ペルー
基本的に、知らないところへ行くのは好きだ。今回の旅行に関しては、友人の希望に沿ったものであって、特に自発的に望んだ行き先ではない。時にはそういう旅も良いと思うのである。
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さすがにペルーは遠かった。アトランタ経由で首都のリマまでほぼ丸一日。以後も、旅の行程はなかなかハードであった。その辺は日記の方で。

リマは泊まっただけだったのがちょっと残念。これはバスの車窓から。
どんな地域でも歴史というのは「悲劇」を抜きにしては語れないけれど、初めての南米では「侵略」という行為の痕を生々しく感じざるを得なかった。もう5世紀も前のことなのに。
*日記はこちら
インカ帝国の首都だったクスコの街にて。
左はアルマス広場を中心にイエズス会の大聖堂と教会。右はサン・ドミンゴ教会。どちらもインカの宮殿や神殿を破壊した上に建設されたそうです。
インカの「気配」は街の土台にだけ残り、侵略者スペインの「文化」がその上に乗っかって、表層に見えている、と。
今を生きる人々は“普通”に暮らしているように見えますが・・・
クスコ周辺にはインカ時代の遺跡がたくさん残っているようです。ここはサクサイワマンというところ。
遺跡のどのあたりで、なんでこんな構図の写真を撮ったのかあまり覚えてないのですが、なんとなく印象的なので載せておきます。
遺跡の全体像はぜんぜん伝わらないのですが・・・
クスコからマチュピチュまでは列車で4−5時間ほど。

インカ帝国は各地をつなぐ道を作っていたそうで、今は「インカ道」と呼ばれています。これはマチュピチュにつながる部分。
いにしえの道というのは、なぜこうも心惹くものがあるのでしょうか?
場所と場所をつなぐというよりは、今と昔をつないでいるようです。
説明するまでも無く、美しく神秘的なマチュピチュの遺跡です。
人も無く荒廃した存在なのに、何故かとても美しく感じられる風景です。
遺跡を訪れるといつも思うのは、この場所が「機能」していた時代の人々の生活や「心」がどのようなものだったのだろう?、ということ。彼らがいた同じ場所に、今、私が立っているにもかかわらず、あまりに遠く想像もつかないことです。
マチュピチュには2日通いました。
2日目は朝早く登り、遺跡で日の出を見ました。高く険しい峰を越えて、雲の隙間から光が漏れてきました。
そして、先の写真の遺跡の向こうに見えている、ワイナピチュという山に登りました。右の写真は途中で見かけたきれいな形をした羊歯。
道すがら、不思議な色・形のチョウが舞い、険しい道をふうふう言いながら登る私の頭の上を、ツバメたちがかすめて行きました。こうした生き物たちは、遺跡の主たちもやはり目にしたのでしょうか? ここを訪れる人間の種類や目的はあまりに変わってしまったけれど、彼らは、人間よりもはるかに多くの世代を重ねたにもかかわらず、何も変わっていないのかもしれません。
ワイナピチュからのマチュピチュの眺めです。
遺跡の上に、うすく霞がたなびいています。

左に見えるじぐざくの道は、ふもとの街からのバスによるアクセス道です。
また、遺跡の左上からは、「インカ道」が遠くまで続いています。
昔の道と今の道。人の生き方の変わり様が、象徴されているようです。
クスコからチチカカ湖のあるプーノまで、バスで移動しました。
ここは途中の峠。標高は4,335mとのこと。
こんなに高い場所なのに、鉄道が通っているし、牧畜が営まれています。また、我々のような観光客目当ての土産物屋もたくさんいます(苦笑)。
高地に慣れない我々は、酸素不足で文字通り「息も絶え絶え」なのに、みんなたくましいものです。
チチカカ湖です。標高の高い場所にある湖として有名ですが、琵琶湖の10倍以上もの面積を持っているとは知りませんでした。
植物を利用して家や舟を作っているどころか、「島」まで作っているそうです。数軒の家があるのかな・・・と思っていたら、集落どころか立派な「村」(町?)で、役所までありました。
ちょうど湖を訪れているとき、太陽の周りに虹の「環」ができていました。「日暈」(にちうん:うん=かさ)と呼ぶんだそうですね。このときはなんときれいに二重に環ができていました。「外暈」が見られること自体が珍しいそうなので、相当に珍しい現象?? 右の写真に外暈の一部が写ってます。
天文現象と人々のこんな暮らし様、どちらがより珍しいでしょう?
旅の最後はナスカへ。
左の写真はナスカへ向かう基地であるイカにある砂漠。砂漠は初めて訪れたのですが、とてもインパクトのある場所でした。清浄だけと厳しい気配で、今は静かだけど「嵐」を強く想像させる姿かたち。でも、なぜか心安らぐ。威厳のあるお坊さん、の印象に近いかな?
右の写真はナスカの平原。地上絵はさすがにうまく写りませんでした。この中に点在しています。
昔と今の気象は違うとは思うけれど、こうした環境の中でいったいどんな生活を営み、どんな文化を育んでいたのでしょうか?
何を知りたくて、何を伝えたくてあんな絵を描いたのでしょうか?
まさに「謎」ですね。