西インド編

お写真

ジャイプール
アグラ
デリー
ダラムサラ
マナリー/ヴァシスト
レー(ラダック)
アルチ(ラダック)
アムリトサル


H 神様に近い場所

ガート(沐浴場) 
経過報告25(イン バラナシ)

雨とくそ真っ只中のバラナシに帰ってきました。携帯の皆様、久しぶりにまーの声をどうぞ。                 りえ
    
雨が降っているのは、私のせいではありません。雨季のせいです。きっとそうだ。ただ、ウンコまみれなのは私のせいかもしれません。きっとそうだ。今日も暑くて、チャイが美味い。            まわ

の日記 6.20

〜火葬・花葬〜

5:30に目覚ましをかけるつもりが、午前2時まで喋っていた為、かけずに寝た。案の定、起きたのは昼で、モナリザで昼飯を食べた後もお昼寝タイム。おれは途中で起き出し、スニーカーの洗濯だけは済ませた。

夕方、ビシュヌの前でチャイを飲んだ後、マニカルニカ・ガート迄、火葬を見に行った。

今回はなんと9体の遺体を同時に焼いていた。しかも日も落ち、薄暮の紫の空に幾筋もの煙と火の粉が上がった。

前回真昼間に来たときはあっけらかんとしたものを感じたが、この時間は少し異質な、胸を突くものがあった。ただし、あくまで自然の風景に溶け込んだ9つの火柱ではあった。

その後、ダシャシュワメド・ガートまでいくと、プージャーが最高潮に盛り上がっていた。僧が、ガンガーに向かってろうそくの火を振り回しているのを、ガートに座って眺めていた。

川に流れる沢山の燈籠、ボートの列、フラッシュライト。

バラナシみたいな街は世界中のどこにもない、と、感動の中で思った



ガンガーで沐浴
経過報告26(イン バラナシ)

「your name?」彼は困ったような顔をして沈黙した。しばらくして「...シバ。」

オレンジ色の炎は体感55度くらいで僕に迫ってくる。生々しい肉汁と炭になった人間。空と交差する火の粉。バラナシの夜は今日も心和ませる。

ふとした事から、嫌な奴を思い出した。奴はきっと僕らの事を、得意げに自慢するに違いない。?なにを?これほど世界中を僕らと同じ民族が歩き回っているというのに。特異な事として得意になっているのは自分の方だ。全く自分を見失っている。自由人という名前に縛られている義務ばかりの毎日に。

紺碧のガンジスは答えてくれる。「大きなしがらみに相当の幸せが与えられる。」ぼくはうなづくしかない。

彼がサドゥーだと知ったのは数日後だった。名前さえもない彼はガンジスと共に笑う。                                                         りえ

 

バングラッシーを飲んだばかりの隣の席でメールしている某チャンプ(声は福山雅治似)が、何時キマッテしまうか、心配しながら打ってます。われわれは昨日ガンジスで沐浴し、今までの罪を洗い流したばかりなのに、もう汚れちゃったね。

チャンプは「俺の生き様を見ろー!!」と叫びながら、頭からガンジスにダイブした。俺は足元に流れついた炭が、隣の火葬場の炭でない事を祈りつつ、及び腰で河に入った。俺の横ではドレッドヘアーのサドゥーが、顔面を水に決して付けない、インド式クロールで泳いでいる。俺が考えるに、インド人、ホントは「この水汚い」と思っているに違いない。

ガンジスは、気持ちよかった。真ん中辺まで泳ごうと思ったが、チャンプが、海パンを脱がそうとするからやめた。コレラ菌も生きられない水を37mlくらい飲んだ。バラナシは、文句無くサイコーだ。                                            まわ

のポエム

オレンジのしるし 

サドゥー参上

横3本線と縦3本線の違いを大切に。

オレンジの輝き

ぼくはサドゥーだ

名前は無いが 牛よりえらい。

うしのうんこで滑って転ぶ。

オレンジのひかり

自由の象徴 勝利の女神

おれを撮ったら10ルピー。

ガンガーのチャイではら壊した。ピー



ジャンタルマンタル 
経過報告26(イン ジャイプール)

チャンプ(27歳、無職(元建築や)乳首が美しいことを誇りにしている。でも、ち○ぽ小さめ(本人談、未確認)見かけによらず小心者。思考が複雑そうに思えるが、根は単純。あきこからのメールで涙するちょっとおしゃまなロマンチスト。)との同棲生活は3週間で破局を迎えた。帰国直前のチャンプ。彼はまったく変わらなかった。1番の贅沢といったら、240円のタンドーリチキンを2日間も食ってしまったことだ。「今日は贅沢すっか。」などといいつつ、3人で1皿を頼む。

何の面白味もない平凡な夫婦と3週間も一緒に居るやつなんて1人しか居ねえと思っていたが、よりにもよってこのコンビとは...日本でうちらの悪口を言い合っている2人のやらしい笑顔が目に浮かぶ。しかし、これも運命よ。夫婦といっしょの部屋に寝るやつは奇特な奴ときまっとる。長くなったから、この辺で。...迷わず行けよ、行けばわかるさ。ありがとう!!!                                   りえ

チャンプは、毎日夜になると、上半身裸で、ククリ(グルカ兵のナイフ)を「ふん!ふん!」と振り回していました。帰国したら、成田から、下宿に直行し、同棲生活を続けようと思っております。では...迷わず行けよ、行けばわかるさ。ありがとーーー!!!

我々は、アグラで打ちのめされ、今日、ジャイプールに逃げてきました。ここは良い町のような気がしています。今のところ。そうそう、タージマハール、一人3000円弱出して、入ってきたぜ!入ろうかどうしようか迷いすぎて知恵熱だした。                                                                                         まわ


タージマハル
の日記 6.27

〜タージマハール〜

昨日ケチケチして碌なことが無かったので、今日、思い切ってタージマハールに入場することにした。

手持ちのルピーが無いので、宿のラージブに両替屋の場所を聞き、50$で両替してきた。結構遠くて、1キロほど歩いた。

タージマハールの入場料は960RS(約21$)。インド人の月収とほぼ同じというばかげた値段だ。インド人は20RSでは入れるんだけどね。それでも結局入ってよかった。

巨大な赤砂色の門も、タージ両脇のモスクも美しく、特にタージは子の旅行中見たすべての建築物の中、最高の美しさだった。近寄ってみるのもいいが、門からタージまでの中ほどにある大理石の台の上に上ってみるタージは非現実的なほどキレイ立った。

中は暗くて2つの棺が並んでいるだけで面白くはなかった。

タージの敷地内はまさにインド人だらけ。タージの絵を描いているとスグに囲まれてしまう。中にはターバン巻いたシク教徒や、ムスリム等もいて、なかなかフクザツにも面白いのではないか、と思った。


インドの列車の車内 

経過報告28(イン デリー)

例によって乗るべき車両は見つからない。適当なとこに乗り込んで「ここは自分の番号だ!」しかしインド人は、「ネクスト」とくり返すばかり。その時1人の兄ちゃんが私たちの切符をつかんで走り出す。「エスワン!エスワン!」私たちの乗るべき車両番号を周りの人に叫びつつ、発車のベルは鳴り出した。そして無事、私たちはその席に座ることができたのだ。

列車の鉄格子の窓から見上げる雲は手が届きそうになるほどだ。隣のじじいは「ラダックはすばらしい!!!」とめんたまひんむいて話す。インド。やなことも山ほどある。でも、信号待ちしているらくだ5頭で帳消しになってしまう。奇妙に居心地の良い所。

そして、デリーについたとたん、この旅1番ぶちきれて、ヒステリックに怒鳴り散らす。今度はらくだ5頭じゃ、効かねえぞ。                                       りえ

 

デリー...皆さんは、この地名から何を想像されるでしょうか。

駅前のカレー屋さんである!と確信をもって言われる方にちょっと説明しますと、そこは、インド奴隷王朝の頃から、インド人の意地汚さとか、容量の悪さとか、口のうまさとか、タンドーリチキンとか、ターバン巻いたオッサンの皮下脂肪の厚さとか、そんな種々雑多、魑魅魍魎、七転八倒、コマンタレ.ヴーな数々を集約して来た場所なのであります。

広いです。この広さは、インド人には不向きです。まず、駅前の、プリペイドリキシャを仕切る警官、彼には、この広い街の交通渋滞のなかから、リキシャを捕まえ、順番待ちしている人々に能率良くあてがっていくようなクレバーさはあったもんじゃありません。おめえ、もっと頭使え!!!!...失礼。まさに、枚挙にいとまがありません。ああああ。いなかいきたい                                     まわ


経過報告29(イン デリー)

箱根駅伝において、往路と復路の選手は絶対に同じ宿にはしない。復路の選手の緊張感を保つためだ。

なんだよーここは。「イヤー今日の便で帰ります。」「最後の500ルピー使ってきましたよ。」「今日空港から着いたんですけど、大変でしたー」「180ドルもしたんですよ。列車の切符」ばかやろー!ぼられすぎだよ、お前ら。

うちらはまだまだ先長いんだよー。頼むからいい緊張感を保たせてくれ。出入りが激しいこの宿に6日も居るうちらは牢名主化しつつある。本とは北の情報が欲しくてドミに泊まってんのに、こんなへたれパッカーのうちらにばっか聞くな!

インドに来るのは誰でもこれる。痛感させられた一週間。大概の事では人間死なんなあ。                                                    りえ

 

ああ、もう1週間なんですね。デリー。周りの日本人が、次々インド人マジックの泥沼にはまり、100ドル、200ドルと散財したり、夜道を逃げまわったりしている中、私たちはなーんにもありません。だって、風邪ひいて寝込んでたんだもん。あーははっはっははっははっはああああ。

1都市で2度も寝込むなんて初めてです。多分、前の日に行った「ゴーXXX カフェ」の飯の中に、何物かが混入されていたとみているのだが、もしそんなことを口に出せば、日本人のファンが多い「ゴーXXX カフェ」の刺客にねらわれそうなのでいえません。すごいです、デリー。

ところで、私たちは明日より北のダラムサラ、ラダック方面に向かいます。もしかしたら、メールが打てなくなるかもしれないので、よろしく。                                まわ


経過報告 30(イン なぜかデリー)

行けなかったダラムサラ...代わりに行ったのは、はげおやじの待つ病院でありました。血ぃとってうんことってただいま2人とも検査待ち。                                    りえ

 確かに、今日の朝までは行くはずでした。パッキングして、チェックアウトして、村上龍ご推薦の「モテイ.マハル」のタンドーリチキン食ったまでは良かったが、その後行った、ジャーマーマスジット(モスク)を前にして、足がまったく動かなくなった。

おととい熱だして、よくなったと思ったところが、デリーの暑さにやられたらしい。沈没。                                                          まわ


パプー  

の日記 7,12

〜パプー〜

デリーは今日も暑い。特にツインルームは暑くて、昨日も良く眠れなかった。

今日も宿でだらだらし、宿のパプーという25歳の兄ちゃんと少し話す。さすがに大分長くいるので、結構打ち解けた。

「マイ マザー メイキング」という昼飯を少しもらう。ダールと数枚のチャパティー。毎日こんなもん食ってんのか!?と思う。インドの貧しさを実感する。

それでも食わなければならん。うまいまずいはたぶん二の次だ。彼の月収は1400RSバスの定期で200RSかかる。お母さんは年寄りで父はいない。妹が二人いるけどまだ小さい。彼一人に生活は委ねられる。

同情なんてしたくない。けど新聞紙に包まれたチャパティーと彼の悲哀に満ちた笑顔はやりきれない気分にさせる。

「日本に帰ったらミヤゲ送って」と当然の如くねだる。タバコもねだる。仕事はサボる。

それを見てかなり邪険に思っていた日本人もいたけど、7:00〜9:00まで休みが無く働くのは結構大変なことだろう。かといって私が物を与えて何の解決になるというのだ。

旅人はただ、そこを去っていくのみだ。


経過報告31(イン デリー)

デリー...この魔窟から脱出を試みること実に324回。しかし、それは某氏におけるバンコクであるかのように、容易におれたちを放してはくれないのである。

牛、その落とし物である「黄金」、腐ったマンゴー、天井のファンのからから回る音、そういえば、最近「コンニチハ!」より、「アニョハセヨ!」と言われる回数が、めっきり増えてきたな...兎に角いろいろなものにじゃまされ続け、それを偉大なる勇気を持って蹴散らしてきたものの、今度ばかりはマジでバンコクに帰っちゃおうかな...と、弱気にもなっちゃったりした。

病気は恐ろしい。

医者でもらった薬は、一晩中俺をベッドの上、下でのた打ち回らせ、嫁は嫁で、「水が甘い、水が甘い...」とつぶやき続けている。

それでも、少し回復してきたようだ。今日の朝飯の、ゴールデンカフェで食った「ワンタンスープ」と、「チリチキン」はうまかった。

デリー...もうたくさんだ。あんたの埃っぽくて、生ごみ臭い顔は見飽きたさ、ああ、見飽きたさ。ダラムサラにいって、味噌汁をしこたま飲むため、力を貯える。                                                         まわ

天井の溝に数を数えても、時間は遅々として進みません。そして、「人間失格」などを何度も何度も読み返すと、まるで彼の気持ちが手にとるように分かります。

自分の舌に少なからずも自信を持っていながら、それがこんなくされた薬でやられることにも我慢がなりません。さらに追い討ちをかけるよう、バンコクからは力強い調子で、「水下痢と戦っている」などといううらやましい文句を聞かされます。さらに竹亭でサバ定食ってるなどという事実も拍車をかけます。

さらに宿の奴にもらった村上龍の、あまりに思い込みが激しく、内容のない、ださいエッセイも私を眠らせません。とりあえず、ドミに移って、誰かに自分を演じていないと気が晴れません。

検査の結果は思った通りシロでした。                                            りえ


道端に自生する植物  
経過報告32(イン ダラムサラ)

滑稽だったチベット寺院での修行僧、4ヶ月ボランテイアやってる彼女とガンジャの関係、インドのカーストについて、こむずかしい事書こうと思ったけど、台湾からのシリアスな文を読んだ後でそれはつらい。

ここはインドじゃない。寒い。人民がいっぱい。店員の愛想無し。いったいここはどこなんだー!!!違う国に入るなら心構えもあったけど、インドだろう?!頼むから、ヘイジャパニーって言ってくれ。マイフレンド、ノープロブレムって言ってくれ。さみしいよう。こんな寒いとこだいっきらいだ!

外は雨。今日も洗濯物は乾かない。           りえ


ダライラマに会いたい。会ってちゅーしたい(うそです)。

ダラムサラにやってくる大方の旅人と同じようにおれもそう思った。

我が地球の歩き方によると、謁見の申し込みは、セキュリテイーオフィスに行き、申込書に記入すればいいという。そんな簡単に言ってしまっていいのか?相手は恐れ多くもヒズ.ホーリネス14thダライラマ先生猊下様様ノーベル平和賞も持ってんだぞーオラ!っていうくらいすごい人なのである。

セキュリテイーオフィスの場所はすぐ分かったが、オフィスを前にして、私は逡巡した。逡巡しまくった。中に出入りしているのはチベタンばかりである。おれは心の底から恥知らずの外人がやってくることを願った。

いったい、中に入ってなんていえばいいのだろう?「あのーダライラマに会いたいんですけど...」なんておれのような一介の旅行者が言っていいものか?それとも「あのー恐れ多くもヒズ.ホーリネスであられまするダライラマ大先生にご拝謁の喜びに授かれれば孫子の代まで語り継ぐであろうよ、頓首頓首」なんていえばいいのか?いや、どう考えてもおれの英語力がおっ着かない。迷うこと13分と27秒半、おれはこの旅最大の勇気を振り絞り、セキュリテイーに突進し、言った。

「あのー、ダライラマに会いたいんですけど...」

無愛想な係官によると、今月の謁見はもう無く、来月ならあると思うが、何時かは確信が持てないという。残念だ...。後から聞いた話では、3日前に謁見があったばかりだとか。道理でどこのホテルもいっぱいだったわけだ。ちゃんちゃん。                                                        まわ



ロバの行列 

の日記

〜日々〜

飯食って、トランプして、おさんぽして、トランプして、飯食って、ネットして、今日もこうして、しがない1日は過ぎてゆく。

まーは一人でふらついているときに、またもやキム君に会ったらしい。&レーへ400RSで行けるという有力情報を仕入れてきた。

しかし、カシミール・テロ強化というニュースを昨日見る。大丈夫か・・・?

経過報告33(イン マナーリー)

明日、さらに山の方にいってきます。

メールが高そうなのでそうそう打てないかもしれません。5000メートル級の山を2回越えての1泊2日の移動です。車酔い大心配です。

マナーリーに来るのにツーリストバスで来たのに、なぜか今回はけちってローカルでの移動にしました。1番大変なとこでけちるうちらってやっぱり貧乏性なのでしょうか?                   りえ


おれたちが向かうのは、ラダックの旧都、「レー」です。

マナーリーまでの道程もきつかった。特におれは、一番後ろの真ん中という、
「何かあったら1番はじめに死んでくださいねー」という席だったので、ろくに眠れもせず、両足を踏ん張って10時間耐えた。しかも、今度は、それと比べても段違いにきつい道程らしい。この日のために、ダラムサラで、ダライラマグッズを買ってきた。

ダライラマは観音菩薩の生まれ変わり。

明日のことは、神のみぞ知る。          まわ


透き通るアオ 

の日記 7.26〜27

〜レーへの道〜

バスは定刻どおりのスタート。まず一気に4000m付近まで上がる。whisper rockという、マナリー1の景観を過ぎ、次々現実離れした風景が続く。

途中、ずっと雲の中を走り、小雨混じりで視界が悪くなったが、シク教徒の運転手は運転がとてもうまく、安心して乗っていられる。あまりスピードを出さないので、ダラムサラ〜マナリーの時より楽なくらいだ。ただし、ズーっと断崖絶壁上の細い道を通っていたので、ドライバーは大変だろう。もちろん、ガードレールなんてものは一切なし。

きょうは4200mのsarchuというところのテントに泊まる。この辺には沢山テント村がある。テントといっても、モンゴルの遊牧民の「パオ」のようなでっかいテントで。中で20人くらいは寝られる。

さすがにこの高度だと、フワフワと浮いている感じがして、少し歩いただけで息苦しい。小便をしようと外に出て、2回こけた。トイレに行くのはあきらめ、立ちしょんして帰った。

2日目は朝4:30に出発。バスはまだまだドンドン登り続ける。

今日は早起きの割りに眠れなくて、景色も暗くて見えないので、なんだか色々な事を考えてしまった。特に辞めてしまった会社のことを。

景色は最高峰のtanglanglaを前に、すばらしい、まさに天上の世界のように眼下に広がった。最も高い地点には、「強者よ、よくここまで来た!」というような感じの文が石碑に刻まれていた。ここが5360m。

ラダックに入ると景色は一変し、砂と岩の世界になった。インダス川沿いをさかのぼり、3:00、レーに到着した。



美味かったマトンの串焼き 
経過報告34(イン レー)

高山病に悩まされ続けて早2日。3600メートルの高地にやってまいりました。空気薄。

ところでインド、ジャイプールから送った荷物が紛失した模様です。旅の達人の皆様、こんなときどこに行くのが1番いいか知ってる方、どうぞ教えてください。また、ジャイプールからはがき送ったゼミの友人たち!届いてるかいないか連絡ください。                                              りえ

 

高山病初体験。4000メートル附近で1泊キャンプしたとき、頭ぐらぐら体ふらふら。こっち来てからも体調冴えません。

「レー」はとてもツーリスティックでインドの街そのもので少しがっかり。でも今日、王宮まで山を登ってみて、景色は灰色一色できれいだった。これから各地の寺めぐりをします。                                                まわ


レー王宮
の日記 8.3

〜綿の雪〜

気持ちのいい青空。ラマユルレストランで久々にターリーを食い、シャンティーストゥーパ(仏塔)に向かう。

レー市内からチャンスパと呼ばれる区域に入ると急に緑が多くなり、畑も多く、見通しが良くなる。遠くにはくっきりヒマラヤ。空はコバルトブルーを通り越してウルトラマリンくらいの濃さだ。そして、市内の排ガスとも無縁。レーの乾燥と排ガスでやられたのども、今日は調子いい。

そして、レーではよく見る「綿の雪」が桜吹雪のように大量に舞っていた。これは何かの花なのだろうか?樹上から降り注ぐ綿はとても幻想的で、ラダックらしい風景だった。

シャンティーストゥーパは、小高い山の上にあり、700段の階段を上らなくてはならない。3500メートルの高地ではきつい・・・。100段ごと、ジジイのように休憩し、息を切らして登る。

ストゥーパの前は広場になっていて、もしかしたら世界最高なんじゃないかという景色が広がっていた。遠くヒマラヤが見え、スグ下をゆっくりと雲が流れ、砂漠に囲まれたオアシスのようにレーの緑が広がっている。

2枚絵を描き、O君に返すように頼まれた「AERA」を付属のレストランに返して下山した。いい午後だった。


ジャーマンベーカリーのオヤジ 

の日記 8.4

〜レーのインド人〜

昼飯を食った後、灰色だった空が青くなってきた。どこかのゴンパに行きたかったので、バスに乗ってスピトクゴンパに行くことにした。

最初、バスからあふれんばかりの満員ぶりだったが、あっという間に空いた。女の人に席を譲ったり、他の人を助けたり、優しいインド人が多かった。

今日も青い空に白い雲。スピトクは金色の仏像やカラフルなところがあってよかった。

「ジュレ」と、一言声をかければ笑顔で返ってくる。チベタンていい民族だーと、レーに入ってしみじみ思う。

バスに乗っただけなのに、レーで降りるとき車掌の兄ちゃんの「さんきゅう」という笑顔はとても印象的だった。

の日記 8.9

〜アルチの子供たち〜

アルチゴンパは前評判通り、ヘキ画とか仏像とか、何より古めかしい雰囲気が良かった。
しかし、子供が多く、すぐ
「1フォト」
とやってくる。けど、チベタンチベタンしていてつい撮ってあげてしまう。

アルチの人は田舎くさくて、そして宿のおっちゃんも優しいので、すごく居心地の良いところだ。
ちがうところのゴンパに行ったら坊主がいなくて入れなかったが、おじちゃんにいっぱいのアプリコット(しかもうまい)をもらって大満足。

その帰りにオバちゃんが
「1フォト」
と言うので行ってみるとわらがわらわらしているところに牛がいっぱいいて、とても良いかんぢだった。
オバちゃんが
「手紙を書くから住所を教えて」
とスマイルで言った。

その帰りに子供の
「1フォト、ペンくれ」
攻撃にあい、うーんインドだー。


トラック事故で足止め  
経過報告35(イン ダラムサラ)

ローカルバスを乗り継いであっという間の3日間。左右上下に頭を振られ、戻ってきました、ダライ.ラマ、じゃなくてダラムサラ。

土砂崩れ、トラック横転事故も乗り越えて、発車直後のバスを車掌さんとタクシーで追っかけていやあ、愉快愉快。

「レー、最高だー!!だから、もうおれは帰る!!」トルコまで行くはずだったのに。レイっていう名前のせいだろ。すげーくだらねえ。日本でお香どしどし売ってくれ。

こんなにチベタンだらけで下界に降りれるか心配だったよ。ほら案の定、昨日ターリーぼられてる。いやここもチベタンだらけだ。のぐそもやっとこ初体験。おぼっちゃまわが「えー、うんこするのお?」

嫌がっていた君もすぐに初体験。透明なアオ。今日が2人のこげ茶記念日。                                                            りえ


とうとうこの旅のハイライトであるラダックから帰ってきました。バンコク、バラナシについで3番目に長居したことになります。

ラダックの何に感動したって、辛気臭いゴンパ(チベット寺)ではなく、やっぱり空の色でしょう。

ベトナムの某宿で、マツザワイサム(仮名)にチベットの写真を見せてもらったとき、彼も「チベットは空の色が違う」といっていましたが、実際その時は「写真で見るから違うんじゃあねえのか?」と、考えていたものです。

「今日の夕飯は10000ドンステーキがいいな」とも考えていたものです。

でも、本当に空の色は違いました。ただ「濃い青」なだけでなく、透き通ったような色なのです。その透明感が、まるで空気遠近法のように、遠くの山並みまで染めていて、まるで、空の色を基準にして世界の色が決まっているかのような感じです。

こんな気持ちのよい風景を見ていると、「あーもうおれ、どうでもいいや、ボラれてもいいや、ノグソしてもいいや...」と、とても素直な気持ちになっていきます。なんか、ちょっと今までの旅は、数々の旅の先人や、実際であったすごい旅人たちに触発され、どこかその業績をなぞろうと無理していたような気持ちにもなっちゃったりします。とにかく、おれたちはおれたち、無理せず、のんべんだらりとおれたちらしい旅を続けていきます。

さらばラダック。おれたちは、やっと、西進します。                                      まわ

 

の日記 8.17

〜ダライラマ〜

今日はカッキーと3人でダライラマのティーチングに参加してきた。

午前中、セキュリティーオフィスに行くと、写真とパスポートを持って直接会場に行けということだったので、会場となるナムギェルゴンパへ。

ゴンパは1時前なのにすごい人で、物々しいセキュリティーチェックの後、中へ。参加証は中で簡単に発行された。会場内はすでに超満員。残念ながら、法王の顔を拝める位置には座れなかった。

ティーチングは代表者と法王の間の質疑応答のような形で進み、結構リラックスムード。赤子は泣くし、ジジイは寝るし、僧は雑談してるし、かえって完全にハマってしまっている白人2人が、険しい表情で座禅を組んで聞いているのが場違いのように見えた。

途中でお茶やチャイが振舞われ、周りのチベタンから、ビスケットやら、パンやらを貰って食べた。

更に赤いヒモや、布団の下に敷いて寝るというススキの穂みたいなのも配られた。

最後の最後、帰られるダライラマの姿を見ることができた。

俺たちは明日、カッキーとともにダウンダラムサラへいく。パキスタンのラホールまで、久々の三人旅になりそうだ。

 


インド・パキスタン国境  

の日記 8.21

〜チャイの味〜 

今日は、明日のインド脱出に向け、持っていたフィルムの現像、インドの音楽カセットの購入と、朝から動き回った。

そのとき、レー、ダラムサラで一緒だったS君と再会。彼もグル・ラム・ダス・サライに泊まっているということだったので、うちらの部屋ナンバーを教えておいた。

夕方、彼が部屋まで来たので、一緒に夕飯を食いに行った。アムリトサルは、巡礼宿で、タダ飯が食えるが、レストランで食おうとすると、ろくなところが無い。入ったカレー屋は途中停電になり、クソ暑い暗闇の中で辛いカレーを食うハメになった。

しかし、そこはシーク教の街、アムリトサルでは珍しくタバコが吸える店で、喫煙派のカッキーとS君は感動していた。

その後は3日連続で宿近くのチャイ屋台へ。ここのチャイもうまかった。

インドでは本当に数え切れないほどのチャイを飲んだ。猛暑のバラナシでも、ラダックのチベタン食堂でもチャイを飲んだ。何杯飲んでも飽きない、不思議なノミモノ。チャイを飲んでいれば、腹も壊さないような気さえしていた。

同じチャイでもトコロ変われば味も変わる。まさにインドそのものみたいに。インドを思い出すとき、必ずチャイの甘さを思い出すだろう。

3ヶ月に亘るインドの旅も明日で終わり。俺たちはこんなにインドを気に入ってしまうとは思わなかった。まだ南をぜんぜん見ていない、という事実を、インドに再び来なくてはならない言い訳に残して、パキスタンに向かおう。

サラバ、インド!