2005年12月7日 昭和35年のクリスマス
その年は特別だった。
家に帰ると、緑色のカーペットが敷いてある。
赤い反射型ストーブがある。
私が学校に行っている間に配達されたものらしい。
畳の部屋にちゃぶ台が当たり前の暮らしだったから、
それはびっくりするほどハイカラな景色だった。

母が台所で何やら仕度をしていて、「一緒に買い物に行く?」と聞いた。
ついて行くと、ローストチキンを買った。
肉屋の店先でくるくると回っている、あの鶏の丸焼だ。
その鶏を、初めて見るピンクのばらの花の付いた洋皿にのせ、
母と一緒に紙の飾りを作って鶏の脚にはめた。
伯母の裁ち台を緑色のカーペットの上に出し、その上に鶏の皿を置いた。
部屋の角には数日前からツリーが飾ってある。
金銀のガラス玉、銀紙を貼った靴や家やステッキの飾り物、
モールで作ったキャンドル、それらのひとつひとつを今でも覚えている。
夜になると豆電球が点いてきれいだった。

父が早めに帰って来て料理を始め、裁ち台の上は賑やかになり、
ストーブは暖かく、ケーキまであった。
その頃ケーキは特別で、晴れの日のご馳走だったんだ。
料理が美味しかったかどうかは記憶にない。
覚えているのは父がペーパーミント色のカクテルを作ってくれたこと。
シェーカーを振る父がもの珍しく、初めて飲む「大人の味」がした。

あの時の私は7才、昭和35年。父は44才、母は37才のはずだ。
日本が高度成長を始める直前の「三丁目の夕日」の時代だった。
外国航路の船乗りだった父は、家族にクリスマスを見せてやろうと思い、
その年のボーナスでカーペーットとストーブを買ったのに違いない。
30代の母が華やいだ気持で仕度をしていたのも感じられた。

雪なんか降ると最高だったかもしれないけど、雪は降らなかったと思う。
プレゼントをもらったのかどうかは覚えていない。
それでもその日は最高のクリスマスだった。
自分が初めてクリスマスというものを認識した年だったから。
45年も経た娘がこれだけちゃんと覚えているのだから、
大成功だったね、父さん、母さん。
from mixi diary