2003.07.21

道の駅 No.42 横綱の里ふくしま

北海道の最南端は日本最北の城下町の松前町にあるがすぐ隣には福島町が位置している。
そして最南端である松前町白神岬から両町の境界までは1キロていどしか離れていない。
境界の設定いかんではこちらが最南端の町だったかもしれない。
この福島町の市街地には”道の駅 No.42 横綱の里ふくしま”がある。
道の駅スタンプラリー2003、48個目のスタンプは両横綱のふるさとでゲットした。

ここは横綱千代の山・千代の富士記念館がメイン施設となっているがこれは有料である。
道を挟んで福島町特産品センターがありスタンプもここで押せる。レストランは記念館内部にもない。
道の駅の駐車場には千代の富士と親交がある、松山千春、明石家さんま、吉幾三、青木功、江川卓、
北島三郎らの出した幟がさながら本場所中のように立てられている。

道の駅 No.42 横綱の里ふくしま(福島町特産品センター)


◎横綱の町

福島町は第41代横綱千代の山と第58代横綱千代の富士という2人の大横綱の生誕地である。
これは全国的にみても初めての事で、町ではこれを記念して横綱千代の山・千代の富士記念館を建設した。
生家どうしも近く、千代の富士は元々は千代の山の弟子という事もあって2横綱の縁も深い。
外見は国技館を模しているのだろうか。(左) 階段を登った玄関前には2横綱のブロンズ像がある。
内部には2横綱の全記録も収められているが見どころはやはりメモリアルホールである。
化粧廻しはもちろん横綱推挙状や優勝杯など栄光の品の数々が展示されている。
館員に聞かなかったがたぶん寄贈ではないと思う。貸出しだが、半永久的貸しだされているのだろう。
だいいち横綱千代の山はすでに52歳で急逝しているのである。
その中で綾小路さんが目玉品だと思ったのは千代の富士の”まげ”と国民栄誉賞。(右)
横綱は60人以上いて、歴史こそ違うが国民栄誉賞は15人しかいないからである。
しかも相撲界からはただひとりだけである。

◎青函トンネル

青函トンネルは新幹線も通行可能なように工事が行われた。しかし当初は在来線を通す計画であった。
この時点では青函トンネルの北海道口は現在の知内町ではなく福島町だったとの事である。
そこで町では莫大な納付金を利用して北海道の玄関口としての町作りをするという、果てしない夢が
広がっていった。結局は新幹線方式となりトンネルの総延長が長くなり隣町の知内町に決定したそうである。
しかし工事は福島町の吉岡から進められ完成後は道の駅近くに北海道立青函トンネル記念館が建っていた。
これが今回行くと平成14年10月31日をもって閉館となったとの看板が立っていたのである。
またもう一度ぐらいは見学しようと思っていただけに残念であった。
町内にはトンネルメモリアルパークという記念公園は残っている。

◎その他の観光 in 福島

道南では駒ヶ岳と並ぶ秀峰大千軒岳は標高1072m、頂上は福島町ではないが千軒から登山コースがある。
片道約6キロあり往復すると7時間かかる本格的な登山コースである。
途中にはエゾキリシタン殉教地の十字架があるそうだ。1600年代に幕府のキリスト教弾圧で比較的
取締りのゆるい東北に、さらには逃亡の地の果ての蝦夷地へと渡ってきた信者達が働くのは治外法権地帯の
千軒金山だった。しかし弾圧は益々厳しくなり、とうとう幕命によって松前藩に処刑されてしまったのである。
今は高山植物が咲き乱れる美しいお花畑に悲しい歴史があり、これを慰霊するものらしい。
そして矢越岬への道。知内町からも小谷石まで行ったが福島町からは岩部市街まで行く事が出来る。
こちらも10キロほど海岸線を走り岩部市街手前まで来た、(左) ここで最後にトンネルを通ると
岩山に挟まれた岩部市街となる。(右) ここ岩部漁港から矢越岬に至る海岸線の岩部海岸は、
陸路の交通手段がない秘境地帯となり奇岩・奇石が続く雄大な景観が壮観であるとの事。
しかし陸路で行けないのではしょうがない。遊漁船があるみたいだからそれで見るしかないようだ。
特産品は日本一の生産量を誇る”するめ”、隣の松前町の旅館に宿泊した時も出てきた。やっぱり!
しかし”いか”が嫌いな綾小路さんはそれ以来、この近郊に宿泊する事をためらっている。

トップ アイコン
トップ
アイコン
ドライブ