第4回
僕はまだなんにも見ちゃいないんだよ】
 

いよいよ2000年になりましたね。
おめでとうございます。

毎度ながら遅い更新で
もうこのコーナーを
忘れてしまった方も多いかと存じますが、
やっぱり昨年と同様にぼちぼち思いついたところで
書いていきたいと思いますので
今年もどうかお引き立てのほどを。

今回はちょっとハードに(笑)。
とはいえ、いつもながらのまるっきりの思い付きですので、
どうか本気になさらないようお願い申し上げます。
ハードな話ほど嘘くさいと言うことを
感じていただければ幸いなのですが・・・・。

さてさて、毎度のことながら、
今回もまた「初めての道を歩く」という話から。
初めての道を歩いて、しかもその道を覚えようとする場合、
まず何を覚えようとするかといったら、やっぱり何かの目印でしょう。
また、どんな景色が見えるのかを覚えておくことも大切だったりします。
後で、なんとなくこの風景見た事があるような気がするーって「感じ」が
目印と同様の働きをすることもあるのです。
とすれば、道を覚えるということや方向感覚にとって、
「見ること」、「視力」ってのが大事なんじゃないか
と考えてはしまいませんか?。
 

しかし、あったりまえですが、
視力のいい人が必ずしも方向感覚がいいとは限りません。
逆に、視力がかなり悪くて、ほとんど見えていないような人でも
方向感覚のいい人はいるのです。
例えば、某LというバンドのSさんとUさんは
この点においてまさにそうで、
ステージから中野サンプラザの(存在しない)3階席まで
きちんと見えるというSさんは
方向音痴として有名で、それに関する歌(第3話参照)
作っておられるという程であります。
Uさんが方向感覚がよいかどうかの確証はないのですが、
歌詞にあちこちへの旅を歌っていたり、
特有の空間感覚が溢れてるいるところからして
かなりの方向感覚の持ち主だと勝手に推測しております。
で、このUさん、ちょっと前に視力の矯正手術をされる前までは
とんでもない近視だったということでなのであります。
やはり、視力と方向感覚のよさは関係しないのでしょうか?

目印を覚えるということが大切なら、
単に注意の問題かなとかも考えられます。
方向感覚のいい人は目印など環境内の事物に
十分に注意するから覚えることができるが、
方向音痴な人はきちんと注意をしないから
覚えられないのかもしれません
けれども、ブラブラとウインドショッピングなどしながら歩いている場合でも
方向感覚のいい人は道を覚えてるものですし、
頭の中の地図がちゃんと完成しているものが多いようです。
しかし、方向音痴な人は一生懸命迷わないようにしようとしても
いつしか迷ってしまうことが多いのではないでしょうか。

実は、視力や視野(目の見えてる範囲)が
方向感覚とどのように関係しているかを調べた人達がおります。
アメリカのイカシた心理学者のライザー(Rieser)さんたちは
生れつきの視覚障害を持っている人達に、
ルートを移動して覚えてもらい、
その後、ルート内の場所と場所の位置関係を聞く問題を出してみました。
(例:ここから○○という場所はどちらの方向にあるか?)

視覚障害と言いましても何種類かありまして、
まったく見えない全盲、
視力は著しく低いが視野全体を利用できる弱視、
視野の中心部の視力は正常だけれど視野の周辺部分の視力がない視野狭窄、
という3種類の視覚障害を持つグループを比較した訳であります。
その結果、中心部の視力だけは視力の優る視野狭窄グループの方が
視力は低いが視野の広い弱視グループよりも
方向認識の正確さに劣り、
全盲グループと同程度の悪い成績に
なってしまうことがわかったのです。
つまり、場所と場所の位置関係を正しく理解するためには
視力的には劣っていてもいいけれど、
広い視野が必要であるということが示されたのです。
 

なぜ、こんなことが起きるのでしょうか?
なぜ、視野の中心部の視力がよいだけでは
方向感覚に役立たないのでしょう?
なぜ、ほとんど見えてない状態でも視野が広いと
方向感覚がよくなるのでしょう?
このことには目、殊に網膜の構造が
深く関係していると言われております。

人間の網膜には光の刺激に反応する細胞(視細胞)が
非常にたくさん存在しています。
この視細胞こそが「目が見える」ということの
一番基本となるパーツなのです。
ところで、この視細胞、網膜全体に均等に存在している訳ではありません。
視細胞の多くは眼球のほぼ中央部分に集中しています。
私達が何かをしっかり見ようとする場合、
それをじっと見つめますよね。
これは、網膜の視細胞が最も多い部分に
そのモノが映るよう向けている訳です。
私達が通常、視力と呼んでいるのは、
この網膜の中心部分の視力を指しています。

一方、視細胞は
網膜の中心部分から周辺部分に移るにつれて少なくなり、
周辺部分にモノが映し出されても
はっきりとは見えなくなってしまいます。
しかし、見えないモノの情報は
何の役にも立たないかといったらそうではなく、
見えない周辺部分に映されたモノの情報もちゃんと大脳皮質に送られ、
空間的な分析がが行われると言われています。
つまり、この網膜の周辺部分からの情報こそが
モノが「どこにあるか」といった空間認識の基本情報となるのです。
また網膜の中心部分に映されたされた情報は、
同じく大脳皮質に送られて
モノの形や色についての情報が分析され、
「どんな形をしているのか、どんな色をしているのか」ということを
私達に認識させてくれるらしいのであります。
 

このような網膜と大脳の仕組みから考えると、
網膜の周辺部分の機能の優劣が
空間認識の優劣に影響を
与えているのではないかと考えられないでしょうか?
網膜の周辺部分の機能がよい人は
多くの空間情報を処理できるため方向感覚もよくなる。
一方、周辺部分の機能のわるい人は
視覚情報の空間的な処理ができないために、
「何があるか」はわかっても、それが「どこにあったか」や
場所と場所との位置関係などがあまりよくわからないという
方向音痴に陥ってしまうのではないでしょうか?

中には、網膜の中心部分の機能がよい人
−いわゆる視力のよい人−の中にも
周辺部分の機能がわるい場合があり、
視力がいいのにも関らず
方向音痴になってしまうこともあるのではないでしょうか?
逆に中心部分の視力が低くても、周辺部分の機能がよければ
(基本的にそれほどの視力は必要としない)
方向感覚はよくなるのかもしれません。

そう言えば、私の知り合いの女の子にちょっと面白い子がいます。
彼女は、東京と北海道の位置関係とかは全然わからないのに、
日本の全都道府県、一つ一つの形を全部すらすらと描けるのであります。
日本地図全体を書く時も、多くの人がするように、
北海道、本州、四国、九州といったまとまりで描くんではなく、
北海道を書いた後は、青森、秋田、岩手と順々に
ジグゾーパズルのピースをはめていくように描いていくのです。
彼女なんて、こうした例の典型かもしれません・・・・。
 

あー、今回は長くなりました。こんなに長く語ってみた訳ですが、
今のところ、網膜の周辺部分から得られた情報が
どのように方向認識と関わっているか、
周辺部分から得られた情報がどのように頭の中の地図を
作り上げていくかはわかっておりません(微笑)。
中心部分の視力に個人差があることはわかっておりますが
肝心な、周辺部分の視力に個人差が本当にあるのか、
それが本当に方向感覚と関係があるのかも実証されてはおりません(苦笑)。

「なんやねん!それーっ!!」
という声も聞こえてきたところで
そろそろ退散いたしましょう。
では、また、たぶん、書きますので。
しばしのお別れ、ご機嫌よう〜〜〜!
 

なお、このページの内容について、ご質問、ご意見があれば、
どんなことでも結構ですのでメールや げすとぶっくでお聞かせください。

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