パキスタン編

お写真

ラホール
クエッタ

 

J テロ起こる!

パキのオートリクシャ 

の日記 8.29

〜ラホールというとこ〜

果てしなくラホールは暑い。そして果てしなくうんこはゆるい。一体どうなってんだ!?

本当ならチトラールに行く予定だったS君は、やっとの思いで今日、ピンディーに去っていった。また会おう、一週間後。

本とはうちらも日本食を食いにいくためだけに明日にでもピンディーに行きたいのだが、なかなかうんこがいうことを聞いてくれない。

パキ人よ、ラホールよ、多分そんなに悪いところではないのだろう。しかし、悲しい哉、君らのその友好的な態度がだんだんうざくなり、英語の通じなさに憤り、めしのまずさに落胆し、恐ろしいほどの暑さに辟易し、イランビザの取得に時間かかりすぎるし、あっという間にポカラからワースト1の座を奪ってしまいそうだ。

とにかくどっか行きてえ。でもどこにも行くとこねえ。しかもうんこでっぱなし。



ピザハットで、待望の生野菜を食らう 
の日記 9.1〜3

〜入院〜

夜中の2時に目が覚め、その後なぜか寝付けなかった。その原因が、胃腸の不快感にあると気付いたときから、突然体が変調し、猛烈な吐き気と水下痢で全く寝付けず、朝までにトイレとの間を10往復、午前中だけで20往復するハメに。

あまりの体調の変化にマジで危険を感じ、りえにAIUシンガポール支局に電話してもらって、DOCTOR'S HOSPITALという病院を教えてもらった。

ホテルからタクシーで40分ほどで病院着。エマージェンシーとかいういかにも大変そうなところに連れて行かれた割には、「帰って薬飲んでうんこして寝ろ!」と言わんばかりの対応を受け、散々もめたあと、なぜかオレだけ入院ということになった。りえは何の検査も無く、「なんとなく元気そう」と言うすごい理由で入院できなかった。

大部屋のベッドを1つ与えられ、点滴と採血。りえは仕方なく偶然もう一人入院していた日本人の部屋のソファに寝かせてもらうことになった。

AIUの人によると、オレは急性胃腸炎と診断されたらしい。絶対に誤診である。どうも落ち着かない。

翌日は6時に叩き起こされ、いきなり診察。病院の朝は早い。今日はGWという、大型連休を連想させる名の大部屋に移される。相変わらず水下痢は止まらず、医者も何も言わず、なんとなく今日も一泊することになってしまった。

3日目。明日はイランビザの2回目の申請があるので、領事館にいかなければならない。朝、その旨、ドクターの了承してもらったものの、いつまでたっても退院の運びにならない。夜7時近くになってようやく現れたドクターに「あのー。今日、退院していいっていわれたんだけど・・・」と言うと、「ほー、そりゃいい。じゃあ、フォームを用意してやる」と、保険料請求の用紙を用意してくれた。

1週間分の薬を貰い、晴れて退院となった。ラホール駅までのタクシーの運ちゃんは、なぜか天童よしみのカセットを持っていて、うれしそうにかけてくれた。

「負けたらあかん、負けたらあかん東京に」と叫ぶ歌に、「ああ・・・あれもラホールに負けたらあかんな」と思った。

の日記 9.8

〜イランビザ〜

やーっと、イランビザ発給の日。領事館に行くのも今日で4回目だ。1週間しか出なかったやつもいれば、1ヶ月といううわさもあり、その差はあまりに大きすぎる。

午後2時に来いと言われていたのに、行ってみると3時からだという。蒸し暑い中で1時間待つのは辛かったが、なぜか領事館の隣の家の親父がチャイを振舞ってくれたりして、なんとなく過ごすことができた。

領事館は開いたら開いたで、なかなか中に入れてくれようとしない。

もういいよ、今まで18日間もビザのためだけにここで待ちぼうけを食っているんだ。あと15分や20分待たされたって、どうってことない。雲の多い空を見上げ、そんなことを考えていた。

後になって、パスポートは中ではなく、外の窓口から返却されると知った。返されたパスを見ると「30DAYS!」即ち、ミゴト!1ヶ月のツーリストビザが貼られていた。S君も含め、3人とも30DAYSだ。いままでで、いちばん大変で、一番うれしいビザだった。

明日、漸くクエッタへ。ラホールはこの旅2番目の長い都市になっていた。



ラホール〜クエッタ間の列車 
経過報告37(インクエッタ)

涙ちょちょぎれるかと思ったわ。イランビザ、お前のせいで、このうざうざラホールに3週間もとどまるはめになってしまったのよ。ひどい下痢のせいでどこにも行けず、ついに入院。といっても、まーと同じ症状で行ったのに。医者が一言私を診て「ユウ アー フレッシュ!」ベッドは夫にのみ与えられる。...。

そしてとおってーも親切なパキ人。列車でも色々親切よ。「頼む1回だけ胸を触らせてくれ!」やだよ。「いいじゃないか小さいんだから。」...。

こいつらはあほなため、計算が出来ないの。自分でいったことをすぐ忘れるの。よってインドよりも格段に飯屋でもめるのよ。「3人で70ルピー?高いだろ?1人いくらだ?」1人27ルピーだ。「???」そしていつのまにか人だかり。...。

チャイもジュースもそんなにおごってくれなくていい。用も無いのに話しかけんな!ただでさえ暑いのに集まってくんな!インド人みたいに日本人の1人くらいだましてくれよ。ぼったくったっていいよ。頼むからもっと旅行者慣れしてくれ。美味い飯食わせてくれ。パキスタン、2度とこの地を踏むことがないよう1日5回私は祈る。アッラー。                                                りえ

 

鈴木その子似の白衣の天使が、俺の点滴の管を逆流した血液を、「びゃっ」と、床に捨てる。「院内感染」、いやな言葉ですね。ホントに心配です。そもそも、入院、というのは、我々バックパッカーにとって甘美な言葉であるはずなのだが、それはバンコクでの話。パキスタンの医者は、やめといたほうがいいですよ。

何しろこの国の食堂は、パキスタン人の脳細胞並みに品数が少なく、ここんとこ5食連続ダール(豆カレー)だ。そのくせ、マンゴージュースが美味い。すいかも美味い。1日3回、いや、4回飲んだかな。完全に俺の胃は白旗。水状のうんちの中に、つぶつぶの赤いものが。うろたえた俺は、尻も洗わずパンツを履き、その時点で、それが血便ではなく、すいかの粒だと判明。いちごのつぶつぶは美味そうだが、すいかのつぶつぶはいけないのね。でも、いまはめでたくかちかちになりました。

明日、イランに行きます。そろそろ髭も全部剃り落とし、さわやかさんになるつもりです。                                                      まわ



バックギャモンみたいなゲーム  

の日記 9・10

〜えろじじい〜

30時間、暑さと砂埃と二人のうざいパキ人に耐え、ようやくクエッタに到着した。

「チャチャ」と呼ばれる、じじーは見るからにバカっぽい陽気なおっさんで、もう一人の30才のヤツはスケベな金持ちであった。

色々おごってもらったり、世話を焼いたり、御他聞にもれず、二人ともエロじじーなのであった。

しかし、気を使っているらしく、「怒ってないか?」と、何度も聞いてくるのだった。そして、「胸を1回触らせてくれ」と、どさくさまぎれに言われたりするのだった。

ムルタンでわざわざチャチャはボードゲームを買ってきて、4人で遊んだ。エロいことを除けば悪いやつらではないのだった。

しかし、30時間もこいつらの相手は非常に疲れた。パキではエアコンは必須ということをしみじみ感じて、早々にこの国を抜ける決意をより一層強めたのだった。


クエッタのリキシャ 

経過報告38(イン クエッタ)

昨日、アメリカで、すさまじい同時多発テロがあったと、何人かの方から送られたメールで知りました。何でも、犯人は、イスラム原理主義の可能性が高いらしいそうです。

われわれは、今、クエッタという、アフガニスタン、イランの国境に近い街にいて、この街にも、多くのアフガン人がいますが、今の所街は何事も無かったかのように平和で、その事件について騒ぎ立てている風も全くありません。今日6時のバスでイランに向かいますが、あちらはイスラム国ではあるものの、今のハタミ政権は、欧米とも協調路線を示す穏健派でありますので、心配には及ばないと思います。

兎に角、イラン、トルコと、イスラムの国が続くので、用心して危ない所には近づかないようにしたいと思います。