東インド編

 

お写真

カルカッタ
バラナシ

G ガンガーとチャイ

カーリー寺院

経過報告20(イン カルカッタ)

カルカッタは軽かった。

この一文を呼んで約23人くらいは送信者の禁止にしたことと思いますが、残りの人たちは呆れずに読んでいただき、ありがとうございます。

今日の朝、バングラデッシュのダッカを発ち、カルカッタに着きました。ビーマンバングラデッシュ航空はなかなか快適でしたが、チャンプが「ビーマン、全然揺れねーよ」と、やさぐれ口調で言っていたにもかかわらず、結構揺れてくれたことは報告しておかねばなりません。

カルカッタはサダルストリートをちょっと出たセンターポイントGHに潜伏中です。もう既に、チャイも飲みました。ラッシーも飲みました。もしかしたら、もうボラれてるかも知れませんが、そんな事はぜーんぜん分かりません。

まあ、とにかく無事にインドについたのでご一報まで。    まわ

 

ビーマンは日本人3人でした。(うち、2人うちら)

気合入りまくって、ビンジュースやポストカードや宿代や、ぜーんぶ値切ってみた。交渉嫌いな自分が。ぼられていると思ったが、毛並みの合わない宿の人2、3人の情報によればカルカッタ人は全くぼらないらしい。おつりをごまかすくらいらしい。(くいもん関係)

チャイを飲んでいたら、日本語話す笛売りがやってきて「いらない。」当然答えたら、悲しげに、「みんないらない、後で、考えとく、金がないしか言わない。」と悲哀の音色を響かせながら帰っていった。一緒にトランジットしたインド人もいい人だったし、何か

カルカッタは軽かった。                  りえ


ハウラー駅 

の日記 5.15

〜インドというとこ〜

なんだかカルカッタ、日増しに暑くなってきた気がする。しかも南京虫がでるというので、かなりヤーな感じだ。ちょっとした騒ぎになった。

ネパールに留学していたというN君と一緒に夕飯を食った。なんとなく金に余裕を見せており、かっこいい。

センターポイントにいる旅人はこのツーリストタイプが多い。ビンジュオンにいた、1000ドン違ったらはったおす!っていう気合あふれたパッカー(まさにそういえる)とは一味違う。

もちろん彼ら彼女らも値切ったりするだろうが、1Rs負からんからといってぶっち切れたりはしないと思われる。

こういう爽やか系が良いのか悪いのか、好きなのか嫌いなのかはっきりいえんけれでも、今言えるのはやっぱり1円に命をかける土臭いやつら(まさにそう呼べる)のほうが、居心地が良いということだ。

まあ、インドにもそのうち慣れるだろう。


こじき少年
経過報告21(イン カルカッタ)

まったく、昨日ほど素晴らしい一日はなかったのではないでしょうか?

なんとなく、ただなんとなく、「T.Cいくら残ってるかなあ?」と思いたち調べてみると、見事に100ドル札が10枚そっくり抜き取られていたのでありました。真っ青になって、いったい何時盗られたんだ?もしかして使っちゃったのか?混乱する頭の中で思い返してみても、まったく覚えがないのでございます。

思えば、一緒に入れといた現金100ドル札1枚、もないのです。まったく頭のいい奴で、腹巻き1個そっくり持っていくんじゃなく、パスポート、50ドル、20ドルには目もくれずに100ドルのみかっぱらっていったため、すっかり気づきませんでした。日本人ばっかのドミで油断していたし常に腹巻きは携帯しておく基本がぬけていたとしか言いようがありません。

不安の一夜を過ごしましたが、今朝、割にすんなりとT.C全額再発行ができ、今夜、バラナシにも旅立つ事ができ一安心。犯人は誰なのか、日本人なのか、インド人なのか、謎は深まるばかりですが、こんな状況になってもインド人を嫌いになれない今の気持ちをとても不思議に眺めております。とりあえず、報告まで。今日の列車は一睡もしない覚悟で参ります。      りえ


 盗られていたのはヨメだけではなく、私の腹巻きからも100ドルのキャッシュ1枚が抜かれていた。インドにきてからシャワーのとき以外ははずした事がないので、ホントに不思議です。

まあ、それはやむをえず、真にやむをえずあきらめるとして、友達から餞別でもらった5000円がなくなっていたのはショックだった。それは使わずとっておいて、帰国したら友達に返す予定だったのだ(マジで)。

本とはもう1枚後輩からももらってたんだけど、それは内緒だが、出国前に、カレーを食うのに使ってしまった。しかも、その使ってしまった5千円には皮肉にも「GOOD LUCK」と書かれていた。多分後輩(K:28歳)の怨念と思われます。                         まわ


の日記 5.19

〜ハウラー駅の乞食少年〜 

カルカッタのハウラー駅の待合室で休んでいると、例によって乞食の少年。「NO,NO」といいつつテトリスをやっていると、テトリスに関心を示したため、少しやらせてあげることにした。

その間、いっぱいのインド人が私たちを取り囲み、様々な質問をよく分からんインド英語で投げかける。

なんかもうよく分からん状況だ。自分が有名人になった気分。


ガンガー  

の日記 5.21

〜ガンガー〜

ガンガーは多摩川みたいにのほほんと流れ、ダシャシュワメドガートの人々も、海水浴に来てるみたいに見えた。足だけガンガーに浸かってみたが、そこがヌルヌルしてすべりそうだった。

ずーっと、ガート(ガンガー沿いに作られた沐浴所)沿いを歩いた。日差しが強くてくらくらして、しかも現実味の無い風景(建物)が次々現れ、どうにも消化できなかった。

マニカルニカ・ガートでは、火葬も見た。人の形をした「もの」が焼かれ、油の音がぶすぶすいっていた。それほど心を動かすようなものは無く、輪廻も見なかった。ただ、自然な風景がそこにあった。

更にベンガリー小路を進み、久美子ハウスまで行った。久美子ハウスの前の河原で、オカリナを吹く日本人に会った。

ガンガーを前にオカリナで聞く尾瀬の歌はとてもいい感じだった


散髪屋 

経過報告22(イン バラナシ)

暑い...暑い...暑い...また夫婦して、5人ドミに泊まっている。別に今までだってあったし、バイヨンには罪悪感のざの字も感じた事はなかったが、初めて、うちらの隣りに女の子がやってきた。ものすごく悪い事をしていたと、初めて思ったな。彼女は今日、シングルにお引越し。

インドに来てから、暑いという以外何の感情も持てない。特にバラナシはあついー。よって、本能のままにバラナシ生活を満喫している今日この頃。どっちかというと、受け身系のうちらにとって、インドはあっているのかもしれない。それにしてもあつい。40℃は確実に越えている。       りえ                          

人とリキシャと牛だらけのバラナシも、ちょっと下流にくれば、静かだ。

ガンガーを観ながら、日本人がふくオカリナを聞いていたら、この街を本当に好きになれそうな気がした。

後、分かった事に、あんまり絵になりすぎると、写真を撮る気がおきなくなってしまう。目の前の風景の雰囲気を伝える為には、俺の後ろでうんこしてる牛も写真に入れなくてはならないし、そのうんこのにおいも写真に入れなくてはならないと思ってしまう。あ、そう言えば、インド来てもうすぐ2週間、まだうんこ踏んでないぞ−。心配してくれたもちさん、安心してね−。                                   まわ


プシュカルの女の子
の日記 5.22

〜パンジャビードレス〜

ドミにいた女の子が仲良くしてたおばさん(Puskarの3Fに住んでいる)が、ラジャ(ゴパールの弟)につれてってもらえば、安くパンジャビードレスが作れるというので、つれてってもらうコトにした。

が、しかーし。そこはどうみても高級シルク店。欲しくもないテーブルクロスを次々見せられ、$単位で値段を言ってくる。

しかし、怖いので、テーブルクロスを何とか200Rsで買って逃げた。

そこで、歩き方にのっているところでオーダーすることにした。ボスがまあいい人だった。


牛の沐浴  

の日記 5.27

〜バラナシの日本食〜

今日も朝から停電・・・。暑いのでさっさと外へ。

今日でバラナシとも暫くお別れなので、久美子ハウスの前のガートでガンガーの絵を描いた。その後、ヴィシュヌレストハウス前のうまいチャイ屋でチャイをすすって帰った。

夜はなんと断水・・・。宿の夕飯も出ないので、スパイシーバイツまで食べにいった。カツ丼は似て非なるものだった。ハムカツのこまぎれのようなものが、灰色の液体のなかで泳いでいた。。そして、どんぶり代わりにプラスティックのボールに入って出てきた。

スパイシーバイツの親父は日本に住んでたらしいが、こんなカツ丼を出す店が日本のどこにあったのか、おれに教えてくれ。

バラナシにうまいもの無しはほんとだった(宿の飯が一番うまかった)。

明日はネパールに行くぞ。