日記

2006年04月24日
な、何と久々な日記、もはや日記というより年記という感じです・・・・が、この一年余り、夫の両親を看取り、バタバタとすごしたことが影響したのか、少々体を壊して、入院してきました。それだけなら、それ程インパクトがあることではなかったのですが、強烈なキャラクターをもった人物達と出遭ったことから、書かずにいられないような気持ちになりました。
今をさかのぼる一週間前、突然の激しい腹痛に襲われ、いつもお世話になっているS病院の救急外来を訪れたところ、エコーでは見つからないけれど、胆石だろうという事で、翌日必ず外来受診するように言われました。
そして、あくる朝、痛みも治まったので、いつもどおり自転車で病院へ行き、採血をして初めての消化器内科受診を待っていると、思いがけず、早く呼ばれました。年配の医師は「、これは(胆石とは)違うな・・・」とつぶやき、わたしに、「昨日から肝機能がひどいことになっていますよ、しかも今日は昨日より悪い・・・これは至急入院して調べないといけないんですが、どうですか」有無を言わせない雰囲気!「はい・・・ではよろしくお願いします・・・」「では、入院中の主治医をご紹介します。Y君!」
やってきたドクターは、とても若い人で、ソフトモヒカンに黒縁眼鏡、窪塚洋介似の繊細そうな背の高い人でした。でも、急な入院に動転している私の心に浮かんだのは「素敵!」ではなくて「??????もしかゲイ??????」(ごめんなさい・・・・)でした。
ご挨拶の後にドクターが述べたのは、『胆石だと、治ってもまたすぐ再発しちゃうし、胆嚢は取っちゃった方がいいと思います。もしくはすい臓か肝臓に腫瘍があるのかもしれません、もし最悪の場合は、直接お話しても大丈夫ですか、それともご家族にお話した方がいいですか、考えて置いてくださいね、うふっ」とにっこりと微笑んだのでした。
目の前が真っ暗になった私は、そのまま病棟へ連れて行かれ、明日はCT、明後日はMRIをするので、食事はしばらく無しで点滴になる旨を説明されました。何の準備もしていないので、パジャマ、どうしようかと考えているうちに早々と点滴が始ってしまい、今ではほとんど見る機会のない病院のお仕着せの病衣を仕方なく着ておとなしく横になったものの、まだ家族に連絡していなかった事に気付き、携帯をもってホールへいこうとしたとき、大部屋の入り口に近いベッドに横たわっている美少女と目が合いました。
両脇に父母らしき人々が寄り添い、絶え間なくいろいろおしゃべりをしているのですが、どうやら脊椎辺りを損傷したらしく、寝たきり状態のようなのです。入れ替わり立ち代り理学療法士がやってきて、リハビリをしてあげているようですがなかなか身が入らない様子・・・夕方、一人の看護士さんがその御一家のところにやってきました。この残酷な運命にさらされた少女をご両親がどんなにいとおしく思い、そばにいてあげたいという気持ちはわかるけれど、お嬢さんの将来を考えて、一人になれる時間を作ってあげて欲しい・・・・看護士さんは毎日朝から消灯ギリギリまでそばを離れようとしないご両親に、ドクターと相談の上、そう進言しに来たのでした。
翌日の午後、消化器科のベッドに移動した私を待っていたのは、またしても強烈なキャラの方!
検査を待って点滴しながらひたすらおとなしくCDを聞いている私のお向かいの方は年配の手芸の先生で、お弟子さんとお孫さんたちが始終お見舞いに来ていらっしゃいました。その方々で、ベッド横でティーパーティを開いています。これは何処そこのチョコレートで特別美味しいのよ、これはXXさんの特製お好み焼き、どうぞ召し上がってね、これはね千○屋の・・・・・・この声がおおきいんです・・・・そして、私の隣のベッドの方と仲良しらしく、その方にも食べ物を持ってくるんです。信じられないよ・・・・心の中で叫びました。
そして3日目をむかえ、一通り検査が終わったので、やれやれこれで食事も始るよねって思っていたら、私の分は来なかった・・・・
えーっ、間違いではないですかと訴えると、ずっと時間がたった後、主治医がやってきて、では明日のお昼から重湯にしましょうねとのこと。私ははいと一言言うだけでした。
そしてドクターは、「良いお知らせがあります。胆石は見つかりませんでした。もしかしたら下におっこっちゃったのかもしれません。
時々石じゃなくて食べ物が胆管に詰まる事もあるんですね、この前なんかしいたけが詰まった人がいて・・・」
???????・・・・・・まさか、そんなことないでしょう、このチッチキチー!と、思わず心の中でつぶやく私。
「あ、それから、まだしばらくないでしょうが、お通じがあったときは色が白とか黒で無いか確かめてくださいね、胆汁が混ざって普通の色になるので、ちゃんと胆嚢が機能しているか確かめなくてはいけませんから、」
たまにはまじめにドクターらしい事も言うもんだと思って、見直して、翌日お通じがあったので、早速看護士さんに普通でしたと伝えてもらいました。それからしばらくして、その看護士さんがにこにこしながらやってきて、『先生が、量はバナナ一本分位だったか聞いて来てっておっしゃってますが」???????「えーと。そうです・・・」想定外の質問・・風のように去っていく看護士さんの背中をみながら恥ずかしさがこみ上げてきました。またやられた・・
主治医先生はいつも変わった時間にやってきます。同じ部屋の方々のところへは、先生方は朝9時の外来開始より少し前とか、午後なら2時ごろとか、わかりやすい時間帯にいらっしゃるのに、夕方4時過ぎとか、夜8時過ぎとか、看護士さんが探しても連絡が取れないようで、まさかもうこんな時間には来ないだろうと思って、本当はいけないんですがベッドで電話していたら、気が付いたら目の前に立っていたこともありました。
入院4日目でようやくいただけたお食事には膵炎食と書いてありました。あれ、私膵炎だったんだ。その時初めて知りました。
お食事が出るようになっても、点滴はずっと付いたままでした。もう食べられるんだから、取ってもいいんではないの、と心の中で思いながら我慢していると、だんだん液がまわりに浮き上がって、腫れてきました。看護士さんに言って針を抜いてもらいましたが、「じゃあ反対の腕に入れましょうね。これは先生で無いと入れられないので、呼んで来ます。』またしても風のように去っていきました。
やがて先生がやってきて、気のせいか嬉しそうに点滴の針を打ってくれました。
5日間点滴スタンドを引きずりながらの日々、もうそろそろ退院できるんじゃないのかしら・・・・
『先生、私の退院は何時ごろでしょうか。」しばし考えた後、『そうですね、では明日最後の血液検査をしたら、明後日退院という事でいいですか。」
やったー、これで家に帰れる!そう思って、また痛くなり始めた点滴をはずしてもらい、明るい気分で眠りについた夜、いつもの腹痛が周期的に襲ってきました。その夜は一晩中痛みが続き、一睡も出来ませんでした。巡回の看護士さんに声をかけようと思っていると、一番奥の私のベッドの近くまで来てすごい速さでターンしていってしまい、声をかけそびれることが数回、激痛ではないので、私も、朝までとうとう我慢してしまいました。
夜が明けて採血に来た看護士さんに、痛くて眠れなかった事を話すと、痛み止めを下さる事になったのですが、「先生の指示がないと何を使うのかわからない、でも先生が捕まらないのよ、もう少し待っててね。」しばらくして戻ってきた看護士さんは、点滴を手に、『痛み止めは点滴が出ているの、これは私達でも打てるから、20分くらいですむからね。」
痛みは穏やかになったので、後は検査の結果が気になるところです。こんな状態で採血だったけど、退院できなかったらどうしよう・・・・早く先生、結果を教えてくれないかなあ・・・
でも、他の先生はちょくちょく見えるのに、私のドクターは一向に姿を見せません。ようやく来てくれたのは4時半過ぎ、なぜか手術衣の上に白衣を着ています。(内科なのに)
『いやあ、ごめんなさい、おそくなっちゃって、内視鏡を一緒に見ているうちにこういうこと(と、両腕を広げて)になっちゃって、着替えたりなんかしてたんで、来るのが遅くなっちゃったんです。』妙にハイな感じ・・・『先生、私昨晩ずっとおなかが痛かったんですが、大丈夫でしょうか」「ああ、数値は良くなっていますから、大丈夫ですよ、一ヵ月後に外来に来てください。今後内視鏡をまずやって、その後*****と****とやって、最後は大腸検査もやりましょうね。」大腸?なんでそんなところまで?
今まで色々なドクターに遭遇して来ました。そのなかで、私が一番尊敬しているのは武蔵野日赤のK先生、義母のS字結腸癌を手術してくださった方です。家族には病状をそのつど正確にわかりやすく伝えてくれて、義母には最後まで告知しないで欲しいという私達の希望も尊重してくれました。激務の中で、いつも落ち着いて、信頼にこたえてくれて、その部下の方たちも、優しくていい方たちでした。後にK先生が私の高校の一年先輩だった事がわかり、とてもうれしかった!です。
もし検査で何か引っかかったら、日赤に転院しようかなと考えているところです。
2005年03月01日
娘の進学先が決まりました。小学校から通っていたS学園を中2から不登校になり、今までとても困難な日々を送ってきましたが、どうにか拾う神が現れてくれました。内申重視の高校受験で、娘の調査書は斜線のみ、判定不能で0点でした。受験準備も2学期終盤からで、しかも、英語の授業は一度も受けた事が無かったのです。
こんな事を思える立場では無いのに、出来ることならそのまま系列の高校にみんなと行きたいという気持ちを吹っ切る事が出来ずに、悶々とした日々を過ごし、あきらめねば成らない事をはっきりと知ってからも、受験勉強に集中する事も出来ず引きこもりがちな娘を、何とか奮い立たせて、志望校を探しました。
ここなら行って見てもいいかなという気持ちがようやく出てきた高校は単位制で、自分の進みたい進路にあわせて、選択科目が沢山取れる特色があります。しかも、一般入試の一割の生徒は、特別選考で、内申に関係なく入学試験の得点のみで合格を決定してくれるという制度がありました。
不登校の子供あるいは保護者は、自己申告書によって、不登校の原因、理由等を高校の校長先生に説明する必要があります。
私達の場合も、このような状況になった経緯と、志望の理由などを正直に綴って、学校側も、それをしっかりと受け止めてくださいました。ところが、何せ、試験勉強にちっとも身の入らない有様で、当然入試の点数もはかばかしくないものでしたので、23日の受験日以来この一週間は生きた心地もありませんでした。
入学が決まった今でも、色々と不安の種は付きません。本当に、通学してくれるかしら、友達を作ることが出来るかしら、・・・・・・
これからは娘を信じて、見守って生きたいと思います。
画像は、オペラの演出家の馬場先生から頼まれたモデル人形で、等身大の大きさです。登場人物と同じ衣装を着て、ソファにすわり、登場人物がそれらを相手に見立てて色々と芝居があるらしいのです。
ある程度の重さがあったほうがいいとのご依頼でしたので、重くしなくてはと,鉄骨と木粉をたっぷり入れたら、これが本当に重くなってしまって、お姫様抱っこすると、本当にリアルな重さが・・・・
ボディはキッドボディと同じようなつくりで、キャンバス地で出来ています。顔も出演者がオペラの中で落書きするのですって。
このオペラ、私は都合が付かなくて見られなかったのですが、みたかったなあ・・・・
2004年07月12日
ようやく『魔笛』も終わり、静かな毎日が帰ってきました。
この一ヶ月ほどはジェットコースターのような日々で、終わったとたんに今までの無理がどっと押し寄せて、昨日は一日選挙に行くのがやっとでした。
でも、たいへんではありましたが、とてもすばらしい経験でした。若い頃から舞台芸術が大好きで、色々見聞し、参加したりもしてきましたが、オペラはその総合されたもので、しかも大好きな魔笛だし、出演者、スタッフは一流の方々、そんな場面で、私のような者が衣装を担当させていただけるとは夢にも思っていませんでした。演出助手の方の意図を汲んで、あるもので何とか素敵なものにする作業は結構クリエイティブで面白かったし、ソリストの皆さんの練習に駆けつけてあわせるので、すばらしい歌を沢山聴くことができました。皆がこの公演を成功させるという一つの意思でまとまって、どんどん気持ちが昇華していくのが目に見えるようでした。

皆の努力が実って、2回の公演は大成功でした。打ち上げの前、演出家の先生が私の方にいらして、「あなたがいなかったら、この公演は成立しませんでした。」とお礼を言われた時は天にも昇るような気持ちでした。
ああ、わたしって、ばかだねえ・・・・
すぐ、木に登っちゃうんだよね・・・・
でも、・・・でも、もしかしたら、この役目を私に与えてくださったのは神様かも知れません。学生の頃から、全然専門が違うのになんとなくオペラの衣装をやってみたかった、でもそれは決して実現する事の無い夢で、いつか現実の生活に埋もれていったものでした。
今、実生活で難題をいくつも抱え込んでいる時に,降ってわいたこの機会に、神の意思を思ってしまいます。
幼い頃からずっとカトリック教育を受けさせた娘は、神様なんていないと言って、引きこもってしまいましたが、私には人生の折々に
神の存在を感じる時があります。世を去る前には受洗できたら・・と心密かに思っています。

でもでも、この公演に関して、家族には色々不自由な思いをさせてしまったし、お人形のドレスを注文してくださっている方々にもご迷惑をおかけしました。
これからは心静かに、お人形の世界に戻りますので、どうぞお許しください。
2004年05月15日
ついにJCOMで借りていた掲示板が消滅して、じたばたしながら、新しい掲示板をつけました。
Bフレッツに変えてから、どうも全般に調子が悪くて、始終フリーズするし、何が光だあ!!!!と愚痴ってばかりです。
それとも、何か遣り方が間違っているのでしょうか・・・メカに弱い私にはどうもよくわかりません。
ともかく、ついでに表紙も変えてみました。先日完成したジュモートリストです。この子、私としてはとてもお気に入りなのですが、ものすごくショックな事には、コルクペートをつけたときにお顔にひびが入ってしまったのです。
それも、最初は気が付かなかったのですが、ふと見ると、おでこにうっすらと・・・あわててヘッドの裏側を見ると、後頭部のふちにもひびが!さらに、そのひびは左耳からあごにむかい、右のほほまでいってしまっていました・・・・・・・
あ〜〜ん、何で何で(号泣)!!
まさか自分の作ったお人形がヘアライン入りになってしまうなんて・・・・・・でも、お気に入りだから、このままなんとかそっとしておきたいと思い、春海さんにヘアラインの止め方を教えていただきました。
何とかこの子が無事に居てくれますようにと思っています。
娘は、この子がひびが入ってしまったことを告げると、「この子、『私もうすぐ死んじゃうの?』って言っているみたいね。」などといいました。そんなことないよ、ママが守ってあげるね!早く接着剤を買ってこなくては。
2004年05月04日
とうとう4月は一回も日記(月記?)を書かないで過ぎてしまいました。
娘が新学期に学校に復帰できるかどうか、まずはそれに賭けていました。新しい担任の先生とも親子でお会いし、組替になったクラスは、娘にとって、大好きな方が沢山居る行きやすい雰囲気のクラスでした。でも・・・・やっぱりほとんど行けていません。
去年は観客席からこっそりと見た合唱祭、今度はステージで歌おうねと言っているのですが、どうなることか・・・
学校の先生方や、お友達は暖かく接してくださっています。
先週は春の遠足でしたが、前日まで楽しみに準備をしていたのに、当日の朝になると、やっぱりいけないのです。
いつも朝は9時より早くはいくら起しても起きられず、やっと学校に行けそうなときは、校門まで、一時間ほどかけて送っていきます。
かかりつけのお医者様が転勤で変わってしまって、新しい担当医は、このままずるずる過ごすより2ヶ月ほど入院した方が良いとおっしゃっています。入院している子達がどんな生活をしているか、その場で見学をしてくるようにいわれ、病棟を二人で回りましたが、入院なんて考えても居なかったので、私の方がショックを受けて、涙が止まりませんでした。もっとも、本人の方がもっとショックだったに違いありませんが、淡々とした表情で佇んでいるだけでした。
案内してくださった看護師さんは、皆おんなじ悩みを持った人ばかりなのよといってくださいました。
同世代の子とコミュニケーションをとる練習をし、乱れた生活のリズムを取り戻す・・・長い人生のことを考えるとこうした期間がこの子にとって不可欠なのだろうか・・・しばらく手放さなければならないのだろうか・・・・・
確かにこの一年、じたばたと無我夢中で過ごしてきたけれど、焦るばかりで何も良くなっていません・・でも・・・
自分の無力を感じます。
2004年03月30日
今、連日のように報道されている六本木の回転ドアの事故、色々な意味で、心が苦しくなります。
子供を持つものとして、幼いやんちゃ盛りの頃の思い出と、現実に起きてしまった惨劇のあまりのむごさ、お身内の方は身も引き裂かれんばかりの悲しみに耐えられないことでしょう。
きっとお母様は、何であの時子供の手をしっかりとつかんでいなかったか、狂おしいほどの後悔にとらわれている事と思います。
お子さんが6歳にまで成長されるまでには、何度も危険な目にあっては、お母様の手でしっかりと支えられ、護られてきた事でしょう。そしてそのたびに、車の走っている道路に飛び出してはいけない、水辺で遊んではいけない、・・・と、ひとつひとつお子様に教え諭してこられた事でしょう。
でも、悲劇は一瞬の隙を捉えて、お子様の命を奪ってしまった・・・・晴れやかな最先端の景色の中で。
恐ろしい事故って、色々な偶然が重なって、おきてしまうものです。
まさか今結果になろうとはと軽く考えてした事が、思わぬ重大な結果を招いてしまうという事は、日々の暮らしの中にもよくあることではないでしょうか。
運命という闇の力に支配されていると思えることも、一つ一つの小さな偶然と選択の積み重なりから導かれているという気がしてなりません。
自分自身も、かなりつらい立場に居ますので、自戒の念を込めて、そのように感じています。
そして、・・・・・事故の扉を作った、S工業は、実は私が10年間OLとしてお世話になった会社でもあります。
社長はじめ、会見に参加されていた方の中には顔なじみの方も何人か、いらっしゃいました。
つらいなあ・・・こんな、想像を絶する最悪の事態でテレビに出ているなんて・・・
あんな怖いドアを作ってしまった結果は、どんなに頭を下げても取り返せないでしょうが、以前お世話になっていて、会社としての立場がとても想像しやすいもので、ついつい気の毒になってしまうところがあります。
営業をしていた人が自嘲気味に、「士農工商シャッター屋」という言葉を言っていたのを思い出します。
つまり、お役人、地主、ゼネコンや工務店、金融機関や小売業、それらの皆様に頭を下げて下げて、ようやく皆様の建ててくださるビルなどにシャッターやドアを納入させていただく低い身分だという事です。もちろん、こんな事を言っていた彼はとてもプライドが高く、誇りを持って仕事をしていましたが(でも、転職した)、大変なんだなあ、男でなくて良かったと思ったものです。
森ビルさんは顧客の中でも最上の方だと思うので、よけいに、つらいだろうなあ・・・・・とおもってしまいます。
2004年03月03日
きょうはひなまつり、昨日は下の子の誕生日でした。もうすぐ小学校を卒業する長男は、小さい頃からすぐうちに帰ろうという子でした。幼稚園でお迎えの時間になっても、まだまだお友達と遊びたいおねえちゃんを追い掛け回しては、早く帰ろう早く帰ろうといっていました。男の子なのに、大丈夫かしらと心配しつつ、小学校に上がってからは何とかおおむね楽しく過ごしてきました。小学校受験は中学受験に奔走せずにすんだ事だけでもこの子に関してはやはり有意義だったと思います。誕生祝に何が欲しいのかと尋ねたら、今は特に思いつかないからとっておくといわれました。(なんなんだ〜〜〜)
この子のことで気がかりなのは、小学校の間にとても太ってしまった事で、低学年のほっそりした姿が今となってはうそのようなのです。何とか運動量を増やさねばと、ランニングしようと誘ってみても、全然乗ってこないし、犬はおじいちゃんが嫌いだから飼えないし、色々考えて、卓球を思いつきました。
卓球はうちの雰囲気にあっていたようで、ガレージに家庭用の卓球台を置いて、今は良く遊んでいます。私と二人のことが多いのですが、少しはラリーが続くようになってきました。
後は、中学まで片道30分坂道ありの自転車通学をして、元のスリムな体になってくれたらと思います。

何だか私も心の風邪をひいてしまったようで、気力も体力もわいてこない日々が続き、出かけるのも億劫になってしまう事が多くなってしまっています。娘の病院も、全然予約の日がこなくて、お医者様にも、あれからお会いできていません。一週間後にやっとつぎの診察です。いかに同じようなお子さんが多いかということです・・・・・・
卓球をするのも、私のためでもあります。
お人形も、なかなかはかどらず、気分転換にベッツィー・マッコールをお迎えして、着せ替えを作ってみました。
ちっちゃいのにスリープアイで、表情もとてもかわいいので、気に入っています。

2004年01月25日
今日は、マリアの心臓展へいってきました。佐吉さんの展覧会へ行くのは初めてなので、少々どきどきしながらお友達と行きました。
恋月姫さんのお人形がどれも素晴らしかったのはいうまでもありません。展示の仕方も、とても凝っていて、お人形の魅力を引き立てていました。受付ではとてもかわいいブリュジュヌの姉妹が出迎えてくれました。
そういえば、恋月姫さんのお人形、ブリュジュヌの神秘的な魅力を引き継いでいるような気がします。
あの、人を魅了してやまない妖しい美しさが無垢な幼さと一体化しているような不思議な力が、どちらの人形にも感じられるような気がします。
ところで、展示はろうそくの炎で照らされているのですが、なにしろ初めていったものですから、ついうっかりコートを腕に抱えたまま近寄りすぎて、ぼあっといったかと思うと、コートの襟のフォックスに火がついてしまって、慌てて手で消したのですが、辺りにはたんぱく質の焦げる匂いが充満・・・・とほほ・・・でも、ちょっと焦げただけでたいした事にはなりませんでした。これからは気をつけるぞ!
会場では、Minaeさんと雉猫さんにお会いできました。

話は変わって、今昼ドラで牡丹と薔薇という、ちょっとえぐいけどはまってしまうドラマをやっていますが、そのオープニングタイトルに、美しい万華鏡の映像と共に流れてくる、ソプラニスタの歌、涙のアリアというタイトルですが、とてもステキな曲です。
この曲はヘンデルのオペラ、「リナルド」のなかの、アルミレーナのアリア「泣くがままにさせてください」をアレンジしたものです。
でもでも、この、オリジナルのほうがあまりにもステキなので、お勧めします。
フライブルグバロックオーケストラの演奏で、古楽器を使って、ヘンデルの時代の演奏を再現しています。
2004年01月21日
昨日は娘を連れて、不登校や引きこもりの子供を専門に診て下さる医師の居る病院にいってきました。先月初めて電話したときは最低3ヶ月待ちといわれていたのですが、思いがけず早く予約が取れたので,早速行って見たのです。
今までも心療内科や心理療法士の先生に見ていただいたことは会ったのですが、あまり状況が変わらず、ずるずると、とにかく一日でも登校させようとあせるばかりでした。
もっと根本的な原因把握と解決方法の模索をするために、専門医の力を借りることは絶対必要なことでした。今回お会いした先生には、希望を感じています。もっと早い時期にこの病院を知っていればと思いました。
今後、原因の分析や、治療が進む上では、私自身の触れられたくない部分も出て来るかもしれませんが、できるだけ逃げずに子供を見つめていきたいと思っています。

話は変わって、今日はビスクドールの教室の日でした。
なんと、お隣の教室で木梨憲武さんと宝生舞さんが、ドールハウスの講習を受けるテレビ撮影をしていました。
撮影が終わった後、先生の呼びかけで、私たちの教室の方にも寄って下さいました。
木梨さんって、とても気さくで、優しいお人柄のようでした。握手してくださいとどなたかが申し出ましたら、「実は手が大変なことになって居るんだよねっ」て、絵の具やらボンドやらで汚れ放題になった両手を見せてくれました。
お嬢さんのためにお人形を作って見ませんかとの誘いに、ありえない顔なんか作ってみたいとおっしゃっていました。
どんなお顔かなあ・・・色々想像してしまいました。
意外と(失礼!)背が高くて、かっこいいひとでした。宝生さんは華奢でかわいいかたでした。
フジテレビで金曜日の11:30pmから放送されるようです。
2004年01月13日
昨日、東京国際フォーラムで開かれている人体の不思議展に娘と一緒に行ってきました。
以前から友人に勧められていましたので、思い切って出かけてみました。
息子と主人は、行きたくないというので、仕方なく二人で行きました。
まあ、なんて人、人、人の洪水、一時間半も入場までにかかりました。一体どれほどの人々がこの展示に飲み込まれ、又吐き出されていくのか。でも、この入場を待つ人の列には特徴がありました。中年以降の女性がとても少ないということです。
どのような文化行事、絵画展、舞台芸術にも中高年の女性がかなりの比率を占めているのは、日本の特徴ではないかと思うのですが、この行列には比較的若い人が、しかもカップルが多く見受けられました。連休中ということで、小さい子供を連れたご夫婦もたくさんいらっしゃいました。
やっとのことで、会場に入り、医学の進歩を願って献体した中国の方々と対面したとき、真っ先に感じたのは、人はいのちが無くなれば、ただの物体に化してしまうのだという現実でした。
特殊な科学的処理で、肉体の変質を停止させて筋肉や神経や、骨格もろもろの部分を人目にさらしている、それらの人々。かつてはしゃべり、笑い、怒りあるいは泣いたりしたであろう人々は、徹底的に物体でした。まして、1cm幅に全身をスライスされたひと・・・何故これが本物の人体である必要があるのか、私たちはここに何を見に来たのだろうかととても苦い気持ちがこみ上げてきました。
来なければ良かったと娘がつぶやきました。
その場所はグロテスクな見世物小屋の猥雑なエネルギーにあふれていました。人体の神秘はどこに行ったのでしょう。小さい子の泣き叫ぶ声、標本に手を触れて笑っている人々、月別の胎児の標本、etc.etc.
多分こんな印象を持ったのは、とても混雑していて、説明書もろくに読めない状態だったからでしょう。解剖学的には画期的な展示だったのかもしれません。ただ、見世物的な演出があったことは否めないと思います。
死者に対する厳粛な態度と、標本の数を減らして一つ一つにもっと丁寧な説明があれば、もっと違った印象になったと思います。
ともかく、二人とも、かなりへこみました。しばらく肉は料理したくありません・・・・
2004年01月03日
なんやかやで、すっかり間が開いてしまいました。暮れから新年にかけて、何かと心が落ち着かず、又体調がいまいちだったので、とうとう此処まで来てしまいました。昨日は実家へ年始回りをしたのだけれど、帰りにみぞおちから背中へかけての痛みがひどくなって、いったん帰宅したものの、主人に連れられていつもの病院の救急外来へ行きました。結局、心配していたすい臓ではなく、胃が原因だったようで、H2ブロッカーをいただいて服薬したところ、かなり楽になりました。
家に帰ると、おばあちゃんには案の定、やっぱり食べすぎじゃないかと思っていたよといわれてしまいました。
そこで反論できないのが私の弱み、でも、三日間も痛くなるほど食べていないよ〜〜〜!
胃カメラは7月にやっているけれど、必ずまた近いうちにやってくださいねといわれ、あの嫌な感触を思い出してげんなりだあ・・・
気分転換にトップを変えてみました。
年賀状用に何か撮ろうと思っていたのですが、何だかやる気が出なくて、撮影したのは元日の午後!
だいぶ以前に作ったA.T.の双子ちゃんがフルートとヴァイオリンで合奏しているところです。
2003年12月07日
今日は久々に主人と二人でコンサートに行きました。といっても、息子の学校がらみのイベントで、ウィーンフィルのメンバーの四重奏団と学生の交響楽団との共演なのですが、さすがにウィーンフィルメンバーは超一流の演奏で、こうした方々と一緒に音楽をつむぐ機会を得た学生さんたちは幸せだなあと思いました。ウィーンフィルの方たちが演奏されたモーツァルト弦楽四重奏曲20番は、ちょっと渋い曲ですが、わきあがる泉のように自然で無垢なのに小刻みに激しく揺れる旋律は、何気ないようでとても高度なテクニックを要求されているようで、それを4人がぴったりと呼吸を合わせて寸分の隙もない音楽を構築していました。でも、その完璧さの中にはいささかも冷たさは無く、さりげなさと暖かさの中で美しいモーツァルトの世界がそこにあるといった感じでした。
アンコールにはクライスラーのちょっとエキセントリックなメロディの小品、(タイトルは聞き逃してしまった・・・)こちらも、とてもよい演奏でした。学生さんたちと演奏された新世界も、完全燃焼できたし、最後のアンコールは、ウィーンの方らしく、ラデッキー行進曲で、開場全部で楽しく盛り上がりました。
帰りには会場近くのケーキ屋さんで、お土産を買って帰りました。もっと迷いたかったのに、主人と一緒なのでそそくさとケーキを選び家路につきました。
娘は2学期は不登校ではなく、毎日学校に行っています。でも、早くても3時間目、遅いときは6時間目だけ授業を受けてくるといった状態でした。1学期の袋小路に比べれば、だいぶ状況はよくなってはいるのですが、今度は成績の方の心配が現実化してきました。今は期末試験の真っ最中です。かといって、長い間冬眠仮死状態だった娘がいきなりエンジン全開になれるはずもありません。つい怒りたい、叫びたい、何とかしたいともがいてしまう私ですが、(実際かなりやっているかも・・・)今日は音楽に浸って、つかの間の安らぎの日を過ごしました。家に帰ったら、娘はハムちゃんと遊んでいました・・・・どうするんだよ〜〜〜〜〜・・・・・・・今日の画像は娘の描いた物です。
2003年11月26日
昨日は息子の学校のイベントで東儀秀樹さんの講演を聞きにいきました。演奏とトークが2:3位の割合で、どちらかというと演奏の方に期待して出かけたのですが、思いのほか内容の深いお話をされて、改めて素敵な方だなと思いました。とても才能にあふれているのに、自然体で、質問にも、真摯に誠実に答えておられました。
雅楽の伝統を継承する家柄に生まれながら、幼少期を外国で過ごされた東儀さんには、実体験としての豊かな西洋音楽の素養と日本文化への客観的視点が形成されていて、ロックに惹かれながらも、18歳という異例の年齢で雅楽の世界に入るという大胆な選択をされ、今のすばらしい音楽世界を築き上げられたといえるでしょう。
篳篥は地の声、笙は天からの光、竜笛は天土地の間に横たわる空間に遊ぶ龍を現しているという雅楽の宇宙観が、演奏の中に具現されていました。
一番好きな言葉は思いつかないけれど、もしも一番嫌いな言葉はときかれたら、迷わず『努力』とこたえるだろうということ・・・子供に目標を持たせてがんばらせることは、必ずしもすべての子供によい事とはいえないこと、目の前に壁があっても、むやみにたたいたり、乗り越えようとあせるのではなく、他の道を行ってみて、色々な出会いをして、その結果気付いたら壁の向こう側にいるときもあること、そして、その壁があったからこそ、色々な出会いに恵まれたのだと考えること・・・ユーモアにあふれたさりげないお話の中に、私にとっては確かに心癒される様々なヒントがありました。
本当に素敵な方でした。
2003年10月26日
昨日小畑すみれさんの個展に行って来ました。浦安のギャラリージュリエッタへ着くと、な、なんと、すみれさん、お花製作の花香さんはお会いしたことのある方でした。お二人とも、とてもきれいな方です。(オーナーのTAEさんもです!)
すみれさんのお人形はどれもとてもかわいくって、はかなげでファンが多いのもうなずけます。もうほとんどお嫁入りが決まっているようでした。
花香さんのコサージュもアンティークの雰囲気のある素敵なもので、独自の個性が花咲いているものでした。
こちらのすみれの花束は花香さんの製作のものです。一緒にいるお人形は、うちの見掛先生製作のミニョネットです。2回目の登場です。
しばらくお邪魔していると、、きくちゃんさんとお友達ももお見えになり、さらには長いお付き合いの遠方のお友達とも再会でき、何だか信じられないような一日でした。
昼食後は南行徳の美安土美さんを訪れました。大好きなシルヴィちゃんはお嫁に行ってしまっていました・・・・今はただただ幸せを祈るのみです!
2003年10月16日
昨日は地震、ちょっと大きかったですね。あの時私はビスクドールの教室におりましたが、家のお人形たちは無事だったかしらと心配していました。かえってみたら全体的にちょっと斜めを向いていたのと、魔法使いに扮したATリプロちゃんの帽子が落ちていただけでしたので、安心しました。
ところで、ピンボケ画像のハムスター君は我が家のペット、パールホワイトのジャンガリアン、ももちゃん♂です。
昨日私が出かけようとしていた頃、ももちゃんがさかんにおしゃべりしていたのです。めったに声と言うものを出さないジャンガリアンハムスターなのに、どうしたのかしら、具合でも悪いのではと心配になってしまいましたが、病気の様子はありません。
手に乗せて観察しても、とっとことっとこと、腕や肩や背中を駆け巡り、ちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅと盛んにしゃべっているんです。ちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅ・・・・・・・・不登校ではなくなったものの、毎日社長出勤している娘も、どうしちゃったの?と不思議がっていました。
そして、あの地震です。
夜になって、いつものももちゃんに帰って澄ましているももちゃんに娘と二人で、ももちゃん、地震を予知していたんだねとしみじみ語り掛けました。
2003年10月03日
今日は、大事なお友達と前々からのお約束の久我山の『遊亀』さんへ行ってきました。
以前神谷先生の通信で紹介されていた喫茶店で、とてもとてもすてきなお人形さんがいるお店です。
マダムはとても70歳を過ぎておられるとは思えない若々しい方で、微笑んだ瞳に少女のような輝きがある方でした。
とてもリラックスした雰囲気のお店で、お人形好きの方もそうでない方も、みなさんほっと息抜きをして帰られているようでした。
前々から一度は訪ねてみたかったところでしたが、今日やっと達成できました。
一番のメインはやっぱりさわこちゃんに似ているというエデンベベ。色白のきれいな肌、涼しげで可憐な瞳、本当にすばらしい子でした。この子を譲ってくださいと言う方がやはり後を絶たないらしいのですが、あれほどのかわい子ちゃん、マダムにとってもかけがえのない子です。拝見させていただけるだけで幸せを感じることにいたしましょう。
そのほかにも、すばらしいテートちゃんや、べべマスコット、存在感のあるS&Hのオリエンタル、などの見ごたえのあるコレクション、
その前に立って、ここが喫茶店であることをすっかり忘れて、お人形の四方山話となりました。
エデンちゃんとマダムにそう遠くない再会を約束してお店を後にしました。
2003年09月16日
ずっと日記を書かないで日々が過ぎてしまいました。夏の終わりから、子どもたちにかかわる色々な雑事が重なり、製作も滞ることが多かったのです。
下の子のボーイスカウトのイベントがつぎつぎにあって、団の仕事が一段落し、後は10月1日の赤い羽根がビッグイベントで残っています。よき社会人になって欲しい一念で、お手伝いを続けています。
上の子は2学期がはじまってから、あまり休まずに登校しています。でも、お昼休みにやっと学校に着くといった具合です。
それでも、ずっと家に引きこもられるよりはよほどましなので、あまり追い詰めずに、暖かい場所を提供していきたいと思っています。
ついついよそ様のお子さんとわが子を比較して、行く末を悲観してしまいがちになるのですが、一つ一つ心のわだかまりを溶かしていくごとに、この子の個性、独特の感性に気づかされ、又、自分の母としての未熟さを思い知らされる想いです。
最近になって、娘は歯科矯正を始めました。あごの成長が終わってからにしようとのんびりかまえていたのですが、本当はもっと早く始めたほうがよかったらしいです。
これから、残っている乳歯をぬいたり、夜はヘッドギアですごさねばならなかったり、つらいことも多いのですが、あんなに普段努力しない子が、一生懸命ヘッドギアをはめている姿を見ると、よほど歯並びが気になっていたんだなあと思います。
きづかなくてごめんね・・・
2003年08月25日
21日から24日まで石垣島へ家族旅行してきました。
天候にはまずまず恵まれ、エメラルド色の海と抜けるような空を満喫してきました。予約したのが遅い時期だったので、行きは遅い飛行機しか取れず、初日は市内をぶらついただけ、でも、伝統的な民家の様子を観察できました。夜は郷土料理のお店で、ゴーヤチャンプルやソーキそばを食べました。
二日目は島めぐり、西表島由布島,竹富島を観光しました。イリオモテヤマネコにあえると思っていたのですが、島の住民でも、去年は2回しか見ていないとのこと、自然の中でひっそりと生きているようです。それでも、道路には山猫の飛び出しに注意とか、看板がいたるところにあり、確かにいるのだなとは思いました・・・
水牛の車に乗って浅瀬を渡り、おじさんの島歌を聞き、星の砂をさがし、ミンサー織りを見学し、グラスボートに乗って盛りだくさんの一日でした。竹富島には、伝統的な赤茶色の屋根の民家が昔ながらの姿でたくさん残っていて、時間が止まっているような素敵な場所でした。夕食はホテルで石垣牛のステーキを食べました。
三日目はカヤマ島と言う無人島で一日をすごしました。初めて、シュノーケルをつけて、海の様子を眺めてみました。
ところが、私が海に顔をつけたやいなや、すばやく近づいてきた細長い姿の70cmくらいの魚が左の小指にアタックしてきて。
いたた、なんと血が出てしまった!食いつかれたのか、それとも、ひれに当たったのかわかりません。他のきれいなさんごや、かわいいおさかなもいっぱいいたのですが、ソーセージで餌付けを始めると、またもやあの刀のようなヤツがまっしぐらに、2,3匹でこっちにやってきます。ぎゃ〜〜、逃げる私!それからは浜辺で主に過ごし、子供たちの様子を眺めていました。幸いアタックされたのは私だけでした。
だんだん潮が満ちてきて、人が少なくなった頃、ビーチのはずれのほうの磯辺にかもめが来る小さな入り江を発見しました。
パラダイス・・・そんな言葉がぴったりな場所でした。
2003年07月25日
今日下の子がキャンプにいきました。二日前に臨海学校から帰ってきたばかりでちょっとかわいそうでしたが、たくましい男の子になって欲しいので、ボーイスカウトの夏キャンプだけは行かせたかったのです。ほかのスカウトたちは2日前から参加していますが、彼はさすがにそれは無理だったので、今日リーダーの車に乗せて連れて行ってもらったのです。
臨海学校ではみんなが彼の完泳をあやぶんでいた1500m遠泳を見事達成してきたので、少しは成長したかなと思っていたのですが、今日はいつもの彼に逆戻りで、リーダーの車になかなか乗ろうとせず、いやいやしぶしぶといった風情でした。
昨日高原学校から帰ってきた上の子は、一学期中ほとんど不登校の状態でした。中2の大事な時期に(最もいつも大事な時期ではありますが)親としては歯がゆく、なんともつらい日々をすごしてきました。どうして学校へ行けないのか本人にも答えが出せないのです。朝学校へ行こうとすると体が拒否反応を示してしまうのです。かといって、学校も友達も先生も、彼女にとって一種大事なものであり続けていました。先生と密接なご連絡を取り、何度も学校へ足を運び、地域の教育相談室にも通い、迷い道をあてどなく突き進んでいましたが、私が入院中のあるとき先生からのお電話を娘が直接取り、○日には大掃除があるから、お荷物もとりにいらっしゃいといわれて、はいと言ったのです。そして、退院した私がいつものように、学校まで一緒についていこうとしたときひとりでいくといって3ヶ月ぶりに一人で登校しました。それから高原学校までの数日、本当にみんなと行ってくれるだろうか心配でなりませんでした。当人も、心の中は葛藤が続いていたようです。でも、当日新幹線のホームへ向かう足取りは多少の気後れはあるもののしっかりしたものでした。帰りは微笑みながら、たくさんの楽しい思い出をポツリポツリと話してくれました。
きっと周りのお嬢さんたちも、不登校だった娘を気遣ってくださったのだろうと思います。
2学期が始まるまでのこの夏休みに、心の体力と遅れた学力を取り戻せるでしょうか。(もちろん心のほうが優先です)
今年の夏は私にとっても正念場です。
2003年07月11日
今日の午前中に退院してきました。あと一週間は入っているはずだったのですが、糖尿病教室は7年前に受けているので、早く帰りたいという私の希望を聞いていただけたのです。
この十日間で、血糖値測定とインシュリン自己注射をマスターしてきました。食事療法は17単位1260カロリーが一日分、でも、入院中は体重は全然変わらなかった・・・・・・・
入院中はいろいろな方との出会いがあり、楽しかったり、身につまされたり、いろいろと考えさせられる日々でした。
そして、やっぱり私は独りで生きているのではなく、さまざまな他者の力で生かされている、社会といってもいいし、神といってもいい,
そんなことを感じていました。
人の優しさに心洗われる思いで、思わず涙こぼれるときもありました。
私が家庭を留守にしている間、不登校の娘がちょっとだけいい兆しをみせつつあり、かすかな希望がみえてきました。
2003年07月01日
実は今日は私の誕生日なのだけど・・・みかん神様にお会いしにに病院にいき・・入院は今日か明日!といわれてしまいました。
今日はじぇったい無理!じゃあ明日ね!!というわけで、明日からしばらく更新できません。
しかし、きのうの「アイーダ」すばらしかったです!!主役が予定の人でなかったけれど、若いプリマドンナは奥行きのある美声のソプラノで、挿入のバレエも少人数ながらレベルが高くて、改めて、ヨーロッパ文化の魅力に酔いしれた夜でした。
でも、アイーダって、人物像としてはちょっと物足りないような・・・もちろん悲劇的なキャラではあるんだけど、敵役のアムネリスの方が、おもしろいなあ、富も美貌も権力もすべて備えていながら愛されていないアムネリス、かなわぬ恋をめぐっての心の葛藤はアイーダよりドラマティックで、心を動かされるものがあるのです。タイトルだって、「アムネリス」にしてもいいくらい存在感があるのよね。ただ残念なのは、アイーダの歌うアリアや2重唱のような素敵な曲がアムネリスにはないんだよね、これって言う極めつけの曲が。
2003年06月30日
今朝は息子を新宿まで送っていきました。鎌倉現地集合現地解散の社会科見学なので、湘南ライナーに乗せて、その足で運転免許の更新へ・・・明日が誕生日で、期限なのであせっていったら、なんと、誕生日の前後一ヶ月はOKになっていたのですね。
ノーメークでよれよれのポロシャツで免許の写真が出来てしまった・・・ううううう・・・・・・・・これを5年間使うのか・・・・・・・
でも、気分を変えて、今日はオペラを見に行きます。いけなくなった方の代わりに急遽いけることになったのです。演目はアイーダで、チェコのブルノ歌劇場の公演です。ご一緒するのはオペラ歌手のゆっきーさん、私のコーラスの先生でもあります。
ユッキーさんは男の子4人を育てながら、地域のオペラ振興にお力を注いでこられた方で、すばらしいソプラノ歌手でいらっしゃいます。先日のコンサートの中のヴィオレッタのアリアはうたはもちろんですが、劇的表現もすばらしく、地域の公演だけではもったいない逸材なのですが、とても明るく気さくなお人柄で、一緒にいると誰もが楽しい気分になるような方です。
おっと、のんびりしてはいられません、家族の夕飯の支度をしておかねばね。
2003年06月28日
HPを公開してから、たくさんの方から暖かなメッセージをいただいて、うれしく思っています。
昨日は久しぶりにユザワヤに行って、水色の織ビーズや、革包丁を購入しました。準備だけしても、作業はなかなか進まないのですが、ちょっと安心、これでいつでもできる!なんてね。実は作品1のステネちゃんも、まだコルクぺートもつくってあげていないのです。コルクペート、私はコルクのブロックから作っているので、結構力仕事なんです。
リプロダクションって、靴を作ったり、ペートを作ったり、かつらをつくったり、いろいろ華やかでない作業もあります。コルクの粉まみれとか、モヘアの毛が払っても払ってもまとわり付いたりとか。
でも、出来上がった子が自分のイメージに近く仕上がったときは、今までの苦労はすっかり吹き飛んでしまうんです。
2003年06月25日
昨日は病院で,とうとう入院せ〜と宣言されてしまいました・・・・といっても、インシュリン導入のための教育入院です。子供が〜〜、お弁当が〜、おじいちゃんおばあちゃんが〜と散々引き伸ばしてきましたが、ついに主治医の先生に駄目だしされてしまったのです。
これから、入院までの2週間と、入院予定の2週間の計1ヶ月は、HPも、進まないかもしれません。
2003年06月22日
ホームページを作り始めました。でも、PCはほんとは苦手で、マニュアルを見るのもつらいのが正直なところです。
どこまで自分のイメージするものが形になるか、不安でいっぱいですが、少しづつ私の人形ワールドを展開していけたらと思います。
ブライスからアンティークドールまで、目下勉強中のリプロダクションを中心に幅広く展開していくつもりです。


戻る