2003.05.22-05.23(一部05.11)
JR名寄本線跡(興部−中湧別)
名寄駅から67.8キロ、興部駅まで来ると名寄本線はオホーツク沿岸に沿って南下する。
他に興部駅からは興浜南線が雄武駅までオホーツク海沿岸を北上していた。
興部駅を通過した路線は引続き東進して興部跨線橋の手前で分岐していた。(左)
左側に分岐した興浜南線はゆるやかにカーブした後、雄武目指して北上する。
路線跡はサイクリングロードとして整備されている。
そして名寄本線の路線は右側に分岐してゆるやかにカーブ、遠軽を目指す事となる。
こちらの路線跡は線路、枕木の撤去後に放置されたままである。(右)
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旭ヶ丘駅跡から豊野駅跡に至るまでには橋梁が残されていた。
まず藻興部川橋梁という大型のガーダー橋が現れる。(左)
その次は名もない小河川に架かる小型のガーダー橋である。(右)
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橋梁から続く築堤の先をたどると豊野駅跡に至る。(左:道路の奥が駅跡)
ここは昨年に探索に来た時は雑草がびっしり生えていてその中を探索しようという気は起きなかった。
しかしこの時期はまだそう生い茂っていない。
別に何も残されていないだろうと思い路線跡を歩いていたらホームの跡を発見した。
廃レールを土留めの支柱にしたもののようである。(右)
廃線本には掲載されていたがすでに撤去された後だと思っていたので驚いた。
やはり北海道の廃線跡探索は春先に限る。
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沙留駅跡から路線跡は国道の西側に続いている海岸段丘の内側を通過している。
そしていつの間にか国道脇に姿を現して富丘駅跡に至っている。
暴雪フードの付いた階段を登ったところが駅跡になる。(左)
古い資料を見ると10mにも満たないようなホームが設置されている。
待合室はそのアングル内には見当たらず、小さな駅だったようだ。
このあたりの路線はしばらく国道脇の段丘上に敷設されていたようである。(右)
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渚滑川を渡る前には川向という仮乗降場もあったようだ。
しかし名寄本線の廃止より20年以上前の昭和41年に廃止されたようでこの痕跡も分らなかった。
ただ路線跡は大きな築堤のまま渚滑川渡河地点まで続いている。
そして渚滑川に架けられていた橋梁はおろか橋台さえ河川改修で撤去されている。
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渚滑川河口部は軟弱な砂地なのか国道も鉄道跡も弧を描いて一旦内陸部側に敷設されている。
渚滑跨線橋あたりから再び海岸沿いを目指してゆるやかにカーブしていくがすぐに渚滑駅跡に至る。(左)
1985(昭和60)年までは渚滑線が分岐して北見滝ノ上まで連絡していた駅である。
駅跡はバス待合所や高齢者ふれあいセンターと転換しているが”駅前”の看板は健在だ。(右)
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潮見町駅跡から紋別駅跡まではわずかの距離である。
駅前通りのつきあたりにあった紋別駅の鉄道施設ははかなり前に撤去されている。
しかし駅前食堂や通りの名前などには面影が残されている。(左)
駅跡には”氷紋の駅”という海鮮市場がオープンした。(右)
このゴールデンウイークあたりの事でテレビでも放送していた。
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元紋別駅付近から沿岸にはコムケ湖他の湖沼が点在して鉄道や国道はその内陸側に敷設された。
次の一本松駅跡にはホームも残されていない。
続く小向駅跡は農村公園となり切符型の看板が立てられている。(左)
鉄道関係のオブジェも設置されていて鉄道駅跡であった事をアピールしている。(右)
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沼ノ上駅跡、ここは新しい道路が駅のホームを分断して国道まで繋がった。(上、左)
分断された遠軽側のホームは新しい駅名標が立てられ保存されるようである。(上、右)
昨年10月に来たときは通信中継機室や古い駅名標が残されていたが(下、左)この半年で撤去されたようである。
一方、分断された名寄側のホームは土盛りの奥に隠されていて放置されている。(下、右:名寄方面展望)
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”旭駅の跡は残されていない”と廃線本に記載されていたが駅があった雰囲気でも味わおうと行ってみた。
駅周辺には人家もなく暴風林の中に続く砂利道の先が旭駅跡のようである。(上、左)
林の中に入りまず小さな自転車置場みたいな施設を発見して”なんだあるじゃない”と思っていた。
しかし驚きはこれに留まらなかった。なんと駅舎らしき建物があるではないか。(上、右)
藪をかき分け前面に出る、間違いない。(下)
例の”ふるさとの駅”や他の資料に載っている建物と同じものだった。
やはり人間のやる事、もれがある。廃線本は参考までにしておくのが賢明である。
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そのあと湧別川を渡る橋梁は残されていない。
しかしこれは廃線本の受売りでひょっとして残っているかも?
湧別川を渡った路線は右にカーブして(左手方向の)湧別から続いていた名寄本線の支線や
(奥側の)網走から敷設されていた湧網線と合流して南下、中名寄駅へと続いていた。
しかし路線跡は道路に転換されている。この道路を進むと中名寄駅跡に至るのである。
駅跡から湧別方面を眺めたが広い道路が一直線に続いている。(左)
その中名寄駅跡にはホームと跨線橋が残されている。(右)
除雪車や車掌車と共に保存され鉄道資料館となっている。
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このあと名寄本線は南下して遠軽までもう一息、しかし第二部はここまで。
JR名寄本線(湧別−遠軽)に続く。
至 雄武 | ||||||||||
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至 名寄 | ![]() |
興部 | ![]() |
旭ヶ丘 | ||||||
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豊野 | ![]() |
沙留 | ![]() |
富丘 | ![]() |
川向 | ||||
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一本松 | ![]() |
元紋別 | ![]() |
紋別 | ![]() |
潮見町 | ![]() |
渚滑 | ||
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小向 | ![]() |
弘道 | ![]() |
沼ノ上 | ![]() |
旭 | 至北見滝ノ上 | |||
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川西 | ||||||||||
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至 遠軽 | ![]() |
中湧別 | ![]() |
至 湧別 | ||||||
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至 網走 |
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