信長公記

   明智日向守逆心の事

 さる程に、不慮の題目出来候て、
 六月朔日、夜に入り、丹波国亀山にて、惟任日向守光秀、逆心を企て、明智左馬助、明智次右衛門、藤田伝五、斎藤内蔵佐、是れ等として、談合を相究め、信長を討ち果たし、天下の主となるべき調儀を究め、亀山より中国へは三草越えを仕り候。 爰を引き返し、東向きに馬の首を並べ、老の山へ上り、山崎より摂津国の地を出勢すべきの旨、諸卒に申し触れ、談合の者どもに先手を申しつく。
 六月朔日、夜に入り、老の山へ上り、右へ行く道は山崎天神馬場、摂津国の皆道なり。左へ下れば、京へ出づる道なり。爰を左へ下り、桂川打ち越し、漸く夜も明け方に罷りなり候。


   信長公本能寺にて御腹めされ候事

 既に、信長公御座所、本能寺取り巻き、勢衆、四方より乱れ入るなり。信長も、御小姓衆も、当座の喧嘩を下々の者ども仕出し候と、おぼしめされ候のところ、一向さはなく、ときの声を上げ、御殿へ鉄砲を打ち入れ候。 是れは謀叛か、如何なる者の企てぞと、御諚のところに、森乱申す様に、明智が者と見え申し候と、言上候へば、是非に及ばずと、上意候。透をあせらず、御殿へ乗り入れ、面御堂の御番衆も御殿へ一手になられ候。
     (中略)
 信長、初めには、御弓を取り合ひ、二、三つ遊ばし候へば、何れも時刻到来候て、御弓の絃切れ、其の後、御鎗にて御戦ひなされ、御肘に鎗疵を被り、引き退き、是れまで御そばに女どもつきそひて居り申し候を、女はくるしからず、急ぎ罷り出でよと、仰せられ、追ひ出させられ、既に御殿に火を懸け、焼け来たり候。 御姿を御見せあるまじきと、おぼしめされ候か、殿中奥深く入り給ひ、内よりも御南戸の口を引き立て、無情に御腹めされ、


   中将信忠卿二条にて歴々御生害の事

 三位中将信忠、此の由きかせられ、信長と御一手に御なり候はんとおぼしめされ、妙覚寺を出でさせられ候ところ、村井春長軒父子三人走り向かひ、三位中将信忠へ申し上げ候趣、本能寺は早落去仕り、御殿も焼け落ち候。 定めて是れへ取り懸け申すべく候間、二条新御所は御構へよく候。御楯籠り然るべしと申す。 これに依りて直ちに二条へ御取り入り、三位中将信忠、御諚には、軍の巷となるべく候間、親王様、若宮様、禁中へ御成り然るべきの由、仰せられ、心ならずも、御暇請なされ、内裏へ入り奉り、爰にて僉議区なり。 引き取りて退かれ候へと、申し上ぐる人もあり。三位中将信忠御諚には、か様の謀叛によものがし候はじ。雑兵の手にかかり候ては後難無念なり。爰にて、腹を切るべしを仰せられ、御神妙の御働き、哀れなり。 左候ところに、程なく、明智日向が人数着き懸け候。
     (中略)
 か様候ところ、御敵、近衛殿御殿へあがり、御構へを見下し、弓鉄砲を以て打ち入れ、手負死人余多出来。次第次第に無人になり、既に御構へに乗り入れ、火を懸け候。 三位中将信忠卿の御諚には、御腹めされ候て後、縁の板を引き放し給ひて、後には、此の中へ入れ、骸骨を隠すべきの旨、仰せられ、御介錯の事、鎌田新介に仰せ付けられ、御一門、歴々、宗徒の家子郎等、甍を並べて討死。 算を乱したる有様を御覧じ、不便におぼしめさる。御殿も間近く焼け来たり、此の時、御腹めされ、鎌田新介、冥加なく御頸を打ち申す。御諚の如くに、御死骸を隠し置き、無常の煙となし申し、哀れなる風情、目も当てられず。
     (中略)
 六月二日、辰の刻、信長公御父子、御一門、歴々討ち果たし、明智日向申す様に、落人あるべく候間、家々を探せと、申しつけ、諸卒洛中の町屋に打ち入りて、落人を探す事、目も当てられず。 都の騒動、斜ならず。其の後、江州の後人数、切り上り候はんやの事を存知、其の日、京より直ちに勢田に打ち越し、山岡美作・山岡対馬兄弟、人質出だし、明智と同心仕り候へと、申し候のところ、信長公の御厚恩浅からず、恭きの間、中々同心申すまじきの由候て、勢田の橋を焼き落し、山岡兄弟居城に火を懸け、山中へ引き退き候。 爰にて手を失ひ、勢田の橋つめに足がかりを拵へ、人数入れ置き、明智日向守、坂本へ打ち帰り候。


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