ブータンの農業に大きな功績を残した日本人がいるらしい。西岡京治さんとおっしゃる方で、JICAの前身の組織から派遣された方らしい。その功績は「ダショー」という爵位を授与されたほどで、これはブータン人以外では2人しかいないらしい。氏を記念したチョルテンまである。氏の熱意や努力が素晴らしいと思うし、日本人として嬉しくなる。そして、こういうことこそが国際貢献なんだよな、と思う。おかげでブータンの人達は親日的らしい。
上はパロ・ゾンの外観、下はゾンからのパロの街の眺め、右はゾンの中の僧(主に少年)たち。
ブータンは山がちの地形のため、天気が変わりやすく、局地的な雨も良く降る。この旅行中は乾季の初め頃に当たるけれど、下の写真のように山には雲がかかって良く雨が降っていた。水には恵まれた国である。川の姿も美しく、マス類が多いらしい。ただし、仏教徒なので魚は採らないらしい・・・私が住んだら欲求不満になりそうだ(笑)。なお、肉は良く食べられるが、すべてインドからの輸入らしい。食べるんだったら直接手を下さなくても同じじゃないか、とつっこみたくもなるが・・・なお、国内の牛はチーズを作るのに利用している様子。
この日、ゾンでは「ドロプチェン」(?意味未確認)という法要が行われていた。僧たちが集まっているのはその準備段階の様子。白い壁に赤い人の群れが良く似合っていた。その後、堂内に集まって香を焚き、ホルンを鳴らし、太鼓をたたき、読経を始め、数人の僧が着替えて踊りを始め・・・それはいつ終わるとも知れなかった。
最終日はタクツァン・ラカンへ行った。
徒歩で片道2-3時間ほど山を登ったところの断崖にあるお寺である。
途中、麓を眺めるとこんな風景だ。
おそらく、良く雲や霧がかかるためだろう、木にはシダ類やサルオガセがたくさん着生している。生命の気配が濃厚だけれど、熱帯雨林のような猥雑さと言うか過剰さと言うか、こちらを圧倒してくるような息苦しさはなく、清浄で神秘的な雰囲気が漂っている。
道々にはたくさんの花が咲いていた。
どれも美しい。
ツァ・ツァのそばに咲いたものも・・・
お寺のすぐそばに見事な滝があり、この水で清めができる。
お寺の姿は道々から見えて、どこから見ても絵になる。中は狭いけれど、神秘的な雰囲気が漂っていた。
これはお寺の門をくぐってすぐの場所に祭られていた土地の神様。
少女のように見える姿。その眼差しを見つめていると、なんだか離れがたい気分になった。
最後に訪れたのはキチェ・ラカン。
ここでは先代の王のお母様の催事が行われているとかで、中に入ることはできなかった。
もともとお邪魔しているのはこちらの方なので、入れないからといってもちろん文句など言ったりはしない。
何を祈願されていたのかはわからないけれど、国や民を思ってのことなのだろう。
これでもう旅も終り。最後の日の入りの様子。
いつも旅は名残惜しいものだけれど、これほどの気分を感じるのはとても久しぶり。この地を離れる、あるいは日本の日常に戻る、ということが、なんだか心か体の一部が千切られるような感じがした。それほど、この国に共感、あるいは「調和」している自分がいたように思う。「幸福の国ブータン」はまさに幸福の国だった。
またいつか、この国を訪れるような縁はあるだろうか?
と言うことで、おまけにお土産群の写真を。いつも私はこの手のお土産はほとんど買わないのだけれど、今回は珍しく欲しくなるものがたくさんあった。厳選?して買ってきたのは、ルンタ、吉祥紋のセニャ、マニ車と金銀銅3体の文殊菩薩(後ろの鹿角は別)。
特に文殊さんの姿がとても気に入って、あちこちで探した。意外にもものすごくお高いお値段で手が出ないほどだったけれど、お手頃のものを見つけ出しては買い足してしまい、こんなことに・・・でも気に入っている。3人寄らば・・・なんて言うけれど、文殊さん自身が3人もいれば強力だろうなぁ。
セニャのご利益(悩みから解放されて自由に生きる!)もありますように。