2003.05.06

国鉄万字線跡

ゴールデンウイークも過ぎ、絶好の廃線跡巡りの季節になった。
この雪解けから雑草が生えてくるまでがベスト、旬は短い。
今日は万字線の廃線跡を巡って見る。

万字線の起点は室蘭本線の志文駅であるが列車は全て岩見沢駅から直通運転されていたみたいである。
まずは志文駅から探索を開始した。
志文駅には万字線の発着したホームが残されており路盤も線路、枕木を撤去したまま放置されていた。
しかしその一部には廃線後に建替えられたのか、待合室が置かれていた。

現在、室蘭本線に乗車して志文駅から苫小牧方面に発車するとすぐに幌内川の鉄橋を渡る事になる。
この鉄橋の横に万字線の鉄橋を撤去した跡がありここで室蘭本線と分岐していたようである。

そして鉄橋を渡ったところには踏切がありここには室蘭本線から分岐した路線跡が残されていた。

その踏切からも見えるが跨線橋が残されている。耕成跨線橋である。橋のプレートには”耕成コ線橋”と記載されている。(上、左)
昨年に訪れたときには”万字線”のプレートがあったが今日は見当たらない。盗まれたのか?(上、右、写真はH14-2-9撮影)
万字炭山方面(下、左)を見るといかにも鉄道廃線跡の雰囲気が漂っていた。
そのときである室蘭本線の列車が苫小牧方面に向かって通り過ぎていったのである。(下、右)

耕成跨線橋から見えた林付近に行って見たが目ぼしいものは見当たらなかった。
このあと万字線の遺構がはっきり分るのは上志文駅跡となる。
ホームこそ撤去されているが駅舎がほぼ完全な形で残されている。
隣にはトイレのおまけも付いている。
駅舎は農機具の倉庫として再利用されているようである。
岩見沢市が建てた万字線記念碑の裏には万字線の歴史も記載されている。

上志文駅跡から朝日駅跡までも廃線跡を見つける事は出来なかった。
しかしその朝日駅跡にも駅舎が残されている。
ここは”万字線鉄道公園”として駅舎とその周辺施設が整備されている。
ホームや駅名標も残されていてSL”B201”も展示されている。

朝日駅跡を出て美流渡駅跡までは美流渡二の沢川を渡っていた橋梁の橋台が残されていた。
以前は気が付かなかったが今回は草木もなくすぐに分った。

続く美流渡駅跡は交通センターとして建替えられている。
ここには万字線の鉄道資料館があるがいつ行っても閉まっている。
事前連絡が必要なのかもしれない。
ここにはなぜか車止めだけが残されている。
ここから栗沢町になるので万字線記念碑の形が違っている。

美流渡駅跡から万字駅跡までも廃線跡を辿る事は出来なかった。
ようやく廃線跡らしい場所は境川を渡った万字駅跡の手前からである。
しかし万字駅跡は興味深いものであった。
廃線の6年前に建替えされた駅舎は簡易郵便局とバスの待合室として再利用されている。
この駅舎裏から数m下ったところのホームも崩れかけながらも残されている。
そしてその両者を結ぶ階段も残されているのである。
かつてこの階段の上には屋根がついていたそうである。
その屋根の柱の跡は手すり部分に残っていた。
構内は広く、ここに給水塔や転車台が設置されている写真を見た事がある。

万字駅跡からは少し廃線跡が続き対岸に渡る橋の下あたりには名残が残っている。
そして終点の万字炭山駅は個人の別荘に転用されている。
この日はその所有者が裏で作業をしていて内部も見せていただけた。
駅舎脇にホームらしきものもあったがそれは石炭置き場らしくホームは取り壊したそうである。
尚、万字線記念碑は万字炭山駅対岸のバスセンターに設置されている。

その万字炭山駅舎から引きこみ線が続いていたのであろうか。
奔幌向川を渡った先の万字森林公園には選炭場のホッパーが残されていた。

万字線 志文−万字炭山間 23.8km

万字線は1914(大正3)年11月11日、万字炭鉱の石炭輸送を目的として志文−万字炭山間が開業した。
以降70有余年、多大な石炭と共に沢山の住民を運び、遺産を残して1985(昭和60)年3月31日限りで廃止された。


至 函館 岩見沢 至 旭川
志文 上志文 朝日 美流渡 万字
至 長万部 万字炭山

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廃線跡