2003.09.15
道の駅 No.47 みたら室蘭
北海道の南部、噴火湾(内浦湾)の東側入口に位置して、対岸の砂原町と対峙しているのが室蘭市である。
地図で見ると渡島半島と襟裳岬の中間のでっぱった部分にあたる。南端には室蘭港を挟み、逆L字形をした
行き止まりになる絵鞆半島がある。市役所などの市街地も室蘭港を望むこの部分に発達してきたようである。
その絵鞆半島の最深部には”道の駅 No.47 みたら室蘭”が供用されている。そんな交通の不便な処に
なぜと思うが、実は室蘭港の入口に吊橋が完成して、環状できるようになると同時に、道の駅が供用開始に
なったそうである。道の駅スタンプラリー2003、74個目のスタンプは白鳥大橋のたもとでゲットした。
ここは室蘭市白鳥大橋記念館”みたら”に道の駅が併設された形となっている。白鳥大橋の設計から完成
までの貴重な資料やパネル、動く模型や写真がズラリ展示されていて、市のシンボル、室蘭港に関する
展示もなされている。レストランはなく物産販売コーナーを兼ねたラウンジでの喫茶、軽食が可能である。
道の駅 No.47 みたら室蘭
◎白鳥大橋と地球岬
平成10年6月に市民の待望久しかった”白鳥大橋”が完成した。(左) これは、全長1380mの吊橋で、
東日本随一大きな橋だそうである。まあ瀬戸大橋があるのでそう簡単に日本一にはなれないだろうが・・・。
この橋は有料道路を前提に作られたそうで、”暫定無料供用中”との看板が橋の入口部に立っている。
しかし綾小路さんが最初にこの橋を渡った時からすでに3年以上たった。毎回有料になっていたらどうしよう、
戦々恐々としながらこの橋のたもとに来るのである。ところが未だに無料となっている。料金所を設けて、
通行料を取ると料金施設や人件費で赤字になるのか、それとも観光客が通行料を払ってまで室蘭市街に
立寄らなくなる恐れがあるのか?この暫定無料供用区間は他に道内で建設中の高速道路でも多く見られる。
一方、絵鞆半島の角の部分の断崖が地球岬である。ここからは雄大な太平洋が一望でき、地球が丸い事を
体感できるそうである。そう言われれば丸いような気もする。後で写真でみると確かに丸い。(右)
しかしこれに騙されてはいけない。レンズの関係で丸く見えるのである。観光パンフなんかもっと丸いなあ。
まあ広角レンズで撮っているのだろう。綾小路さんも広角レンズを買ったはいいが、駅舎を撮影したときに
直線が丸く写るのは苦労している。それはともかく、晴れていれば噴火湾の対岸、駒ヶ岳も見えるという。
今日もこの右側には陸地が見えていたが対岸ではなく長万部のあたりかと誤解していた。ひょっとすると
駒ヶ岳の姿が見えていたかもしれないが、太平洋だけをボーっと眺めていたのであった。失敗、失敗。
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◎その他の観光 in 室蘭
室蘭市では室蘭八景という景観地を選定している。室蘭港・地球岬など8ヶ所の中に金屏風と銀屏風
(一対で1ヶ所扱い)というのがある。このうち地球岬に行く途中に偶然、金屏風を見つけたのである。(左)
約100mの断崖絶壁の赤褐色を帯びた崖面に、朝日が映えるとあたかも金の屏風を立てたように見える
ことからこの名前が付いたという。朝日でなくてもこのとおり、まさに金屏風とはこの事。一方、銀屏風は
灰褐色の断崖に夕日を浴びると銀色に輝くという。どちらも全貌を見るには船上からがよさそうである。
また、室蘭近海には春から秋にかけ、多くのイルカが回遊している。さらにミンククジラ、シャチ、オットセイ
といった海洋ほ乳動物との出会いの確立が高い海域でもあるという。そこでイルカ・鯨ウオッチングの
観光船ツアーが実施されている。約2時間半のクルーズで大人6000円とやや高いが、1000頭単位の
イルカに遭遇したこともしばしばだとか。それなら高くもないだろうがすべては運次第といったところか。
海のアウトドアとしては絵鞆半島東岸のイタンキ浜がある。数少ない鳴浜海岸であり、夏は海水浴場を
開設し、サーフィンのメッカとしても知られているそうである。山のアウトドアとしては”だんパラ公園”が
整備されている。”だんパラ”とは家族だんらんパラダイスの略であり、標高911mの室蘭岳山麓に
広がるレクレーションゾーンでキャンプ場やパークゴルフ場などの施設がある。室蘭岳山頂への登山
コース(約2km)の登山口ともなっていて、冬には初・中級者向けのスキー場が開設されるようでもある。
そして砂原町で紹介した東蝦夷地南部藩陣屋跡はここ室蘭にもあった。(右) 安政2(1855)年に幕府より
恵山岬から幌別までの警備を命ぜられた南部藩は、函館に元陣屋、室蘭に出張陣屋、砂原・長万部に
分屯所を設けたという。やはり砂原より格は上らしく広さは倍以上あり、土塁・堀なども規模が大きい
ものとなっていた。安政3年に完成した陣屋であるが、おしむらくは翌年、明治維新の動乱で南部藩は
岩手県に引揚げることになり、陣屋を焼却して引揚げたことである。ここに30棟ぐらいの建築物が
建てられていたそうである。
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