お写真
N 移動祝祭日 |
もしきみが幸運にも
青年時代にパリに住んだとすれば
君が残りの人生をどこで過ごそうとも
パリは君についてまわる
なぜならパリは
移動祝祭日だからだ 〜アーネスト・ヘミングウェイ
白い門の屋根裏部屋 |
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シャンゼリゼ通り |
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りえの誕生日にレストランで夕メシ |
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アンジェリーナのモンブラン。絶品 |
〜ようさん帰国〜 あっという間にようさんが帰国する日が明日になってしまった。 「僕はバックパッカーじゃないから」といいつつ、「使う金は1日50フラン」と決めていたりしていた。 そんなようさんが「君たちが今まで食べたことが無いものを食べさせてあげるよ」と、まるでハナワ君のような口調でいって、昼過ぎから仕込み始めた(これだけイヤミっぽいのに全くイヤミくささを感じさせない、彼の人柄はすごい。いや、年の功か・・・)。 そしてできた料理はホントに私たちが食べたこともないようなイタリアンな数々だった。 特に生ハムのアスパラ巻きなんて生まれてこの方食ったこと食ったことなかったよ・・・。うー、アンチョビ嫌いなわたしにもおいしかったパスタ。サラダも美味かった。ようさんありがとうの一日だった。 この旅でやたら建築家の人に会うような気がするけど、みんな親しみやすい。チャンプもけんさんもようさんも。 その晩はようさんが事務所を石垣島で開いて安宿化する計画を立て、更けていったのだった。 経過報告45(イン パリ)パリ生活も3週間を過ぎようとしている。が、この街は嫌いな街ベスト3に入る。 街並みは既に観た、ウイーン、プラハより面白くないし、道には顕かにバラナシより数多くのうんこが落ちている。(バラナシでは牛のそれのため、数自体はパリほどではないと思われる) パリジェンヌなんて、ぶってはいるが、店に入れば「没有」を連呼している、人民の態度を上回るやる気無さ。そしてもちろん、英語は全く通じない。日本で接客をしている時「日本に来るなら、日本語しゃべれよ」と、毒づいていた私のふんぞり返り度と良く似ている。 そのため、外を歩くのも面度くさく、宿で韓国ラーメンとキムチばかり食っていたら、5キロも太ってしまった。けれどもめげずに「ボンジュール」を笑顔で振りまき、肩をすくめて歩き続けるそんな毎日である。 りえ
パリに着きました(と、言っても3週間前だけど)。 この1文を書くために10ヶ月もかかりました。やっと、この旅で最も西に位置する街、この旅の目的地ともいえる場所に着いたわけです。 で、全くのところ、パリは嫌いです。その点では上記のりえと全く同じです。7年前に来た時、どこが気に入っていたのか全く解からず、ミステリアスです。 それでもこれからパリに来る人のために少しフォローを入れるとすれば、空がキレイです。パリみたいな都会で空がキレイというのはおかしいけれど、ヒコーキぐもがこれでもかというほど飛び交っていて、あいまいな青色は、ちょっとアジアでは見れないと思います。 この前、凱旋門に登った時(おれたちでも、やっぱり登りますよ)、夕日がとても赤くて、雲がタタミイワシみたいな感じでばーっと広がっていて、感動のあまり、シャンゼリゼ通りの向こうを見やって、「あー、この先には、上海があるのだなあ」とか感傷的になってしまったほどです。 そんな訳で、パリ(または、その周辺)に、後1ヶ月ばかりいる予定です。これもまたミステリアスです。
まわ |
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![]() 夜のカフェテラス |
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雪のアルル |
経過報告46(イン パリ)ヴィンセント・ヴァン・ゴッホがそこを初めて訪れた時と同じく、冷たいミストラルが吹き荒れる中2人はアルルに降り立った。 陽の光は暖かいが、日陰に入れば身も凍るような寒さの中で2人はヴィンセントの跡をたどって、何枚もの絵を描いた。ヴィンセントに敵意を示したアルルの人々も、2人には優しかった。 煙草の吸い殻と、酔っ払いの空気に埋もれたバー兼用のホテルは街1番の安宿だった。暖房もあまり効かない凍えた部屋で、1本4フランのバゲットとバナナをかじりながらの1週間はあっという間に過ぎた。 そして2人は何かに急かされるように、パリ行きの列車に乗り込んだ。 りえ
雪が降ったアルルは、南仏は暖かいんじゃないかという期待をはっきりと裏切ってくれたけど、闘牛場はあったかい陽の光に包まれて、ベンチの下では、10匹くらいの猫が日向ぼっこをしていました。猫たちはのんびりと自由そうです。 ところで、私は(恥ずかしながら)ゴッホが好きなんです。でも、彼みたいな芸術にすべてを捧げるような生き方は出来ないなあと、思います。わたしてきには、もっとじゆうな、まあ、ピカソみたいな生き方が理想です。 アルルの美術館に、思いもよらずピカソのデッサンがいっぱいあって、(たぶん)ゴッホを敬愛していたピカソのひんまがった絵は、まるでゴッホに 「まあ、もうちょっとかたのちからをぬいていこうよ」 と言っているようでした。 まわ |
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大晦日のシャンゼリゼ通り |
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![]() エッフェル塔 |
経過報告番外編(イン パリ)
あけまして おめでとう ございます ことしも よろしく おねがいします 巴里に着きました。すぐ帰ります。 まわ ツナガリマセン・パソコンガ・ りえ
あけましておめでとう、みなさんいかがお過ごしですか? 巴里はシャンゼリゼ大通りにて、カウントダウンを楽しみに、日本人10人おのぼりさん状態でいそいそ出かけました。 通りは人でごったがえし、0時10分前くらいになると、エッフェル塔、凱旋門のライトアップが消えました。一体何が起こるのだ?と、ワクワクしながら腕時計とにらめっこです。そして、わたしの時計では0時になった瞬間、次々とシャンパンのコルクが宙に舞いました。 で、一体何時カウントダウンは始まるのだろう?で、フランス人は次々に盛りあがっていきます。周りはデイープキスの嵐です。 で、日本人は完全に遅れをとりました。カウントダウンなんてしないんです。自分勝手に盛りあがるのがフランス流,。勿論、エッフェルも凱旋門もまっ暗なままでした。自分もラテン系に生まれたかったと、しみじみ思いました。 で、日本人も遅ればせながら、勝手にカウントダウンを致しました。こんなパリが最近好きです。 りえ
かさねがさねおめでとうございます。 以前、ベトナムの宿で、同じ宿に2か月も滞在している日本人の男が2名ほどおり、『おやおや、一体同じとこに2か月もいて、この人達は市場行くか寝ることしかしてないじゃあないの?』と強く激しく思ったものですが、とうとう私達のパリの宿『白い門』生活も2か月になろうとしています。 そして、寝てばっかりいます。 寝てる分にはパリでもバンコクでもデリーでもあんまり変わらない様な気がしないでもない(そうでもないか)。 ところで、パリにはスペースインベーダーくんというアーティストがいて、街中至る所に『インベイダー』マークを貼つける、というおばかこの上ないことをやっている。最近はそれを探すのが楽しいです。以上。
まわ |