ネパール編

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I 国王暗殺!

ネパール・インド国境 

の日記 5.31

〜ポカラの休日〜

「ナマステー!山が見えまーす!起きてクダサーイ!」

という宿のケチ親父の叫びと鋭いノックの音で飛び跳ねるように起き、屋上に上ってみるともうもうと立った雲のうえに白い雪を頂いた山が少し顔を出す。

親父も上がってきて山を見、

「オークラウディ・・・5:00はグッドビューだったよ・・・」

と、残念そうにいった。時計を見ると5:40。ポカラには早起きが似合う。

そのままウダウダしていると、序々に雲が晴れ、壮大なパノラマが見え出した。マチャプチャレのとんがり帽子も見える。ゆっくり写真を撮り、やっとポカラを実感。

昼からエベレストステーキハウスの巨大ステーキに挑むべく、レイクサイドまで歩いていった。結構距離がある上、そこらじゅうにある古本屋と土産屋を冷やかしていったので、なかなかたどり着けない。

しかもレイクサイドの店はどこもボリまくり。バラナシをはるかに凌駕してぼったくってくる。両替のコミッションも一律ミニマム150NRだし、インターネットも1分5NR(バラナシの7〜8倍)で、遅いしつながらないし、極めつけは生ジュースが2杯でなんと325NR!あとで知ったが、外人用メニューがあり、すさまじいふっかけ方をしているらしい。何しろバンコクなら2人して寿司が食える値段だ。

あまりのショックに夕飯も食わずに就寝。


ジャーマンベーカリーの犬 

経過報告23(イン カトマンズ)

6月2日、朝6時、トイレから部屋に戻ると、宿のおやじが興奮気味にまーに話しかけている。まーは「それでおれにどうしろっちゅうねん。」 と連発。「なんかサーネパールの国王がさ、ポカラに狩りに来てるんだってよ。」「ふーん。じゃ、見に行く?」「多分王宮にいるんだよ。でも、そんな事言ってどうしろっていうんだよなあ。」

6月2日昼。「なんかさー店閉まってない?」「今日土曜日だからじゃん?」

6月2日午後。「あのう、日本の方ですか?」(日本食やで、こち亀読んでる外人いるのかよ?)「はい?(笑顔)」「カトマンズとかの情報持ってます?」「うまい飯屋とかですか?」「?。 国王殺されましたよね...」「!?」

回想....(だって、シュットガンとかいってたよ。いってたよ。いってたよ...)

そのせいで、バスは動かず、警官うようよ、どくされポカラで足止めをくらい、今日バスの窓からゲロはきまくり、やっとの思いで、ネットのできるカトマンに到着しましたとさ。                                                 りえ

 

その日のお食事

朝、ネパーリーキッチンで日本食

昼、富士モモで日本食

夜、アニールモモで日本食

米がくせーとか、コロッケの芋が硬いとか、バンコクで肥えまくった舌で文句を言っておりました。

まさか、愛しのネパーリーがそんな大変なことになっているとは...。とにかく私が言いたいのは、ネパーリーよ、もっと日本食の腕ミガケ!!の一言であります。

あ、こっちは何事もないっすよ。ポカラ、何もなく、何もなく、何もないところだったので暇でした。テトリス必携。                                           まわ


何の看板・・・? 

の日記 6.4

〜事件後の街〜

カトマンズへの不安を残しつつ、明日の7:00発のチケットを取った。

今日は自転車を借り、オールド&ニューバザールへいった。行きは果てしなく上り坂で、ごーもんを受けているようだったが、オールドバザール周辺の古い家並みはなかなかいい雰囲気で、日本人の巣窟と化しているダムサイドより、この辺に滞在したいと思った。

ただ、オールドバザール自体はしょぼく、ニューバザール一帯は例の王室事件の影響ですべての店がクローズしており、国王夫妻の写真が飾られ花を供えるコーナーができていて、長蛇の列になっていた。

大勢の人が沿道に出ており、シュプレヒコールとともに行進している人もいて、妙な熱気になっていた。昼飯を食いに行ったレイクサイドでも大勢の人が集まってきていて、武装した警官やなんかも沢山おり、いやーな雰囲気。店のことごとく閉まっていたが、「味のシルクロード」だけは図太く営業していて助かった。

ほんとにカトマンズ、行けるのかなあ?


王宮前広場
の日記 6.7

〜チャンプ登場!〜

今日も朝、ドアをノックする音で起こされた。今度は何だーと思いきや、なんと、昨日のメールでまだラサにいるはずのチャンプだった。きのうすでにカトマンに来ていたというから我々と同じ日の到着だったわけだ。

1ヶ月ぶりの再会だ。

チャンプの宿に移り、暫くここ1ヶ月の話をした。チャンプはバックパックの上に中国製のズタ袋を被せてザックカバーにしていて、「ズタブクラー」の名を与えられた。



ガイドのおっさん

の日記 6.11

〜象に乗って〜

チトワン国立公園のツアー2日目は盛りだくさんだった。

朝5:45にたたき起こされ、ジャイアンうり二つのガイドに連れられ、カヌーイング。

カヌーと聞いて、「あ、俺らもこぐんかな?」と思っていたら、ぼろいボートに乗ってただ川を下っていくだけだった。続けてジャングルウォーク。ジャングルといても日本の雑木林と変わらない。

午後は待望のエレファントライド。予想通りすごくゆれる。写真どころではない。途中からジャングルに入り、雨が降ってきたあたりからすごく面白くなってきた。

特に後ろから来ている他の象を見ていると、自分たちの現在の姿が想像でき、木を掻き分けて歩く象は格好いい。そして特にすばらしいのは象に乗っていると動物が逃げていかないのだ。サイや鹿のほんの5メートル位のところまで近づいてもぜんぜん逃げようとしない。ほんの少し、象と一体化した気分だった。


象に乗った  

のポエム

〜ぞう〜

ぞうはゆらゆら、ゆらゆらぞうさん

ぞうのからだはのっしのし

ネパールじんはだるだる・ばーと

「はいよ」とひとこえおじいさん

ぞうの耳から血がほとばしる

返り血あびる

こぞうはわらう

ぞうはゆらゆら、ゆらゆらぞうさん



王宮前の献花  

経過報告24(イン カトマンズ)

我が愛すべき祖国日本にいる皆様、多大なる心配をおかけして、本当に申し訳ありません。

経過報告と名がつくわりに、いろいろと文章を練ったりしている。カトマンでのチャンプとの再会、50ドルで行ったチトワン、書く事はたくさんあったが全部やめにした。

王室事件について日本では、どういう報道がなされているのか、まったくわからない。でも。ここネパールはまったくの日常だ。夜も普通に歩ける。うるさいみやげうり、宿の強引な勧誘。メールができないのは、ここでは異常に遅いからだ。
先日もチャンプが日テレの人にインタビューを受けていたが、過大な誤解をマスコミは与えていやしないだろうか。まるで今ここにいる旅行者は死にに来ているといわんばかりに。

後1週間くらいネパールにいます。ここより、インド人の方が恐いです。                               りえ

 

雨だけが私を憂鬱にする。

チトワン国立公園からカトマンズに再び戻ってきて、地図にも載ってないような中途半端に遠い場所で降ろされると、外はスコール真っ最中。
「あー、雨だけでこんな憂鬱になるもんなのだな」
と思った。
今は雨季だけど、たまに思い出したようにどばっと雨が降るだけだ。

ネパールの存在意義というと、日本食屋とガンジャとヒマラヤだけなのに、そのうち最も健康的な意義は、厚い雲で、完全に覆われてしまっている。

ああ、まるで、経絡秘孔を突かれて全身の血が沸騰したかのようなバラナシの暑さが懐かしい。

雨だけが私を憂鬱にする。                 まわ



モモ屋台

の日記 6.16

〜カトマンズで買い物〜

今日でカトマンもラスト、ということで、お待ちかねの買い物デー。私はベッドカバーとタンカ(仏画)、りえはレターセットとカレンダー、チャンプはククリ(グルカ兵のナイフ)と、それぞれ目標を決め、午前中から戦闘体勢に入った。

チャンプは割とあっさり大振りのククリを210NRで購入。りえも店が決まっていたので、スグ購入。ただ、オレは両方苦労した。ベッドカバーは絶対100NRで買いたかったが、ぜんぜん落ちない。最後は強引に100NRを押し付けた。

タンカも何軒も見て回ったが、昨日ジョッチェンで見た「ホイール・オブ・ライフ(六道輪廻)」の印象が強く、どれを見ても「昨日のほうが良かった」と思えてしまう。

思い切ってジョッチェンまで行き、昨日も行った店で散々粘った末、1200NR と、予定より200オーバーで買ってしまった。ちょっと高い買い物だった(何しろ宿が200NRだからな・・・)。でも。いいタンカだ。

夕食は最後の晩餐に相応しく、「古都」で日本食。これで当分まともな日本食ともお別れだ