2003.05.21

道の駅 No.63 知床・らうす

しれーとこーの岬に・・・。
来た来た知床に来ました。
しまった!CDを持ってくるのを忘れた。
知床にくる時はそのCDを聞かねば・・・。
と思ったがそんなCDを1枚も持ってないのを思い出した綾小路さんであった。
その日本最後の秘境、知床半島の南側、羅臼町市街地に道の駅 No.63 知床・らうすがある。
ここで道の駅スタンプラリー2003のスタンプも当然ゲットした。これで18個となった。

道の駅と併設の知床らうす交流センターの内部には土産物屋にレストランがある。
レストランではトド肉料理も味わえるそうである。ちょっとした名物のようだ。
しかし有名なのは羅臼名物のホッケである。綾小路さんはここでホッケ定食を食べた事はある。
土産物屋も3軒ほどあり賑わっている。
そして綾小路さんは見た事がないが、ドラマ”北の宿から”もとい”北の国から”のロケが
ここ羅臼で行われたらしく、道の駅内ではロケの写真展示や場所の紹介がしてあった。

道の駅 No.63 知床・らうす
写真左から”らうす深層館(海鮮市場)”、道の駅本屋、海鮮工房(羅臼漁業共同組合直営店)


◎綾小路さんのいちおし in 羅臼

綾小路さんは初めて日本地図を見てからウン十年経つ。地理は好きなので今でも時々見る。
国後島も行った事はないのでその地図の形が印象の大部分を占めている。
しかしここ羅臼から見る国後島は違うのである。
その地図の上側から見る形となる。
これは実に奇妙な感じがする。
函館から青森を望むとき、岡山から香川を望むのも同様であろうか。
この逆の地図をイメージするのはなかなか難しい。
道路地図でも分りづらい道を南下する時は地図を逆さにしないと分らないものである。
それはさておきその国後島も近くて遠い島である。
これが羅臼町のいたるところで見る事が出来るのである。
今日もそうだがなかなかスカッと晴れて見渡す事が出来ないのは少し残念ではある。

国後島 (左)標津町市街地から撮影 (右)道の駅前から撮影


◎その他の観光 in 羅臼

昔は知床観光船が羅臼から知床岬をまわり斜里町ウトロまで運行していたようである。
しかし現在羅臼側は運行していないようである。残念でならない。
他にマッカウスひかりごけが有名であるが光の関係からか綾小路さんはほとんど分らなかった。
あと羅臼町には無料の温泉が多い。相泊、セセキ、熊の湯の3湯が有名である。
しかしそのうち相泊、セセキは時期もあるのか入浴している人を見た事がない。
綾小路さんは人気の熊の湯だけ一度入浴した事がある。


◎知床横断道路

その昔羅臼町市街地から斜里町ウトロに行くには一旦標津町まで行き、根北峠を通らねばばらず大変な迂回であった。
直線距離で20キロ弱、道路地図上では30キロ程度のところを120キロもかけて迂回していた。
そのころには観光船があったかもしれない。しかしこれも知床岬経由だから大変な迂回である。
そこで昭和38年9月から18年の歳月と莫大な工事費をかけて知床横断道路が完成したのである。
事実綾小路さんも昨年は大雨で知床横断道路が通行不可となり迂回路でウトロまで行った。
これでも半年は通行不可となる。現在も夜間の通行は不可となっている。
しかしそれも止むを得ないと思う。
今日も路面こそ雪は積もっていないが道路脇の斜面は雪がたっぷり残っている状態であった。
いやー、知床は本当に秘境だと痛感した一日であった。

知床峠 (左)晴れていればここに羅臼岳が見える。 (右)知床峠(横断道路)記念碑


◎知床横断道路(07.07)

今日は七夕、綾小路さんが年に1回知床に来る日、じゃあなかったか。1ヶ月半前に来たばかりだった。
しかし女心と知床の天気である。差替えた道の駅の写真では朝早いとはいえ雲が垂れ込んでいるのが分る。
国後島も昨日の夕方から今朝にかけてこの羅臼市街からはまったく見えなかったのである。
これが1歩知床横断道路に入るとピーカンで信じられない落差である。
下の左側の写真は上の写真とほぼ同じアングル、今日は羅臼岳がバッチリでした。
国後島も知床峠や途中の道路からも雲の向うにポッカリと浮かんでいた。(右)
でも雲がなくても知床峠からは国後島の3分の1ぐらいしか見えないとの事である。


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