フランス編

お写真

パリ
アルル


N 移動祝祭日

もしきみが幸運にも

青年時代にパリに住んだとすれば

君が残りの人生をどこで過ごそうとも

パリは君についてまわる

なぜならパリは

移動祝祭日だからだ       〜アーネスト・ヘミングウェイ 



白い門の屋根裏部屋  

の日記 11.15

〜パリ到着!〜

朝9時、パリの東のはずれ、GALLIENIに到着した。出入スタンプなんてものは勿論なく、あっさり到着。

地下鉄で目的の韓国人宿「白い門」へ。3番線の端から13番線の端まで1時間以上。辿り着いた宿には韓国語でちっちゃい表示があるだけ、と聞いてはいたが、とても分かりづらかった。

「こんにちはー」と言いながら、中に入ると、ちょうど朝飯が終わったところらしく、皆、キッチンに集まっていた。突然入っていったのにもかかわらず、もう慣れているのかすんなり受け入れてくれた。

オーナーのリーさんに早速朝飯を作ってもらった。宿は、長逗留のアイコさん等日本人もいたが、さすがに韓国人のほうが多いようだった。

今日はもう1日何もせず、宿でグータラ過ごした。同じく今日来た建築家のようさん(ニューヨーク滞在10年)や、アジア横断組のユミさんと話をして過ごした。

俺たちはフーフ者ということで、ドミではなく、屋根裏部屋を使わせてもらうことになった。これから多分1ヶ月くらい、パリで屋根裏生活となるのであった。


シャンゼリゼ通り

の日記 11.22

〜パリ美術館行脚〜

パリに来た一番の目的は(リエは違うだろうが・・・)何と言っても美術館だ!!と言うことで、20日から始めた美術館巡りも今日で3日目。カルトミュゼ(美術館の共通券)の5日券を買ってしまったので、この5日間は美術館行脚の人にならざるを得ないわけだが、さすがにそろそろ疲れが出る。

今日はまずポンピドゥーセンターへ。大好きなデュビュッフェ展をやっていたが特別展で50フランもかかるので、ビンボー人としては、とりあえず常設展だけを見た。

ピカソ、ミロ、モンドリアンは良かったが、最も新しいものの中には、何か新しいことをしようという気持ちばかりが先走って、なんだか中途半端に感じるものが少なくなかった。

その中でもよかったのは消火器の噴霧を長靴の底から噴出して、擬似空中浮遊に見せるVTRと、人間を空輸するコンテナ。

午後はピカソ美術館へ。ここは昔ながらの館の内部がとてもフクザツで、進行方向も示されていないので、作品を見逃したりしてしまって残念だった。作品は文句なく良かったんだけど・・・。

あと、クロークのババアがまたしてもむかつく奴で、俺たちの荷物が小さいから預かれないと言う。その一方ででかい荷物は持ち込むな、とか言っているのだ。ゴーインに預けてきたけど、別に覚醒剤でも預けようって訳でも無し、リュックを預けられないクロークが一体何処にあるっていうんだ。何処に行っても美術館の窓口やクロークの人間は中国人民も真っ青な態度の悪さで、フランス人はマナーとかサービスとかについて一言でも言う資格は無しだな、と思った。

帰り、雨が降ってきたので「カミーユ」と言うカフェで一休み。なかなかいい古本屋も見つけた。こういうパリのいい部分が腐っていきませんように。


りえの誕生日にレストランで夕メシ 

の日記 11.23

〜シャンゼリゼ通り〜

あの有名なシャンゼリセ通りに行った。

なんだかとっても浮いている感じだったが、リーさんに貰ったバゲットをベンチで食べているときパリを感じられてなんとなく良かった。

その後、変な香港人にルイヴィトンの買い付けのバイトの話を持ちかけられたが、見るからに怪しいので断った。もう少しいいかっこしてる日本人に頼めばいいのに。

私立近代美術館の近くの橋の上から眺めたエッフェル塔は飛行機雲とともに素敵であった。

そのすぐあとに登った凱旋門からの夕陽もまっかっかで圧巻だった。



アンジェリーナのモンブラン。絶品 

の日記 11.29

〜ようさん帰国〜

あっという間にようさんが帰国する日が明日になってしまった。

「僕はバックパッカーじゃないから」といいつつ、「使う金は1日50フラン」と決めていたりしていた。

そんなようさんが「君たちが今まで食べたことが無いものを食べさせてあげるよ」と、まるでハナワ君のような口調でいって、昼過ぎから仕込み始めた(これだけイヤミっぽいのに全くイヤミくささを感じさせない、彼の人柄はすごい。いや、年の功か・・・)。

そしてできた料理はホントに私たちが食べたこともないようなイタリアンな数々だった。

特に生ハムのアスパラ巻きなんて生まれてこの方食ったこと食ったことなかったよ・・・。うー、アンチョビ嫌いなわたしにもおいしかったパスタ。サラダも美味かった。ようさんありがとうの一日だった。

この旅でやたら建築家の人に会うような気がするけど、みんな親しみやすい。チャンプもけんさんもようさんも。

その晩はようさんが事務所を石垣島で開いて安宿化する計画を立て、更けていったのだった。

経過報告45(イン パリ)

パリ生活も3週間を過ぎようとしている。が、この街は嫌いな街ベスト3に入る。

街並みは既に観た、ウイーン、プラハより面白くないし、道には顕かにバラナシより数多くのうんこが落ちている。(バラナシでは牛のそれのため、数自体はパリほどではないと思われる)

パリジェンヌなんて、ぶってはいるが、店に入れば「没有」を連呼している、人民の態度を上回るやる気無さ。そしてもちろん、英語は全く通じない。日本で接客をしている時「日本に来るなら、日本語しゃべれよ」と、毒づいていた私のふんぞり返り度と良く似ている。

そのため、外を歩くのも面度くさく、宿で韓国ラーメンとキムチばかり食っていたら、5キロも太ってしまった。けれどもめげずに「ボンジュール」を笑顔で振りまき、肩をすくめて歩き続けるそんな毎日である。                                     りえ

 

パリに着きました(と、言っても3週間前だけど)。

この1文を書くために10ヶ月もかかりました。やっと、この旅で最も西に位置する街、この旅の目的地ともいえる場所に着いたわけです。

で、全くのところ、パリは嫌いです。その点では上記のりえと全く同じです。7年前に来た時、どこが気に入っていたのか全く解からず、ミステリアスです。

それでもこれからパリに来る人のために少しフォローを入れるとすれば、空がキレイです。パリみたいな都会で空がキレイというのはおかしいけれど、ヒコーキぐもがこれでもかというほど飛び交っていて、あいまいな青色は、ちょっとアジアでは見れないと思います。

この前、凱旋門に登った時(おれたちでも、やっぱり登りますよ)、夕日がとても赤くて、雲がタタミイワシみたいな感じでばーっと広がっていて、感動のあまり、シャンゼリゼ通りの向こうを見やって、「あー、この先には、上海があるのだなあ」とか感傷的になってしまったほどです。

そんな訳で、パリ(または、その周辺)に、後1ヶ月ばかりいる予定です。これもまたミステリアスです。                                                   まわ


の日記 12.2

〜としくんち〜

今日は夜、としくんが白い門に遊びに来て、しばらく話をしていたが、アイコさんが「今からとしくんちに行く」といいだし、8時45分位から9人で行くことになった(としくん、アイコさん、マキさん、こういちくん、きむらさん、ソンファン、スンちゃん、うちら)。

途中寄ったシャンゼリゼ通りはイルミネーションがすごくて「わーすげー」と大騒ぎして、みんなで写真の撮りっこしたりして面白かった。

そしてとしくんの屋根裏部屋へ。突然行ったにもかかわらず、ララの家に負けないくらいのキレイさで、先に到着していたアイコさん立ちはきちんと正座していた。あのアイコさんが!!!

家具や小物はイケヤで揃えてあり、こざっぱりしてとても良いヘヤだった。しばらくするとやっぱりアイコさんはタイク座りになり、私もいつの間にかベッドにふんぞり返っていた。

としくんが「0時になったら、エッフェル塔が暗くなる」と言っていたが、大ウソツキなのであった。

また行っちゃうだろう。


夜のカフェテラス

の日記 12.16

〜夜のカフェ〜

今日でオレたちもめでたく結婚1周年。旅も11ヶ月を過ぎた。市役所に届けを出したのがついこないだみたいに感じる一方、旅の11ヶ月を考えるととてつもなく長く感じて不思議だ。

そんなわけで、夜はフンパツしてゴッホの「夜のカフェテラス」のモチーフになったカフェで夕飯を食うことにした。

中にはゴッホのオマージュ的な作品がいくつもかけられていた。そして、そんなことからも想像できるように、思いっきりゴッホにおもねったカフェだった。

店の中には、いかにも貧相な親父がしょぼくれた顔で酒を飲んでいる。

味はまあ、こんなもんか、というかんじ。ここがゴッホのカフェじゃなかったら、どうなんでしょうか?と、いう程度。外のテラスで珈琲でも飲めば、気分が出たのかなあ。

犬が1匹、おれたちのステーキをタンタンと狙っていたのでした。


雪のアルル

経過報告46(イン パリ)

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホがそこを初めて訪れた時と同じく、冷たいミストラルが吹き荒れる中2人はアルルに降り立った。

陽の光は暖かいが、日陰に入れば身も凍るような寒さの中で2人はヴィンセントの跡をたどって、何枚もの絵を描いた。ヴィンセントに敵意を示したアルルの人々も、2人には優しかった。

煙草の吸い殻と、酔っ払いの空気に埋もれたバー兼用のホテルは街1番の安宿だった。暖房もあまり効かない凍えた部屋で、1本4フランのバゲットとバナナをかじりながらの1週間はあっという間に過ぎた。

そして2人は何かに急かされるように、パリ行きの列車に乗り込んだ。                                                             りえ

 

雪が降ったアルルは、南仏は暖かいんじゃないかという期待をはっきりと裏切ってくれたけど、闘牛場はあったかい陽の光に包まれて、ベンチの下では、10匹くらいの猫が日向ぼっこをしていました。猫たちはのんびりと自由そうです。

ところで、私は(恥ずかしながら)ゴッホが好きなんです。でも、彼みたいな芸術にすべてを捧げるような生き方は出来ないなあと、思います。わたしてきには、もっとじゆうな、まあ、ピカソみたいな生き方が理想です。

アルルの美術館に、思いもよらずピカソのデッサンがいっぱいあって、(たぶん)ゴッホを敬愛していたピカソのひんまがった絵は、まるでゴッホに

「まあ、もうちょっとかたのちからをぬいていこうよ」

と言っているようでした。                                               まわ

のポエム

〜吉野家の吉野家たる吉野家の食べ方〜

さんかくのカウンターに座り

ショウガを10グラムほどのせ

たまごは黄身だけをより分けてかけ

ねぎだくを注文する

それが正しいパリジェンヌ

ただしパリに吉野家はございません

きょうびはやらない


大晦日のシャンゼリゼ通り 

の日記 12.31

〜シャンゼリゼの年越し〜

で、今日はオレの31回目の誕生日。今年はなんだか年を取った気がしないけど、31だと思うと、なんだかびっくりしてしまう。人生は短い。

夜10時を過ぎ、ウッキー、ヒロくん、シノブさん、チャリダー、えろまおう、マルコ、としくん、俺らの9人で、シャンゼリゼ通りに向け出発した。

シャンゼリゼのメトロの駅はすさまじい混みようだった。でも、外に出てみると、通り自体は結構空いていた。外人も多いようで、全体的に無礼講的雰囲気。写真を撮っているとに割り込んできたり、大勢で、すれ違いざまカメラをひっぱて来たり、浮き足立つと言うより、柄の悪い感じだった。

凱旋門の周りは特に人が集まっていて、俺たちはカウントダウンはいつか?と、待ち構えていたが、何時まで経ってもただ、民衆が勝手に盛り上がるのみ。俺たちはただ寒いのみ。

0時直前、突然エッフェル塔の明かりが消え、「おっ、これは何かあるかも?という期待を抱かせたが、よく見りゃ、時計はすでに0時。カウントダウンもなし、花火もなし、なんとなくあちこちでシャンパンがあけられて、なんとなくキスしたりしていて、ああ、年明けなのかと。仕方なしに、俺たちだけで、勝手にカウントダウン。そして、いそいそと終電に乗って白い門へ帰ったのでした。

シャンゼリゼはアホな若者連中がポリスに空き瓶投げつけて取り押さえられたり変な盛り上がりをしていて、全然面白くなかった。オレは明治神宮のほうが断然にいい。正しい。


エッフェル塔
経過報告番外編(イン パリ)

あけまして おめでとう ございます

ことしも よろしく おねがいします

巴里に着きました。すぐ帰ります。 まわ

ツナガリマセン・パソコンガ・  りえ



経過報告47(イン パリ)

あけましておめでとう、みなさんいかがお過ごしですか?

巴里はシャンゼリゼ大通りにて、カウントダウンを楽しみに、日本人10人おのぼりさん状態でいそいそ出かけました。

通りは人でごったがえし、0時10分前くらいになると、エッフェル塔、凱旋門のライトアップが消えました。一体何が起こるのだ?と、ワクワクしながら腕時計とにらめっこです。そして、わたしの時計では0時になった瞬間、次々とシャンパンのコルクが宙に舞いました。

で、一体何時カウントダウンは始まるのだろう?で、フランス人は次々に盛りあがっていきます。周りはデイープキスの嵐です。

で、日本人は完全に遅れをとりました。カウントダウンなんてしないんです。自分勝手に盛りあがるのがフランス流,。勿論、エッフェルも凱旋門もまっ暗なままでした。自分もラテン系に生まれたかったと、しみじみ思いました。

で、日本人も遅ればせながら、勝手にカウントダウンを致しました。こんなパリが最近好きです。                                                                                  りえ

 

かさねがさねおめでとうございます。

以前、ベトナムの宿で、同じ宿に2か月も滞在している日本人の男が2名ほどおり、『おやおや、一体同じとこに2か月もいて、この人達は市場行くか寝ることしかしてないじゃあないの?』と強く激しく思ったものですが、とうとう私達のパリの宿『白い門』生活も2か月になろうとしています。

そして、寝てばっかりいます。

寝てる分にはパリでもバンコクでもデリーでもあんまり変わらない様な気がしないでもない(そうでもないか)。

ところで、パリにはスペースインベーダーくんというアーティストがいて、街中至る所に『インベイダー』マークを貼つける、というおばかこの上ないことをやっている。最近はそれを探すのが楽しいです。以上。                                                                  まわ