2003.05.23

JR名寄本線跡(湧別−遠軽)

名寄駅から延々121.9キロ、中湧別駅まで来ると終点の遠軽までは残り16.2kmとなる。
しかしここから支線が湧別駅まで延びていた。
名寄本線の第三部はこの湧別軽便線として敷設された区間を湧別から追ってみる。

湧別市街の消防署前には湧別駅の跡碑が建立されている。(左)
しかし地元の人に聞いたところ実際は道を挟んだ文化センターあたりにあったそうである。(右)
ともあれ駅跡には鉄道の遺構は何も見当たらない。
ここから中湧別までの路線跡は道路に変貌を遂げている。



中湧別までの中間には四号線駅が存在していた。
信号機付近でホームのみの駅だったそうだ。
現在は小さな公園になっている。
(湧別方面展望)



四号線駅を過ぎて尚も道路に転換した路線跡を進むと中湧別駅跡の跨線橋が見えてくる。
この跨線橋を見るとここが鉄道の路線跡だという事がよく分る。



中湧別駅跡から先の路線跡は断続的に町道となっている。
そのまま行くとチューリップ公園の一角にふるさと館”JRY(ジェリー)”がある。
この前あたりが北湧駅跡と思われる。
手前側のセンターラインのある道路が駅に至る道路を拡幅したもののようだ。

北湧駅が新設された時に廃止となった厚生病院前仮乗降場は何も残されていなかった。
そこから少しで上湧別駅跡へと至る。駅前にあった木が成長して生い茂っている。(左)
ここも廃線後に駅前通りが延長され駅の裏手まで延びたようである。
付近にあるタクシー会社の跡が駅前であった事を物語っている。(右)

このあと路線跡は畑に転換された部分が多くなる。
ホーム上に待合室があった共進駅跡から湧別方面を遠望した。(左)
ここは神社に至る途中の踏切の右側に設置されていたようである。(右)

蛇行した湧別川を再度渡った路線はこの後開盛駅跡へと至る。
名寄本線は廃線後に駅前通りが裏手に延長する駅が多い。
ここは三叉路の標識を左折した道路が路線跡でその手前に駅舎があったようである。(左)
道路を左折すると少し先に開盛跨線橋が見える。(右)



その開盛跨線橋上から開盛駅方面を遠望した。
道路のつきあたり、防風林の手前が開盛駅。



終点の手前、北遠軽駅跡には駅の痕跡は残っていない。
しかし路線跡は残っていてここから徐々に高度を上げ住宅地の裏側を通過している。(遠軽方面展望)

終点の遠軽駅構内の北側には石北本線の留置線が延びて藪の中に消えている。
しかしもともとは名寄本線の路線跡であり、ここから名寄駅まで線路が通じていたのである。(上、左右)
名寄駅から138.1km、この長大路線は遠軽駅で終点となっていた。(下)


名寄本線 名寄−遠軽間 138.1km 湧別−中湧別間 4.9km

1915(大正4)年11月1日、湧別軽便線遠軽−社名淵(後に開盛)間が軌間762mmで開業。
1916(大正5)年11月7日、遠軽−社名淵間の軌間を1067mmに改軌。
1916(大正5)年11月21日、湧別軽便線社名淵−下湧別(後に湧別)間が開業。
1921(大正10)年10月5日、名寄線名寄−中湧別間が全通。
その後名寄線は名寄本線と改称。
1932(昭和7)年10月1日、湧別線遠軽−下湧別間は名寄本線に編入される。
1989(平成元)年4月30日限りで廃止された。

至 名寄
共進 上湧別 北湧 中湧別 四号線 湧別
開盛 北遠軽 遠軽 至 網走
至 旭川

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廃線跡