帰国へ

お写真

ブダペスト(ハンガリー)
アユタヤ(タイ)
バンコク(タイ)

 

O 旅の終わり

トカイワイン。うまい! 

の日記 1.5

〜ブダペストへ〜

ついにパリを離れ、夜行バスでウッキーと3人、ブダペストに向かうことにした。飛行機のチケットを取るのが3人の目的。

バスはフランス、ドイツ、オーストリアと1回ずつ泊まって進んだ。通貨が1日からユーロに変わったのが早速役に立ち、ドイツでジュースを購入。外は雪が積もっていて、耳が痛いし、なんだか風邪引いたみたいだ。

ブダペストには予定より早く12時に着いた。早速ララの家に。なんとララは満員。俺たちはロフト式の個室に特別にドミ料金で泊めてもらうことになった。

昼飯を食べて宿に戻ると、アイコさんが帰っていた。パリ以来、3日ぶりの再会。

ドナウは半分凍結していた。


のポエム

〜魅惑の肝臓〜

フォアグラは豚のカンゾウです

ぶたのみみはぷるぷるぷるるん

ぶたの鼻はハナゲびーびー

フォアグラはペンギンのカンゾウです

ペンギンはぺったんぺったんぺったんこっこ

でもペタジーニではありません

フォアグラは象のカンゾウです

・・・(くすっ)

そんなフォアグラは僕たちのシアワセでした


の日記 1.8

〜フォアグラです〜

アイコさん、うきーと4人で中華街へ繰り出す。ブダヘ戻ってきた目的の1つはもちろんフォアグラを食うためだったからだ。

しかし、夜、フォアグラをバター醤油で焼いたが、全く臭みが消えず、うまくない。これではレバーである。まーは前回の味がイメージで膨らみすぎているからだ、というが、ぜったいぜったいぜったいぜったいx100ぜったーいにちがーうっっっ!!!

あきらかに違うものである!

せっかくレバーの苦手なアイコさんでも大丈夫と思って食べようと言ったのに、これではレバーである。トホホ・・・



ブダのチャイナタウン
経過報告48(イン ブダペスト)

@15日の便でバンコクに行きます。

A1年間知りたかった人物の名前が外国の地、パリにて明らかになりました。帰ったらすぐにでも実の演説を聞きに行きます。

B今年の箱根駅伝は前評判どおりの優勝という全くつまらないものになりましたが、その中で唯一光っていたのは、金子の4年連続区間賞という偉業です。これを日本では大きく取り上げてくれたのでしょうか?来年は大好きな大学同士の優勝争いが見たいものです。ちなみに先日初めて母校出身の旅人と会いました。

C姓名判断は信じません。                                                 りえ

 

旅というのは常に前向きであるべきなんじゃないんでしょうかね?

バンコクに飛ぶというのは、いや、今ブダペストにいるというのも、つまりは旅の楽しかった思い出の焼き直しを図ろうとしているだけだ。いまや旅の原動力は旅の楽しかった思い出でしかない。

ある旅仲間は、中国への留学を決めたし、ある友人はベトナムでレストランの店長をやろうとしている。またある人は日本で屈折しながらも仕事を続けている。

そういう中、自分はというと、ただ怠惰な生活を少しでも伸ばそうとしてじたばたしている。

欧州制覇の夢破れ、そういえばフランス語もぜんぜんしゃべれるようになんなかったな。それに、いまや、旅に楽しみの比重が確実に「寝ること」に大きく傾いてきているし。

でも、やっぱりバンコク。この旅の幕は自分で引かなくては。    まわ

PS と、いうことで帰国も近いので、チャンプさん、2人分の布団を用意しておいてね。

経過報告49(イン 帰ってきたバンコク)

この「ままではブダのイメージがトランプになってしまう。」最近大阪弁が話せなくなってきた大阪人のうきいは言った。

うーん...あいこさんが去ってからラオスで外人に教わったゲームやりっぱなしで寝不足。もし、変なメールやハガキが来たらそれは単なる私達のバツゲームです。笑って許してね。で、そんなうきいをララに置き去りにし、今日バンコクイン。ついでに「DD」にもイン!僕らはもはやヨーロッパがえり帰国真近の嫌みなバックパッカーだ!

そんなことよりバンコクは初めて来た半年前よりなんて新鮮なのだ!もう圧倒されっぱなしでいまいちついていけん...嗚呼この香草の匂いがなんかとてつもなく嫌だ..でも買いたいもん一杯!ラヂンていシャツももちろん買っちまう!アジアのパワーとは凄いものだった。アジアを離れて実感。で、ブダからちょく南アに行くうきいがとても心配よお。お土産買えるのか?それとも土産話になってしまうのか?ワットアルンにて幸運祈る。                                  りえ

落とし穴

今日バンコクに来ました。でも来たのは僕らだけでした。誰か僕らの荷物の行方を知っている人、メール下さい。

帰国前のバンコクはやっぱり淋しいものですね。励ましたい方もメール下さい。

いや、それより、アジアにいる人々、今すぐバンコクへカモン!

早くしないと安宿に移っちゃうよ。                                           まわ


の日記 1.22

〜最後の手紙〜

今日はリエが突然水下痢になり、一日寝るハメになってしまった。体調の悪いときのリエはどうも悲観的になってだめだ。

夜、昨日出した白黒写真を受け取り、リエの下痢を考えておかゆ屋台へ。白黒写真にはちょっとピンボケもあったけど、おれたちのパリが、プラハが絵葉書のように閉じ込められていた。

そう、思い出は絵葉書の写真のようになっていった。でもそれはおれたちにとって真実だったんだな。

この写真で日本に手紙を出そう。最後のエアメールを。


ブッダマーケット
経過報告50(イン バンコク)

ねっとりと絡みつく空気にももう別れを告げるときが来た。今回のバンコクは大勢でわいわいという風にはいかなかったけれど。レズっぽいのか、タイの女の子は人懐っこいだけなのか、新しい友達はオンという露店の姉ちゃんだけになりそうだ。

もういっぽ間違えば引きこもりにもなれるほど出不精で、人と話すことをもっとも不得手なこととする(会話ぶつぎり大得意)私がなぜこんな所にいるのか1年たった今でも謎である。無理矢理理由付けするなら、ブルーハーツを愛し、尾崎豊を信じ、家では沈黙を強いられ、外では努めて笑顔を作り、ただただ(陳腐ではあるが)自由に憧れていた。人とちょっと違うことをすれば大きくなれると信じていた。

あまかったなあ。海外に行くことと自由は違うし、中途半端な自由は不自由だし、自由は孤独だし。自分の存在を突きつけられ、自分と向き合うことを余儀なくされ、でも逃げ道は限りなくあった。旅の前半に気合の入った人間ばっかりに遭って自分の存在について考えすぎてた日もあった。

でもインドで一生懸命電車の席取りなんかやってるうちにどうでもよくなった。で、できるだけ楽しようとしていたら、アジア横断が終わった。別に日本とおんなじことやってればよかったのだった。自分にできないことなんかしてもムダムダなのだ。ああもう文章長くなってきてつかれた。

私は旅人にはなれない。日本は好きでも嫌いでもないけど、今は日本で働きたい。今はそう思う。                                                りえ

旅の終わりになると、長く旅している人はたいてい何かへんてこな精神状態に陥り、たとえばやけにヤサグレてみたり、現地の女の子と恋におちてみたくなったりするものであるが、今の自分は、というと、何というかな、一言で言うなら「欲求不満」とでもいうかな?

「若者達」とか大声で歌いたいし、サザンの「希望の轍」とか、猪木の「道」とか聞いたら、今すぐキーボード叩き割って、シェムリアップ行きのバスの予約を入れるか、メナム川でバタフライでもし兼ねない勢いで、それが帰国と関係しているのかどうかは不明なんだけど。

でも、日本がやっぱり1番と思うし、死むなら日本がいいし、ジョージみたいにガンガーに流されたいとかちょっと考えなくもないけど、やっぱりくどくなるので辞めます。

日本の皆さん、温かく迎えてください。牛丼は並みのギョクで許してください。                                                          まわ

のポエム

〜レックさんラーメン〜

バンコクの風はむゆるむゆる

パクチーとスイカシェイクが

ごうごううなる

裏の屋台のおばちゃんは

こげた顔色 鍋をふる

カオサンロードの日本人

今日も夜な夜なおかまちゃん

待っているのよ 

XXからかえる飛び出たぴょんころり

オミヤゲ値切って1000バーツ

さよならバンコク また来てあした

燃ゆるバンコク きょうもゆく 



帰国。すごい荷物・・・
経過報告51(イン さよならバンコク)

と、いうわけで、2月1日午前1時10分のビーマンで日本に帰ります。

キャンセル待ちが今日まで取れず、最後まではらはらしたけれど、まあ何とか大丈夫そうですな。まるでこの旅を象徴しているようだったけど、やっぱりどうにかなるもんだ。

今回のバンコクは又新鮮で、タイ人の女の子のかわいさを同姓ながらやたら感じてしまった。さすが微笑みの国なのだ。

残念ながら、バイヨンには会えそうもないけれど、又カンチャではじけて頂戴。

ジンバブエにいるウッキーさん。なんだかんだ言っても飛ぶよね?デジカメ忘れずに。日本でしっかとビクトリア体操しています。

ではチャンプさん。明日のご飯はな〜にかな?                                      りえ

 

今回で経過報告も51回目。51といえば、今をときめくシアトルマリナーズのイチローくんの背番号であります。それはそれで1部の人々にとっては激しく重要なことでしょうが、私たちがついに明日、日本に帰ってしまうということも、ちょっとばかり重要な気がします。いや、重要であってほしいと思います。いや、オレにとって重要なら、いいよそれで、という、内向きの気もちでいっぱいであります。

突然さっき、明日買えれる事が決定したばかりで、少しばかり気が動転しております。打ち間違いもあろうかと思います。

今もネット屋の外の道では、バスとかトゥクトゥクがごんごんとうなりをあげていて、暑くてどうしょうもないタイの昼下がりです。別にそれがどうしたわけではないんだけど、やっぱり帰る前になると、こうして叙情的な風景描写とかをしてみたくなります。

イイクニタイランド。

それでは、これにて、ごきげんよう。                                           まわ


  

経過報告最終回(イン 東京)

 

りえ。(夫に無理やり連れてこられた海外初心者。口癖「もう、帰るー」。趣味『うつ病のふり』。360度ネガテイブ思考。鳥肌実とテツandトモずき。27歳なりたて。(?)

 

まあ、日本に帰ってきたんで、普通の話になりますが、人間て言うのはやっぱ矛盾だらけでお調子もんなんだと思う。旅の後半、自分が特にこだわってきたことが「オカワリ」と「敬語」。

大学1年の時、なんで部活辞めたかって、「人にオカワリ盛るのが大嫌いだったから。」

当時入っていた部は体育会の端くれだったから、一年生はご飯の時間先輩の横とか座って「オカワリいかがですか?」と連呼せねばならない。

まあ他にもあほらしいことは鬼ほど有るが、まあそれはいい。

別におちにもならんが、「食いたかったら自分で好きなだけ食えばいいじゃあん。」

飯はあったかいもんをあったかいまんま食うから上手いんであって、なぜ他人が何の権利があってあたしの権利を侵害するか!

イワユル一般の人は客に飯を出すたびうんざりするくらい『オカワリ』をススメル。別にその気持ちがわからない訳ではないが、人間の胃袋には限界というものが誰しも有る。多分、ジャイアント白田にもあるはずだ。

許しがたいのは『オカワリ』を盛るのは女の役目だと決まっている事だ。私は「女性の権利を守ろう!」「ミスコン反対!」やら叫ぶつもりはまったく無い。自分が女であるから許しがたいのだ。

「こいつは20歳にもなって『敬語』使えねえ」某ちゃりだーがそう説教されたそうです。ちゃりだーの性格が可愛くないのは仕方なしとして、行った奴のほうがこどもちゃんなんだよ。うちらは旅人なのに『敬語』使うとか使われるの関係って発生するんだろうか?ホントに尊敬する奴にだけ敬語使ったらいいじゃあん。

私といえば、誰に対しても敬語を使わないように極限まで気を使って旅をして来た。自分の中では敬語を使うことは壁を作る事だと思ってきた。仲良くなりたいための手段だったのに、いつまでも敬語を使われると悲しくなった。

誰かが言った。「おまえ成長したなあ。」旅人同士なのにそんな変な関係有るのか?成長の具合は自分自身で決めることで、誰にも言われるものじゃないし、いっていいものでもない。旅人なんだから、皆おんなじラインのはず。そこに旅の年数とか、年齢とか関係ないでしょ。

上から見下ろしたり、下から見上げたり、そういうの全部とっぱらってきてるんだから。ここは仕事場じゃない。断然、敬語は使わない。

そんな勝手なこだわりを守り通して凱旋帰国(?)今は旦那の実家に居候しています。

『オカワリ』。難しいんだね。これって。目を血走らせて食卓は戦場に。

一個分ったことが有ります。主婦業というのはこの世でもっとも高度な職場です。主婦というのはいったいいつ座っているのだろう?そしてどうして私はこんなに座っているのだろう?

このまったく気のきかない不器用な(立場的に言うなら)嫁が何とか禿げずにいるのもひとえにお義父さん、お義母さんのおかげであると、素直な気持ちで今は言える。

そして今日もせっせと嫁は『オカワリ』のタイミングを見計らっている。久しぶりの『敬語』も快調である。

 

こだわりを捨ててはいない。人間なんてそういうものだろう。

世間体などという言葉が史上最悪嫌いだった。

なぜ、今一生懸命「オカワリ」をしようとするのか?

この空間にこのまったく普通の空間にひどく戸惑って居る自分が居る。

日本とはこういうところだったのか?こうして子供を産んで『柚子』って名づけて育てて行くのが幸せなのか?

まったく分らない。それでもこの空間が嫌いではない。

そんな感じで今は2人で部屋探し。日本は便利だけど、こんなに何もかもきまりきってていいんだろうかね?                                          
                                     りえ

 

 

まわ。(旅人。もしくはそれに類するもの。趣味 偽善、自慢話、知ったかぶり。動物占い ペガサス。モットー 他力本願。好きなもの カレーライス。嫌いなもの 動物愛護団体)

 

<旅人に関する考察>

1 話の内容の約73%は自慢話 

2 現地人には必ずケンカを売り、そしてコテンパンにやっつけなくてはならない(特に警察や、役人に対して) 

3 とにかく一日一度は悲惨な目にあわなければならない(特に、金を盗まれた、ブタ箱に入れられた、奇病にかかった、などはポイントが高い)

4 ハッパをいっぱいやってる奴はエライ。やらない奴は(特にインドでは)不可触餞民以下と見なされる。

5 淫行をしていればしてるほどエライ。

6 そして、オトコの一人旅の場合、ハッパと淫行こそが旅の目的でなければならない。

7 長く旅をしているほどエライ(ほんとはケチで金持ってて、暇なだけ)

8 恥知らずであればあるほどエライ(但し、プライドは人の300倍は持たなくてはならない)

9 多くの現地人の友人を作らねばならない(金銭的つながりのみ、又は、本人の思い込みのみの場合も可)そして、その友人に迷惑を掛けねばならない。

10 やたらと仕切りたがる。

11 風呂に入らない人の方がエライ。

12 観光はしなければしないほどエライ。一日中寝てるやつが一番エライ。

 

1年の旅を通して何を得られただろうか、と、考えずにいられない。そして、多くの旅人がそう思っている様に、多分そこから得たものなんて何もない。旅なんて、単なる金と時間の無駄遣いに過ぎない。

でも、ありきたりながら、その断定を、ほんの少しためらわせるのは、やはり沢山の旅人との出会いがあったからだと思う。それこそ、今までの人生すべてと比肩出来るくらいの経験だったのではないかと思う。

であったすべての旅人達に、ありがとう、と、いいたい。

みんなに深く愛情を持っていたといいたい。

そして、今も、世界中で滑稽な、そして偉大なる旅を続けている旅人たちの幸運を、心から、

祈る。                                        
                                     まわ