2003.08.14

道の駅 No.14 いわない

積丹半島と渡島半島に挟まれ”後志(しりべし)”の中心に位置する小さな町が岩内町である。
しかし江戸時代から港町として栄え、岩内場所が経営もされていた。すでに廃線となって久しい旧国鉄
岩内線の終着駅だった岩内駅が設置されていた町でもある。様々な歴史があり小さな町ではなさそうだ。
そして岩内港のすぐ裏手にあった旧岩内駅跡地には”道の駅 No.14 いわない”が代わって設置された。
道の駅スタンプラリー2003、59個目のスタンプは小さいが大きな町でゲットした。

ここは”ガイドセンターたら丸館”という観光案内所がメイン施設となっている。また、特産品の展示は
しているが販売はしていないとの事である。レストランの施設もない。しかし同じ旧岩内駅の跡地には
”タラ丸市場”や土産物屋があり、市街地中心なので付近に喰い所は数多くあり、不自由はないだろう。

道の駅 No.14 いわない


◎岩内の歴史

冒頭に述べたように江戸時代には岩内場所が置かれ、北海道の日本海沿岸の特産品であったニシン漁も
さかんであったが、その遺構は少ない。わずかに岩内場所運上屋の本陣跡が残されている程度である。
明治時代以降にも岩内町は欧米文化の発祥の地といえる舞台となった出来事が多い。
まず、明治4年に北海道で初めてビールの原料である野生のホップが発見され、北海道でのビール醸造が
提唱されて後のサッポロビールにつながっていった。岩内町郷土館の前庭には記念碑が建てられている。
明治38年には岩内水力電気株式会社が創立され、北海道初の水力発電所が建設された。当時は札幌、
小樽、函館にしか電灯(火力発電)がなく、全国的に見ても水力発電所は数箇所しか存在せず、
冬季凍結などの理由で北海道では不適切とされていた時代のことである。今も幌内川沿いの発電所の
跡地には明治時代の煉瓦の枠組みが残っているそうである。
また、大正11年に日本で初めてアスパラガスの栽培が始まったのも岩内町であるという。綾小路さんも
昔は缶詰のホワイトアスパラガスしか知らなかったが、いつのまにか”ガス”の名前は省かれ、生のものや
グリーンアスパラが主流となり、最近の盛況は目覚しい。この記念碑も町内に建てられている。

(左)野生ホップ発見の地碑 (右)北海道における水力発電所発祥の地 (共に03.9.30撮影)

◎その他の観光 in 岩内

日本海沿岸の珍岩・奇岩は岩内町にも数多く存在する。傘岩はその昔に海岸を通る人々が雨宿りした事
から名前が付いたという。また北海道には至るところに義経伝説があり、弁慶が雷電峠で休息した際に
太刀を置いたという刀掛岩や暖をとるため薪を切り、その積んだ薪が化石になったという薪積岩がある。
温泉は雷電温泉郷がお勧め。というかここしか行ったことがない。市街地から国道229号線沿いを南下した
断崖の切れ目の高台にある。弁慶の刀掛岩も近くにあり、日本海に沈む夕日を見ながらの露天風呂は贅沢。
また、いわない温泉郷は岩内岳のふもとの円山高原にあり、岩内港や積丹半島の夜景がすばらしいとの話
である。一度行ってみたいと思っているのが朝日温泉である。国道から険しい山間部を4キロ奥に行った
所にある。ここは綾小路さんの車では疑問なので二の足を踏んでいる。しかし現在は休業中であるとか。
芸術が好きな人には画家の木田金次郎美術館がある。この施設も旧岩内駅の跡地にあり、道の駅からすぐ
近い。また、円山高原には荒井記念美術館があり、こちらはピカソの版画や西村計雄作品が展示されている。
アウトドアも円山高原で楽しめ、付近は円山高原リゾートゾーンと呼ばれている。キャンプ場や森林公園が
整備されていて、冬にはスキー場も営業している。もちろん岩内岳への登山コースもあり、往復で5時間
以上かかるタフなもののようである。

(左)傘岩 (右)弁慶の刀掛岩 (共に03.9.30撮影)

◎岩内名物

昔は岩内の大切な資源であったニシンも明治後半以降は漁獲量が激減した。現在でも身欠きニシンや
ニシンそばを町内の食堂で食べられるが、大正以降にニシンに取って代わったのが”たら”である。
道の駅の名前にも付いているように岩内町のマスコットキャラクターが”たら”をモデルとした”たら丸”
である。そして岩内町の名産品となっているのが”タラコ”であるとはつい最近まで知らなかった。
本日、綾小路さんは早い夕食として”タラ丸市場”でタラコ丼をいただいた。ご飯の上にタラコを敷き
詰めたもので、確かに美味しかったが1000円とは少し高いような気もした。まあこれも名物だ。
他には今はやりの海洋深層水があるが、こちらはまだ始まったばかりのようで今後の展開は分らない。


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