粟国島
『ナビィの恋』の撮影地。そのことへの思いというか期待というか、それについてはそれほど大きなものではなかった。ただ沖縄の空気が吸いたかった。沖縄の海が見たかった。沖縄の風を感じたかった。沖縄の音を聞きたかった。静かなところで、のんびりとしたかったのである。
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基本的に、旅に出た時にはまずその地の「神様」にお参りしたいと思っている。この島には数限りなく「拝所」(うがんしょ:お祈りをするところ、かな?)があったが、最初にご挨拶に行ったのはちょっと変わった場所で、「観音」と呼ばれるところ。と言っても仏像があるわけでなく、石碑が1本立ってるだけ。そこに梵字というのが彫ってある。面白いなぁと思いながら、島への無事の到着と滞在中の安全祈願、そしていつまでも良い島でありますように、と願ったのである。
(日記に書いたが、島への到着は天気のせいで危うかった。滞在中も「雨」予報に反して晴れてくれて、ご利益大? 帰りの際にもちゃんとお礼をしてきました。ちなみに梵字というのを調べてみたら、この文字は「キリーク」?と呼ばれるものらしく、千手観音とか阿弥陀如来を示すらしい。ゴジラに見えてしまったのは私だけか・・・?)
島の集落の様子です。珊瑚の石垣にフクギの防風林、そして赤瓦の家。もちろん近代的なコンクリート製の家の方が多いし、赤瓦の家は無人になってしまってるところも多いです。
でも、まだまだこうした家並みが生きているのです。
こちらは白瓦。雨漏りを防止するためにペンキを塗ってるんだそうです。でも、これはこれで雰囲気は悪くないです。シーサーも、いろんな姿、表情のものたちがいます。
沖縄では「信仰」が日常の中に生きています。「石敢當」というのは三叉路の突き当たったところなどに置かれる魔除けです。昔の強かった人(中国人?)の名前だという話です。
集落のところどころや崖地などには「拝所」が設けられています。立派な大木の下や岩陰で、島の人たちは祈りをささげるようです。普段はあまりこうした場所の写真を撮らないのですが、今回は少し撮らせてもらってきました。
今回もいろんなチョウを見ることが出来ました。リュウキュウアサギマダラにシロオビアゲハ。
不思議なことに、ヤモリには会えませんでした。ちょっと残念。声は聞こえましたが。嬉しかったのはホタルを見られたこと。海岸沿いの草むらで、2匹ほど見つけることが出来ました。
「筆ん崎」と呼ばれる島の西端の断崖です。東端の集落から自転車で30分くらいで着いたでしょうか? 実に爽快でした。
こうした場所から海を眺める気分というのは、波打ち際で眺めるのとはまたかなり違ったものになります。人もほとんどおらず、波の音と風の音だけが聞こえ、視界は広く遠く。
しばらくここにたたずみ、「あ〜、これを求めてたんだ。来て良かった・・・」としみじみ思いました。
同じように思っていたのかどうか、しばらくこの地にたたずんでいた面々。
左から、父と幼い娘、恋人ないし夫婦と思われる二人連れ、独りの若者。
海に面した場所にも「拝所」がたくさんあります。やはり豊穣や安全を願うのでしょうか? わずか3日間の滞在の間にも、何回も祈りをささげる風景を見ました。右の写真は、墓所からの眺めです。死した者と生ける物との境界は明瞭ですが、同時に強いつながりもあります。神と人も同様。そしてそこには、自然とその恵みを受けて生きていることへの思いがあります。全体として、それを「文化」と呼べるでしょう。「日本」からは失われつつあるものだと思います。
左は港からの夕暮れの風景です。ここでは毎日、釣りをしている人がいました。お年寄り、親子連れ、友達同士。

右は、粟国から本島へ帰るときに飛行機から見えた小さな島です。
自分が生きている世界がこんな風に眺められたら、生き方はもっと変わるでしょうか?
沖縄では、自然に支えられた生活が今に至るまで続いていて、そういう文化が生きています。(もちろん全てではないですし、割合という言い方をすればむしろ少ないはずですが、精神的な部分ではまだまだ多いと思います)
私が3年ほど過ごし、これから去ることになる「北海道」はそうではありません。一般的には「豊かな自然」があるように語られますが、それは本州との比較においてのこと。およそこの100年ほどの間の変化で言えば、その程度は本州をはるかに越えています。そしてそれは同時に「アイヌ」の人たちの生活・文化を破壊したことを意味し、当然のことながらアイヌの人たちそのものも追いやってきたわけです。簡単に言えば、欧米諸国が世界各地で行ったこととと同様に、日本はアイヌ(人)を侵略してアイヌモシリ(人間の大地)を植民地としてきたということです。そこが「北海道」であり、それが「開拓」という言葉の意味することです。そこにはもはやカムイ(神)は不在と言えるでしょう。そしてしかも、それだけのことをしておきながら、北海道は夕張に象徴されるように自立すらできない状態です。
北海道は現代日本の縮図だと思います。沖縄はそうではなく、過去の日本が大切にしていたものを今も持っているのではないだろうかと感じます。見習いながら思い出さなければならないことが、とても多いのではないかと。
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