苦味(重み?)

 

    衝動

    サイトの手直しをしているうちに…過去ログ洗いにハマってしまいました。^_^;

    #部屋の片つけをしていたら昔の写真を見るのに夢中になってしまったのと同じですね。(笑)

    自分の日記。

    人様の日記。

    自分の掲示板のログ。

    人様の掲示板のログ。

    #ドレもファイル化して、保存していたりする場合アリ。(笑)

 

    初めて皆でお山に行った時のコト。

    初めて大掛かりなDIYをした時のコト。

    初めてスポーツランド山梨を走った時のコト。

    …ひたすらに楽しかった時代。

    そして、手を伸ばしてももう届かない時代。

    そう、失われた刻…。

 

    急にいたたまれない気持ちになり、エンジンに火を入れる。ガムシャラに走った。

    普段のドライビングと比べ、どう考えても危険が高い。そう判断できているにも関わらず…自分を止めるコトが

    できなかった。まるでその危険を求めてでもいるかのように。

    走れども走れども、過去に追い付くはずはない。

    終着点が無いため、強制的に自宅へ向かい…この愚行を終わらせる。

    夜気にあてられ、キンキンと鳴るエンジン。まるでレクイエム…鐘の音。静かに、そしてドコか遠く感じる。

    思い知らされる。

    あの時代は…想い出でしかないのだと。

 

    人生の落とし物なんて、いくらでもゴロゴロしているはずなのに…ね。(^^;;;

 

 
    
答えは一つ…?

    前にも同じコトを書いていますが…

    日常、「馬鹿!」と言われた時に、

    「おうさっ、今頃気づいたか!?はっはっはっ!」と笑い飛ばせる時と、

    「頭が足らなくて…ごめん。」と妙にその一言が染みいる時があります。

 

    よく「悪い出来事って続くな…。」という嘆きを聞きますが(というか私もよく言いますが。爆)そういう時って

    実際に悪いコトが続いている場合ばかりではなく、

    『一つの出来事にショックを受け精神的に弱くなり、その後に起きる些細な出来事に対して耐えられなく

    なっている。』

    というコトの方が多いような気がします。

 

    最近…人から否定されるコトがとても多いです。

    でもそれは…否定されるコトが多いのではなく、否定されるコトが多いような気がするだけかもしれません。

 

    否定に対する反論は…反論する側に実績があって、ソコではじめて通用するモノ。

    反論したトコロで…実績がなければ「知りもせずに何を言うか。」と一蹴されるだけ。

    絶対的な答えの存在する問題ならばソレでも良いけれども…

    絶対的な答えなど存在しない場合や、個人で答えなんていかようにも変わるような曖昧な問題に対しても

    ソレで良いのでしょうか…?

    実績がないから否定されるだけ?

    実績がないから個人の好みすらも否定される?

    実績がないから答えでもないモノを押しつけられる?

    実績のある者が実績のない者に助言してあげるのはとても良いコトだと思いますが…助言の範囲を越えて

    『押しつけ』になってしまうと、「ソレってなんか違うでしょ?」と、そんな風に思ってしまいます。

    曖昧な問題に対して助言している側は「コレが絶対に正しい。」という根拠でも持っているのでしょうか…。

 

 

    親の顔が見てみたい

    我が家は…諸事情あって私が小学校を卒業した頃に男親が出ていきました。

    細かい心況は省略しますが、まぁさしたる悲しみもなく「困ったコトがあったらコッチに来なさい。」

    と言い残して去ってゆく男親を冷めた目で見送りました。

    「もう二度と会うコトもあるまい。」と私は思っていたのですが…ちょっと前に姉が急死し、葬儀で顔を合わす

    コトになりました。

    (そもそも私は、母親が婚家の籍を抜いたのをきっかけに母親の籍に入籍し、男親の籍からは除籍されて

    いたのであんまし関わりたくなかったんです。@姉は男親の籍)

    斎場が市営だったため、いくつもの家族がいくつもの死を嘆いています。

    私は「少し場違いだよな〜。」と、若干荒んだ気持ちで待合いのロビーに佇んでいました。

    フと、隣にいる弔問客らしい男性が不躾なまでに私のコトを見ています。

    少し荒んだ気持ちであったコトと、加えてその男性が男にしては小柄で(身長が私の−10pくらいかと)

    何となく清潔感もなく、率直に言って『キモイ』(爆)タイプであったコトから、見られている私はあからさまに

    表情に出すくらい、不機嫌でした。(藁)

    しばらくして、2人の兄や母親などがやってきました。

    母親が私の方へ来るのかと思いきや…隣の男性に向かって歩み寄り言いました。

    母親:「お久しぶりです。」

    男性:「あぁ…。」

    私:「へっ?」

    その男性が男親だったようです。(超絶爆)

    いやぁ、まさか顔もワカらないとは思いませんでした。(見たら思い出せるかと。汁)

    それ以降、テレビなどの『感動の再会!』なんて類の番組を見ると…「全然関係ない人を連れてきても

    バレないぢゃん。」と一人鼻白んでいます。

 

 

    散りゆく者達の気配

    私の周りはなんというか…自殺した人間が多いです。

    身内にはじまり、友人やら先輩やら…皆、何かしらの悩みを抱え、それに打ち勝つコトもなく散ってゆき

    ました。

    よく、「自殺なんかするヤツは本人が悪い。」といった類の意見を耳にしますが…

    少なくとも私は、「そういうコトを言える人間は、本当に絶望するような状況に置かれたコトが無いだけだ。」

    と思っています。

    当人がどれ程の絶望感に耐えられるのか?という尺度の違いはありますが…散っていった者達は、

    皆一様に自分ではどうにもならぬ程の悩みを抱え、それを解決するコトができずに、その結果『死』いう

    形で悩みから逃げたのでしょう。

    何人かの散っていった人間を見ていて気が付いたコトがあるのですが…

    皆、死の直前に特有のオーラを放ちます。

    #「はぁ???」と思われる人の方が多いと思います。当然です、普通はそう何人もの自殺者と遭遇する

    コトはありませんから。

    なんというか…死後、「あんなに普通にしていたのに。」と言われる人ほどその傾向が高いです。

    死の直前に…その時は気が付いてあげるコトが出来ない程度のSOS信号を発します。

    ポツンと捨て鉢なセリフを吐いたり、

    疎遠な筈なのに急に電話やメールがあったり、

    普段と違う口調(文章)のメールが来たり、

    「あんなに普通にしていたのに。」とは浅い見解で、深く観察していれば『何か』小さなサインが発せられて

    いました。

    散り去った後にそのコトに気が付き…いつも激しい後悔を覚えます。

    「あぁ…どうしてあの時に気が付いてあげられなかったのだろう。」と。

    天寿を全うせずに、命が散るのはとても悲しいコトです。

    自ら絶たれた命には…悲しいかな、若い命が多かった。

    #19才 32才 36才

    自ら命を絶とうとした経験のある人間は語りますが…絶望的な状況の中、本当に些細なコトでも何か喜びを

    感じる出来事があれば、弾みが如くで命を絶つコトはなかったと。

    通勤途中で万分の一の確率で椅子に座れたとか、

    想いを馳せている相手から、社用ではあるが話しかけてもらえたとか、

    昼食時に食べたうどんが美味しかったとか、

    …本当に絶望している人間にとってはそれとても、大切な喜びです。

 

    もしあの時、散っていった人間達に何かをしてあげるコトができていれば…?

    私の中の、激しく重い悔恨です。

    『無能者』と責められる所以は無いとは思いますが…

    何もしてあげられなかったのは事実。

    これから先は…『誰も決して散らぬよう』

    多くの散りゆく者達の気配を感じできた私だからこそ、心に留めて生きていきたいと思います。

 

 

    言葉

    よく「男は女に比べて愛情表現がヘタ。」とか聞きませんか?

    女の子に「ねぇん、好きって言ってよぉ。」とか言われて困惑する男性も多いのでは?

    しかも言葉が足りないばっかりに「アタシのコト好きじゃないのね!」とか責められたり「アタシはこんなに

    愛しているのに!」とかのたまわれたり…。

    言葉=愛情 では無いはずなのに…言葉が足りないばかりに誤解を招くコトは多いようですね。

    私は…人生のとある時期までは愛情表現というか…感情を表に出すのが苦手。というか好きではあり

    ませんでした。

    「本質は言葉なんかじゃ表せないでしょう?」と格好つけていたんですね。

 

    高校を卒業するかしないかの頃…私には諸事情により人と馴染めず、ちょっと可愛そうなくらいの友人が

    いました。

    生まれてきた性が違ってしまっていたのですね。@男性だけど中身は女性

    #ひょんなコトで仲良くなり、よくツーリング(@単車)へ行ったりする仲でした。^^;

    私は『非常に』男っぽかったので…よく冗談で「貴女が男だったら良かったのに。」とかワケのワカらない

    コトを言われたりもしました。(笑)

    その子は普段は周りの人間と馴染めないコトもあり…よく夜中に呼び出されては無駄話に花を咲かせ、

    疲れ切ったトコロで「これで眠れそう。ありがと。」と、女性の私から見ても少女のような、可愛い表情を

    見せて眠りにつくのを見届けました。

    夜中の呼び出しも何とも思わないほど…大切にしていた『つもり』でした。

    ただ…よく「冷たい。」とか「熱が無い。」とか言われるコトもあり、困惑するコトもありました。

    私には「本当に冷たかったら夜中に駆けつけたりはしないぞ?」なんて自負があったので、その「冷たい。」

    と言われる態度を改めるコトはしませんでした。

    ある日、いつものように呼び出しがかかりました。

    しかし私は、事前に約束していた友人達と遊んでいる最中で、「今日はちょっと厳しいよ〜。」駆けつける

    コトはしませんでした。

    ひっきりなしにポケベル(懐かしい…)が鳴ります。まぁ、途中途中の言葉は端折りますが、

    『やっぱり(私は)大切じゃないの?』という一文もありました。

    若干目ざめが悪いコトもあり、ほんの3日ほど連絡を取らなかったのですが…次に受けた連絡はその子の

    お父様からの

    「息子が死にました。」

    というものでした。

    …やはり、抱えていた寂しさは予想以上のモノだったようです。「アタシはどうせ独りぽっちなんだ。」

    口癖のように言っていたそうです。

    そして彼は…19才の人生に自らピリオドを打ちました。

 

    私は…彼を独りにしてしまったのでしょうか?

    「冷たい。」と言われた時に自分の感情表現を見つめ直すべきだったのでしょうか?

    「夜中の呼び出しに対して駆けつけているくらいなんだから大切さは伝わっているだろう?」という思い込みが

    間違っていたのでしょうか?

 

    『やっぱり大切じゃないの?』の一文に…もう届きはしないけれども『大切だ』と叫びました。

    伝えなかったばっかりに…伝えていれば何か支えにはなれたかもしれないのに…。

 

    想いを伝えるコトは大切です。

    中には言葉を聞かなければ安心できない人もいます。

    「日本男児なら言葉に出さなくとも…。」なんていうのは大間違いだと思っています。

    言葉を求める人がいるのなら、それに応えるコトも必要です。

    …その人が、大切な人ならば尚更のコト。

 

 

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