないようなときは撮らなくてもいい。

別に、現像代をケチって枚数を節約しようというのではない!こともない・・・・が。


20.9.05

〜現像〜


今、問題なのが写真をどこで現像するって事だ。

今までずっと写真屋をやっていたので、その手の問題に直面したことがほとんど無く、前回はこの問題に直面した時点で写真屋への再就職を決めてしまった。
その時は1年間の旅行で5000枚の未プリントネガが手元にあり、途方に暮れていた。恐らく普通にプリントしたら10万円くらいかかったはずだ。

なまじ写真屋の内部事情を知っているだけに、事は慎重になってしまう。

以前もここで書いたけどやはりどこのどんな機械を使っているか、そして、そこの店員の癖が非常に重要だ。勿論流行っていない店は、薬品が循環せず、へたっている可能性が多いので避けたい。

それに、一番大きい問題は値段だ。なんと言っても値段だ。

私が前に働いていた店は現像が630円、プリントがLサイズ29円だった。はっきり言って高い。みんなこれでよく現像してくれてるなーと思っていた。

そんなこんなで、現像に行くのは益々おっくうになり、デジカメ比率がどんどん高くなっていく。
こうして客の立場になってどうしてデジカメがこれだけ流行ったのかわかる。
特にこうしてホームページやブログをやっていると、デジカメがとても便利だ。

あーデジカメ買いたい!
俺のは2年前くらいの300万画素の中古品。でも良く映るんだよなー。今、形態でも300万画素あるから迷う。

デジカメ買うのが先か、写真屋に再就職するのが先か?果たして・・・。


18.9.05

〜水タバコ〜


おとといの夜から旅仲間が集まり、うちで鍋パーティーをやった。

そのうちの二人、チャンプとユミちゃんとうちら夫婦の4人で、下北にある水タバコを吸える店に行った。

水タバコというと、中近東の絵葉書だの何だのでよく見るアレである。
でかいフラスコ状の容器に水を入れ、そこにタバコの詰まった長い筒を差し込み、フラスコからのびている吸い口を吸うと、内部の水がぼこぼこいってケムリを吸引できる。

水タバコを囲んで、みんなでぼこぼこやっている様は、ちょっと「非合法的」な匂いがするが、実際には健全なオトナの娯楽である。

うちら夫婦とユミちゃんは既に海外で経験済み。イランあたりのチャイハネでは大抵置いてあって、安い値段でぷかぷか出来る。

水タバコには色々なフレーバーがついていて、りんご、バナナ、ミントなど、なんとなく子供のお菓子を連想させる。実際ニコチン臭が薄く、フレーバーが強いので、タバコをやらないうちらでも楽しめるのだ。

結構長持ちするので、4人で一本頼み、回し飲みした。

コーヒーを飲みながら雑談、そして合間に水タバコをぼこぼこ。
なんともいえず、のんびりとした空気感を演出してくれるのです。

そして、吸い続けるとなんとなく頭がぼおっとしてくるのです。

惜しむらくはもっと雰囲気のいい音楽と、気の合いそうな人々がみせにいれば・・・。

とにかくもいい連休の午後ではありました。


13.9.05

〜国際ローミング〜


えーっと、もう少しだけチベットネタで引っ張ろうかなと思います。

今回、以前までの旅行と一番大きく違ったことは、日本で使っている携帯を持っていったということだ。私の使っている機種では「国際ローミング」というサービスが使えるので、海外でも通話やメールが出来るのだ。

行く直前に携帯電話の店で確認すると、成都はもとより、ラサでも通話ができるというではありませんか!

あの、ラサでも出来るなんて!もはやチベットは秘境じゃねえなあ・・・と、がっかりしたような、使えてうれしいような、ま、そんなこんなで持っていったわけです。

北京に着いた時点で、電源を入れてみると、暫く検索したあとスクリーンに「china mobile」の文字が出て、ようこそ!っていうメールまできた。普段使ってる携帯がそのまま使えるっていうのは何か感動だー。わけも無くかけまくりたい衝動をぐっと押さえ、それでも、平たくすれば1日1回くらいの割りで通話して、1日1回づつくらいはメールした。

その結果の明細書が送られてきました。
もし10万とかだったらどうしよう。ボー○フォンの陰謀だったらどうしよう・・・と、緊張する手で封を開け、確認すると・・・

通話が2175円、メールがショートメッセージのみで800円。
そんで、よくわかんないのが「国際ローミング(パケット)」っというので700円。

全部で3675円。

どうでしょう。高いですかね?
勿論街角の国際電話でかけたほうが安いんだけど、日本からも普通にいつもどおり掛けてこられることを考えると、やっぱり使えるのでは?

成都の宿で、この話になった時、ある日本人が
「パリとかじゃなくて、ラサでも使えるってCMしたほうが、絶対うける。1万人はユーザーが増える!」
って言ってたけど、まあ、世界はこんなところでも確実に狭くなっているのですねえ。


11.9.05

〜まだまだチベット〜


もういい加減チベットのネタも終わりかなと思いきや、まだまだそういうわけにも行かず、近くのTSUTAYAで「クンドゥン」を借りてきた。

クンドゥンとはそのまま法王猊下の意味で、要するにこの映画はダライラマ14世の伝記なのだ。

イキナリ、チベタンが英語をしゃべっていることにぶったまげた。その違和感ときたら・・・。
でも良く考えれば、日本映画の敦煌とかでも中国人が日本語しゃべってたか・・・。セブン・イヤーズ・イン・チベットでは英語じゃなかったような気がしていたけど、それもそのはず、
あの映画はテレビの吹き替え版で見たんだった。要するに、ブラピもダライラマも日本語しゃべってたんだな。

その違和感は消えないまま・・・。マーティン・スコセッシが映像に懲りすぎてて、確かにキレイなんだけど、チベットを懐かしもうとして見る映画じゃなかったな。

欧米がチベットを扱った映画では大抵中国が極悪非道に描かれている。実際がこれ以上か以下かは置いといて、おれなんかは簡単に影響を受け、去年のサッカー、アジアカップの時の怒りもふつふつと思い出し、画面上の毛○東に「氏ね!この○ゲ!!」と無意識のうちに叫んでおりました。

もう一本はブータン映画のザ・カップも借りたが、まだ見ていない。

あーまだまだチベット漬けか。そろそろいい具合に思い出も発酵されてきたなあ。


6.9.05

〜ブラックタイガー〜


中国に行った時、日本人たちの間で流行っていたタバコがあった。
黒い箱にでかく「獅」と書かれている。英語名をブラックタイガーと言う。

タバコ全体が黒いと言う、ちょっと異様な外観をしている。一番驚きなのが副流煙だ。臭くない。むしろお香のようないい香りとさえ思える。女性には喜ばれそうな感じだ。

俺はタバコを吸わないので味に関しては良く分からないが、そこで会った日本人は「これ、今まで吸ったタバコで一番うまいかもしれない」
と言っていた。
そして、力強く
「飲み屋でさりげなく吸ってたら女はイチコロですよ!ぜひ、女性を落とす時使ってください」
と言っていた。

元同僚で、タバコを愛する奴がいるので土産に買っていくことにした。

二人とも、すぐに封を開け一本吸ったが、それ以来全く手を伸ばそうとしない。
それどころか、自販機で新しいタバコを買ったりしている。

オカシイではないか!!

「タバコならそこにあるじゃん」
と言うと、薄ら笑いを浮かべ、
「いやあ、これ全部吸ったら死にますって」
と言う。

「あー気持ち悪くなってきた」
とも言う。

明らかに申し訳程度に吸って、それとなくもみ潰したりしてる。

確かに、どこ製とかタールが何ミリグラムとかいう情報がかなり欠如したタバコではあるが、それにしても、中国にいたときと評価が違いすぎる!

俺がタバコを吸わないのが惜しまれる。

もう、あとはチャンプに吸ってもらって
「試す」しかない。


2.9.05

〜帰国しました〜


なんだかんだと、あっという間に帰国日になってしまった。
短い旅だったけど、そこで得たものはでかかった・・・と思います。

例えば、帰国便で、1つ置いて隣の席だった中国人の姉ちゃんはひっきりなしにエチケット袋にたんを吐き続け、5分おきに、日本の親父でもそうはできないだろうと言うほどのでかいげっぷをしておりました。
さらに隣の席が空席なのをいいことに、ひじ当てを上げ、そこに寝転がりました。
しかし、スチュワーデスが飲み物を配りだすと、ライオンが獲物を見つけたときのような素早さで「ガバッ!!」と起き上がりました。
そしてやおら立ち上がると、5分も不動の体制で、立ち尽くしておりました。

・・・世界は広いと。中国は野人以上に恐ろしいものの生息する地だということを知りました。

成田からバスで新宿に降り立った時、周りが全部日本人だということに違和感を感じました。どうしても中国人に見えてしまうのです。これは1年以上も旅してたときにもない、不思議な感覚でした。

帰国してイキナリハローワークへ。そして明日からは嫁さんの実家に行って来ます。まあ、忙しい日本の日常に戻ってきたなという感じです。

早く写真が見たい!


16.8.05

〜いくか!〜


なんだかんだと、あっという間に出発前日になってしまった・・・。
まあ、いつものことだけど、何も出来なかったな。

荷物が以前行った1年間の旅行とほとんど変わらないくらいのでかさになってしまったのは何故だろう・・・?

それに、あのクマは一緒に行くのか?ほんとに行くつもりなのか?

すべては謎のまま、

それじゃ、ちょっと行ってきますか!




12.8.05

〜イイワケ〜


新車を早速こすった。

ゆえに更新する気力がない・・・。


ああ・・・今日はサマージャンボの抽選日だったな。
明日オレは大金持ちだ・・・。





9.8.05

〜海外旅行初心者なんです〜


チベットに行くことにしたので、まずやることは何でしょう?
そうです!
「VISA」を取る事です!

で、六本木まで行きましたよ。
中国領事館はとってもお似合いの場所、六本木ヒルズのすぐ近くにあるんです。

いかにも人民臭のする方々の間を抜け、案内窓口まで行きました。
そこには中国領事館を体現したかのような素晴らしい女性がいらっしゃいまして、てきぱきと群がる人民を裁いております。

後ろの方からは、
「俺は全然わからないんだからお前がやれよ!!!」
と、日本オヤジが奥さんに逆切れしている声が響き渡っておりましたが、気にもせず、申請書を出しました。

すると、例の窓口の女性が
「中国に家族の方はいますか?」
と聞いてきたので、
「いません」
と。
「私一人であります」
と、ハキハキと答えました。

「では、旅行会社で申請してください」

・・・・・・・・・・
あーあーアーアーそーなんですか?中国って?
日本人はVISAは個人じゃ取れないんですね?

あーあークソ暑い中、わざわざ六本木まで行った甲斐がありました。

恐るべし、中国!

オレは人民的無表情で、業務をこなす窓口女性を横目に、一目散に六本木ヒルズ方向に逃げ去ったのでした。


7.8.05

〜チベット!〜


えーっと、やっとチベットに行く決心が付いたので、ちょっと行ってきます。

と、言ってもまだエアチケットも取っていない状況なので、ほんとに行くのかどうか自分ことながら怪しいのですが・・・。
もし成都行きのチケットが取れないようなら、アンコールワットに行っちゃうかも知れません。もしカンボジアからのエアメールが届いても、
「この、チキン野郎!」
と、罵らないで下さい。

時間も予算も限られている上に、今回は一人旅です。
ヨメに、
「チベット行かない?」
と言ったら、
「行かない」
と、即答されました。
一人旅は、8年前にマレー半島を縦断して以来です。

最近頻繁に飛行機が落ちたり壊れたりしているので、不安もありますが、まあ、行けばわかるさ!と言う迷言もありますので、行ってきます。

もし、行かなくても
「この、インキン野郎!」
と罵らないで下さい。


1.8.05

〜車〜


昨日、車が、納車された。

それで、ちょっと思い出したのだけれど、以前、椎名誠のエッセーで、
「アメリカでは良く走っているなと思うようなぼろ車を、みんな普通に運転していて、それを見てから日本の車を見ると、みんなぴかぴかにしていて、気持ちが悪い。そもそも、車と言うのは道具であり、走ることが目的であるのだから、それをいつでもぴかぴかに磨いているのはおかしい」
と言うようなことを書いていたのを読んだ。

確かに偏執的に、キズが一個付いたからどーのとかいうのはおかしい話だと思う。
が、ちょっと今になってみると椎名誠の言い草も、ちょっとどうなのよという気がしないでもない。

車を道具として考えるのであれば、それは例えば、カメラと通じるところがあると思う。
椎名誠は写真学校の出身で写真集も出しているが、彼は果たして、カメラをボロボロになるのに任せているのだろうか。
カメラも、車も、キチンと機能させようとすれば、整備、清掃は不可欠であるだろう。

それに、カメラが整備不良でも、写真が撮れなくなるだけだが、車の整備不良は命につながるしなあ。ただでさえ、ワタクシは運転するだけで、命が縮む思いなのに、これ以上危険度を増したくない。

確かに日本のような車検だったら、一発で廃車になりそうな奴が、アメリカではバンバン走っていて、それはそれは豪快に見えたけどね。
アメリカ人だって、車がぴかぴかであるなら、その方がいいと思っているんじゃないかなあ。

まあ、ワタクシも車を趣味にする気はないですが、そこそこきれいに使っていこうとは思います。


30.7.05

〜ゴーヤ〜


家には何故か大量のゴーヤがある。
5月頃は、何故か大量のトマトがあり、毎日トマトを食った結果、ハラの具合が悪くなったくらいだ。

ゴーヤの困ったところは、トマトのように、なんとなくテーブルの端にあっても何の違和感もない、といったモノではないということだ。
とりあえずテーブルにゴーヤがあったら
「あ、今日はゴーヤだね」
と言った会話の一つも出るだろう。トマトと違って、見過ごすことは出来ない雰囲気をかもし出している。
それが生だったりしたら、もはや箸をつけることはないだろう。

そう、ゴーヤは生で食えないくせに、料理の材料としての応用性が、余りに低いのではないかと思う。

とりあえず、既にゴーヤチャンプルーは食った。
あと、一体何があると言うのだ?

ネットに頼らず、とりあえず今考えうるレパートリーは

@ ゴーヤカレー・・・まあまあいけそうだ。CMでもあったな・・・確か。
A ゴーヤ味噌汁・・・許せる範囲か?
B ゴーヤ丼・・・ゴーヤだけっていうのはちょっと・・・。
C ゴーヤ汁・・・まあ、苦い青汁だね。
D ゴーヤ・トムヤンクン・・・辛い、すっぱい、甘いと言う、タイ料理の3大要素に、「苦い」が加わったら、果たして、我々の味覚は付いていけるのだろうか?どうなんだろうか?

とりあえず、以上(異常?)のものを、物心付いていない姪っ子(2歳)に強引に食わせてみようと思います。


29.7.05

〜真夏日・2〜


今日もいい天気でしたね。
なのに、ワタクシはどこにも行かずに一日中パソコンの前に居りました。
不健康だなあ・・・。

昨日は、多磨霊園まで自転車を走らせた。
別に墓参りに行くわけでもなく、ちょっとだだっ広いところに行きたいという欲求に駆られたのであります。

多磨霊園は、人影も無く(アレだけ暑い日に墓地なんか行く奴はめったにいない)、空が広くて、夏を感じることが出来た。墓地に行って言うのもなんだが、気持ちよかった。

明日から家はお盆です。この辺りは、ちょっと一般的なお盆より日付がずれるらしい。
妹が甥っ子と姪っ子を連れてくるので、又、騒がしい日々になるでしょう。


27.7.05

〜真夏日〜


今日は台風一過の良い天気でしたね。この夏一番の真夏日だったんじゃないでしょうか?
東京の空の色は薄いけれど、今日の空を見ていると、何処かに出かけたくなってしまう。

で、

今日、この気持ちのいい真夏の空の下でワタクシが何をしていたのかというと、
ギンザのチャンスセンターの一番窓口に並んでました。
で、連番10枚バラ10枚ゲットしました。

気持ちのイイ日でした。


25.7.05

〜語学〜


免許が取れてやることがなくなったので、旅に備えて語学でもやろうかと思う。

一応中国語とタイ語を考えているのだが、何しろ語学をやるのは大学以来ということで、しかも、生まれてこのかた語学が得意だったことは一度もないわけで、どうしようかと。
他の国ならまだしも、中国だけは日本語と英語で押し捲る、という必殺技が通用しそうにない。

それにしても人が中国行こうとすると、暴動が起きたり、人民元が切り上げになったり、四川で奇病が流行ったりと、ろくなニュースが聞こえてこない。

とりあえず、「ごめんなさい」だけ覚えていくか。
何か、上海では日本人は「ごめんなさい」と言わないと、飯も食わせてもらえないらしいので。



22.7.05

〜六本木コルラ〜


オレはパリーグ応援するから、村田さんはセリーグ応援しなさいよ!」
というおよそ解説者らしからぬ東尾の暴言を聞き流しつつ、さて、更新更新。

チベットにあるカイラス山は、仏教、ボン教、ヒンズー教徒にとって共通の聖地である。
山の周りをぐるりと1周回る巡礼をコルラと言い、チベタンにとって1度は行いたいと思う重要な行為なのである。

話はイキナリ変わるが、昨日は六本木ヒルズにフィリップスコレクション展を見に行った。
さすがに2日連続の美術館通いはフトモモの裏に違和感を覚えるほどになっており、屈伸運動をしながら絵を見るという、オヤジ的鑑賞をしていたのである。

展覧会を見終わってさて一休みしようかと、同じく森ビルの54階にある喫茶店に入った。
国会議事堂や、皇居方面が見渡せたのであるが、ずっと手前、位置的に言うと、赤坂辺りだろうか?5歳児が右脳だけで積み木を積み上げたようなおかしな形の建物が眼に入った。

一緒に行った友人が「ちょっと見に行かない?」という。
ワタクシ的にはフトモモと相談という状況だったのだが、確かに、あの建物は気になる。

早速行ってみた。
近くまで行ってわかったのが、その建物はちょっと小高い丘の上に聳えていた。
何処かで見たことのあるような光景だった。
そうだ、ラダックのチベット仏教寺院にそっくりではないか!

益々何の建物か気になったのだが、その建物の周りは、東京ドームが10個くらい入りそうな広大な敷地に囲まれ、高い壁の上に更に金網を敷くという鉄壁の防御姿勢をとっている。

入り口を探したが、なかなかない。ぐるっと周りを半周して、漸く見つけた入り口に検問のようになっており、警備の人が我々に
「近づいたら5秒で射殺します!」
という視線を投げてくる。

もっと友好的な入り口はないものかと更に半周。東京ドーム20個分はあろうかという敷地をまるまる1周、もと来たところまできてしまった。結局中に入るには射殺覚悟でないとダメらしい。

あとで地図を見てわかったが、あそこは某国の大使館宿舎ということだ。
チベット寺院のような大使館宿舎をコルラして得たものは大量の汗と、もう明日はなにもしない!という、固い決意だけでした。


20.7.05

〜32〜


今日の昼飯に、一人さびしく、ピザなどを食っている時でした。

その店は、注文時に番号札をもらい、ピザが焼きあがると番号で呼び出しがかかるというシステムになっていた。
上野は言うまでも無くガイジンが多い街だ。その店も、上野にパンダを見に来たに違いないガイジンで溢れかえっていた。

俺の隣のテーブルに座った女子2人組みも、さっきから中国語とも韓国語とも取れない言葉をしゃべっている。


「32番でお待ちのかたー」
と、呼び出しがあった。
しばらく誰も取りに行かなかったら、さすが国際都市上野、
「ナンバー、サーティーツー!」
と、英語の呼び出しに変わった。
それにしても、へたくそな英語の上にまるでプロレスラーのマイクパフォーマンスのように聞き取りにくい。

ふと、横のテーブルを見ると彼女らの番号札が32だった。
いつもなら、そんなこと余りしないのだが、今日はよっぽど良い日だったんでしょうねえ、テーブルをとんとんと叩き、

「サーティー・ツー!」
と教えてあげた。

すると、彼女らは
「え?え?」
と言ったのだ(明らかに)!

彼女たちは日本人なのか?「サーティーツー」は勇み足だったのか!?

そのあと、暫く隣のテーブルの会話に全神経を集中していたのだが、どうしても聞き取れない。やっぱり中国語のようにも聞こえる。

俺は確信が持てぬまま、その場から小走りに去ったのでした。

願わくば、彼女たちが、オレを中国人だと思っていてくれと思う午後のヒトトキでした。


19.7.05

〜車を買いに行く〜


免許を取れたはいいが、車がない!
ということで、無職でありながら、リッチマンなワタクシは車を買いに行った。

今、ネットを見ると、「車を買い方」みたいなページが結構沢山あり、そのなかでも、いかに値引きをさせるか!ということについてが、中心となっている。

どのサイトでも、大体共通した内容で、
@ 違うメーカーの、同じような車で見積もりを出してもらい、ディーラーに値引きを競わせる。
A こちらの欲しい車種や、予算をディーラーに悟らせない。
B アクセサリー無しの価格で出してもらい、あくまで、車体価格からの値引きを目指す。
C 即日の契約をちらつかせ、もう一押しを狙う。
といったところだろうか。
中には10万以上値切れだの、いくらいくらまでの値切りに成功しただのという武勇伝などが書かれており、いくら値切らせてやった!と、声高に自慢するそれらのサイトの情報を見ていると、ちょっとほろ苦い出来事を思い出してしまった。

旅行中、ネパールでベッドカバーを買った時、何が何でも、100ルピーで買おうと、しつこいくらい値切り倒し、最後は100ルピー札を投げつけて、ベッドカバーをかっさらうようにして持ち去ったことがあった。

あの時は、それが当然だと思っていた。ベッドカバーは絶対に100ルピーで、オレはそれを100ルピーで買う権利があると思っていた。

ジュースは1ルピー(2.5円)違えば絶対に買わなかったし、他の旅人よりも1バーツでも高い値段で買ったことを知ると、めちゃくちゃに悔しかった。

それらのサイトを見ているうちに、何だか卑しい気持ちになった。

ほんとにおれは値段交渉がへたくそで、苦手だったなあ。

ま、最終的にはガッツリ値切りましたが、しばらくは他の人が、その車種をいくらで買っているか、という情報はシャットアウトいたします。



15.7.05

〜免許皆伝〜


本日、ブジ免許が取れました。車に乗り始めたのが5月18日だったから、丸2ヶ月もかかったわけだ・・・。まあ、随分サボったのでねえ。

しかし、教習で一度も夜走ってないし、高速も乗ってないので、今のオレに車を運転させることは、ブッシュに核爆弾のスイッチを握らすのと同じくらい危ないでしょう。

次は北斗神拳と、裏千家の免許皆伝を目指します。




14.7.05

〜なに!〜


ふ、深○恭子が、リ、リラックマをあつめているだとおおおおおおお〜!!









12.7.05

〜日記もリニューアル〜


別に、暇ってわけじゃないんですが、このページだけ、前回のリニューアル時にほったらかしにしていたので、ちょっと変えてみました。

こういう形にしてしまうと、なんとなく、毎日絵とか写真を貼らなくてはならないような感じですが、そんなことはお構いなしにススムでしょう。
出来れば、絵を描きたいなーと思っているのですが、タブレットも持ってないし、スケッチブックに描いた絵をスキャンするしかなくて、なかなかうまいこといかんのです。それを、簡単に言ってしまうと、
「めんどくさい」
ということでしょうか。

そんなこんなで、女の子の絵でもなきゃ、なかなかモチベーションが上がらない日々なのでした。


10.7.05

〜赤バス〜

タイで一番使った交通機関といえば、バス、しかも、3.5バーツで乗れる、エアコンなしの通称赤バスだ。

便利なもんで、赤バスに乗れば、バンコクの大抵のところにいけてしまうのだけど、何しろ恐ろしい数の路線があり、バスマップを見たところで全くわからないこともしばしばだった。
しかも、路線が多いせいかバンコクの渋滞のせいか、乗りたいバスが、全く来ないのだ。下手すると、1時間くらいは待たなくてはならないんで、時間に余裕のある旅人しか使えないというのもある。

その赤バスが、3.5バーツから5バーツに値上がりした、というのを、以前友人から聞いていたのだけど、最近の原油高でついに6バーツに値上がりになってしまった。

日本円で考えれば、10円が16円になったくらいのもんで、たいした事ないといえるかもしれないが、実に1.5倍以上の値上げである。日本のバス運賃が、210円から350円になったら、えらいことだろう。タイの物価を考えても確かに3.5バーツは安かったと思うけど、ちょっと寂しさを感じずにいられない。

丁度、前回バンコクにいた2001年には渋滞緩和のための切り札としてバンコクスカイトレイン(モノレール)が開通したばかりであった。オンボロの赤バスに比べ、日本のモノレールと比べても遜色ないほどのキレイさだったが、値段も高かった。それでも、バンコクっ子が結構利用しているのを見て、不思議な感じだった。

それが、今度は地下鉄が開通し、赤バスは明らかに前時代的な乗り物になってしまったのだろう。


ああ・・・バンコク市内まで行く59番の赤バスを真夜中の空港で延々と待っていたのを思い出す。

その時、7人位いたのだから、別にタクシーをワリカンにすればいいじゃんという意見があってもおかしくないのだが、そんな意見は誰からも当然のように出なかった。なんだかこだわりを持たせるようなものが、バンコクの赤バスにはあった。

あの、バンコクの象徴のようなバスが、廃れ、なくなってしまわなければいいな、と思うけれど、そんな私の思惑を遥かに越えて、タイは発展していくのだろう。



5.7.05

〜散歩〜

昨日は雨の中、新大久保から新宿の職安通りまで歩いた。
ワタクシ的には、コレを韓国散歩と呼んでおります。
擦れ違う人の会話も、韓国語だったりタイ語だったりと、それだけで実に興奮的な街です。
今回は明治通りまで歩いたので、韓国で、思い出したくないような思い出のあるソルロンタンの専門店を見つけたり、サムゲタンの店を発見できた。

今日は一転してクソ暑い中、新宿のタイ飯屋サームロットで、昼飯を食った。
本来なら、このあとサワディーミュージックに行けば私的に勝手に呼んでいるタイ散歩になるのだが、今日はサワディーミュージックの定休日なので、暑さでよれよれになりながらジュンク堂や、世界堂をふらついて帰った。

話は変わるけど、ワタクシ、どうも店員に話しかけられるのが苦手で、今日もヨドバシにタブレットを見に行ったのだけれど、
「どうぞ、どうぞ、実際に色々書いてみてください!どうぞ、どうぞ」
と迫り来る店員に耐えられず、逃げ帰ってしまった。

こんなので、また海外に行って値段交渉とかできるんだろうか?
暑さにも確実に弱くなっております。



3.7.05

〜弓道部〜

昨日、大学時代の同期のTに誘われ、10年ぶりに弓道部の道場に行った。

道場は、本校と離れた運動部用のグラウンドの片隅に立っている。さすがに10年ぶりだと、校舎の周りも様変わりしているだろうと思ったのだけれど、思ったよりも当時の店などが残っていて、都内でも川の向こうは神奈川県といったこのあたりでは時間の流れも少しだけ遅いようだった。

近くのパン屋でパンの耳だけを集めた袋を「10円パン」と称して売っていた。今考えれば、タダにしろよ・・・とも言いたくなるが、当時はよくそれでハラを満たしたものだった。そのパン屋も残っていた。

ただし、大きく変わったのは、当時は大して強くも無かった陸上競技部が日本一になり、グランドが素晴らしくキレイになり、でかい寮が作られていた。

でも、弓道場は、多少のリフォームはされたものの、昭和40年代に立てられたオンボロ道場のままで、今も健在であった。
うちらの現役の頃に、既に捨てた方がいいんじゃねえかと思っていた数々の品々がいまだ現役で使用されていた。さすが弓道部である。

5人の部員がもうオフ期間だというのに、弓の練習に来ていた。弓道部員だけあり、みんな純朴そうな良いやつらだった。金髪とかモヒカンとかの弓道部員はまだいなかった。

金髪とモヒカンはいなかったが、メキシコ人の部員がいた。昨日はいなくて残念だった。ぜひ、リチャリブレの話で盛り上がってみたかった。

オレもTも所在無げにうろうろしていると、一人の部員が、ボロボロのノートを持ってきた。

開かれたページを見ると、長々と
「ホモ」の歌が書かれていた。
それは、オレが当時の主将の玄さんに贈った歌だった(私はホモではありません)。
「いま、部員の間で、コレが大うけです」
と言っていた。
・・・・で、オレにどんなリアクションをとれと・・・?

青春の一ページには、確実に恥ずかしい思い出も書き込まれていたのでした。



1.7.05

〜探し物〜

4年がかりで探していたものが、漸く手に入った。

それは、1枚のミュージックビデオ(正確にはVCD)なのだけれど、もう手に入らないかもしれないと思っていたものなので、余計に感激だった。

そもそも日本のソフトならこんなに苦労はしなかっただろう。出会いは、例の長い長い旅行に旅立ってわずか4、5日しか経っていない頃だった。

場所は上海の安宿、浦江飯店。
ドミトリーにはテレビが1台あり、その時MTVをやっていた。何を歌っているかわからずとも、見ていると面白いもので、そのなかで、おかっぱ頭の女性2人組が何やら正月の歌らしいのを歌っているのがあったのだけれど、それがしつこいくらいに良く流されていた。

ドミにいたチベットに行くという旅人が、「この歌耳に残るよねー」と言っていた。中国の殺伐とした雰囲気の中、人民からは決してもらえないような笑顔に、「中国人でもこのような笑顔をするのだなあ」と感心したものだった。
ああ、そうです。多少癒されていたのでしょう。

時は流れてタイに滞在中、その2人組が、チャイナドールズと言う名前で、中華系タイ人であるということと、その歌がH.N.Yという歌であるということを旅仲間から偶然教わった。

帰国して、あの上海で見たビデオをもう一度見たいと思った。幸い、タイではCDと一緒にカラオケVCDと言うのを一緒に出す習慣があり、しかも、そのカラオケにはちゃんと、本人のビデオクリップだ使われている。

このHPでもリンクしているサワディーミュージックというアジアのCDやらVCDを専門に扱っている店を知り、早速、H.N.Yが入っているVCDを買った。

が、しかし!H.N.Yのクリップは私が上海で見たものではなくて、コンサートの映像が使われたものだった。

あとから知ったのだが、上海で見たものはH.N.Yの中国語バージョンで「發財發福中國年」という歌のクリップだったらしいのだ。

そんなこんなの紆余曲折が、後500行分ほどはあったのだけれど、簡単に言ってしまえば、台湾から取り寄せる形で、ようやく、そのVCDが手に入ったのですよ。

あの、上海で数回聞いただけの歌を良くここまで引きずって手に入れたものだと、久々、自分の執念深さを感じたのです。

長々読んでいただき、有難うございました。オチはありません。ただ、うれしかったんです。


26.6.05

〜チャイ〜

最近喫茶店に入ると良く眼にするのがチャイというメニュー。
例えばスタバでもあるでしょ?

それは大抵ミルクティーに、それなりに香辛料などを入れたもので、要するにインドの「チャイ」なのだろうと思う。

私が一番最初に出会った「チャイ」はトルコのチャイだった。それは、いわゆるストレートティーで、ミルクの入った物ではなかった。チャイって言うのは「お茶」ってこと。インドではお茶といえばミルクティーで、何故かインドのチャイって言うのが有名になった。

お茶は、大体東南アジアまでは緑茶であるけれど、インドに入るとミルク入り紅茶になり、パキスタンまではミルクティー。アフガニスタンより西に行くとストレートになるが、トルコまではチャイという名前は残る。

インドやパキスタンの路上で飲んだチャイは余り香辛料くさくなかった。あと、水牛の乳を使っているせいか、ミルク感が濃厚な気がする。

で、日本のチャイはどうかって言うと、コレははっきりとシナモンミルクティーだ。
インド料理屋ではマサラが使われているが、喫茶店のものとなると、大体シナモンの味が強すぎる。

私の記憶のチャイの味はカルダモンの味だった。その辺がちょっと不満ではあるが、メニューに何の説明もなくチャイがイメージできるくらい一般的になったんだなあ。

チャイの広まりと時を同じくして喫茶店の分煙化も進んできたように思う。ケムリ大嫌いのうちの嫁さんにとってみたら、それはありがたいのだろう。以前はスタバみたいにぜーんぶ禁煙の喫茶店なんて考えられんかったけどなあ。


23.6.05

〜デジタルプリント〜



某写真屋を辞めて1月半、プリントをしていないデジカメの写真がパソコンに貯まってきたので、パソコンでプリントすることにした。

当然のことながら写真屋をやっていた時はすべて店でプリントをしていたので、久々にパソコンを使うと、やはり「めんどくせえなあ」と思った。
100枚ほどプリントしたのであるが、まず、写真用紙が100枚で900円ほど、インクも100枚やると、大抵切れてしまう(案の定切れた)。
それはまあ、我慢するとして、時間がエライかかるのが一番参った。全部終わらすのに3時間くらいかかったんではないか?店なら7〜800枚は焼ける時間だ。

コレだけ苦労した写真は、全体的にマゼンダかぶり(要するに、赤いってコト!)。しかも、1年もすりゃ、けっこう色が変わってしまうのかなあ、なんて思ったりする。
エ○ソンのす○インクとかだとほんとに長持ちするんだろうか?その辺の事情は良く分からないのであるが、どうしても、お店プリントと比べてしまうのは職業病だな・・・。

そんなこんなで、ネットでオンラインプリントをやっている店を検索したら、これがけっこうある。というか、もちろんあるのは知っていたけれど、値段とか、送料とかを見てみるとけっこう差があって面白い。できれば基本料なんてものはなく、送料も、1500円くらい頼めばただになるのが望ましい。代金も、プリントの到着後にコンビニ辺りで払えると簡単でいい。

それに、これは写真屋をやっていてわかるのだけれど、どんな機械でプリントするかによって、また、プリントする人の好みによってけっこう仕上がりが違うのだ。

好みって言うのは、店にいる人によっても変わるし、一度試してみないことにはなんともいえないのだけれど、機械は、できればフ○カラーの、フ○ンティアという機械を使い、エバー○ューティーペーパーfor LAZERというペーパーを使っているのが私の好みに合っている。

ホームページを見ているとけっこう○ーリツの機械を使っている店が多いけど、実は、○ーリツや、○二カは、フ○に比べて紙が安いのだ!それだけでも、なんとなくフ○を使いたくなってしまうじゃあないか!(まあ、ケチな人間ですけど)

フセ字が多すぎて書いている本人も何だかよく分からなくなってきた。
そんなこんなで、今度、一度ネットプリントを頼んでみようかと思います。
後、辞めた会社の人がコレを見ていたら、ぜひ、暑中見舞いバージョンの堀北真希のポスターを1部キープしておいてもらいたいものです。


21.6.05

〜木場公園〜

今日は現代美術館に会期終了迫ったルオー展を見に行った。

にしても、今日はあつかったですねえ。
現代美術館は木場の駅降りてから軽く1キロは歩かなくてはならず、だだっ広い木場公園の中をひたすら歩きました。
デカイつり橋を渡ると、そこは美術館だった。
つり橋の周りのベンチには半裸のオヤジが3人くらいどさっと寝ており、日光浴をしているという日本離れした光景が広がっていた。

現代美術は面白い。例えば靉嘔という作家の作品には、床に置かれた箱に手を突っ込んで、中に入っているものの触った感触で、何かを感じ取ってほしいというまるで、バラエティの罰ゲームのような触覚芸術やら、虹色に塗られた頭のない人形の後ろから頭を出して記念写真を撮るという、まるで観光地みたいなやつがある。

ぜひ皆さんもこのゲイジュツという悪ふざけを楽しんでみて下さい。


18.6.05

〜カオマンガイ〜

今日、久々に井の頭公園に行ってきた。
土曜なので、いわゆる大道芸人の方々、例えば、5月3日の日記にも書いたジロー○村みたいなのがわんさといるのではないかと、期待を持って出かけた。

駅の方から、通称「エスニック通り」と呼ばれるアジア系の雑貨やレストランが密集する通りを抜けて公園に入ると、すぐ左手に野外ステージがあり、大抵その付近が芸人どもの溜まり場となっている。

今日はステージで、何やらつまらなげなダンス的なものをやっていて、そこに大勢の野次馬が群がっており、音量もでかいせいで、そのほかは余り盛り上がっていないみたいだった。

池に沿った道沿いに、色々な露天が出ているのでそれを冷やかしてまわっていると、どこやらで見かけたイラストのポストカードを並べているところがあった。それはキン・○オタニという人のもので、その露天の店番をしていたのが、まさにキン・○オタニその人だった。

イラストどうこうと言うよりも営業の才能の方がはるかにある人であるのは間違いなく、一旦客に食いつくと、スキを全く与えないマシンガントークが炸裂。私達2人を露天の前に釘付けにした。

まあ、実際イラストもなかなかいいものだったし、それよりも「無気力うんたら・・・」と書かれたTシャツがかなりキレていて、嫁さんがそれを購入した。

昼飯は園内にあるタイ料理屋で食った。

「カオマンガイ」というのは、前にタイフェスのとこでも書いたけど、鶏のだし汁で炊いたご飯の上に蒸した鳥を乗せ、甘辛のたれをかけるというもので、タイ料理の中で今一番好きなものだ。

タイで食っていたのは、日本で食うのよりはるかにチープ感の漂う庶民的なもので、値段も20バーツ(約60円)位だった。

たぶん、コレを好きな理由はタイでもよく食っていたので、いろいろな場所の思い出が染み付いているからだと思う。

あの、貧乏くさい、大衆食堂の喧騒やら、匂いやらの思い出がまとわり付いてくると、無性にタイに行きたくなる。ここ最近の蒸し暑さのせいかもしれませんね。


13.6.05

〜墓参り〜

今日も今日とて相変わらずの堕落した日を送り、朝からずっと若・貴報道をぼんやりと眺めていたのだけれど、昼に思いっきりテレビで、今日が太宰治の命日だと知り、ちょっと墓参りに行こうと思い立った。

太宰の墓は、家から自転車で15分ほどのところにある禅林寺という寺にある。

今日は夏のように暑くていい天気だったので、寺に着く頃にはいい汗をかいていた。

今までにも何度か来たことがあったが、いつも人がいなくて静かな墓地だった。

さすがに命日の今日は人がいるだろうと思ったが、白いワンピース姿の中年女性が一人、なぜかお墓の前で携帯電話をしきりに眺めていただけだった。

お墓には新しい紫色の花が供えられていた。

日本酒の小瓶を置いて、手を合わせて帰ってきた。

静かでいい午後だった。


9.6.05

〜ブルーベリー〜

従弟の家でやってた山野草の即売会で買ってきたブルーベリーが、ほんのちょっと紫色になってきた。
そろそろ鳥対策のネットをかけなくては。
最終的には庭に植え替えて、ジャムが作れるくらいまで増やしたいと思っている。

5年位前、荻窪に住んでいたとき、アパートの狭い庭に大量の種をまいたことがある。
ひまわり、枝豆、グラジオラス、とうもろこし、イチゴ、レタス、などなど。

土壌が悪かったせいと、余りに密集させて植えたせいで、余り大きく育てることは出来なかった。

嫁さんが、観察日記をつけていて、まるで小学生の朝顔の観察日記みたいだったけど、懐かしい思い出だ。

東京は梅雨入り間近です。


3.6.05

〜ヤキニク〜

久しぶりに辞めた会社のやつらと会い、焼肉を食った。

辞めてからもう一ヶ月も経つのかとも思うが、まだ一ヶ月しか経ってないとも感じるし、不思議な感じだ。

店も、会社の状況も思った以上に変わっていなかったけど、1ヶ月っていうのは、働いている時には、ホントにあっという間だったことを思えば、まあソレもそうかとも思う。

みんなともう少し一緒に働きたかったという思いもあるが、数々の愚痴を聞いていれば、やっぱり辞めてしかるべきだったか思ったりもする。

そして、冷麺を食わなかったことを後悔したりもする。

今日のバーレーン戦の予想をした。
オレは0-0のドローと予測した。

おれも何かをしていなくちゃ。
免許を取るだけじゃなくて。

どんどんと取り残されてしまう前に。

24.5.05

〜サイトリニューアル〜

ホント、つかれました・・・。


16.5.05

〜メンソール〜

今日は新宿の職安に行ってきたのだけれど、窓口のオバさんに

「K市在住の方はT市の職安に行ってください!」

と一蹴され、このままでは電車賃580円はドブに捨てたも同然になってしまうので、

職安通りにホトックを食いに行った。

ホトックとは韓国の屋台でよく売られているお菓子だ。日本で言う「おやき」みたいなもんで、しっとりした生地の中に色々な具が入っている。韓国で食ったものは中にハチミツとシナモンで味付けがされていた。

去年食った屋台はオバちゃんがどこかに行っていて居なかったので、南大門市場というスーパーでジュースだけ買った。

韓国でも売っていたのは知っていたのだけれど、買わなかったやつで、缶に松の葉っぱっぽいものが描かれている。

いやービックリです。韓国では

『メンソレータム味』のジュースがあるんですね。

すみません、余りに強烈過ぎて、全部飲めませんでした。

奥が深いぞ、韓国・・・。

それにしても、まだ、韓流の方々のグッズを扱っているお店は、女性でいっぱいでした。

うちのヨメも、朝の韓国ドラマを見ているし。


14.5.05

〜タイフェスティバル〜

三重から友人夫婦が出てきたので、理絵と4人で原宿のタイフェスティバルに行ってきた。

タイ一食の会場に興奮しつつマンゴスチンを食い、カオマンガイを食い、ナンプラーを買い、

チャイナドールズと、パーミーのCDを買った。

カオマンガイは某松澤勇(仮名)の影響を受け、オレの今一番好きなタイ料理だ。

今回食べたものは、チキンにかかっていたソースの味がいまいちだった。

でも、パクチーはどさっとかかっていて、なんともタイへの郷愁(?)をかき立てる味だった。

最近、余り食欲がなかったけれど、あっという間に食べてしまった。

一番欲しかったのは、トゥクトゥクだった。

なんと998000円。公道でも走れますと書いてあったけどほんとかね?

免許問ったらぜひ、こいつで日本縦断したものだ。

まあ、買わなかったけど。


9.5.05

〜入所〜

といっても、ムショに入るわけでは当然なく、今日、「自動車教習所」の申し込みに行ってきたわけでございます。

思えば、会社を辞めて早11日、ヨメの介護に明け暮れ、「ただ飯食いの役立たず」という、世間の風評に耐え忍んできたわけではありますが、ここにいたって、一念発起、免許とやらを取ってみようとするのであります。

正直運転には興味がなく、車にも興味がなく、免許にも興味がないわけなのではありますが、会社を辞める時、うっかり

「辞めたら免許をとりにいく」

ということを、恐らく20回ほどは吹いて回っておりましたので、行かざるを得ないわけであります。とても、

「辞めたらグータラします」

とは、毎日残業残業、一日12時間労働に安月給で耐える同志諸君には言えなかったのです。

 

前置きが花形満の前髪ほどに長くなりましたが、そんなわけで、申し込みに行ってきました。

家から自転車で3分ほどの至近にあります「O」教習所は、その昔、うちのじいさんが働いていたところだ。

まあ、今は何のコネもないので、普通に申し込みました。

私の行ったすぐ後にも、3秒で交通事故で死にそうな、顔面全体で「バカでーす」と言っている若者3人が申し込みにやって来ました。こんな時期でもけっこう込んでいる。

私の担当をしてくれたのは山本梓似の美人さんで、最後に

「頑張ってください」

と笑顔で言われ、俄然、ヤル気になっているところです。

この教習所は明らかにフロントに美人を揃えてきており、素晴らしいと思います。

しばらくは、「旦那の教習所日記」になるかもしれませんな。


8.5.05

〜携帯、消えたい〜

なんていう、最低なしゃれで題名を付けたくなるほどバカな事ではありますが、

私、昔から、ホントに物をよく無くします。

カメラ、財布、現金からトラベラーズチェックまで、なくしてきたものを、すべて日記にでも付けていれば「落し物日記」という、新ジャンルの日記文学を作り出せたのかも知れません。

で、昨日、チャンプと3人で映画を見に行ったのだけれど、ミゴトに携帯電話を落っことしました。

しかも、そういうときに限って電池切れ。

わが数少ない友人の個人情報を守るべく、頑張って探しました。

ホントに頑張って探しました。

運良く映画館の座席の下に落っこちてました。

がんばったというか、まあ、映画が終わるまで1時間ほど時間をつぶしただけなんだけど。

韓国のときからチャンプ様にはホントに迷惑掛けますな。

今度あったらヨメの納豆くさい骨折の包帯のにほひを小一時間嗅がせてあげるので許してください。


3.5.05

〜社会的地位〜

今日は妹夫婦が、姪と甥を連れて遊びに来ていたので、近くの公園に遊びに行った。

そこに、虹色をした奇妙な物体が!

それは、ジロー今村とかいう、最強の肉体表現者(自称)だった。

もちワザは、少しだけ切れのあるダンスと頭につけた、笛の音と共に紙風船が伸びる奴(なんていうんだろうね?あれ)。

上野公園あたりなら、まず素通りされる事間違いなしのパフォーマンスだが、暖かい小金井住民は彼の周りに黒山の人だかりを作っておりました。

彼は、あれが本職なのだろうか?じゃないよなあ。あれで飯が食える世の中なら、失業したてのオレの未来も明るいのに。

そういえば、ジローはスケッチブックに「お仕事ください!」と書いたものを見せて、笑いをとっていた。やはり、仕事ないんだろうな。

よく考えたら、オレの今の社会的地位みたいなのは、ジローどころか、幼稚園に行っている甥っ子とも大して変わらないんだな。

少し救われたのは、パフォーマンスの後、ジローが決して少なくない数の子供に囲まれサインをしていた事だ。

どこにでも暖かい手を差し伸べる人っているのだな。

まあ、オレは、その手を払いのけ続けているのかもしれないけれど。

明日は芝桜を見に、秩父に行ってきます。


2.5.05

〜退社しました〜

4月30日を持って、某写真屋の仕事を退社いたしました。

何だか待ち望んでた割には実感がなく、何だか、まだ出社しなくてはならないかのような気分でございます。

前回仕事を辞めた時は、その1ヵ月後には例の長期旅行に出かけることが決まっていて、その準備やらナンやらがあって、そのせいで逆にその期間は、今までの人生で一番と言ってもいいくらいの自由を感じたものでした。

今回は、とりあえず7日まではナンやらと忙しい予定があるけれど、その後は何にも決まっていなく、なぜか、その、何も決まっていないという部分で、なにやら束縛を感じてしまうのです。

次の行動が決まっていて、限られたじかんだからこそ、より、自由が保障される安心感を得られるのかもしれません。

やりたいことは沢山あり、まあ、その一番大きいことがチベットに行く事なのだろうけれど、以前、

「又、旅に出たい」

ということを話した時、チャンプに

「手に職つけといたほうがいいぞお〜」

といわれたのだけど、結局はつぶしのきかない写真屋稼業しかやってこなかった。

まあ、何とかなりますって。今日やれることは、明日もやれるんですから。

ところで、ヨメが手の骨を折った。

利き手をボッキリやってしまった彼女を手助けすることで、束縛の中の自由を見つけられそうな気もします。

早く直ればいいな。


24.4.05

毎日毎日上野で山手線から常磐線に乗り換える。

上野は、昔から東京で一番好きな町だった。

何しろ西洋美術館、都美術館、上野の森美術館、芸大美術館など、美術館、博物館が乱立している。

更にアメ横がある。コリアンタウンも含め、東京で一番アジアを感じる場所だ。

更に更に、京成線で、成田にも直結している。上野は世界に直通だ。

・・・とまあ、京成電鉄の宣伝はこれくらいにしておきたいのだけれど、移るべき本題がない。

今日の朝、上野駅でふと、

「会社辞めたら、上野で一日美術館漬けになろう。あーそれいいなあ、しあわせだなあ」

と現実逃避の思考時間を20秒間くらい持ったっていう、それだけの事です。

あ、上野には「みはし」もあったな。あそこのクリームあんみつは国宝物だ。

 

そういえば、うちの店に上野の近く、日暮里に住んでいるT君という、ちょっとおしゃまなロマンティストがいるのだが、今日、専務から、「店の売上が悪いのは、店の前でタバコを吸うからだ」という、脳みそ3グラム的な指摘を受け、こんなに天気の良い日に打ちひしがれておりました。

南無阿弥陀仏。


21.4.05

いま、竹橋の近代美術館でゴッホ展をやっている。

で、見に行ってきたんだけど、平日の昼間っからまあ、混んでたこと・・・。

パリ時代、アルル時代、サンレミ時代、と雪ダルマ式に込んでいき、

何と言っても、チケットのデザインにも使われていた

「夜のカフェテラス」

の前辺りがとてつもない巨大雪ダルマになっていて、

ナンだか良く分からないオバハンどもが口々に勝手な事をぎゃあぎゃあとしゃべっており、

まあ、環境としては旧東欧諸国の工場地帯と同じくらい劣悪だったので、休憩室に逃げ込んだのでした。

この雪ダルマ現象を、

「チケットに載ってる絵の前は、一番込み合っている。マチガイナイッ!」

の法則と、私、個人的に勝手に名づけております。

休憩室ではどういういわれがあってここにやって来たのか分からない女子高生が二人、

水筒の飲み物を飲みながら、皇居を見下ろして談笑しておりました。

展覧会の絵よりも、素晴らしいゲイジュツのようでした。


18.4.05

先週の土曜にサッカーを見に味の素スタジアムまで行ってきた。

埼玉出身のヨメは激烈にレッズを応援しとります。

ねぶそく、6連勤、オープンセール明けで、サッカー観戦はきついです。

ガラの悪いレッズサポーターの応援を聞きながら、着席応援の日でした。





14.4.05

いやあ。あっという間に4月も半ばですか・・・。もうあと2週間で今の会社ともおさらばです。

なんとも実感のないことで、その後のことは何にも考えていないです。

とにかく、自分のペースを取り戻そうかと。

絵を見に行って、絵を描いて、寝て、眠って、睡眠とって、昼寝して、と、計画は盛りだくさんです。

とにかくこの2週間は殺人的な忙しさで、パソコンを全く立ち上げない日々でした。

というのも、T駅の西口に新店がオープンし、その準備と、オープンセールで毎日毎日脳の隅々までテンパッてしまったかのような日々を送ってまいりました。

だから、ここに書くようなことは何もございません。

ただ、あんまりにも更新してなかったものだから、ちょっと書いてみようかと思っただけでございます。

桜は・・・散りましたね。先週夜桜を見に行ったものの余りの寒さに参った。毎年、花見と称しては飲みに行っている友人とも今年はなんとなく計画せず。

なんだかすべてがそんな感じで過ぎて行きます。

とにかく、6年半も続けた写真屋稼業もあと半月。

はやいとこ、プリントしてない写真を焼かなくちゃ。

 


21.3.05

うーん。こうしてパソコンをまえにすると、何も書くことが浮かばなくなってしまうのは何故だろう?

今日も、少なくても5つはネタが有ったはずなんだけどな・・・。

最近の雑感を羅列してごまかします。

@花粉症がひどい。特に今日はひどい。今年のは特に目に来る。

Aイランは強い。(サッカーのことね)

Bゴッホの身長は170そこそこ位だったらしい。オレと同じくらいだったわけで、益々共感が沸くな。

Cゴッホが自分をピストルで撃った場所には「ここでピストルを撃った」という立て札が立っている。特に何てことない、田舎の道端に突然立っている。すごい。

D何でもかんでも包んじゃうのが大好きなクリストというアーテストがニューヨークのセントラルパークの歩道37キロにわたって、サフラン色の布をたらしたゲートを7500本も立てるという、すごいことをやった。オレはこういうのが大好きなので、見に行きたかった。ちなみに全費用2400万ドル(ドルだぜ!)は、すべてアーテストの自腹ということで、まあ、芸術というのはホントに金がかかるのですね。53億円のゴッホの絵の値段も、納得がいく。

Eゴッホの誕生日は1853年3月30日。ドラえもんの誕生日は2112年9月3日。

明日は明日の風が吹く。そして花粉が舞う。


20.3.05

〜10ペコ〜

10ペコって知ってます?

ミルキーの包み紙に、ペコちゃんの顔が切れずに10個入っていると、いいことあるというやつでございます。

で、今日、10ペコひきました。

いいことあったのか?

あー今日は7時で帰れました。日曜だし。

えー、あとは・・・

あー10ペコひいた事か?


16.3.05

〜 アートな一日 〜

今日は高校の時からの友人が通っているアトリエが、目黒で展覧会をやっていて、友人もそれに出品しているというので行ってきた。

オレやそいつが依然通っていたアトリエとはかなり方向性の違う、具象のデッサンが中心の展覧会だったけど、日本画やテンペラの作品もありそこそこ楽しめた。 

その後、大急ぎで向ヶ丘遊園にある岡本太郎美術館に、岡本太郎大賞展を見に行った。

そちらはいわゆるコンセプチュアルアートが中心で、まあ、岡本太郎氏の大賞だから当たり前かもしれないけど、さっき行った展覧会とはまた違った意味の刺激があった。

強烈だったのは人毛で、3メートルくらいの山を造ってある作品。

この人は美容室にでも勤めているのだろうか?

全体的に、ヘンリー・ダーガーを髣髴とさせるものが多かったような気がして、ついにそうきたか、と思った。

岡本太郎の美術館は、ちょっとした丘の上にあり周りは公園で、気分のいいところだった。川崎と岡本太郎の接点は知らないけど、また、来たいと思った。

今日は時間がなさ過ぎた。

帰りに喫茶店で、でかいチョコレートパフェを食った。

男2人で。

これも、傍から見れば正にアートである。             


14.3.05

〜失業〜

ついに会社を辞めることにした。

あー次は何しようかな。

辞めると決めてしまうと、今度開店する新店の責任者が他の人に決まったりするのがなんだか寂しい。

悪い職場ではなかったけどな。

いい会社ではなかった。

さー旅に出ようかな。

でも、辞めるまでにまだ少しあるんだけれど。


6.3.05

〜冬の京都文化遺産の旅〜

いま、JRの車内広告とかで、盛んに

「京都で、今しか見れない文化財の特別公開やってるから、是非来なさい!来て見なさい!」

と言っているのを見て、一念発起、

観光客の少ない冬にターゲットを絞った客寄せキャンペーンと知りつつも新幹線の人となりました。

簡単に書いてしまったが、4日は朝起きたら雪!

風神、雷神を従えているといわれるほどの「雨男」な私は嫌な予感を感じたのだけれど、

電車も15分位の遅れで済み、静岡を過ぎるころには雨も上がったのでした。

3日間、韓国のときに負けないくらい、あちこち動き回り、ほとんどの特別公開を見てきました。

特に良かったのは、

@「東寺」の、大日如来を中心した立体曼荼羅

A龍安寺の石庭

B六波羅蜜寺の空也上人像

という、特別公開でない3つということで、えー一体なんだったんだ?

特別公開のところは、1箇所600円から800円もとられるし、しかも通常の拝観料とは別にとるという、

正に商魂たくましい日本の寺の本性丸出しで、タージマハールの960ルピー(30ドル)の入場料を、今になってやっと納得できました。

でも、特別公開のとこだけはいろいろと説明してくれる人がいて、

「静かに拝観してください」と書かれた堂内で、やたらハキハキと大きな声で説明してくれる女子学生やら、説明する内容を忘れてしまうんじゃないかと、はらはらさせてくれる、緊張感満点のじいさん達がなかなか良かった。

全部のとこでやられるとうざいが、特別公開のところでだけやっているのは良かったと思う。

夜は四条に繰り出したが、夜遊びを知らない私たちは武蔵丸も食べたという、まずいカレーうどんを食って宿に帰るのが関の山。

次はその辺を「勉強」して行きたいです。


28.2.05

インフルエンザで1週間倒れた。

俺が倒れている間に、会社も倒れ掛かっていた。

あー、ブラックなネタはこれくらいにして、今日は髪の毛を切りに行きました。

こじゃれた美容室というやつです。

そういう場は大の苦手なので、肩に力が入ってしまいます。

「どのようにしますかー」

「はっ!短くして欲しいであります!はっ!」

「かゆいとこはありませんかー」

「はっ!ないであります!はっ!」

そんで、そこはハーブティーなんかも出してくれるのだ。

「ハーブティー飲みますかー」

「はっ!いただくであります!」

ハーブティーは菊花茶系のお茶でした。

韓国を思い出しました。


4.2.05

きょうは少し暖かくなったみたいだけど、昨日はほんとに寒い一日だった。

オレの通ってるT駅では、ときたま「A区最強戦隊デルンジャー」なる奴らが登場し、区民の失笑を買っている。

名前からも想像できるように、駅前のパチンコ屋のキャラクターである彼らは、5人組であるはずなのに、常に4人以下でしか行動できないという、パチンコ屋のシフト表を如実に反映した、じみ〜な活動を行っている。

駅方向からの、ハリケーンのようなビル風を受けながら歩いていると、本日も登場しましたデルンジャー。

が!しかし!今日の最強戦隊員はどこかいつもと違う。なんと、

コート着てるじゃねーか!

しかも、あったかそうな長めのダウンコートだ。

ああ、確かに今日は寒かった。寒かったよ。でもな、おまえら

A区最強戦隊じゃねえのか!

最強戦隊は寒さには弱いのか?

しかも奴ら、「デルンジャー肉まん・1個100円」とかいうのを張り切って販売してた。

何で肉まんなんだ?デルンジャーと何の関係が?と、いうより、パチンコと何の関係が?

わからない・・・

そういえば。韓国も大寒波だったようで、水道管が破裂したりしてて大変だったようだ。

1月29日から31日まで韓国に行っていたうちらは、「寒くて死ぬ!」とほんとに思っていたが、まだましだったんだね。

早く暖かくなればいいな。


23.1.05

今日、最近、昼の時間を有意義にすべく通いつめている漫画喫茶が、1時間200円から250円に値上げされていた。

泣いた。

いまだにガラスの仮面を読み終えてない。


22.1.05

〜パッタイ〜

リクリット・ティラヴァーニャというアーテストが、その昔(といっても10年位前)ニューヨークの画廊で、タイ風焼きそばを作って客に振舞うというパフォーマンスをやった。

名づけて「パッタイ」

正に、知らずに入った人がいたら、確実に売店かなんかと勘違いするだろうと思われるこのゲイジュツ。

これにヒントを得て、

「カレーを三年間食い続けた人間の体臭はカレー臭いか?」

というパフォーマンスを実行しようかどうしようか検討中。

そういえば、こないだ、マックのハンバーガーを何日間も食い続けたバカ、もとい、人がいたな。

あれも、その食い続けたアホ、もとい、人がもうゲイジュツそのものになりそうだな。

是非、文化庁に、人間国宝に指定してもらいたいものだ。


19.1.05

〜焼肉〜

今日は、会社の新年会があり、またまた焼肉を食った。

確実に焼肉比率が高まっている今日この頃、なんか、昔に比べると、焼肉に対する感動というか、

「うお!焼肉だ!」

って言う感激が明らかに薄れている。

どっちかっていうと、

「うお!とろろに玄米ご飯だ!」

とか、

「うお!熱々のご飯に削りたてのカツオ節だ!」

とかっていう方がアリな気がする。

・・・これってオヤジ化してるってことなのでしょうか?

いや、違いが分かる男になってきたと思いたい。

作為的な匂いのプンプンするくじ引きで、クオカードという、非常に微妙なものが当たってしまったこともあり、どうも消化不良な夜なのでした。


17.1.05

〜中華料理〜

昨日、高校時代からの友人と、新宿で新年会をかねて焼肉を食った。

せめて、こういう奴らと一緒の時くらい気を遣わずに過ごせたらと思うのだ。

例えば、帰る時間とかも気にしないくらい。

最近どうも何にしても、ナーバスになりがちで、精神に余裕がない。

今日は、家族3人で中華料理を食った。

次々に料理が並べられて、かなり食べ過ぎた。

今日の夜空は昨日よりもきれいだった。

あーなんのことはない。

アメトークが気になって、話がなーんにも浮かばないだけだ。

でも、一個だけ。

中華料理で思い出したのが、フランスはアルルの中華総菜屋のオヤジ。

レストランに行く金をケチって毎日毎日通った。

オヤジはアンパンマンだった。

アンパンマンは3日目にして、「アリガトー」と、日本語を使い出した。

毎日毎日、その惣菜を寒い安ホテルのベッドに広げて、毛布に包まって食った。

パリに帰る前の晩、オヤジの写真を撮らせてもらおうと思ったが、その日と翌日が連休だったので叶わなかった。

アルルの夜空もきれいだった。

明日から7日連続仕事です。


10.1.05

〜ホームページ〜

もう一個、美術関係のページを開こうと奮闘している。

YAHOOの無料スペースに申し込んだのだが、なんと、すべてのフレームに広告が・・・。

うーん。やっぱり、有料のスペース借りるしかないのか・・・。

まあ、そのサイトは、知人には一切、知らせるつもりはなし。のんびり作ります。

一部から、

この一個のサイトですら、ろくすっぽ更新してないのに、2つもサイト持って、ちゃんとやっていけるのか?

という疑問が出ると思われるが、たぶん出来ない。


1.1.05

〜あたらしいとし〜

去年は暑い夏が一番の思い出だった。

後は軽い記憶喪失です。 

年末は築地に行って軽く人波にもまれて、

昨日は雪の中、墓参りに行って、後はごろごろと過ごした。

今年は旅の予感がする。

韓国に行って、ぺ・ヨンジュンと同じメガネを買う!と宣言したのはいつだったか・・・。

あせらず、じっくりと生きて いきたい。





ダンナのその日暮らし日記 2005