イラン編

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K ペルセポリスって必見なの?

ザヘダンにあった「亜細亜食堂」 

の日記9.14

〜あるげ・ばむ〜

昨日の疲れは予想以上だったらしく、朝起きだすのが苦痛だった。午前中はだらだらと過ごし、午後2時になってやっと、アルゲ・バム(バム遺跡)に行った。

アルゲバムは良かった。ほんとによかった。入り組んだ道も、丸い屋根も、高い城壁も、真昼の太陽の中モノトーンの黄土色に輝いていて、まるで大きな芸術品のようだった。

大昔のレンガしか残ってない遺跡はもう退屈だけど、ここみたいにすべてがしっかり残っていると、逆に現実感が薄れていく。大きな立体迷路の中に迷い込んだかのように、歩き回って、迷って、少し不安な気分であったり、心の底では子供のような無邪気な興奮があったりした。

チャイハネでチャイを飲み、城の上に上った。バムの周囲は砂漠だった。風が吹いた。太陽は西に。こんな気持ちなのだなと思った。こんな気持ちを感じるために、旅に出たんだな、と、思った。

りえは調子が悪く、急に吐いたりしたので、長居はせず宿に帰った。心配したけど、その後は元気で安心した。

夕飯は中庭のジュータンの上に座って白人も日本人も円くなって食べる。茄子とトマトのカレー煮込みはうまかった。

宿の親父のアクバルは、妙にマッチョで、日本人に色々な技を仕掛けて楽しんでいる本物のサディストだ。でも、いい親父だ。

とても居心地のいい宿だ。出るのがもったいないなと思った。



バムのゲストハウスのアクバルおっさん

の事実

あるげ・ばむは歴史が浅い(200年か?)。

いくら浅いといっても、うんこをしてはいかんと思う。

しかし、イランのサンドイッチはいかんせん古すぎた。

急にゲロを発射したくなることもある。(そう、それはまさに発射と呼ぶにふさわしかった)

 

ばむよ、すばらしい遺跡よ。

バムバムばむばばむばーーーむくーへん。



ペルセポリスは落書きも歴史がある 

の日記 9.19

〜ペルセポリス〜

3時ごろ、遂にペルセポリスに行こうということになった。一緒に行く日本人が見つからず、タクシーをチャーターするのはあきらめて、バスで行くことにした。

バスの車内では英語を話せる兄ちゃんが、かなり例のテロに関して擁護的なことを言っていた(内容は過激すぎてここには書けません)。対米感情は今でも悪いらしい。

ペルセポリスは意外にも道路わきにドデーンと聳えていた。

石の階段を上るといきなり巨大なクセルクセス門が立っていてなかなか壮観。中は結構建物がごちゃごちゃとある印象。彫刻は牛を食ってるライオンとか、いろんなものを貢ぎに来てる人々とか面白かった。今の姿から、神殿の500年前の姿は想像できなかった。想像力が貧相なのかもしれないけど、もういい加減遺跡は見飽きてしまったのかもな。

下痢のせいか、遺跡疲れのせいかりえもおれもどうも疲れやすく、なかなかこまごま見て歩く気力もなし。

ペルセポリスはずっと来てみたかった所だし、イランにあるので半ばあきらめていた所でもあるので、ここまで来たことに感慨があり、遺跡を見た感動が、その感慨を上回ることが無かったみたいだ。これも疲労のせいだろうか?

俺たちには少し休養が必要なのかも知れなかった。


ハーフェズ廟
の日記 9.20

〜イラン人の親切〜

今日はサーディー廟、ハーフェズ廟に行った。

今日も沢山、イラン人の優しさというか、からかい半分というか、とにかく色々世話になった。

行きのバスはうっかりチケットを買わずに乗ってしまったが、
「ノープロブレム」
と、ただ乗りさせてくれたし、廟までのタクシー(バスが途中までしか行かなかった)も親切な伯父さんがつかまえてくれて
「100トマンだよ」
と、値段を教えてくれた。

ハーフェズ廟まではサーディー廟で会った若者3人が車で連れて行ってくれた。

廟は2つともいい雰囲気。外人は全然いず、イラン人達が棺の前で思いを馳せる中、東屋の片隅で腰を下ろしてボーっとするのはいい気分だった。


イランではこんな感じ

経過報告39(イン エスファハン)

何時もより断然多いメールの数と内容(ほとんどテロ関係)に、ほんとにほんとにやばい!!!

今までの自分の鈍感さに自己嫌悪しつつ、とりあえずはやく日本大使館のあるテヘランに向かうことにする。と青い顔をして夫に言うと、「えー、おれはこの旅で3本の指に入るくらいここを楽しみにしていたのにい。」どこまで鈍感なんだ!!

それに加え、自分の体調も最悪で動きたくても動けない。とにかく、テヘランに速攻行って、飛行機でヨーロッパに飛びたい。危機迫る今日このごろ。ああ日本食食いたし...                                                   りえ

 

えー、本来であれば、ペルセポリスのがっかり度具合やら、イランへの国境抜けのことを書くとこなんですが、どうやら、それどころではないみたいですね。

情報がないってのは、ほんとに恐いです。何しろテレビも、新聞もなくて、イラン人は、政府の決定もどこ吹く風で、アメリカの事件を大喜びしてるだけだし...。

このホテルの日本人も「おれ、イスタンブール直行して帰ります」とか、「もうテヘラン発の飛行機、リコンファームしてきました」なんて、腰抜けなことばかり言ってます。おれも、腰抜けなので、この際、一刻も早く、イスタンブールまでいき、ギリシャに抜けてしまおうと思います。

ただ、旅行者が、一気にトルコ抜けする可能性があり、その混乱だけが心配です(何しろ、今開いている国境が、そこ1箇所しかない!)。とにかく、嫁さんの下痢も吹っ飛ぶ今の状況。一体どうなるのやら...。    まわ


王のモスク  

の日記 9.24

〜世界の半分〜

昨日から冬時間が始まり、日本との時差が5時間に広がった。

今日はやっとエマーム広場に行った。昼近くの高い太陽を浴びたエマーム広場はオソルベキ美しさだった。

広場周辺の建物は装飾過多なんていうことを完全に超えた調和の美しさを持っていて、モスクの複雑な模様は、どこをとっても現代芸術になりそうだった。

王のモスクで、同じ宿の「シャー」と、もう一人の日本人にあった。

その後有名なじゅうたん屋の「NOMAD」でもシャーに会い、エスファハンに留学してきているMさん、NOMADのハミッドさんらと、近くのチャイハネに「アーブグーシェ」というスープを食いにいった。そこのチャイハネも、屋根に水タバコのパイプやら、ランプやら、数珠やらが下がっていて、ゴチャゴチャ感がいい感じだった。

夕暮れを待ってエマーム広場が一望できるチャイハネへ。

暮れ行く広場を見下ろして、チャイを飲んで、水タバコをふかす。

ここで有名な日本語使い「アキバ」さんに会った。怪しい人ではあるけれど、ただ話す分にはおもろいおっさんだ。俺たちのように、新婚で8ヶ月も旅をしているやつは初めてだと、盛んに面白がっていた。

世界情勢の緊迫をよそに、エマーム広場の美しい夜景はとても平和に見えた。


ザムザムコーラ 

の疑問

妹からのメールで、三村突っ込みなるものを知る。

三村とははたして、私が大好きなバカルディ(私の中では決してさまぁ〜ずではない)の三村であった。

やりかた。

@名詞を叫ぶ。

A語尾に「かよ!!!!!!!」とつける。

メールの真偽を確かめるべく、日本を出発して1ヶ月弱のシャー氏に三村突っ込みなるものを実践していただいたところ、なぜか、その後、3人だけで大流行になった。

しかし、あれが真の三村突っ込みであったかどうかは、昨日内村プロデュースで、突込みを連発している三村を見ても、首を傾げる今日この頃である。

すでにあれは、三村の手を離れ、完全にシャー突っ込みとして独立していたものと思われる。

ザムザム。懐かしい味。