2003.05.21

道の駅 No.24 おんねゆ温泉

北海道の中央部にそびえる大雪山渓、その北東部に有名な層雲峡がある。
そこから国道39号で難所の石北峠を越え下ったところが留辺蘂町である。
市街地まであと10キロというところに温根湯温泉街があり道の駅 No.24 おんねゆ温泉もこの地域にある。
ここに来たのは目的があった。
今日の宿泊は北見の健康ランドの予定だったが途中、知床で温泉に入りくつろぎのひと時をすごしたのである。
そして少し体がぽかぽかしてきてこのまま健康ランドに行っても無駄な事だと思えてきた。
そこで道の駅で車内泊をする事にしたのである。
もともとの予定の北見にも近いしここはトイレがきれいでコンビニもすぐ近くにあるので便利である。
もちろん道の駅スタンプラリー2003、20個目のスタンプもゲットした。

ここはトイレだけで食堂も土産物屋もない。
しかし併設施設なのか”からくり王国”という隣接の建物では土産物を購入出来るみたいである。
ここではたしか300円で牛乳飲み放題とかもあった。
綾小路さんは腹を下すのでチャレンジした事はない。
またシンボルタワー花夢林は世界一のハト時計だとか。
(訂正:花夢林の裏に物産館”花夢林の館”があり、”からくり王国”と合わせ道の駅の施設の1部である模様
    また”からくり王国”内には食堂が3軒ほどありラーメン、カレーなどの食事が可能)



道の駅 No.24 おんねゆ温泉 (右)は花夢林

◎綾小路さんのいちおし in 留辺蘂

層雲峡から国道39号で石北峠を越えて少し下ったところである。
そこからおそらく砂利道を進み2キロ程度のところであろうか。
そこにかつて街があったらしい。東洋一の水銀を産したイトムカ鉱山の炭坑街である。
1937(昭和12)年、前年に起きた大暴風の倒木処理中に偶然硫化水銀鉱が発見されたという。
そして生産が始まり住宅や学校も建設されたのである。
戦時中に軍需用として必要なため最盛期を迎え戦後も蛍光灯、農薬のための需要が続いたようである。
しかし資源の枯渇と公害問題のため1973年に閉山となった。
このイトムカ鉱山の炭坑街の探索を昨年に試みたがその入口付近の国道が工事中で入れなかったのである。
いずれ再チャレンジして見たいと思っている。
10キロ東の選鉱場には鉱山記念碑が建てられている。

イトムカ鉱山発祥之地碑


◎その他の観光 in 留辺蘂

留辺蘂町は温泉が多い。
温根湯温泉に滝の湯温泉とポン湯温泉がありこれらを総称して温根湯温泉峡を形成している。
残念ながら綾小路さんは入った事がない。
山の水族館・郷土館には一度行った事がある。白いイトウが新顔であった。
他に100匹もの北きつねが放し飼いされている北きつね牧場がある。


イトムカ鉱山の炭坑街探索(07.08)

この日綾小路さんはイトムカ鉱山の炭坑街を探索する事にした。
留辺蘂市街から石北峠に向い、峠にほぼ近い武華山登山口である砂利道に入った。
すぐに分岐道を発見したが立ち入り禁止になっている。
このさきには選鉱場などが残っているはずだが止むをえない。
さらに進むと分岐道があり先に坑口があった左側の道に入った。
そこからは道路も礫混じりで車も運転しづらい、ここでパンクしたらまずいなと思いつつ先に進んだ。
しかし500mぐらいで行き止まりとなった。
坑口はとっくに埋め戻されているはずなのでその先に坑口があったのだと思いにふけった。
分岐点まで引返しこんどは右側の道を進んだ。こちら側に炭坑街があったはずである。
しかし遺構は思った以上に少なく、学校跡も平坦地が残っているだけで立て札や記念碑などもない。
この時期は雑草も生え揃いそれ以上先に進もうという気も起きなかった箇所もあった。
まあ第1回目という事でこのぐらいにしておこう。
そして国道に戻ってきた時には綾小路さんの黒いスポーツカーは真っ白になっていたのは言うまでもない。

イトムカ炭坑街 (左)石垣と倉庫(あるいは焼却炉?) (右)学校跡(たぶん)

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