発病までの話 
私が、SLEであると分かったには、2001年7月でした。
でも、病気が、じわじわ出ていたのは、もう少し前からなのです

初めは、2000年3月、37℃から38℃の熱が2、3日続き、最後には体に赤いブツブツと顔のむくみでした。
近くの市民病院に行くと、「麻疹かもしれない、即入院して下さい。」でした。
でも、検査の結果、「麻疹の反応がでない。おかしいな何だろう」でした。
その時の入院で皮膚科も受診したのですが、皮膚科の先生が、爪の甘皮の所によく見ると赤い血豆のような点点ができているのにきずかれ、
「膠原病の疑いがあるな」とおっしゃい、「内科の先生に伝えておくから検査しようか」でした。しかし‥検査なし(T_T)
原因も分からないままの入院が3週間が過ぎ膠原病への不安と、イライラが一杯になっていた時、内科担当の先生が来られ、
「検査で、風疹の値が高かった。風疹は2度かかる人はいるからね。退院してもいいよ。」でした。
『3週間の入院は何?なんで風疹ぐらいすぐ分からんの?』
入院中、泣いて、『娘の入園式があるので、外出させて下さい。と頼みこんだのは何?』と思いつつも、
『あーウチに帰れるー。うれしー。』が先でした。膠原病のことは、違ってよかった。ぐらいにしか思ってませんでした。

そしてその年の冬から、首が痛い、肩こりがすごいなと感じ始め、接骨院通いしました。
年が明けた頃には、膝の関節が痛くなり、朝起きる上がるのも一苦労、階段も一つづつしか降りれない状態になりました。
2001年5月、あまりの痛さに夜も寝返りすらできない状態に、これはリウマチではないかと思い受診。
血液検査の結果、リウマチではないと言われました。
でも、この時は鉛筆もうまく握れず、あごも痛くて食事も食べにくい状態でした。

2001年6月の終わりから37℃から38℃の熱が毎日出始めました。体重も減り、髪が抜け始めました。
7月初め市民病院再度受診、去年と同じ先生に、血液検査をしてもらい、これまでの症状をすべて話し、身内にも膠原病の人間がいる話もし、
最後に付足しで、『髪の毛がこの頃抜けます』というと、会社での事を聞かれ一言。
「ストレスだね。熱もそのせいでしょう。僕の知ってるいい神経科の先生紹介するから」でした。
紹介状を持って訪ねた医師は、当然話を聞くだけ、そして”ストレス”と診断。
当時、まだ会社勤めをしていた私は、会社も休めない状態、熱があるまま、車で会社と病院と家を行き来してました。
訳の分からない神経の薬を飲み続けましたが、熱が1日たりともさがることなくがありませんでした。
そして、7月20日、朝、体温を測ると38.3℃。20日は絶対会社を休めない日、無理を押して起き、階段を4、5段降りた時、気がついたら下まで
落ちてました。その時は、まだ意識はありました。主人と父、母は今、救急車を呼ぶと、運ばれるのは同じ市民病院かもしれない。
”それでは、私は絶対助からない”
場所は遠いが、母の知っている膠原病の先生の自宅に連絡を取ってみようと言うことになりました。先生はすぐ自分の病院に連れてくるように言って下さり、
即、入院、検査。すぐにSLEと判明されました。

何の病気にしろ、病院を選ぶのは自分。しっかり選び、不安があれば、面倒がらず、次の病院に行くことをつくづく学びました。

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